2025年8月31日日曜日

自轉車 第6号 - 2

 自轉車 第6号 

自轉車 第6号  その2、

以下は興味ある記事を拾い読み。

東海道自轉車旅行記案内記

伊藤虻半居士

第3日目

午前6時45分鳴海發、午前7時25分名古屋着この間7哩半

この間道路良好なり、鳴海を發してより、約3哩にして坂あり、千竈坂と云ふ、この邊より人家軒を並べ行人絡繹として大都会の既に近きを知る。熱田市に入り右折して熱田神社に突當り、左折名古屋に向ふ、この間三哩余は市街繁熱、往来雜沓、走るに面倒なれども、行人の風采を始め、萬事の有様全く上方風なる故、始めて来りし者には面白味を感ぜしむ、大通を真直ぐに行き、電鐵線路に突当り左折すれば官線の名古屋驛及び關西線の愛知驛が南北に並立する處に至る可し。・・・・


9頁

10頁

11頁

2025年8月30日土曜日

自轉車瓦版  第25号

 自轉車瓦版  第25号

昭和60年6月8日発行

☆“ガタクリ市”〔1〕「柱時計」岡本ノーリツ自転車が記念品として作らせたもの。振り子の部分に金文字で「記念」 の文字と、「能率」のマークが貼ってある。戦前のものかもしれない。外観はきれいだが、トビラ下部の板ガラスが割れている。時計は不動。¥7,000-

[2]「看板、自転車関係3枚一括」いずれもホーロー製で、サイズは高木ギヤが12×48cm。三村の看板は、25×42cm。自転車技術 9×45cm。三村の看板は程度「下」だが絵が可愛い。 3枚まとめて、6,500円

[3]「魔風恋風」小杉天外著、日本近世大悲劇名作全集第二卷、中央公論社版、昭.9.8.1発行、20,000円

送料は、それぞれ実費となります。ご希望の方は「ハガキでご連絡下さい」2名以上の方から注文があった場合は抽選になります。

☆当研究会が最近入手した資料に次のようなものがある。①『公定価格表』昭和15年7月印刷、名古屋自転車卸商業組合、42頁。②『白い自転車』朝日新聞大阪本社通信部史、昭和.52.1.1発行 非売品 。③自転車商の名刺3枚。①と③については、コピー依頼をお受けしますので「ご希望の方はご連絡下さい。」

★自転車にする情報等何でも結構ですからお寄せください。みなさまからの情報により、この瓦版も会報も成り立っています。


日帝のメヤム自転車
琺瑯看板


2025年8月29日金曜日

セルバック自転車

 セルバック自転車

セルバック(Selbach)は、1920〜30年代の英国軽量自転車の黄金期を象徴する自転車の一つである。創業者モーリス・セルバック(Maurice Selbach)は、元レーサーであり、革新性と品質へのこだわりで知られたフレームビルダーであった。彼の自転車は、当時のトップライダーたちに愛用され、数々の記録やレースで活躍した。

その特徴は、
フレーム素材:Reynolds Aグレードチューブ、後にはReynolds 531やテーパー・チュービングも採用。
ジオメトリー:68°前後のヘッド&シート角、バナナ型のフォークレイクが特徴的。
ブレーキ:初期はPelissierやConstrictor製キャリパーブレーキ、後にはMorden製のCrownセンタープルブレーキも採用。
ベアリング:Timken製テーパーローラーベアリングをヘッドセット、ボトムブラケット、ハブに採用。
代表的モデルであるDP(Dual Purpose)は、6日間トラックレースやロードに使用された高性能自転車である。

サイクリング誌
1932年2月19日発行

「サイクリング」の国民投票コンペティションでは、セルバックを選択した。
国民投票の結果、セルバックの1932年の改良は18,133票を獲得。
モーリス・G・セルバック
英国屈指の軽量サイクル&タンデムメーカー
ケニントン通り316番地

2025年8月28日木曜日

「自轉車瓦版」 第24号

 「自轉車瓦版」 第24号 

昭和60年6月5日発行

☆斎藤俊彦氏(人力車・乗合馬車の研究家として著名、NHK勤務)からの書籍情報 。

『舗装と下水道の文化』岡 並木著、論創社 1985.3月刊、2000円

岡氏から頂戴して早速拝見したが、ヨーロッパの自転車(オーディナリー)と道路の関係について、193~207頁に記述してあり、面白い内容である。

 現在斉藤先生は、『九州大学、退官記念論文集』に寄稿すべく、目下、明治10年代前半の自転車状況の一つとして、寅次郎や鈴木三元たちのことについて、まとめつつあるとのこと。 なお『文通史研究』第13号(交通史研究会発行、昭60.4.25)には“寅次郎"に関する論文が掲載されている。

★岡 並木氏には、他に次のような著書がある。

『自動事は永遠の乗り物か』 『くらしと交通』『新しい交通』(昭和54年度交通図書賞)『新・自転車の時代』『都市と交通』(岩波新書、黄版 NO.155)など。


“自転車”の名付け親寅次郎
BCCインフォメーション№5
1984年6月1日発行

2025年8月27日水曜日

ハドンの自転車について

 ハドンの自転車について

先ほど、ハドンの自転車について、英国車に精通している小池さんから以下のコメントをいただきました。

ヘッドバッジを見てわかりましたが、このバッジは”お店”のバッジです。メーカーのバッジではありません。うちにまったく同じヘッドバッジの、ケンブリッジの店ダウのものがあります。

