2009年2月28日土曜日

ダルマ自転車

 グーグルの画像検索で「ダルマ自転車」を眺めていましたら、気になる写真が目にとまりました。明治時代に製作したと思われる現存する国産ダルマ自転車は、殆んど見てきたつもりでしたが、この写真のものは初めてでした。特に注目した点は、ヘッド部のカール状の装飾です。これも唐草模様の一形態なのでしょうか。更にサドルを支える二重のスプリング状のステーです。これも先端などがカールしています。残念ながら後輪のリムと鉄輪は欠落していますが、全般的に見て明治20年頃の国産ダルマ自転車の特徴を残しています。実物を見ていないのでなんともいえませんが、細部のどこかには何か刻印のようなものがあるかも知れません。
 この自転車がある場所は、宮城県名取市サイクルスポーツセンターです。このセンターの入口付近にあるとのことです。

2009年2月27日金曜日

大久保素公

 日本力行会の会員である大久保素公(25才)君は、1914年(大正3)2月20日に自転車世界一周の旅に出発しました。
 当日は午前9時から皇居前広場で二重橋を拝しながら、日本力行会のメンバーやその他の関係者、それに野次馬を含めた大勢の人々が集まり、壮行会が行われました。大久保青年は集まった聴衆を前に、自転車世界一周の抱負と決意表明をいたしました。その後、主催者を代表して会長から旅の無事と成功を祈念する挨拶がありました。報道陣のインタビューもあり、最後に集まった人々全員が万歳三唱をしました。壮行会の終了後、自転車に乗った彼は勇ましく皇居前を出発しました。背中には、日本語と英語で「自転車世界漫遊」と書かれた旗がひらめいていました。 
 2月21日付けの東京毎日新聞には、そのような記事が載っています。その後、彼の消息は分かりませんが、この世界旅行を記念して絵葉書までも発行をしていますから、恐らく無事成功したのではないかと思います。

 日本人の自転車による世界一周は、1902年(明治35)の中村春吉が最初です。この中村春吉の体験談は後に「中村春吉自転車世界無銭旅行」(明治42年発行)として冒険や探検小説を得意とした押川春浪が小説にしています。

 この本は、当研究会で昭和59年に復刻しました。まだ少し在庫がありますので、ご希望の方はメールにてご連絡ください。

2009年2月26日木曜日

アニーロンドンデリー

  アニー・コーエン・コプチョフスキー(1870-1947)は、1870年にラトビア、リガのユダヤ人家庭に生まれました。その後一家はアメリカに移住し、アニーは、1888年にマックス・コプチョフスキーと結婚しました。4年の間に3人の子供にも恵まれました。
 その後アニーは、ロンドンデリーリチアスプリングスウォーター会社に就職しました。仕事は宣伝用のプラカードを自転車につけて走り回ることでした。賃金は100ドルと安い広告料を貰うだけでした。自分の名前も会社からアニーロンドンデリーという芸名のような名前を名のるように言い渡されました。
 アニーが世界一周を決意することになったのは、ボストンの二人の富豪による賭けが原因のようです。「女性が自転車を使って、1年と3ヶ月で世界を一周できるか」というものでした。賭け金は1万ドルですが、それにはいろいろな条件が付随していました。金銭を一切持たないでスタートすることなどでした。ですから彼女は旅行中は広告料や体験談の講演などをしながら費用を捻出しました。それでも2,000ドルを稼ぎ出したようです。宣伝広告は、当然、自転車や彼女の衣服に目立つようにつけました。なぜそこまでして、この様な賭けにのったのでしょうか。会社の目論見と彼女の強い意志がそうさせたのでしょうか。女性の地位は当時欧米でも低く「女に何ができる」という風潮があったことでしょう。女性の社会的地位の向上や解放運動も芽生えてきた時代でした。女性が男性と同じように自転車に乗ることも、一つの要素になったことでしょう。自転車に乗るには長いスカートや窮屈なコルセットは不向きです。自由で開放的なスポーティな服装が必要でした。
 自転車の普及により、女性の服装も徐々に変化してきました。アメリカで創作されたブルマーもその一つです。ジョセフ・ボトムレーは「自転車、その過去、現在、未来」の著書の中で、ブルマーを「アメリカ人の道徳的不品行」と述べています。保守的なヨーロッパでは、まだまだ女性の自転車乗りに対して批判的だったようです。アニーの挑戦は、そのような批判に対する反発もあったことでしょう。女性の地位の向上とあらゆる束縛からの解放ではなかったかと思われます。それに私にもできるという強い信念がありました。
 アニーは、3人の可愛い子供と夫を残し、いよいよ自転車で旅立つことになりました。1894年6月、ボストンを出発した彼女はシカゴに向かいました。ところが自転車の旅は、当初思ったほど楽ではありませんでした。自転車もコロンビア社製の重いもので、重量は19キロもありました。それにこのような窮屈な服装ではこれからの長い旅がたいへん困難に思われました。とてもこれでは世界一周などできないという悲観的な気持ちになりました。そのように悲嘆にくれる彼女に転機が訪れたのは、自転車と衣服の改善でした。この二つの改善により新たな希望が再びわいてきたからです。それは、長いスカートから軽快なブルマーに着替えることと自転車を重いコロンビアからスターリング社製自転車に交換することでした。スターリングは、堅牢で重量も軽く10キロ近いものでした。スターリングは、日本でも明治38年頃日米商店が輸入し、人気のある銘柄の一つでした。この服装とこの自転車なら旅の成功も可能であると思われるようになりました。気持ちを新たにしたアニーは、シカゴを再スタートし、当初考えていた地球を西回りするコースから東回りでニューヨークに向かうコースに変更しました。一つには時期的に冬を迎えますので、強い偏西風による太平洋の荒波を避けたものと思われます。
 11月、ニューヨークからフランスへ渡る船にのり、いよいよ世界一周の旅が始まりました。その後、パリから地中海へ出て、船でエジプトに向かいました。アラビア半島は陸路を自転車で縦断し、イエメンに向かいました。イエメンからは、また船にのりスリランカ、シンガポール、香港、上海、韓国を経てやっと日本にたどり着きました。日本に何月何日に来着したか定かではありませんが、宣伝広告を兼ねての旅行ですので、目だったはずです。恐らく横浜に着いたときから、サンフランシスコに向けて出発するまでの間は、物見高い日本人が大騒ぎをしたと思います。それとも「女のくせに」という呆れたような白い目で見たのかも知れません。何れにしても、当時のマスコミはあまり騒ぎ立てた形跡がありません。今後は、この辺の調査も必要かと思われます。恐らく新聞や雑誌に話題を提供したと思います。今のところ国内の二紙(東京朝日新聞と英字新聞のジャパン・ウイークリー・メール)が報道しているだけです。
 横浜を発ったアニーは、その後太平洋を船で渡り、カリフォルニアからまた自転車でアメリカ大陸を横断し、1895年9月に無事シカゴに戻りました。
 賭けがどうなったか知りませんが、恐らく金に汚い金満家のようですから難癖をつけたのではないでしょうか。
 自転車世界一周といっても、殆んどが船の旅のようでした。例えば日本の例をとっても横浜から横浜では、恐らくその間に東京に立ち寄った程度ではなかったかと思われます。トーマス・スチーブンスは、日本だけでも長崎から横浜までサイクリングを実際にしています。それに自転車はセーフティー(安全車)ではなく、不安定な前輪の大きなオーディナリー(ダルマ自転車)でした。
 だからと言って、アニーの成し遂げた女性によるしかも単身の世界旅行は歴史に残る快挙であり、素晴らしいことには相違ありません。この事実は歴史に書きとめるに相応しい価値あるものだと思います。
 女性の世界旅行者は、同じ頃もう一人現れています。ファニー・ブロック・ワークマンです。夫のウイリアムと10年間も世界中を旅行しています。1895年には自転車でアトラス山脈を越え、サハラ砂漠に至る難コースを制覇しました。日本に来日したかは、いまのところ不明です。

 写真は、アマゾンの書籍案内から転載しました。
 Around the World on Two Wheels: Annie Londonderry's Extraordinary Ride

世界一周旅行

 自転車による世界一周旅行の嚆矢は、1886年(明治19)に来日したトーマス・スチーブンスですが、その後も数人が日本に来ています。明治30年代までを当時の新聞から拾ってみますと、次のようになります。

○トーマス・スチーブンス 自転車世界一周のスチーブンス来朝 1886年(明治19)12月4日付け時事新報

○フランク・G・レンツ 自転車世界漫遊者の渡来 1892年(明治25)11月19日付け東京朝日新聞
 
○アニー・コーエン・コプチョフスキー 自転車乗り婦人の世界周遊 1895年(明治28)3月2日付け東京朝日新聞

○少なくとも3人(名前は不明) 世界一周の旅行者が東京に到着 1898年(明治31)2月17日付け国民新聞

○G.A.フレザー 自転車世界漫遊者の演説会 1898年(明治31)3月3日付け東京朝日新聞

○中村春吉 日本人初の世界旅行者 1902年(明治35)2月25日横浜港を出発

 この中で、アニー・コーエン・コプチョフスキーは特筆すべきではないでしょうか。治安も道路事情も悪いこの時代に女性の単身での世界旅行は、トーマス・スチーブンスに匹敵する偉大な快挙だと思います。これ以外でも新聞に載らなかったり、見落とした来航者はあると思いますが、いまのところ確認はとれていません。

