2025年9月5日金曜日

自轉車 第6号 -3

 自轉車 第6号 

自轉車 第6号  その3、

以下は興味ある記事を拾い読み。

梅津大尉の自轉車談
半 山 生
 余一日陸軍戶山學校敎官梅津大尉の自轉車談を聞くことを得た。左に掲くものは其の一節である。頗る有益の談であれども、字句甚だ不穩當にして十分真を伝ふるを得ざるは余の大に耻づる處である。

近時自轉車の流行長足の進歩を爲したるは余の深く喜ぶ處であるが、余は世の乗用者に向って大に注告を與へたき事がある。夫れは外でもない自轉車乘用後一定の運動を勉むべき事である。元來自轉車なるものは之を体育上より見て適當の器械であるが、乃至衛生上より見て利害如何の問題につき考量するに、自轉車其物のみを以ては運動器として多大の効益を有するものではなく、寧ろ今日世の乗用者の如き風を以てするときは利害相償はざるに至るやも知れないのである。併し其の然ると否とは皆是れ乘用者の用意如何に依って岐るるものにして、自轉車其物に免かる可かざる欠點ではないのである。之れ余が世の乗用者に向けて注告せんと欲する所以の起點である。ツマリ自轉車なるものは他の運動器具の如く偏重偏軽なく満身の運動を取り得るものなるや否やに考えひ及ぼすときは、黒人の研究を待つまでもなく否定せらるるは固よりである。即ち腰部以下は十分運動を爲せども腰部以上は僅かに御相伴的の波動を受くるに過ぎないのみならず、その腰部以上も只ペダルを踏む一方である故に、他の運動器具に依る如く規則的の運動を取ることは甚だ難いものである。斯く云へば余は自轉車を以て些の効益なきものと論するものの如くに聞ゆるやも知れねど、決して左にあらず。空気の強圧に依り肺部を健強ならしめる如き、視力を發達せしむる如き、数へ来れば幾多の利益あるを信ずると人後に落ちざるものなれども、只専門の運動器に比しては遺憾多きものであり。不規則なものであると云はんと欲するものである。・・・


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