2025年9月9日火曜日

自轉車瓦版 第29号

 自轉車瓦版 第29号

昭和60年6月5日発行

☆「雑誌、創刊号蔵書目録」という一風変わった自費出版物が出た。明治以来の雑誌の創刊号ばかりを集めた「大塚文庫」の刊行で、収録されている雑誌の数は約6千点。国会図書館でさえ保存されている創刊雑誌は約5千点なので質量とも、わが国で最大規模と言える内容となっている。「大塚文庫」は、大塚正基氏の個人コレクション、東京世田谷区上用賀の自宅に所蔵されている。昭、60.6.9付け朝日新聞、日曜版より。はたして、自転車関係は、どのような雑誌が何点所蔵されているであろうか。

☆真船氏からの情報、先日、例の35万円で購入した「ヴェロシペード」を眺めていたら、図5の「RANTOONE」という三輪車が目に止まった。この三輪事の駆動方法は、足踏み式と手動を併用したもので、どこかで見た絵である。なかなか思い出すことが出来なかったが、それはジャパン・パンチに出てくる三輪車の絵であった。年代も1869年(明治2年)と全く一致していた。細部には若干の違いはあるがほとんど同じである。ジャバンパンチの絵が、実際に東京で見たところを描いたのか、或いは、文献で見た三輪車をこの絵に入れたのか断定することはできないが、前者である可能性が大きい。


   図5、「THE RANTOONE」

原書のコピー
表題

復刻本の図5

復刻本

ランセット総合広告
(1866年1月20日)
「ラントーン」

江戸開市 1869年
『ジャパン・パンチ』C・ワーグマン編 

2025年9月8日月曜日

スター関連

 スター関連

以下はアメリカンスター関連。

新しいスターセーフティ

坂道では他のどの自転車にも負けず、一般道路でも負けないスピードである。

簡単に習得でき、快適な乗り心地。

後輪ドライバーの直径は39インチ、前輪は24インチ。

H. B. スミスマシン社 スターバイシクルズの製造元

ニュージャージー州スミスビル


2頁の広告

表題
「ホイール」誌
第2巻 第1号
ニューヨーク、1888年8月31日

2025年9月7日日曜日

自轉車版 第28号

 自轉車版 第28号

昭和60年6月14日発行

☆中村安良太氏(宮田工業勤務)からの情報、宮田工業の本社がある茅ヶ崎工場の一室に、資料室があることは、余り知られていない。そこには次のようなものが展示されている。①ミヤペット50cc 2サイクル、製造昭和33年~昭和37年・モペット全盛期のもの、②フラッシュバット熔接自転車、製造昭和26年~昭和37年③1870年頃のミショー型自転車(外国製?) ④ダルマ自転車、製作年代不明(ステアリングの形状が変わっている) ⑤折たたみ式自転車⑥実用車・国華号、大正期、⑦DIPロー付フレーム製造・昭和39年~昭和45年。など、

☆ビットリアの24インチ・チューブラータイヤ販売中、VITTORIA CORSA CG SERVIZIO CORSE 24インチ。ご希望の場合は、下記へご注文下さい。〒116 東京都荒川区東尾久1-33-2オリエント工業



④ ダルマ自転車、ステアリグポストの形状が変わっている。外国製のようでもあり、あるいは模造品かもしれない。

③ ミショー型自転車 オーソドックスなスタイル、恐らく外国製であろう、後輪のサスペンションの取付位置に注意。

⑥国華号、大正期の製造とあるが?

宮田の広告
日本新聞広告史
 電通創立四十周年紀念
昭和15年発行
国会図書館所蔵

國華號
写真提供:中村安良太氏

2025年9月6日土曜日

ジュゼッペ・ペラ

 ジュゼッペ・ペラ

下の写真は、先般メタなどのサイトにアップされたペラ製作の自転車。

ジュゼッペ・ペラ(Giuseppe Pelà)は、イタリア・トリノを拠点に活躍した伝説的なフレームビルダー。1950年代から1970年代初頭にかけて、数々のプロチームや名選手のために高品質な自転車フレームを製作した。彼の名はフレームに刻まれることはほとんどなく、むしろ「影の職人」として知られている。