2009年2月25日水曜日

自転車部隊編制


 ジェラール陸軍大尉発案の仏国自転車兵中隊の組織編制について簡単に説明しますと、次のようになります。

中隊は全部で60人、それを束ねる中隊長はジェラール大尉

30人の第1半隊長 クラボナール中尉、第2半隊長 ピカール中尉

15人の小隊の内訳は、軍曹1、伍長2、隊員12

 この60人の中隊の中には、人事経理担当の軍曹が1名と自転車の修理員2名がいました。(この3人は兼務しているのか、それとも別枠かは不明)

 この図は、次の新聞記事をもとに作成しました。
 1897年(明治30)1月9日付け東京朝日新聞
 同年5月12日付け東京朝日新聞

折畳自転車

 これは特許出願の図面です。日付は、1906年(明治39)5月3日とあります。分解はフレームパイプ接合部にボルトのようなネジが切ってあり、これにより脱着します。
 折畳自転車は、最近でもいろいろな形状のものがたくさん製造されています。折畳の方法も千差万別です。先に紹介したモールトンのAM2もその一つです。
 私が持っている折畳自転車は、ブロンプトンとポーターシルクです。ブロンプトンはイギリスのアンドリュー・リッチー氏が1991年頃に開発した自転車です。ポーターシルクは1950年(昭和25)に志村精機が製作したロード・パピー号を、その後片倉シルクが引き継ぎ量産された自転車です。
 折畳自転車の発想はどこからきたのでしょうか。一つには携行を目的としたもので、コンパクトにたたんでバックに収納し持ち運ぶことです。現在では車に収納したり、部屋の片隅に保管することでしょう。
 それから軍隊が山岳地帯の行軍などに背負ったり、パラシュート部隊が飛び降りるときなどに折畳はかかせません。恐らく最初に開発したのは陸軍ではないでしょうか。イギリスのBSAやフランスのプジョーなどの軍用自転車が知られています。
 プジョーの軍用折畳自転車は、フランス陸軍第87歩兵連隊のジェラール大尉が1895年(明治28)に考案したと伝えられています。その後、第二次世界大戦でイギリス陸軍空挺部隊によってBSA社のパラバイクと呼ばれた折畳自転車も登場しました。
 日本の軍隊でも明治30年頃にジェラール考案の自転車が利用されたようで、当時の写真も残っています。また、1897年(明治30)1月9日付けの東京朝日新聞にも仏国自転車兵中隊の記事が載っていて、ジェラール大尉の名が出てきます。軍隊での利用形態は、当初伝令や斥候などに利用されましたが、後には自転車部隊という一つの軍隊組織が編制されました。太平洋戦争時にフィリピンのマニラ近郊やマレー半島の攻略作戦で活躍した銀輪部隊は有名です。

2009年2月24日火曜日

クリーブランド


 この図は、明治30年3月28日付け東京朝日新聞に掲載された広告です。怖い顔のおじさんが、両の手をついて口上を述べているようです。善之助さんなのでしょうか。
 クリーブランドは、当時デートン、ピアス等と共に人気ある銘柄でした。置台まで専用のクリーブランド製とはしゃれています。当時の自転車には普通スタンドは付いていませんので、壁に立てかけるか、自転車を逆さに置いてメンテナンスなどをしました。いまでも競技用自転車にはスタンドがありません。スタンドの重量も1秒を争うレースには不用です。
 当時、クリーブランドに乗っていた選手は、横浜のアンドリュース・ジョージ商会に勤めていたボーンです。1900年(明治33)8月に、ボーンは鶴田勝三らとともに自転車をかついて富士山に登っています。
 実は私も現在1台のクリーブランドを持っています。レーサー用ではありませんが、1900年頃のものです。リムは木リムが使用されています。

 当時クリーブランドを取り扱っていた販売店は、この伊勢善の他に仁籐商店、高木喬盛館などがありました。
 クリーブランドは、アメリカのメーカーですが、1892年~1909年頃まで、次のメーカーがクリーブランドの銘柄で販売していました。この中で、一番古いのがH.A.ロージアー&カンパニーです。
アメリカ自転車会社、クリーブランド オハイオ州、1900-1901
アメリカサイクル製造会社、ハートフォード コネチカット州、1903
アメリカサイクル製造会社、ニューヨーク、1902
H.A.ロージアー&カンパニー、クリーブランド オハイオ州、1892-1899
ポープ製造会社、ハートフォード コネチカット州、1904-1909
(ザ・ホイールメンの資料から)

2009年2月23日月曜日

坂の上の雲

 本日やっと司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」が読み終わりました。読むのに2ヶ月ぐらいかかってしまいました。読みははじめの頃は、何となく面白みを感じませんで、途中一週間ほど中断して、別な本を読んでいました。その本も読み終わりますと、また手元にあった「坂の上の雲」が気になり、読みはじめました。時間をかけて読んでいるうちに、だんだんと引きつけられ、面白くなってきました。
 それにしても、いまさらながら司馬遼太郎の凄さが分かりました。どうしてこのような長編歴史小説がかけるのでしょうか、凡人の私には理解できません。
 この小説を読んでいて、どうでもよいことなのですが、自転車がでてくるところがないか注意して読みましたら、やっと後半に出てきました。そのページの前にもあったかも知れませんが、記憶にありません。次の一文だけ覚えています。
 「自転車に乗った財部彪大佐が、高輪台町の山本権兵衛の大臣室に入ったのは、この夜の八時ごろである」(文春文庫『坂の上の雲』七巻  P.308)
 この小説を論評したり、感想を述べたりすることはできませんが、私が感じたことは、戦争は常に悲劇の連続であり、何一つよいところがないということです。
 自転車が主題になった小説では、夏目漱石の「自転車日記」、志賀直哉の「自転車」などが有名です。

2009年2月22日日曜日

輪タク

 昭和34年頃、茅ヶ崎駅の南口で輪タクを見た記憶があります。既にこの頃は輪タクの殆んどが全国の都市から姿を消していました。
 東南アジアやインド、中国などでは、いまでも輪タクが活躍しています。名前もいろいろとあるようです。リクシャー、シクロ、トライシャ、ビカク、トライシクル、トリシークロ、サンルゥンチァなどです。日本では一般的に輪タクと呼んでいました。最近では、ベロタクシーと呼ばれています。
 日本で姿を消した輪タクが再び現れたのが、2002年4月でした。地球温暖化による環境問題が叫ばれるようになり、京都議定書が採択されたときでした。環境共生都市推進協会(NPО法人・現ベロタクシージャパン)がこの京都議定書きっかけに、ドイツのメーカーから10台購入して、先ずは京都で運行をはじめました。このベロタクシーは、いまでは全国の24都市に広がり活躍しています。
 上の図は、明治39年10月29日付け毎日新聞に掲載された記事です。
 「独逸の新式人力車 近頃独逸に於いては図の如き新式の人力車流行すと云う、更に英国倫敦に於いてもサイクロリキシャとて自転車と人力車を合併したる如き車を発明したる者あり・・・・」とあります。
 この形状を見ますと、いまも東南アジアやインドで活躍している自転車タクシーとあまり変わらないように思えます。
 自転車タクシーのようなものがいつ頃から考案されたのか、定かではありませんが、西欧では17世紀ごろからいろいろな形やメカニズムの乗り物が現れています。1690年に現れたエリー・リチャードの馬車のような乗り物もその一つでしょう。
 日本でも齊藤俊彦氏の研究によりますと、明治3年頃から竹内寅次郎が一人乗り、二人乗りの自転車(三輪車)や明治11年には営業運転を目的とした大型の自転車を考案しています。しかし、これらの乗り物は、当時の道路事情やメカニズムの点で実用にならなかったようです。

自転車雑誌

 私は以前、自転車の雑誌を数誌定期購読していました。既に今は廃刊した雑誌もありますが、サイクルスポーツ、ニューサイクリング、自転車競技マガジン、バイシクルクラブ、アメリカン・バイシクリスト&モーターサイクリスト(米)、サイクリング(英・週刊)、ミロワールドシクリズム(仏)、旅とサイクリストなどです。
 現在は一誌もとっていません。理由は特にないのですが、あえて言えば経費と保管場所の問題です。読み終わった後は、資源ゴミとして出してしまえばよいのですが、私にはそれができません。どうしても捨てることができないのです。ですから今まで購入した雑誌は殆んど物置に死蔵しています。
 この新聞広告は、明治33年8月5日付け毎日新聞に掲載されたものですが、日本最初の自転車月刊誌です。明治30年代になりますと、自転車が一部の富裕層のステイタスシンボルから徐々に庶民の足として普及していった時期です。自転車製造の国産化も始まりました。
 この月刊「自転車」の発刊以降、「輪友」、「輪界」、「清輪」をはじめ、たくさんの雑誌が刊行されるようになります。


モールトン・ミーティング

 私がはじめてモールトン自転車を知ったのは、1971年(昭和46)でした。ラレー社が製造販売していたモールトンを雑誌やカタログで見たのが最初でした。その頃、私は一時ラレー自転車に夢中になっていましたから、いつもラレーのカタログなどを暇さえあれば見ていました。ラレー・モールトンも欲しくなりましたが、その頃はむしろラレー・ロードスターに凝っていました。1973年に購入しましたラレー・ロードスターを毎日のように乗りまわしていました。
 いまだに高嶺の華でありますモールトン自転車は一台も持っていません。ですが、オーナーでもないのに。アレックス・モールトン・オーナーズ・ミーティングに過去3回も参加しています。1994年11月6日の長野県原村で開催されました、第1回のミーティングには、来日中のモールトン博士も来ていました。

