スティーブンスの日本旅行記-①
アウティング誌でたどるトーマス・スティ-ブンスの日本旅行を、これから何回かに分けて紹介する。
既にこのブログでもトーマス・スティ-ブンスの日本旅行はたびたび取り上げている。恐らくほとんどが重複する内容と思われるが、このアウティング誌が原典であるから無駄ではないと考えている。
「アウティング」誌 第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
144頁
表題
「アウティング」誌 第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著(アウティング誌特派員)
日本を通る(ダルマ自転車で日本を走る)
中国での自転車旅行体験がもうすぐ終わろうとしている。
中国当局は私を船で贛江(かんこう)から揚子江まで送ることに決めた。私は荷物の配達のように都市から都市へと運ばれて行った。
数マイル下流で、約20隻の軍用ジャンク船の艦隊を追い越した。それは、非常に斬新で興味深い光景であった。
それぞれの旗や、たなびくペナントがたくさん飾られていた。ジャンク船は、現代の戦争においては、水に浮く大樽と同様に全く役に立たないだろう。しかし、それらは、勇敢な光景を見せている。
これらのジャンク船は、中国の海域では船の色に合わせたユニフォームを着た14人の漕ぎ手によって操船される。漕ぎ手たちが、長くて扱いにくい、オールを見事に息の合った動きで漕いでいる。彼らの制服は、オールを漕ぐたびに袖がはためいていた。
私の乗る小型サンパン(平底舟)は一日中この華やかな船団に同行し、その船を目撃することができた。
小さな街では、数人の兵士と役人たちが岸辺に集まり、旗を立て、銅鑼を激しく打ち鳴らし、そして歌う。爆竹を鳴らし、艦隊の先頭の船は、この騒々しい賛辞に対して礼砲を放つ。大量の爆竹がパチパチと音を立てて鳴り響き、銅鑼が鳴り、砲弾が炸裂し、艦隊の大砲から発射される爆音が山々に響き渡る。
正午過ぎに通った街では、さらに 15 隻のジャンク船が並んでいた。艦隊が通過すると、これらの船舶は同時に礼砲する。爆竹の音とたくさんの銅鑼の音が響き渡る中、20隻の艦隊も同様の賛辞を返し、乗組員たちも歓声をあげた。15 人が行列に加わり、何百もの鮮やかな色の旗と、演劇的な衣装を着た漕ぎ手たちによって、それは美しい光景となる。午後4時頃、その日の目的地である上海に近づいているとき、出迎えたのは、旗の豪華さと絵のように美しい2隻の船だ。旗と乗組員の服装は紫色が主流であった。
2週間の冒険的な川下りと、自転車で数日かけて陸路を走った後、当局は私を、イギリス領事館の手に引き渡した。そこは、イギリスの条約港の一つである。この港から私は河船に乗って上海に行き、それから日本に渡る。そこでははるかに良い道路とより良い待遇が私を待っている。
(上海から横浜丸で長崎へ)