仙臺新報 - 6
「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号
下は「自転車の売行」の記事。
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仙臺新報 - 6
「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号
下は「自転車の売行」の記事。
見開き広告
下は新聞の見開き広告。
新聞広告に大きく自転車が載っていたので、保存していたもの。
自転車は英国のパシュレーであろうか。
南洋號
「旅人の友」渋谷金次郎 大正11年11月15日発行
註、下記の記事にはちょっとした日本での黎明期の自転車史を垣間見ることが出来る。
「南洋號」の屋号は、当初この店で販売していた自転車のブランド名と思われる。
大正期になると南洋號商會は自転車からオート三輪の販売へと進化している。
仙臺新報 - 5
「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号
下の記事は、河原崎権之助と自轉車の記事。
註、河原崎権之助(かわらさき ごんのすけ)は、 歌舞伎役者の名跡 。 屋号は山崎屋 。江戸河原崎座座元の名跡でもある。この記事の河原崎権之助は八代目と思われる。權之助と自轉車
俳優中での自轉車狂なる河原崎権之助が自轉車に乗る功徳の大なる事を稱賛し居るが其言ふ處に依れば五つの便益を具へ居れり
一、従来の柔弱怯懦なる俳優の精神を强健に且つ確固ならしむ
二、男地獄的の服装を一變して自然にその氣象をも改善せしむ
三、他の社會に見るを得ざる一種忌むべき門閥の陋習を破り上下平等の源を開くことを得べし
四、婦人に接近する場合を少くして悪しき遊びより遠ざからしむ
五、遠足を屢次する爲め種々の観察を廣くし藝道に裨益するに至るべし
斯く見來れば自轉車なるものは何れの社會にも通じて多大の便利と功徳とを有するものなる事を知るなり、とはまた遅し、之れ等は疾くに社會の凡てに認識せられたるものにして我が東北に於て始めて新らしき云ひ條なるべきか呵々。
輪業世界 - 6
「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
下は、「輪業世界」第40号の広告など、
輪業世界 - 5
「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
下は、「輪業世界」第40号の広告など、