2009年2月21日土曜日

ラレー

 昨年の夏ごろ行きつけの自転車屋(南足柄市・カオル商会)さんでラレーのカタログが目にとまりました。このラレーは、リムで有名なアラヤがライセンスを取得し、3年ぐらい前から製造販売しているようです。ヘッドマークは懐かしい鳥の頭とRで、まったく変わっていません。このカタログを見ますと、ロードレーサーをはじめMTB、クラブモデル、小径車などが載っていました。残念ながら私の大好きなロードスタータイプはありませんでした。なぜ、いまラレーなのか分かりませんが、恐らく一つにはラレーを知る年齢層である、いわゆる私のような団塊の世代をターゲットにしたのではないかと思っています。カタログにあったクラブモデルに少し触手を動かされましたが、購入までにはいたりませんでした。もしロードスターがあったなら買ったことでしょう。私は以前ラレーのロードスターを3台持っていました。それほどロードスターが好きでした。
 イギリスのラレー社の歴史は古く、創業者のフランク・ボーデン(1848–1921) が1888年に設立した会社です。当時、工場があったノッチンガムのラレー通りから社名をつけました。

2009年2月20日金曜日

スラム

 自転車のパーツメーカーは、いまやシマノ一色の感があります。私が自転車を本格的に始めた頃は、覚えきれないほどのパーツメーカーが林立していました。国内でもシマノの他、マエダ、スギノ、サカエなどありました。三光社のパーツもまだ少し残っていた時期です。
 外国製でもカンパを筆頭にサンプレックス、ユーレー、マファック、ゼウスなどたくさの部品メーカーがありました。
 最近耳にするメーカーにスラムという名前があります。アメリカの部品メーカーで創業は新しく1987年です。2008年5月に開催されたジロ・デ・イタリアでは、このメーカーのレッドが総合優勝したアルベルト・コンタドールの自転車に使用されていました。スラムは、徐々に販路を拡大しているようです。
 自転車愛好家の楽しみの一つに、自分の気に入ったパーツで自転車を組むことがあります。最近はパーツの選択肢が狭くなってきていますので、その楽しみも少なくなりました。一部のマニア(オタク)の間では、クラッシック・パーツが高値で取引されています。ネットオークションなどでも、時々パーツ1個が数万円という金額で落札されることがあります。クラッシック・パーツの蒐集も楽しみの一つになっているのです。
 毎年、多摩川の関戸橋近くの河川敷で、フリーマーケットが行われています。このフリーマーケットは、八塚さんが創めたもので、既に10年以上続いています。私は最近このフリマには行っていませんが、珍しいパーツの掘出物もあり、人気があります。同好者のオフ会にも利用されているようです。

2009年2月19日木曜日

サイクル・タバコ


 日本でも特に数年前から禁煙がさけばれ、だんだんと喫煙者の肩身が狭くなってきています。神奈川県は全国に先がけて禁煙条例案を議会に提案(2009年2月16日)しました。松沢知事は提案説明の中で「重要なことは受動喫煙による健康への悪影響から県民を守ること。厳しい経済状況の中、事業者の活動に配慮しつつ確実な一歩を踏み出す必要がある」とのべ、この条例案成立にたいへん努力しています。反対意見もかなりあるようですから、条例の成立はいまのところ微妙のようです。
 日本人がいつ頃からタバコを吸うようになったのかはよく分かりませんが、1543年(天文12)にポルトガル人が種子島に漂着した以降、いわゆる南蛮貿易が始まった頃ではないかと言われています。
 左の絵は、明治31年4月24日付け横浜貿易新聞の広告です。明治30年に入りますと、自転車は流行し、自転車製造の国産化もはじまった時期です。ですからこのような銘柄のタバコも人々の注目を浴びました。
 「天狗たばこ」で有名な岩谷松平は、この頃、自転車を使って大いに自社のタバコを宣伝しました。彼自身たいへん自転車が好きでした。「ヒーロー」の村井吉兵衛との宣伝合戦は、熾烈を極め、この戦いはタバコが専売になる1904年(明治37)まで続きました。

2009年2月18日水曜日

出宮選手

 以前、岡山へ行きましたときに、河原 正さんの資料館(我楽苦多二輪資料館)で、出宮選手が1936年のベルリン・オリンピック大会に出場した際着用したユニホームを見せていただきました。この白いユニホームには、胸の部分に赤い字で「NIPPON」と書かれ、背中には千人針で刺繍された日の丸がありました。 
 出宮順一選手は、当時の一流選手で、特にオリンピックの同年の1936年にスイスのチューリヒで開催された男子個人ロードレースに於いて日本人初の7位入賞をはたしました。
 この7位の記録から既に70年以上になりますが、未だにオリンピック、世界選手権大会の男子個人ロードレースでこの記録を上回る日本人選手は現れていません。

2009年2月17日火曜日

ビクターのカット絵

 この新聞のカットは、明治30年の読売新聞に掲載されたとあります。明治30年とあるだけで月日は書いてありません。恐らく明治30年頃という意味だと思います。絵の説明に「自転車は貴重品 ぬれてサビないように人力車でご帰還」とあります。当時、自転車はたいへん高価で貴重なものですから、濡れないように人力車を呼んだと思われますが、はたして自転車だけを人力車に載せたのでしょうか。人力車のスペースからしますと自転車だけでもはみだしてしまいそうです。 
 この絵を注意深く見ますと、自転車のフォークの部分が、どこかで見たような形状です。この特徴ある形状は、まさしくビクターのスプリング・フォークです。そうしますとこの新聞のカットは明治30年以前の可能性があります。ビクターの日本での販売は明治26年頃からです。恐らくそのころに新聞掲載されたカットだと思います。当時、サイクリストの間でもビクターは人気のある自転車でした。すでにこのブログでも触れましたが、和田義睦、福沢桃介が乗っていました。 
 ちなみに読売新聞の創刊は1874年(明治7)です。ヨミダス歴史館では、創刊号~最新号まで計1,000万件以上の記事をデータベース化し、有料ですがネット上で検索・閲覧できるサービスを提供しています。

大宮選手

 昨日、Sさんと大磯のデニーズで、久しぶりに歓談しました。自転車談議の中で大宮政志選手の話が出ました。
  1964年(昭和39)10月22日の東京オリンピックで八王子で開催された男子ロードレースについて「大宮選手は何周目で落車したのか」という話になりました。サイトのある書き込みでは「ところがゴールまで残りわずかという地点で大量落車に巻き込まれてしまう」とあります。Sさんは「落車は2周回目ぐらいでないと1着の選手との差が約15メートル・同タイムは難しい」と言っていました。私も同様に思いましたが、結論は出ませんでした。
 家に帰りさっそくグーグルで調べましたら、次のような一文が検索されました。「2周回。29km地点稲荷坂で、大宮選手は前の選手の落車をよけきれずに転倒、しかしすぐに起き上がり集団を追い34km地点で追いつく、だがその時先頭の方では、ツアニン(イタリア)、ミリホフ(ソ連)、ギュイヨ(フランス)等10人が大集団を飛び出していた。そしてこの10人、本部前では約1分の差を付けて大集団をリード。しかしその差はじりじりとせまる」(横尾双輪館所蔵資料 VELO CLUB TOKYO 編集より)
  やはり2周回目のようです。このレースの結果は、強豪のベルギーのメルクスは12位、イタリアのジモンディは33位でした。大宮選手の順位は、1位のツアニンに遅れること約15メートル・同タイム36位でした。順位は36位ですが、最後のスプリント勝負は団子状の集団ゴールになりました。タイムは4時間39分51秒でした。大宮選手の健闘は素晴らしいものでした。
 東京オリンピックを1年後に控えた1963年のプレオリンピック・個人ロードレースで大宮選手は優勝しています。
 日本のロードの一流選手を挙げるとすれば、明治時代は鶴田勝三、戦前は出宮順一そして戦後は大宮政志であると思います。S氏も出宮と大宮を高く評価しています。

2009年2月16日月曜日

ハンドル名

 このブログを見たある人からメールが届きまして、ハンドル名の酸素の意味が分かったとわざわざ連絡してくれました。私のこのハンドル名はもう16年使っています。いまでは掲示板もブログも花盛りですが、16年前は、まだやっている人は少なかったと思います。そのころは、パソコン通信と言われていました。内容は掲示板と同じですが、書き込みには入会が必要で、パスワードを使ってログオンする必要がありました。私は1993年に読売新聞の記事(1993年6月29日付け)を見て、東京サイクリストネット(TCN)に入会しました。いまでもこのネットは活躍しています。創設が1992年ですから、いまでは立派な老舗になっています。

東京サイクリストネット http://www.tcn.gr.jp

2009年2月15日日曜日

傘たて

 先日、雨が降っているときに、前方から傘をハンドルに付けた自転車がやってきました。すれ違いの瞬間に見ましたらハンドルにホルダーのようなものがついていて、それに透明のビニール傘が取り付けられていました。昨年の道交法改正により、傘をさしての片手運転ができなくなったので、このようなホルダーが売られるようになったのです。グーグルでこのホルダーについて調べましたら、自転車用傘立て「かさたてくん」であることが分かりました。販売価格は1,980円でした。国家公安委員会告示「交通の方法に関する教則」の解説書などを見ますと「雨の日に自転車を利用するときは、レインウェアを着用しましょう」と書いてあります。2009年2月6日付け読売新聞には「自転車の傘差し運転防止につなげようと、南署は6日、オリジナルのカッパを作製し、管内の防犯推進委員ら3団体に40着を貸し出し
。・・・・」という記事がありました。これらを見ますと、傘立ではなく、雨の日はカッパの着用を奨励しているようです。雨の日に傘を持って片手運転をした経験からいいますと、スピードと風の変化によって微妙に傘の傾きを調整しながら、バランスよく乗ることにあります。ところで、片手運転の禁止は昨年の道交法改正以前にもありました。  
 上の絵は明治38年12月20日付けの横浜貿易新聞に掲載されました広告です。先人達もいろいろなものを考案しました。

