騎士のヴェロシペード
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月18日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
June 18, 1869.
註、騎士になったような気分にしてくれるヴェロシペード。
騎士のヴェロシペード
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月18日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
June 18, 1869.
註、騎士になったような気分にしてくれるヴェロシペード。
ワイズマンの安全自転車
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年7月16日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
July 16, 1869.
註、中央の自転車について紹介する。
一見どちらが前か分からないが、サドルとハンドルの位置を見れば、明らかに右側がフロントであることがわかる。そしてステアリングは後輪である。
ノーフォークのバイシクル
THE "NORFOLK" BICYCLE
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年7月30日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
July 30, 1869.
註、これもベルトドライブ方式の自転車。バイシクルとあるので、二輪車である。
この時代、既に二輪のベルトドライブ方式の自転車があったことは驚きである。
ことによりとこれが自転車の元祖になるのかもしれない。
しかし、世界最初とか元祖という言葉ほどあてにならないものはない。ラーメン店の看板ならいざ知らず、自転車も常に進化の過程の中からいろいろなものが登場したことを思えば、最初だの元祖だの語句は無意味である。過去から現在そして未来、歴史は常につながっている。ものごと最初や最後で区切ることはできない。例えあったとしてもそれは限定的なものに過ぎない。
だからこの自転車も正確には初期の自転車ということになる。1817年のドライジーネもしかりである。
アーサー王子のヴェロシペード②
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月4日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
June 4, 1869.
註、このアーサー王子のヴェロシペードは、前回の記事よりも20日ほど早い。
駆動方法はやはりベルトドライブ方式である。
アーサー王子のヴェロシペード
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月25日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
June 25, 1869.
註、一見この側面図を見るとベルト・ドライブ方式の三輪車のように見える。
下の説明ではさっぱり分からない。訳も不自然。
チェーンでないことは分かるが、はたしてこのストラップは何なんか。革製或いは組紐なのか、それとも別なものか。いずれにしてもこの構造で後輪を回すのは難しい。
しかし、この時代に既にこのような駆動方式があったことは驚きである。
それらは両方とも、車軸上で一緒に緩んで回転する。 C は歯車 E のドライバーで、歯車 G が取り付けられたシャフト F を回転させる。 G は、車軸に固定されたホイール E のドライバーである。
2つの車輪 I も車軸に固定されており、駆動滑車の 1 回に対して 2 回転する。
歯車は真ちゅう製または切断された錬鉄製である。
ロバート・ストーリー(ROBERT STOREY)
自転車関係資料-211
この雑誌は「小国民」 第5年6号 1893年(明治26年)3月15日発行
前回の軍用自転車の内容は以下のように日本でも紹介されていた。
◎軍用自転車
自転車は近来我国にても随分流行することとなりしが、西洋にては近ごろ之を軍用にまで充るに至れり。 行軍中若くは戦争中、急便を要する場合には、兵士をして自転車に乗らしむ。 勿論此等の兵士をして平生自転車に乗ることを訓練せしむるものなり。 現にフランス(仏蘭西)、ゲルマン (日耳曼)の如きは其実例を示せり。 殊にイギリスの如きは、自転車をして軍備を運ばしむるに至れり。 但し自転車にて運搬せしむる軍備は左まで重大なるものにあらず。 此軍備運搬に使用する自転車は、皆二輪より成れるものにして、 都合 6台を一列となし、その最後の自転車に運搬すべき軍備を乗せたる車をつなぎ、 6台の自転車には、各兵士二人ずつを乗せしめ、 第一の自転車の先乗りを為せるもの、 適宜に其方向を転じ行くなり。 其進行の速力は、 道路の難易に従て、一様ならずと雖も、概ね一時間に就きわが3里半より6里なりと云う。 図にて其概略を知べし。
(明治26年3月15日発行、 第5年6号)
自転車関係資料-210
この新聞は「サーニア・オブザーバー」紙 1887年6月3日付け
「The Sarnia Observer」 Dated June 3, 1887
この記事の内容と図は、当時日本でも紹介されている。
雑誌「小国民」第5年第6号、明治26年3月15日発行にある。
自転車関係資料-209
この雑誌は「サイクリング・イラスト」誌 合本版
ミラノ、1894年12月20日 木曜日 発行(781頁)
「L'ILLUSTRAZIONE CICLISTICA」
Milano, giovedì 20 dicembre 1894
註、一見、十字号のような形状の自転車のイラストがあったので紹介する。プジョーのベル
昨日、自転車の工具箱の中からプジョーのベルが出てきた。何時ごろのものか分からないが1970年代にプジョー自転車を所有していたころのものと思われる。以前、ヤフオクでやはりプジョーのベルを見たが、そのベルはドイツ製であった。今回工具箱から出てきたベルはフランス製で「AFA MADE IN FRANCE」と指で回転させる部分に刻印されていた。
AFA で思い出すのは、やはり1970年代に使用していたクリストフのトークリップ である。ストラップはビンダ(ALFREDO BINDA)であった。
ベルの蓋をあけて少し油をさしたら、まだよい音色がした。
下のマニュアルと小旗はプジョーの関連資料として参考まで。
改良型キルマーノック・ ベロシピード
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月11日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
June 11, 1869.