ペラは自身の名をフレームに刻むことを避け、チームやブランドの商業的利益を優先した。

只、彼はあるしるしをフレームに施している。それが彼が製作したしたかどうかという証であり、見る人が見ると、そのしるしで彼が製作したフレームだとわかる。

それはどこかといえば、ヘッドラグ或いはフォーククラウンのラインと〇のポイントの組み合わせ、BB下部の4つのカットなどである。


ペラ製作のロード
メタ等のサイトより
以下同じ

フォーククラウンの青ラインと〇

elioのロード 1964年

フォーククラウンの赤ラインと〇

ペラのガルモジ
2021年5月頃にヤフオクで見る

ヘッド部
上下に〇とライン

ペラのBENOTTO(ベノット)

ペラとメルクス 1970年

2025年9月5日金曜日

自轉車 第6号 -3

 自轉車 第6号 

自轉車 第6号  その3、

以下は興味ある記事を拾い読み。

梅津大尉の自轉車談
半 山 生
 余一日陸軍戶山學校敎官梅津大尉の自轉車談を聞くことを得た。左に掲くものは其の一節である。頗る有益の談であれども、字句甚だ不穩當にして十分真を伝ふるを得ざるは余の大に耻づる處である。

近時自轉車の流行長足の進歩を爲したるは余の深く喜ぶ處であるが、余は世の乗用者に向って大に注告を與へたき事がある。夫れは外でもない自轉車乘用後一定の運動を勉むべき事である。元來自轉車なるものは之を体育上より見て適當の器械であるが、乃至衛生上より見て利害如何の問題につき考量するに、自轉車其物のみを以ては運動器として多大の効益を有するものではなく、寧ろ今日世の乗用者の如き風を以てするときは利害相償はざるに至るやも知れないのである。併し其の然ると否とは皆是れ乘用者の用意如何に依って岐るるものにして、自轉車其物に免かる可かざる欠點ではないのである。之れ余が世の乗用者に向けて注告せんと欲する所以の起點である。ツマリ自轉車なるものは他の運動器具の如く偏重偏軽なく満身の運動を取り得るものなるや否やに考えひ及ぼすときは、黒人の研究を待つまでもなく否定せらるるは固よりである。即ち腰部以下は十分運動を爲せども腰部以上は僅かに御相伴的の波動を受くるに過ぎないのみならず、その腰部以上も只ペダルを踏む一方である故に、他の運動器具に依る如く規則的の運動を取ることは甚だ難いものである。斯く云へば余は自轉車を以て些の効益なきものと論するものの如くに聞ゆるやも知れねど、決して左にあらず。空気の強圧に依り肺部を健強ならしめる如き、視力を發達せしむる如き、数へ来れば幾多の利益あるを信ずると人後に落ちざるものなれども、只専門の運動器に比しては遺憾多きものであり。不規則なものであると云はんと欲するものである。・・・


22頁

23頁

2025年9月4日木曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

以下の図はホイールマン誌の挿絵より。

ホイールマン誌 合本版 1883年発行


83頁

門のところで立ち止まり、朝目覚める瞬間に耳を澄ませる 人生の喧騒を後にして

85頁

今、彼は頭上のユリの杯から、夏空の水晶の露を飲んでいる

87頁

崖の上で、言葉を失い、驚嘆しながら、ついに立ち止まり、轟音と水の流れに耳を澄ませた

表題
ザ・ホイールマン
サイクリングに関する文献とニュース
を掲載したイラスト入り雑誌
第1巻
1882年10月~1883年3月
ボストン・ザ・ホイールマン・カンパニー
 ワシントン通り608番地
 1883年

2025年9月3日水曜日

自轉車瓦版  第27号

 自轉車瓦版  第27号

昭和60年6月11日発行

☆齊藤俊彦氏からの情報、”サイクリスト創世記”久留梅士著 『サイクル』の2巻8号 (昭29.8)及び6巻1号(昭33.1)に出ている。

久留梅士は、服飾史研究家、太田臨一郎氏 (83歳)の寄稿時のペンネーム。この続き物は、当時の体系的な自転車史として秀逸。 同氏は、現在東京・谷中に在住、服飾研究に没頭している。