2009年2月14日土曜日

AM2

 これはモールトンのAM2です。昭和59年12月27日にダイナベクターから送られてきたカタログの一部分です。私が一番好きなモデルです。
 AM2の特徴としては、軽量分割式マルチチューブフレームを採用、チューブはレイノルズ531を使用しています。私が特にこの自転車で気に入っているパーツは、ドイツのフィヒテル&ザックスのバックペダルブレーキとオートマチック二段ギヤです。このパーツが装着されたことにより、AM2はシンプルなスタイルに仕上がっています。私はいまでもこれがシリーズ最高傑作ではないかと思っています。

モールトン


 モールトンの見積もりとカタログが出てきました。見積もりの日付は昭和59年12月27日です。記憶をたどりますと昼休みに職場の食堂にあるピンク色の公衆電話からダイナベクターに問い合わせをしました。担当者の鈴木さんが親切に応対してくれまして、カタログと見積もりを送るということでした。一週間ぐらいして書類が届きました。AM2は、196,800円のところを特別価格で170,000円とのことでした。私は、150,000円ぐらいを考えていましたので、少し開きがありました。 
 その後また電話をかけ、もう少し値引きをしていただけないかと話しましたが、すでに値引きをしていますからこれ以上はできないとのことでした。キャリヤーバックを特別につけるからどうですかと、最後にいってくれましたが、結局諦めました。
 いまは、17万円で買っておけばよかったと後悔しています。

松葉フォーク

 松葉フォークのような重量運搬用自転車のことですが、グーグルで調べましたら、今でも販売していました。ウェルビーサイクルの運搬車で8Xです。価格は¥98,000‐です。
 仕様はつぎのとおりです。
 ロッド式ブレーキ
 タイヤ (前輪) : 26×1.3/8BE(後輪) : 26×1.3/4BE
 リム (前輪) : 26×1.3/8BE #12 32H(後輪) : 26×1.3/8BE #12 40H
 ギアクランク : 44丁×178 
 フリー22丁
 積載重量 : 80kg
 カラー:グリーン

2009年2月13日金曜日

スプリング・フォーク


 これはビクターのスプリング・フオークの部分の頁です。オバーマン・ホイール・カンパニーが、自社で1887年に開発した装置とカタログに書いてあります。 最近見かける自転車では、マウンテンバイクにこのような緩衝装置がついています。一般的にこれをサスペンションと呼んでいます。そして、フロント・フォークだけではなく後輪側にもついたものもあります。前後のサスペンションということで、フルサスペンション或いはデュアルサスペンションと呼んでいます。そして、このサスペンションは、ダンパーとコイルばねや空気ばねによって構成されています。 
 私が初めて緩衝装置つきの自転車に乗ったのは、昭和60年頃で、その自転車はアレックス・モールトンでした。当時、ダイナベクター(いまも取扱っています)が輸入販売していました。ダイナベクターに電話をかけカタログを送ってもらいましたが、結局、購入しませんでした。低所得者には高値の華でした。その後、知人が購入しましたので、そのモールトンに乗せてもらいました。AM2という一番好きなタイプでした。モールトンは、この緩衝装置にゴム製サスペンションであるラバコーンを採用しました。これがモールトンの一番の特徴になっています。自動車のミニ・クーパーにも装着されたものです。 
 サスペンションが無くても、今日のような舗装された道路を走るのであれば、サスペンションは必要ないと思います。フロント・フォークの曲がり(フォークブレード)やサドル、タイヤ、スポークなどの各種パーツが全体的に衝撃を分散吸収するように出来ているからです。 
 フロント・フォークで思い出しましたが、昭和30年代に見た自転車で、重量運搬用の実用車がありまして、主に材木屋、氷屋、米屋などが使用していましたが、この中に松葉フォークのようなものがありました。これは緩衝用装置ではなくフォークの堅牢性を高めるためでした。明治時代後期の赤いインディアン自動自転車(オートバイ)に、やはり松葉のものがありました。これは、ガーターフォークと呼ばれたものです。

2009年2月12日木曜日

ビクター

  ビクターのカタログを探していましたらやっと出てきました。整理整頓が悪いので、いつも探すのに苦労します。このカタログは、1892年2月15日発行のもので、オバーマン・ホイール株式会社(マサチューセッツ州チコピーフォールス)が出しました。 
 このイラストの自転車は、ビクターのモデルCで、標準的なタイプです。価格は135ドルとあります。タイヤは空気入りが装着され、乗り心地は今日の自転車とさほど変わりがなかったと思います。そして、前フォークにビクターの特徴であるスプリング・フォークが ついています。当時の道路は未舗装が殆んどでしょうから、いくらタイヤが空気入りになったとしても、衝撃はあります。このスプリング・フォークにより、さらに路面からの衝撃が緩和されました。 
 フランク・G・レンツは、この自転車を手に入れ、1892年6月から苦難の自転車世界一周へ旅立ちました。

レンツの本

 アマゾンでレンツの本を検索したところ、発行予定は9月なのですが、本の写真がすでに載っていました。表紙の写真を見ると、自転車に乗っているレンツが写っています。よく見ると自転車はビクターです。特徴あるフロントフォークですぐに分かります。 
 ビクターは、1891年にオバーマン・ホイール株式会社(マサチューセッツ州チコピーフォールス)が製造した自転車で、英国のローバーをベースに独特なスプリング・フォーク(ロッキングビーム)を取り付けた特徴ある自転車です。このスプリング・フォークは、装着されたタイヤがソリットタイヤやクッションタイヤでも未舗装の路面からの衝撃を吸収し、乗り心地をよくしています。 
 日本では、梶野自転車店の新聞広告(明治26年2月26日、毎日)にこの自転車のイラストが掲載されています。恐らくこの時期に梶野でも販売していたものと思われます。 
 明治26年頃に福沢桃介や和田義睦が乗っていたことは、当時の写真が残っていますので分かります。福沢桃介は、直接アメリカからビクターを持ち帰ったということですが、彼が留学していた期間は1887年から1889年ですので、まだこの時期ビクターは誕生していません。ですから彼も、国内で輸入されたものを買ったと推定されます。1892年(明治25年)11月にレンツは自転車による世界一周旅行で、日本にも立ち寄っていますから、その時に彼らもビクターを見たことでしょう。特に和田義睦は、明治19年という早い時期から自転車に熱中していました。 
 日本でのビクターの名を知らしめるのに、このレンツの来日が一役かったものと思われます。これはちょうどトーマス・スティーブンスが1886年に東海道を走ったことにより、徳川慶喜を刺激したように、何らかの影響を日本人に与えたことでしょう。

2009年2月11日水曜日

平心クラブ

 私の平田忠心さんの思い出といいますと、何度かクラブや競技場でお会いしたことです。当時、平塚に平心クラブという自転車競技を主体としたクラブがありました。私は、このクラブに昭和51年6月27日に入会しました。クラブの監督は萩原友二郎さんでした。会費は1,000円で入会金は500円でした。いまもその領収書が残っています。
 もっぱらクラブの練習場は平塚競輪場でした。ここで毎週、周回練習や1000メートルのタイムトライアルなどの練習をしました。
 最初に出場したレースは、第10回神奈川県アマチュア自転車競技選手権大会で昭和51年8月15日(日曜日)に開催されたレースです。場所はホームグランドでもある平塚競輪場でした。この競技大会の役員は会長が河野謙三さん、大会委員長が平田忠心さんでした。私は、2000メートルの速度競走と1000メートルのタイムトライアルに出場しましたが、何れも予選落ちでした。速度競走は、スタート時点で出遅れ、慌てたために前を走る選手の後輪に追突し、落車してしまいました。結果はビリでした。タイムトライアルも1分23秒で予選落ちになりました。速度競走は、予選の5組でしたが、この中に藤巻兄弟の一人である藤巻進さんがいました。確か予選1位で通過したと思います。予選1組には当時ロードで活躍していた森幸春さんがいました。特に10000メートルのポイントレースは彼の独壇場でした。
 レースはビリでしたが、自転車は自慢でした。練習をしているときなど、競輪選手が近づいてきて「お前、いい自転車に乗っているなー」とよく言われました。この自転車は、金沢文庫にある木下サイクルスポーツで買ったイギリス製バンテル社のシューポーターピストでした。仕様はハンドルバーが3T、ステム・チネリ、リム・二ジーのトラック36穴、ハブ・カンパ、チェーンホイール・カンパ50、固定ギア・カンパ16ピスト、チェーン・レイノルド、サドルとピラーは3T、ペダル・カンパ、ストラップはビンダでした。少しトップチューブ(英レイノルズ製)の長いのが気になりましたが、他は完璧に近いものでした。特に前フォークは堅牢で、車に当っても曲がりませんでした。実は、茅ヶ崎の湘南道路で事故を起こし、BMWとぶつかってしまいました。ちょうどコンビニから出ようとしたBMWに衝突したのです。幸い腕を少し打った程度でしたが、自転車は壊れたと思いました。特に前フォークが曲がったと一瞬思いました。ところが、まったく無事でした。この時に凄いフレームだとつくづく思いました。BMWを運転した男はえらいけんまくで怒りました。傷をつけてしまったからです。被害者になるところが、加害者のような状態になりました。示談で結局修理代として4万円とられてしまいました。これは、自転車のフォークがあまりにも丈夫であったためです。
 平心クラブの話からだいぶそれてしまいました。
 平心クラブの名前は、すでにご推察のとおり、平田さんの名前からきています。