註、前回の図と比較すると改良点が見えてくる。
キルマーノック・ベロシペード
これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年5月14日号
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」
May 14, 1869.
このキルマーノック・ベロシペード(THE KILMARNOCK VELOCIPE)、どこかで見たような自転車である。
そう、まさにあのカークパトリック・マクミランのベロシペードに大変良く似ている。
キルマーノック・ベロシペードをマクミランとあえて混同させ、この図の自転車をマクミランとしたのであろう。製作者のトーマス・マッコールもマクミラン同様にスコットランド在住であった。マクミランはスコットランドのダンフリースで、マッコールはキルマーノックである。
1880年代にジェームズ・ジョンストンという金持ちのトウモロコシ商人が叔父のカークパトリック・マクミランを最初の自転車発明者にするため、マッコールのデザインをマクミランにしたとも云われている。そして1839年の日付まで追加した。コベントリー・ソーシャブル・ベロシペード
COVENTRY'S SOCIABLE VELOCIPEDE.
「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE」
380頁 1869年7月16日号より
図の右側シートには3人が座れるように座席が配置され、外側にクランク・レバーがある。後ろのシートでは足踏みとステアリングを操作する。素材は松を使用(フロントアクスルを除く)。この車は時速 8 マイルの速さで走ることが出来る。
J.コベントリー
註、一見どちらが前か分からない。おそらく右側が前輪か?向かい合って座るので、確かに社交的(SOCIABLE)なベロシペードである。
このページの右寄りにはバルーン・ベロシペードが見える。熱気球の主な機能は、マシンの転倒防止と、車体が軽くなるので登り坂には有利。バルーンに熱風を送るため、小さなオイルランプが気球の真下に装備されている。 W.T トリンドン
レイノルズのベロシペード
この資料も「アメリカの職人」誌 1869年7月7日号
「AMERICAN ARTISAN」 July 7, 1869 .
1869年7月7日号 4頁
レイノルズのベロシペード
自転車関係資料-208
この雑誌は「アメリカの職人」誌 1869年9月29日号
「LE GENIE INDUSTRIEL」 SEPTEMBRE 29、1869.
また「セレレマネ」が載っていたので紹介する。
セレレマネ(Celeremane)、一部抄訳、
現時点で最も人気のあるスポーツは、ボート漕ぎとベロシペードに乗ることである。
過ぎ去った夏のシーズン中、ボートは最も人気があった。しかし、多くの人は、寒さが厳しくなるにつれ、敬遠する。
ボートの練習が好きな人が陸上でも同様の練習できるベロシペードがある。(エンジニアリングより)
ロンドンのボウに住むオースティン・チェンバーズ氏によって設計・製作された「セレレマネ」と呼ばれているベロシペードだ。
このベロシペードは、図のように座っている5人の男性によって操作され、2 人はマシンの正面を向き、他の2 人は後ろを向いている。一番後ろは舵手である。
乗り手は、軽量鋼のラジアスバーに接続されているクロスバーを握る。したがって、その動作はボート漕ぎに似ている。
乗り手は自分の筋肉の力を長期間使用して、より大きな効果を得ることができる。・・・
註、「エンジニアリング」誌からの引用とある。(当ブログを参照)
ヒルデブラント&ヴォルフミュラー
ヒルデブラント&ヴォルフミュラーがイタリアの「サイクリング・イラスト」誌にも載っていたので紹介する。
「サイクリング・イラスト」誌 合本版
ミラノ、1895年3月17日 発行(145頁)
「LA ILLUSTRAZIONE CIOLISTICA」
Milano. 17 marzo 1895.
なお、ヒルデブラント&ヴォルフミュラーについては、このブログの「自転車関係資料-186」及び「自転車関係資料-187」を参照。
日本に初めて登場した歴史的に重要なモーターサイクルなので度々このブログでも紹介している。因みに日本へは、1896年1月19日に十文字商会が輸入している。