2024年5月8日水曜日

平石久平次関連 - 6

平石久平次関連 - 6

「 日本新聞集覧  ニューダイジェスト」 昭和10年度版 中巻 新聞資料研究所 編

昭和11年3月30日発行

『寶曆ごよみ』は平石時光が完成

滋賀縣犬上郡彥根町長松院境内鐵塔内に秘められた舊彦根藩士平石久平治時光の遺書遺品を天文學者の山本一清博士が今回綿密に調査したところ紙屑同様になってゐた遺書類によってはしなくも時光こそは約二百年間わが天文曆學史上に埋もれてゐた珍しい天文曆學の權威者であった。新事實が明らとなり、同博士はかかる偉大な學者を産んだことは彦根のみでなく湖國の名譽であり、わが國の大きな誇りだとのかがやかしい折紙をつけた。

日本では千何百年の永い間支那の暦をそのまま用ひたものだが今から二百五十年前に安井春海といふ學者が苦心作成した貞享歴が日本人の力ではじめてつくられた暦であった。ところがその貞享暦も四、五十年後になって天體の動きとは大きな食い違ひのあることが發見され、改暦要望の聲が各地にやかましく起ったため、幕府は全國の學者を動員して改歴を命じたのだが當時の有名な曆學者であり、改歴の責任者だった土御門陰陽頭泰邦と幸徳井陰陽助保高らはともにいろいろと苦心研究をかさねたが改歴し得なかったとき、すなはち寶曆四年に突然現れた無名の歴學研究家こそは平石久平治時光だった。

時光は武門に生れながら文武両道を極め、馬術の達人であるとともに發明家であり、數學、天文曆學に造詣深く殊に天文曆學は十數年前から獨創的研究をかさね、當時病氣保養のため京都にあったので同人をはじめて見出だした土御門、幸徳井兩公卿から切なる依頼をうけて時光獨の研究によつて改正されたところの寶曆暦を表面はあたかも土御門、幸徳井兩公卿が改曆したごとく發表して朝廷へ献上詔勅を賜はり全國へ頒布されたもので、わが国で最も完璧だといはれた寶歴の改正功績者は、約二百年後の今日まで土御門、幸德井兩者として曆學史上を飾ってゐるが 、その實は當時五十九歳の田舎武士時光の偉大な力だったのである。

さらに遺書類中から珍らしい天文分野圖が發見されたため山本博土は京大へ持ち歸へり研究したところ、その天文分野圖は時光が二十九歳の青年だった二百十二年前の享保九年九月四日に観測した天體圖で、日月および星座の位置も明瞭に現したものであり、それとともに日食、月食の觀測はもちろんわが国では未だ觀測したことがないといはれるオーロラらしい現象を觀測した記録もあり、また約二百年前における彦根の連日の天候を日記してあるなど天文氣象學上に得難い貴重な資料がのこされたため大喜びの山本博士は調査研究をまとめた上近く學界へ發表することとなった。

なほ時光は明和八年八月十二日に七十六歳で他界し、長松院境内の鐵塔内に埋藏した遺書類のうち書籍その他主なるものは大正十二年に子孫が横濱へ持ち歸り震災で焼失したため鐵塔内に殘ってゐたものは全く紙屑のようなものばかりだつたが、その中からかかる貴重な資料が現れたことは誰しも豫期しないところだった。

(昭和十年六月廿四日 近江新報所載)


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「 日本新聞集覧  ニューダイジェスト」
国会図書館所蔵資料
以下同じ

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