2009年2月10日火曜日

平田忠心さんと大雄山平塚復興講

平塚博物館で、「平田忠心さんと大雄山平塚復興講」というイベントを開催中です。
期間は、2009年1月4日(日)~2月12日(木)です。
平田忠心さんは、明治31年に平塚で生まれました。17歳のときから、南足柄にある道了尊に自転車で参拝し、自転車競技の一流選手になることを祈願したそうです。その後も、関東大震災の復興を祈願するために平塚復興講を組織しました。
博物館では平田さんの遺族から寄贈された平塚復興講、自転車競技等に関する資料を展示しています。

2009年2月9日月曜日

ニュースレター目次

ニュースレター(NEWSLETTER)  会報 ”自転車” 目次

ニュースレター/130 (09.02.08)
ブログの開設と移行
 
ニュースレター/129 (08.04.02)
自転車で観桜巡り
The Japan Weekly Mailの創刊号
谷ヶ貫小学校
 
ニュースレター/127 (08.03.22)
デジタルアーカイブス『日本の経験』を伝える
陸船車の研究資料
自転車の歴史探訪
 
ニュースレター/127 (07.12.26)
人力車工場が全焼
平塚市博物館のガタクリ車
八幡浜市から出現した三輪車
 
ニュースレター/ 126 (07.11.29)
最軽量の電動自転車
国会図書館近代デジタルライブラリー
 
ニュースレター/ 125 (03.07.11)
日本人が自転車発明?
河口湖でモールトン・ミーティング
中国映画の中の自転車
 
ニュースレター/ 124 (03.02.08)
「道路交通政策史概観」刊行
第11回服部緑地シクロジャンブル
写真集・自転車泥棒
ヨシダ製作所のオーディナリー
3割でもそれが残っていたら
荒川サイクリングクラブ創立20周年記念誌発行
ニューサイ誌に「自転車の歴史」連載中
オイルボトル?
オーディナリーについて
 
ニュースレター/ 123 (02.11.18)
古物商店頭のオーディナリー
WEB・バイクナビ
ヤマハ・ハイブリッドコミューター
自転車文化センター移転
オール輪界
山口自転車のシルバー号
自転車のある郵便局風景印
国際サイクル歴史会議
SYOWA自転車組合の自転車
DnB ポータブル自転車
Rising Sun Cycle Club
Xtraordinaryについて
タカラのハイエンド自転車フレーム
ルフェーブルの自転車
 
ニュースレター/ 122 (02.7.1)
シンガーのパテント
技研ニュースなど廃刊
全日本実業団自転車競技連盟35周年
三本氏愛用のラレー・レコードエース(RRA)は如何?
ジョン・ピンカートン氏逝く
日本最初の自転車は”独行車”か?
VCCの季刊誌「News and Views」で当サイトを紹介
「ラピタ」にエルスの子供車など
NHKの『新・クイズ 日本人の質問』でオーディナリー自転車が出題
自転車タクシー京都で快走
 
ニュースレター/ 121 (02.1.30)
日米タイムス等の資料
ベリーズの自転車事情
第13回啓蟄の会ミーティング
国際ヴェテランサイクルラリー
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
油微塵流双輪術
 
ニュースレター/ 120 (01.12.7)
志村精機のパピー号
我楽苦多二輪資料館
ローバーの専門書
ロートン科学博物館
コロンビアエキスパート
日本最古の車輪?
クラッシク・パーツ
 
ニュースレター/ 119 (01.10.15)
トヨタコレクション展
港サイクリングクラブの会報誌
自転車でGO!!
ためしてガッテン
第8回アレックス・モールトン・ミーティング
 
ニュースレター/ 118 (01.9.20)
Sabliere、Daudon、Derch、Maury、Routens、Follis、Alex Singer、Rene Herse等のフランス・ビルダー
世界室内自転車競技選手権
国際自転車歴史会議の本
グランビ Grand-bi
国立国会図書館のweb-opac
 
ニュースレター/ 117 (01.8.31)
郵便局の風景印
第8回服部緑地シクロジャンブル
昭和初期の思い出
「みんなで作る検索サイト」
第12回国際自転車歴史会議
”King of the Road ”
 
ニュースレター/ 116 (01.8.27)
自輪車の原画?
自転車用ギアチェンジ・システム
ナルシスのフロント・ディレーラー
 
ニュースレター/ 115 (01.8.26)
車いす歴史博物館
なぜシンガー三輪車にこだわるか
国会図書館ネットでコピー受付
シンガー三輪車の車輪サイズ?
 
ニュースレター/ 114 (01.8.24)
流山と自転車
啓蟄の会
トーマス・スチーブンス
小径折り畳みの原点
 
ニュースレター/ 113 (01.8.23)
シンガー三輪車の文献
オーディナリーに魅了
ペニーファージングと一緒
 
ニュースレター/ 112 (01.8.16)
海軍専用車
シンガー三輪車
売り物:バロック・レーサー
オーディナリーのウェブサイト中止
 
ニュースレター/ 111 (01.8.13)
サザビースのオークション
ポリージャポン2001
覇王、十字号を求む
八神氏からのレター
マンスリー・エムで自転車特集
今井 彬彦氏ご逝去
 
ニュースレター/ 110 (01.5.5)
究極のエネルギー消費
キャンベラでクラシック自転車集い
VIANZONE
佐野 裕二氏ご逝去
 
ニュースレター/ 109 (00.12.18)
日本のオーディナリー
タウン情報こうち
Mac Fan internet
からくり儀右衛門
 
ニュースレター/ 108 (00.12.12)
戦争と自転車のかかわり
自転車レースの優勝旗
 
ニュースレター/ 107 (00.11.23)
日本サイクリング協会誌
アズキ自転車
モールトン・ミーティング
『Mac Fan internet』
「Pirate、海賊号」自転車
 
ニュースレター/ 106 (00.11.15)
長谷川・スピーデンWeb開設
ヤフーの自転車オークション
ブルックスのオークション
モールトン博士来日
大日本自転車㈱
地球温暖化防止会議と自転車
 
ニュースレター/ 105 (00.10.26)
ブリヂストン製モールトン
第7回アレックス・モールトン・オーナーズ・ミーティング
ヒルマン、オーディナリー
自転車の歴史が分かる貴重なページ
Poly Japon 2000
ニューサイのCD-ROM
スターメイ・アチャーのサイト
世界のオークション
満鉄時代の資料
Iモード専用サイト開設
 
ニュースレター/ 104 (00.8.26)
国際自転車歴史会議、大阪・堺で開催
 
ニュースレター/ 103 (99.12.25)
2000年に日本で国際自転車歴史会議開催決定
ペニーファージング・チャンピョンシップ
中国にもクラシック自転車のコレクター
日本にオーディナリーのクラブ誕生?
自転車のチェンジギアの歴史本
 
ニュースレター/ 102 (99.7.15)
”開運!なんでも鑑定団”にダルマ車登場
弁理士制度100周年記念郵便切手
国際自転車歴史会議、2000年に日本で?
産業考古学会の論文集
 
ニュースレター/ 101 (99.5.16)
一般誌でも自転車
マイク氏フォーセールのサイトを開設
浅井 忠の画にダルマ自転車
スコットランドの自転車史
100年前の記事
 
ニュースレター/ 100 (99.1.29 )
古河市、自転車中心の街づくり
ローバーの歴史
ダルマ自転車発見
カタログのコピーサービス
 
ニュースレター/ 99 (98.9.27 )
横浜に自転車文化の拠点
FOR SALE
有名人と自転車
世界最軽量のコンパクト車
ライト兄弟の夢を火星に
 
ニュースレター/ 98 (98.8.12 )
ホビー・ホースの本
自転車ものがたり
On The Wheel誌に八神氏登場
オークション
カンパの初期カタログ
看板博物館
 
ニュースレター/ 97 (98.5.3)
蘇ったメヤム号
オークション
自輪車の駆動方式?
最後の将軍と自転車
国際自転車歴史会議
チェコのレプリカ車
ニュー・モールトン発表
ビッカートンは如何
自転車と電車に乗れる
変速機の意外な歴史
 
ニュースレター/ 96 (98.1.20)
中堀氏からのメール
珍しいオーディナリーの写真
アメリカのマイクさんから電子メール
ダビンチの自転車は偽物
国産リヤカーの出現前後
国際ベテランサイクルラリー
 
ニュースレター/ 95 (97.10.12)
アンティーク自転車関連リスト
ペニーファージング倶楽部のニュースレター
熟年よ自転車で走ろう!!
ニューサイ400号発刊
日本へ最初に来た自動車
カナダのシールズ氏からのレター
国際自転車歴史会議
 
ニュースレター/ 94 (97.8.3)
”自転車ハシル”企画展
クイズとらの巻
キャンベラ自転車博物館
世界の自転車博物館
雑誌「蘇る!」
レストアしませんか?
エルスのTシャツ
国際自転車歴史会議
 
ニュースレター/ 93 (97.6.27)
オークションのwebサイト
フィールドバイカーズで自転車博物館紹介
アンティーク自転車の For Sale
オーディナリーのレプリカ
サイクル・アクセス・ブック
最近の古書目録より
明治村だより
戦前期における自転車工業の発展と技術吸収
東亜サイクル通信、70年史
「魔風恋風」の初野と東吾
 
ニュースレター/ 92 (97.4.6)
明治村でイベント
How to Get Started in the Vintage Bicycle Hobby
骨ゆすり
バイク・カルチャー誌11号発行
ハイテクにっぽん誕生展
 
ニュースレター/ 91 (97.3.10)
クラシック自転車譲ります
LABORレーサー
自輪車の元となった三輪車?
「はじめて自転車に乗れたあの日」展
「東海道旅道中」展
国際ラリー、スイスで
IVCA会報5号を発行
トヨタ博物館紀要
 
ニュースレター/ 90 (97.3.1)
くるまたちの社会史
小池氏からのレター
3rd啓蟄の会
外国の雑誌
明治期のラージ?
朝日新聞のインターネット記事から
第8回国際自転車歴史会議
 
ニュースレター/ 89 (97.2.22)
クラシック・パーツ等のフリーマーケット
Pryor Dodge氏のホームページ
サイクル・ギャラリー・ヤガミ
The Burgwardt Bicycle Museum
その他の雑情報
 
ニュースレター/ 88 (97.1.1)
謹賀新年
丸石の100年誌
The Bicycle
サイクル・ギャラリー・ヤガミ、1月28日正式オープン
It's in the bag!
 