先日、小生宛に届いた古書目録に次のような資料が載っていた。 2324 カーボン号自転車カタログ、明治期 ¥2000-、 2607 両国橋之景況、石版画、自転車や馬車などが描かれている。 大正3年 ¥3.000- (伊勢崎市、福地書店)

★明治35年8月1日発行の雑誌『新小説』に“風流的自転車”と題して、『自轉車全書』の著者として有名な松井松葉が寄稿している。

☆ 自転車模様の浴衣地、三井呉服店にては自転車乗りの疾走し居る様を巧みに浴衣地模様となして売出したるに何様自転車大流行の折柄とて其売行頗る好況を呈し瞬時に売切れたれば目下更に数千反の製造中なるが尚続々と注文嵩みる由、同浴衣地は真岡木綿にて代価は1円50銭位なりと。

“自転車鑑札泥棒”近年市中に於て自転車の鑑札を盗む曲者あり、横着な自転車屋は、之を買取り貸自転車に附して其筋の目を掠め税金を胡麻化すと、乗輪車は注意せられよ。(『輪友』No.10 明35.8.5 より)。


350頁
松井松葉 著作集の一部
「近代文学研究叢書」 第34巻
1971年発行
国会図書館所蔵
以下同じ

351頁

2025年9月2日火曜日

明治期の絵葉書


明治期の絵葉書

下の写真は明治期の絵葉書、以前にヤフオクで出品されたもの。

 軍事郵便の葉書、発行 東京銀座上方屋
明治30年代の後半と思われる。
自転車のメーカー名などは不明だが、当時の女性用自転車の特徴が出ている。恐らく米国車と思われる。エンブレムが鮮明であれば特定できるのだが、極め不鮮明である。ただ、デートン、ピアス、モナーク、クレセント、アイバンホー、アマゾンではない。

自転車と女性
「・・・自転車で一走り左様なら」などと書いてある。

宛名側

注、軍事郵便とは、戦地にいる兵士と故国の家族や知人が手紙などで近況をやり取りするための郵便制度で、戦時下における重要な通信手段であった。日本では、1894年の日清戦争を契機に制度化され、第二次世界大戦終戦まで続いた。

2025年9月1日月曜日

自轉車瓦版 第26号

 自轉車瓦版 第26号

昭和60年6月10日発行

☆真船氏からの情報、①東京(新宿)の雄松堂から送られてきた古書目録に「ホイールメン」というボストン発行の資料が掲載されていた。この資料は、1882年~1884年版の3巻で目録名は、「自転車図鑑」(日本名)、価格は17万5000円、目録の写真には、オーディナリーが写っていた。

◎福島市史を読んでいたら、次のような気になる記事が出ていた。「東湯野というところに、鈴木兵七、鈴木又七という者がいて、蚕種業を営んでいたが、明治初期に、足で蹴って走る自転車を作り、乗りまわした。ドライジーネが発明されたのが、1817年頃であるから、50年以上も遅れての日本登場ということになる。明治3年に発行された『知恵の環』に出てくる自在車を見て作ったのではないだろうか。

☆ 中国が世界一!
世界の年産、7500万台 
自転車がフランスで発明されて約百七十年。先進諸国ではレジャーの手段となったものの、自転車は「依然、第三世界では民衆の不可欠な乗物である」、近年、自転車の生産は爆発的な伸びをみせ、今や世界の年間生産高は7500万台と、1970年の2倍に達する盛況だ。生産量と市場規模の両面で世界一の座を誇っているのは中国である。
昭和60年6月5日付け 静岡新聞より

☆各地方の百科事典に出てくる自転車のページ、
岡山県、大百科事典 P.1184、群馬県 P.440、山口 P.361、新潟P. 450、沖縄 P.312、 石川P.348、長崎P.392、香川P.447, 448、滋賀P.366、 埼玉P.323、鹿児島P.499、 大分P.357、愛知P.378、 徳島P.456、熊本P.410、 福島P.412、青森P.407、 山形P.438、北海道P.813
百科事典に出てくる自転車項目は、そのほとんどが、自転車競技に関するもの。
以上、東京、須賀氏調べ

ホイールマン誌 合本版
1883年

ホイールマン誌 第1巻 1882年11月発行 第2号
難破船の残骸の下で休息し、夢を見る