日本で製作・販売された自転車のブランド名に関する調査研究-追加編-
が下記サイトに公開されました。
自転車文化センター研究報告書 第5号 (平成25年3月発行)
http://cycle-info.bpaj.or.jp/kenkyureport/h25-3/h25-ya05.pdf
初編は、平成17年3月に発行されています。
自転車文化センター研究報告書 第1号を参照。
2013年4月15日月曜日
2013年3月8日金曜日
2013年2月22日金曜日
周延
浮世絵 太田記念美術館で【幕末・明治の美女たち】を2月24日まで開催中。下記のTwitterに周延の自転車関係の画がありました。
2月13日太田記念美術館@ukiyoeota
【幕末・明治の美女たち/見どころの1点】周延「あつま風俗 三 遊歩」。自転車で走り去るのは当時増えていた女学生。海老茶の袴を着ていたことから「海老茶式部」と呼ばれました。手前の婦人が押す乳母車は籐製で、こちらも明治に普及したものです。 pic.twitter.com/WtQN6YNV
情報提供:松島靖幸氏
周延については、当ブログの下記も参照願います。
2011年4月27日水曜日
周延3枚目の挿絵
2011年4月13日水曜日
周延の挿絵
2011年3月21日月曜日
安全型自転車の挿絵
2013年2月13日水曜日
自転車通信使
この画は、「風俗画報」明治26年(1893)6月10日発行に掲載されているもので、明治25年10月に宇都宮で実施された陸軍特別大演習の模様を描いたものです。絵師は、研齋永年。画の右上には、「瀧ノ原ノ南方壬生街道之西側ニ於ル南軍ノ砲兵並ニ自転車通信使」と書かれています。最初の3文字が不鮮明でよく分かりませんが「瀧ノ原」と推定しました。
壬生街道とは、壬生通り(みぶどおり)または壬生道と呼ばれ、日光街道小山宿(喜沢追分)から壬生宿及び鹿沼宿を経て日光街道今市宿へ至る道です。現在は、小山~楡木間を壬生道と呼んでいます。楡木宿から今市宿間は日光例幣使街道と同じ道です。
陸軍の特別大演習は、近衛、第一、第二の3個師団の参加の下に宇都宮近郊の「平出が原」(後に御幸ヶ原)で行われ、明治天皇を迎えて盛大に挙行されました。日本で最初の陸軍大演習でした。南軍を指揮した司令官は、長州の佐久間左馬太で、これに対峙する北軍の司令官は、土佐の山地元治でした。
この時、初めて自転車も伝令用として採用されました。
壬生街道とは、壬生通り(みぶどおり)または壬生道と呼ばれ、日光街道小山宿(喜沢追分)から壬生宿及び鹿沼宿を経て日光街道今市宿へ至る道です。現在は、小山~楡木間を壬生道と呼んでいます。楡木宿から今市宿間は日光例幣使街道と同じ道です。
陸軍の特別大演習は、近衛、第一、第二の3個師団の参加の下に宇都宮近郊の「平出が原」(後に御幸ヶ原)で行われ、明治天皇を迎えて盛大に挙行されました。日本で最初の陸軍大演習でした。南軍を指揮した司令官は、長州の佐久間左馬太で、これに対峙する北軍の司令官は、土佐の山地元治でした。
この時、初めて自転車も伝令用として採用されました。