ニュースレター/ 87 (96.11.17)
名古屋に自転車資料館オープン
ツール初出場の日本人?
自転車の鑑札
ロン・トンプソン氏来日予定
 
会報”自転車”/ 86 (96.1.15)
ニュースレター/新年部品交換・売買会、石原氏からのレター(阿弥陀骨)、 クラシック・モールトン、自転車業界50年、八神氏からのレター (IVCA、資料館設立)、 世界最初の自動車レース、口之津の資料館、芹田コレクション
トヨタ博物館、特別展「乗り物の文明開化」
JITENSHA/NET
「自転車と文学・小説にあらわれた自転車」その4、八塚利秀
写真集からー和歌山県ー(24)
会報”自転車”/ 85 (95.11.15)
ニュースレター/阿弥陀骨、斧氏からのレター(前向きのラントン車の錦絵)、 矢野氏からのレター(ラレー)、パウアー氏からのレター(二輪車博物館)、
ふるさとおもしろ博物館(シマノ)
LE TOURISME EN ILE DE FRANCE
やはり明治の自転車、レロイ号
JITENSHA/ NET
「自転車と文学・小説にあらわれた自転車」その3、八塚利秀
写真集からー大分県ー(23)
会報”自転車”/ 84 (95.9.15)
ニュースレター/和製ミショー、ポリージャポン95、製造卸連合40年誌発行 、ラレーのレストア、米在住の船崎氏からのレター
「英王室御用達物語」より
JITENSHA/ NET
「自転車と文学・小説にあらわれた自転車」その2、八塚利秀
写真集からー山形県ー(22)
会報”自転車”/ 83 (95.7.15)
ニュースレター/クラシック・ポスター・フェア、国際ヴェテラン・サイクルラリー 、自転車の歴史的区分、
モールトン・タンデム
日本の自転車貿易の歴史(最終回)
「自転車と文学・小説にあらわれた自転車」その1、八塚利秀
JITENSHA/ NET
写真集からー千葉県ー(21)
会報”自転車”/ 82 (95.5.15)
ニュースレター/第3回サイクルフリーマーケット、BCC・News、 自転車自由自在、三浦氏からのレター、ボルボ環境仕様書を公開、 ダニエル・ルボアが描いたモールトン
松本亀次郎伝
写真集からー神奈川ー(20)
First Lights
日本の自転車貿易の歴史(7)
会報”自転車”/ 81 (95.3.15)
ニュースレター/日本のりもの史考、JBTCネット、BIKE CULTURE 4, デイトンのフレーム?、東上の記、日ア車連60周年、大田区報、 リキシャ・ペインティング、CYCLING AND BOATING MACHINE、銃から生まれた自転車、 漱石も練習に悪戦苦闘、幼年ポンチ、ピンヘット、純日本式の最初の自転車(埴亀齢) 、学びの手車 1号
日本の自転車貿易の歴史(6)
写真集からー滋賀県ー(19)
会報”自転車”/ 80 (95.1.15)
ニュースレター/モールトン博士来日、宇佐美氏からレター、The Spaceframe Moultons、十五代将軍徳川慶喜公は我らサイクリストの大先輩?、 第6回国際自転車歴史会議、車馬坑、古老が語る「荷車・自転車・自動車そして戦争 があった」、20年のあゆみ(日本サイクルスポーツセンター)
日本の自転車貿易の歴史(5)
写真集からー大分県ー(18)
会報”自転車”/ 79 (94.11.15)
ニュースレター/自転車町工場(堺)、第2回バイシクル・ギャザリング日比谷、 名水とサイクリングのすすめ、雨の高遠、博物館用蛍光灯、ドライスのサイン入り 資料、ルネ・エルス(タンデム)、リクシャーマン、ジェラールの絵葉書、
日本の自転車貿易の歴史(4)
写真集からー福島県ー(17)
会報”自転車”/ 78 (94.9.15)
ニュースレター/最新のスポーツ文化論、アミューズ・自転車特集、ホレーシュ・ コレクション展、八塚氏からのレター(公園のラントン車?)、斉藤氏からのレター (輪タク・明治27、太陽)、ポリージャポン94、ライバル日本史(岩谷松平と 村井吉兵衛)、アメリカ自転車博物館、清里のアンティーク自転車、二輪車会館、
写真集からー山梨県ー(16)
日本の自転車貿易の歴史(3)
会報”自転車”/ 77 (94.7.15)
ニュースレター/中野サイクルを訪ねる、人力車保存に考える、Bike Cultuer Quarterly 、風切り、ザ・ホイールメンの大会、第8回クラシック自転車コンテスト、究極の 自転車店、小池一介氏からのレター、追風・OIKAZE、自転車の本のリスト、自転車 博物館(THE OLD STATION CAMELFORD)、世紀末パノラマ館
日本の自転車貿易の歴史(2)
写真集からー静岡県ー(15)
会報”自転車”/ 76 (94.5.15)
ニュースレター/M・テイラー、第8回クラシック自転車コンテスト、 メタローグ、レジェ回顧展、廻る輪に夢のせて、多摩川でクラシック部品等交換会、 自転車文化セミナー、ヤマハ・パス、明治35年のメンコ絵、村の郵便局の100年、 轍をたずねて
日本の自転車貿易の歴史(1)
写真集からー群馬県ー(14)
会報”自転車”/ 75 (94.3.15)
ニュースレター/第2回自転車文化セミナー、80年史「轍をたずねて」、 「ドライジーネとミショーの歴史」、サイクリングの世界・鳥山新一と自転車展、 NSUのポストカード、洋書の斡旋、スミソニアン博物館が日本に、国際ヴェテランサイクルラリー、 ストロングライト社倒産、100年前の新聞記事、愛車モデルAよ永遠なれ、 最新鋭モールトン GT
写真集からー三重県ー(13)
微笑亭夜話・自転車泥棒会社
会報”自転車”/ 74 (94.1.15)
ニュースレター/アメリカ自転車博物館の続報、中川氏のエルス、公文書館オープン、 明治期の自転車川柳、第1回バイシクル・ギャザリング日比谷、サイクリストの専用ネット、 ポリージャポン93、ヤマハ・パス
ロンドン・パリ・ミラノコレクション
写真集からー愛知県ー(12)
オーディナリーについて、自転車趣味の会
会報”自転車”/ 73 (93.11.15)
ニュースレター/「輪友」復刻、エルスのサイン入りレター、自転車趣味の会、 アメリカ最大の自転車博物館、カーバイトのレンズ、まるで博物館のような自転車屋、 ベンツの自転車、「虹の郷」に鑑札付き自転車、エルスのTシャツ、ウィドマン氏の コレクションはPドッジ氏が購入
自転車の輸出入について
写真集からー静岡県ー(11)
「女子嗜輪会」の誕生と20世紀の幕開
会報”自転車”/ 72 (93.9.15)
ニュースレター/「資料で語る日本の自転車史」、クラシック部品等交換会、 自転車趣味の会の集い、POLY JAPON93、日米富士の「ダルマ自転車」、 柳誌「路」、ベンツの自転車、ヤマハ・パス
田中久重の自転車スケッチ発見か?
パリの古本屋をたずねて「LE SPORTSMAN」
写真集からー神奈川県ー(10)
日本の自転車灯火史、提灯から発電ランプまで、梶原利夫氏
会報”自転車”/ 71 (93.7.15)
ニュースレター/クラシック自転車コンテスト、神奈川県姓氏家系大辞典、 ボストンで国際自転車歴史会議、サイクル・サロン(八神氏)、 産業考古学会で自転車灯火史、クイズ日本人の質問、ワーズワースの庭で、 VBCの利用について、明治はじめて物語、スミソニアンがやってくる、 ルツェルン交通博物館
名車 ”Rene HERSE”
トーマス・スチーブンスの自転車世界一周
ペイトン&ペイトン社のラントーン(1868)と改良型バイシクル(1869)
会報”自転車”/ 70 (93.5.15)
ニュースレター/第1回自転車文化セミナー、自転車歴史資料館オープン、 ソーラー自転車と電動ハイブリッド自転車、サイクルフィールド誌創刊、 名古屋にも自転車博物館を、あるサイクリストのメモより、100年前の新聞記事「 軍用自転車」
佐藤半山の遺稿「輪界追憶録」抄、明治中期の自転車事情(最終回)
日本輪友会について(その2)
第7回クラシック自転車コンテスト
会報”自転車”/ 69 (93.3.15)
ニュースレター/鎌倉期に三輪車、ラッヂの火鉢、米子のダルマ自転車、 リリー・エルス、神奈川県に公文書館オープン、あるサイクリストのメモより、 100年前の新聞記事「カーピーの自転車旅行」、キュリー夫人を特集、 福山のミショー、宮田の裏面史、自転車靴「流行」明治34年6月号
佐藤半山の遺稿「輪界追憶録」抄、明治中期の自転車事情(その4)
写真集からー長野県ー(8)
日本輪友会について(その1)
会報”自転車”/ 68 (93.1.15)
ニュースレター/江戸東京博物館オープン、「轍の文化史」、第13回国際ベテランサイクルラリー、わが国にもスミソニアンを、 自転車文化センター所蔵目録発行、パターソンの本、毛利さんの宇宙飛行で感じたこと、シロモト・ミュージアム、自転車草履
佐藤半山の遺稿「輪界追憶録」抄、明治中期の自転車事情(その3)
写真集からー岡山県ー(7)
日本最初の山岳サイクリング
会報”自転車”/ 67 (92.11.15)
ニュースレター/内外連合自転車競走会の写真、タブリーハウスのホビーホース、 高橋勇氏からの最後の葉書、パターソンの本、ル・ベロシペード・イリュストレ、 三本実氏から電話、名古屋でガタクリ車が、エアーバイクについて、 100年前の新聞記事「従軍紀行」、水曲社の水上自転車、東京日日新聞の創刊号、
佐藤半山の遺稿「輪界追憶録」抄、明治中期の自転車事情(その2)
写真集からー岐阜県ー(6)
石川商会のピアス商標変更事件
会報”自転車”/ 66 (92.9.15)
ニュースレター/八神氏からのリポート、世界の主な自転車博物館リスト、 エアーバイク、高橋勇氏逝去、「少年世界」、ふくい文明開化・三輪車、トヨタ産業技術記念館
写真集からー北海道ー(5)
佐藤半山の遺稿「輪界追憶録」抄、明治中期の自転車事情(その1)
ガタクリ市
会報”自転車”/ 65 (92.7.15)
ニュースレター/「Bicycles as Human Dreams」クラシック自転車写真集・ 「自転車の誕生とその歩み」ビデオ・シマノ、「堺自転車部品工業の 技術形成過程」出水 力著、「ザ・ホイットニー」、 栃木市の岡田記念館にダルマ自転車 、100年前の新聞記事、あるサイクリストのメモより、科学技術館に自転車 新展示室オープン、第6回クラシック自転車コンテスト、第12回国際クラシック 自転車ラリー
写真集からー神奈川県ー(4)
自転車関係錦絵目録
パリの小林恵三氏からのリポート
ガタクリ市
会報”自転車”/ 64 (92.5.15)
ニュースレター/シマノの博物館オープン、クラシック・パーツ・ブーム、 1911年のトライアンフ、裸婦と自転車、消防自転車、鉄砲の伝来とその波紋、 ツールはフジTVが放映、フランク・パターソン、折り畳み自転車フェア、 自転車コレクションの楽しみ・八神史郎氏、ザイク電気自転車、自転車屋の草分け ・松本自転車店<横浜>
写真集からー宮崎県ー(3)
パリの小林恵三氏からのリポート
ガタクリ市
会報”自転車”/ 63 (92.3.15)
ニュースレター/IVCAラリー、「自転車の歴史」ドラゴスラフ・ アンドリッチ著、コンパクト・サイクルフェア、あのダルマ自転車はどこに、 クラシック・アンティーク等用語の区分で異論、曲乗りの絵葉書・大正11年、 ダニエル・ルブールの本、斧 隆夫氏BSCの副会長に就任、
写真集からー大阪府ー(2)
遠いフィンドレー(最終回)
ガタクリ市
会報”自転車”/ 62 (92.1.15)
ニュースレター/乗り物とマスコット展、我楽苦多二輪資料館のその後、
遠いフィンドレー(3)
会員名簿
会報”自転車”/ 61 (91.11.15)
ニュースレター/IVCA機関誌を創刊、ガヴリック氏オーディナリーで 米大陸横断、自動車伝来物語、城本ミュージアム、自転車と生産技術展、
メーカー名について、高橋 勇氏
遠いフィンドレー(2)
会報”自転車”/ 60 (91.9.15)
ニュースレター/第12回国際ベテランサイクルラリー、テンプ博物館 、自転車関連文献目録・小林恵三著
遠いフィンドレー(1)
パリ小林恵三氏からのリポート、第2回国際自転車歴史会議
会報”自転車”/ 59 (91.7.15)
ニュースレター/第2回国際自転車歴史会議、英国のベテランサイクルクラブ、 大宅壮一文庫にある自転車関係雑誌、KSP自転車フェスティバル、 ケネディー・オーディナリー入荷、第5回クラシック自転車コンテスト、 クラシック自転車保存会
手作りの自転車
会報”自転車”/ 58 (91.5.15)
創立10周年を迎えて
ニュースレター/シマノ自転車博物館を建設、 押川春浪全集、自転車の学術論文、ライト兄弟の本、フランスから60台の クラシック自転車リスト、ダルマ車復元・堺鉄砲研究家・沢田平氏、 自転車錦絵の収集・斧隆夫氏
自転車の復権
会報”自転車”/ 57 (91.3.15)
ニュースレター/第11回国際ベテランサイクルラリー、宮田100年誌を発行、 パターソンの本、大沢商会100年誌発行、競輪40年誌発行
東京市及び周辺町村所在自転車関係工場・大正13年、・斎藤俊彦氏
宮田の第1号車(試作車)について、大津幸雄編著
地域クラブにおける役割とこれからの課題、石原政雄氏
オーディナリーのレプリカメーカー
会報”自転車”/ 56 (91.1.15)
ニュースレター/自転車産業関係文献目録、自転車なんでもコレクション展、
各地の自転車小史・須賀繁雄氏
治療新報、第3号、明治35年6月1日発行
会報”自転車”/ 55 (90.11.15)
ニュースレター/1990年世界選手権自転車競技大会、 自転車の風きり
星と自転車
ル・グランビー
各地の自転車小史・須賀繁雄氏
会報”自転車”/ 54 (90.9.15)
ニュースレター/幕末明治乗物づくし、輪業世界、 ザ・ボーンシェーカー誌・ラントン車を特集、 キャンベラ自転車博物館、自転車日記・夏目漱石
郵便と自転車の出会い
会報”自転車”/ 53 (90.7.15)
ニュースレター/都内のアンティークショップ、 国際シイポジウム・都市生活と自転車、 パシュレーの歴史
郵便と自転車、斧隆夫氏
ドライジーネとミショー型の歴史、小林恵三氏
人力飛行の夢を追って、稲垣正浩氏
各地の自転車小史、須賀繁雄氏
明治期の埼玉における自転車事情、佐竹慎太郎氏
第4回クラシック自転車コンテストの報告
会報”自転車”/ 52 (90.5.15)
ニュースレター/キャンベラ自転車博物館、 名古屋・オーディナリー自転車世界選手権大会
世界のクラシック自転車クラブ誌等について
VCCの日本支部開設について
自転車の新聞記事から
ラレーの思い出
会報”自転車”/ 51 (90.3.15)
ニュースレター/オークションにオットー・ダイシクル、 KM150開催、自転車のテレホンカード
クラシック自転車ラリー雑感
各地の自転車小史、須賀繁雄氏
情報あれこれ
会報”自転車”/ 50 (90.1.15)
50号をむかえて
古い自転車の系統的収集保存について 梶原利夫
江戸期と自転車 高橋 達
歴史を大事にしたい 今井彬彦
ニュースレター/渡辺承策の著作
第1回国際自転車歴史会議
自転車の梱包 明治38年
自転車の新聞記事から 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
 
会報”自転車”/ 49 (89.11.15)
ニュースレター/コンドー・サイクルのハンバー、組菱の自転車、スイフトの看板
デ博・ワールド・ハイ・バイシクル・チャンピョンシップを見て 大津幸雄
七代目森村市左衛門の東海道自転車旅行 真船高年
各地の自転車小史 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
第3回クラシック自転車ラリーとコンテスト
 
会報”自転車”/ 48 (89.9.15)
ニュースレター/ワールド・ハイ・バイシクル・チャンピョンシップ
鉄砲と自転車 亀田忠男
全国自転車関係工場一覧 明治42年12月31日現在 齊藤俊彦
日本における初期自転車変遷の試み 大津幸雄
情報あれこれ 真船高年
自転車の新聞記事から 須賀繁雄
 
会報”自転車”/ 47 (89.7.15)
ニュースレター/KATANO WORKS、モーターファンに自転車
各地の自転車小史 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
会報”自転車”/ 46 (89.5.15)
ニュースレター/プリミヤ、木内先生が元祖か?
各地の自転車小史 須賀繁雄
岡山自転車競走史話② 河原 正
情報あれこれ 真船高年
会報”自転車”/ 45 (89.3.15)
ニュースレター/朝日新聞「マリオン」
岡山自転車競走史話 河原 正
情報あれこれ 真船高年
会報”自転車”/ 44 (89.1.15)
ニュースレター/1989年の国際ラリー
偽物のオーディナリーにご注意! 真船高年
大正期の鳥取における自転車競走の記事を読み 河原 正
自転車マーク
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
会報”自転車”/ 43 (89.11.15)
ニュースレター/自転車万華鏡
天明年間 戸田太郎大夫の自転車旅行 真船高年
大正期の鳥取における自転車競走 大熊広明
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
会報”自転車”/ 42 (88.9.15)
ニュースレター/自輪車、アメリカのクラッシク自転車雑誌
江戸中期の自転車「陸舩車」真船高年
明治末の鳥取における自転車競走 大熊広明
情報あれこれ 真船高年
会報”自転車”/ 41 (88.7.15)
自転車発明の始祖を思う 奈良重幸
ニュースレター/横浜ことはじめ
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
フィリップスのオークション
会報”自転車”/ 40 (88.5.15)
ニュースレター/自転車のポストマーク
ジャパンパンチの自転車(続編ー1)真船高年
情報あれこれ 真船高年
自転車なんでも 須賀繁雄
ガタクリ市
フォーセール
会報”自転車”/ 39 (88.3.15)
ニュースレター/自転車百科事典、風切り
日本最初のサイクリング? 小林恵三
情報あれこれ 真船高年
フォーセール
自転車の変遷(その4)大津幸雄
会報”自転車”/ 38 (88.1.15)
ニュースレター/ 「猟の友」
ジャパンパンチの自転車(その2) 真船高年
ヴェロシペットの本
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
会報”自転車”/ 37 (87.11.15)
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その6)真船高年
自転車の切手について
ニュースレター/ ケネディー・オーディナリー
会報”自転車”/ 36 (87.10.15)
自転車発展の途をたどる(その2)高木六弥
情報あれこれ 真船高年
旅と自転車史 植原 郭
会報”自転車”/ 35 (87.9.15)
日本自転車史の脇役たち ワーグマン、お玉、和歌丸 高橋 達
ジャパンパンチの自転車(その1) 真船高年
ニュースレター/「自転車部品加工技術の変遷」
ガタクリ市
会報”自転車”/ 34 (87.7.15)
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その5)真船高年
自転車なんでも 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
会報”自転車”/ 33 (87.5.15)
自転車発展の途をたどる(その1)高木六弥
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その4)真船高年
自転車の変遷(その3) 大津幸雄
お便り 中野保男
会報”自転車”/ 32 (87.3.15)
「自転車学」の提唱 佐野裕二
”歴史は繰返す”スポークの折損より 井上重則
自転車の変遷(その2) 大津幸雄
会報”自転車”/ 31 (87.1.15)
「自転車史研究ノート」スポーツ史的視角から 稲垣正浩
明治12年と自転車 齊藤俊彦
ジャパンパンチ・ワーグマン 高橋 勇
お便り 八塚利秀
会報”自転車”/ 30 (86.11.15)
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その3)真船高年
ガタクリ市
自転車の変遷(その1) 大津幸雄
自転車なんでも 須賀繁雄
会報”自転車”/ 29 (86.9.15)
自転車史関係の図書について
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その2)真船高年
自転車無銭世界旅行者 中村春吉氏直話 ④
会員名簿
会報”自転車”/ 28 (86.7.15)
リンゲのボーンシェーカー
自転車なんでも 須賀繁雄
お便り 横田順弥
佐藤喜四郎と「自転車」誌(その1)真船高年
自転車無銭世界旅行者 中村春吉氏直話 ③
会報”自転車”/ 27 (86.5.15)
空とぶ自転車と水上自転車 最終回 大津幸雄
古式自転車の車輪の構成単位 真船高年
「日本輪界名鑑」に見る大正中期の輪界関係出版社
会報”自転車”/ 26 (86.3.15)
空とぶ自転車と水上自転車 ⑥ 大津幸雄
安全車以前の古式自転車に於ける考察への提言 真船高年
会員の呟 真船高年
自転車無銭世界旅行者 中村春吉氏直話 ②
会報”自転車”/ 25 (86.1.15)
空とぶ自転車と水上自転車 ⑤ 大津幸雄
情報あれこれ 喜多方市でダルマ自転車発見 真船高年
アンティック自転車によるサイクリングの提言 大津幸雄
自転車無銭世界旅行者 中村春吉氏直話
会報”自転車”/ 24 (85.11.15)
空とぶ自転車と水上自転車 ④ 大津幸雄
情報あれこれ 真船高年
自転車なんでも 須賀繁雄
「愛輪」と「周防愛輪月報」
宮田工場主宮田栄助氏の談話
会報”自転車”/ 23 (85.9.15)
空とぶ自転車と水上自転車 ③
情報あれこれ 真船高年
寅次郎が自転車の命名者
自転車なんでも 須賀繁雄
会報”自転車”/ 22 (85.7.15)
自転車乗用の医学的観察 ⑤ 入澤達吉
情報あれこれ 真船高年
空とぶ自転車と水上自転車 ②
にせ物のダルマ自転車に注意!
自転車博物館に望む
ガタクリ市 自転車の琺瑯看板
会報”自転車”/ 21 (85.5.15)
宮武外骨 大津幸雄
空とぶ自転車と水上自転車
自転車乗用の医学的観察 ④ 入澤達吉
コピーサービス
会報”自転車”/ 20 (85.3.15)
やはり幕末に自転車は来ていた! 大津幸雄
情報あれこれ 真船高年
お便り 複製古式自転車レース
自転車乗用の医学的観察 ③ 入澤達吉
85年版資料目録 日本自転車史研究会発行
会報”自転車”/ 19 (85.1.15)
自転車乗用の医学的観察 ② 入澤達吉
アレックス・モールトンの自転車
情報あれこれ 真船高年
コピーサービス
「ヴェロシペッド」1869年発行
会報”自転車”/ 18 (84.11.15)
自転車乗用の医学的観察 入澤達吉
ふるほんのねだん お便り 八浜の民家でガタクリ車
マッチ・ラベル
文献目録 Ⅱ
会報”自転車”/ 17 (84.9.15)
吉田村における鑑札下附の状況④ 大津幸雄
お便り 大阪紳士嗜好一覧
情報あれこれ 真船高年
復刻資料
会報”自転車”/ 16 (84.7.15)
吉田村における鑑札下附の状況③ 大津幸雄
情報あれこれ 真船高年
女さいくりすと
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 15 (84.5.15)
吉田村における鑑札下附の状況② 大津幸雄
自転車なんでも 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
お便り サイクルショップ・コンドー
会報”自転車”/ 14 (84.3.15)
吉田村における鑑札下附の状況 大津幸雄
ある自転車人生
ガタクリ市
自転車今昔物語
ポタリング
会報”自転車”/ 13 (84.1.15)
情報あれこれ 真船高年
お便り 石川商会
ガタクリ市
復刻出版のご案内
会報”自転車”/ 12 (83.11.15)
梶野仁之助 (最終回) 大津幸雄
脚踏車の記 真船高年
自転車なんでも 須賀繁雄
自転車は有害無益 野口勝一
ガタクリ市
会報”自転車”/ 11 (83.9.15)
梶野仁之助 (その3) 大津幸雄
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
誌上ポスター展
会報”自転車”/ 10 (83.7.15)
梶野仁之助 (その2) 大津幸雄
自転車なんでも 須賀繁雄
お便り 自転車郡
関東大震災の教訓
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 9 (83.5.15)
梶野仁之助 (その1) 大津幸雄
自転車なんでも 須賀繁雄
各地の新聞スクラップ ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 8 (83.3.15)
小田原の老舗
自転車なんでも 須賀繁雄
お便り シマノ、オランダから200台
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 7 (83.1.15)
自転車と自動車の功労者 岡本松造氏
土方歳三の掛軸 高橋 勇
自転車なんでも 須賀繁雄
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 6 (82.11.15)
あなたは自転車文化センターに行ったことがありますか?
情報あれこれ 真船高年
お便り 宮田自転車
第1回関東自転車断郊競技
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 5 (82.9.15)
自転車の始め
世界最古の自転車の本・復刻
日本自転車の由来
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 4 (82.7.15)
日本の自転車史と鑑札 高橋 勇
情報あれこれ 真船高年
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 3 (82.5.15)
文献目録(1)
自転車はどこを走ればよいか?
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 2 (82.3.15)
自転車の名称について 高橋 勇
私のコレクション Ⅰ 高橋 勇
お寺にあったダルマ自転車
ガタクリ市
復刻資料
会報”自転車”/ 創刊号 (82.1.15)
自転車という名称は、いつ、どこから?
ガタクリ市
復刻資料 取為換契約証 インゼル号 自転車1輌 代金七拾円他
創刊のごあいさつ

更新、2008.03.22

フランク・G・レンツの本

 本年9月頃にフランク・G・レンツ(1867年2月15日~1894年5月)の本が出版されるようです。彼は、1892年(明治25年)11月に自転車による世界一周旅行で、日本にも立ち寄っています。当時の東京朝日新聞(明治25年11月19日付、自転車世界漫遊者の渡来、米国人 レンジ)の記事も残っています。
 フランク・G・レンツは、1867年2月15日ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれした。1892年6月から自転車での世界一周に旅立ちました。ニューヨークからアメリカ横断後→サンフランシスコ→横浜→箱根→京都→神戸→馬関→長崎→上海→ビルマ→印度→トルコと順調に旅を続けていましたが、1894年5月、トルコのエルズルム県で強盗に襲われ死亡しました。 
  アマゾンによりますと出版される本は、The Lost Cyclist: The Untold Story of Frank Lenz's Ill-fated Around-the-world Journey  David V. Herlihy (ハードカバー - 2010/9/2) ¥ 2,128  です。

消防自転車

                                    2008.05.07撮影

 昨年の5月に妙高高原の夢見平へ行きましたが、その途中、長野県の堀金村歴史民俗資 料館に立ち寄りました。以前からそこに大正時代か昭和初期のものと思われる消防自転車があることを聞いていました。  
  その自転車は入口のところに置いてあり、すぐに分かりました。なかなかユニークな形の消防自転車でした。必見の価値は十分にあります。 

はじめまして

この度、自転車の歴史に関するブログを開設しました。
宜しくお願いいたします。