おそらくフレームはブラウン・ブラザース製。VindecというところにつくらせていたModel BB light tourist というフレームセットとチェーンケースではないかと思います。写真で見るとそのものズバリです。1951~1952年ごろではないかと思います。

バッジを見てわかったというのは、East Angliaという語で、英語では必ず、ラレーはNottingham、サンビームはWolverhamptonという具合に都市名が入ります。East Anglia というのは都市名でも州の名前ですらなく、日本で言えば『山陰』みたいなもので、おそらくは何店舗かが、ノーフォーク州、サセックス州、ケンブリッジ州、エセックス州(イースト・アングリアのいくつか)に点在していたので、それらのいずれの店でも使えるようにEAST ANGLIAという風にバッジを作ったのだろうと思います。アームストロングはBirminghamと都市名、ノーマンはケント州と書いてあります。

うちのどこかにダウのバッジがあるはずですが、ハドンのバッジと質感も字体もそっくりです。

ブラウン・ブラザースのモデルVindecは下の写真です。カタログによると、ショップの要望によっていろいろやっていた。たぶん、ダイノハブをやめるなどして、コストを下げ店のバッジを付けたのだろうと思います。クラウンは飾りのプレスを省いたやすいものもありました。


ブラウン・ブラザースのモデルVindec
写真提供:小池氏

ハドンの自転車

 ハドンの自転車

下の写真は最近メタのサイトにアップされたもの。

ハドンはあまり馴染みのないメーカーである。

ハドン(Haddon Super Cycle)は、英国のイースト・アングリアで製造された自転車で、1950〜60年代に人気があったと聞いている。特に女性向けモデルが多く、スチール製のフレームに3段変速のハブギア、ダイナモライトなどが装備されていたのが特徴である。クラシックなベルやヘッドバッジ(エンブレム)も魅力のひとつで、コレクターの間では希少価値のある一台とされている。

Raleigh や BSA ほどの知名度はないが、Haddon Super Cycle は戦後英国の職人技を垣間見ることが出来る自転車である。当時、英国では地方のメーカーが実用的でしっかりとした自転車を製作し、サイクリングブームにも一役かっていた。


ハドン・スパー・サイクル
メタのサイトより

ヘッドのエンブレム
イーベイより

2025年8月26日火曜日

自轉車 第6号

自轉車 第6号 

 明治34年1月1日発行

自轉車第6号の目次

口繪、女子嗜輪會員、石川商會自轉車陳列場但馬豊陵俱樂部員、帝國翰友會チャンビヲン東京舘山間長距離遠足者
自轉車百話(其四)
年頭雜感
東海道自轉車旅行案内記(承前)
伊藤氏自轉車談
漫錄(其二)
 一ヶ月半の經驗
梅津大尉自轉車談
北米に於ける自轉車見聞記(續き)
思ひ出せしまま
江戸八百八街見聞記(其四)
自轉車叢談(其二)
自轉車片々
大日本双輪俱樂部帝國輪友會月報外数件外陳列場
雑報、問答、玉石混合紹介欄
サイクリスト外三節

表紙
日本自転車史研究会コピー所蔵

目次

女子嗜輪會員

北丹松江湖畔
石川商會自轉車陳列場但馬豊陵俱樂部員

東京舘山間長距離遠足家
北村友吉、吉村多吉、小池菊次郎

帝國翰友會
第四回自転車競走会
五哩、壱哩チャンピョン

2025年8月25日月曜日

「自轉車瓦版」 第23号

 「自轉車瓦版」 第23号

   昭和60年6月4日発行

資料編

自転車、バイク、自動車関連雑誌

註、『世界の雑誌大研究』は、1982年2月26日に講談社から発行された大型の特集本で、世界中の雑誌文化を網羅的に紹介したユニークな本である。

判型は285×210mm、全164ページにわたり、「1001冊の雑誌が世界を語る」というキャッチコピーの通り、膨大な数の雑誌を通して各国の社会・文化・思想の断面を浮き彫りにしている。

自転車、バイク、自動車関連

「世界の雑誌大研究」
 1982年2月26日発行 講談社


註、現在、定期刊行されている主な自転車雑誌(一部休刊等あり)
 雑誌名               出版社            特徴・ジャンル                   
Cycle Sports       八重洲出版     総合自転車誌。ロードバイク中心 
BICYCLE CLUB   ADDIX      スポーツ志向。初心者にも人気
MTB日和       辰巳出版       マウンテンバイク専門誌         
自転車日和          辰巳出版        ライフスタイル寄り。男女問わず人気 
BICYCLE21           芸文社    レース・競技志向が強め        
RANDONNEUR       グラフィック社編集部     長距離ライド専門誌  
CYCLO TOURIST     グラフィック社編集部     サイクルツーリズムに特化    
LOOP Magazine 三栄書房        ストリートカルチャー系       


2025年8月24日日曜日

自轉車 第5号

 自轉車 第5号
まだ5号は未見なので、せめて目次だけでも。(6号の目次から)
明治33年12月1日発行
以下は「自轉車」5号の目次
口繪 帝國輪友會東京バイシクル倶樂部競爭
自轉車百話(其三)
双輪小言
漫錄(其一)
北米に於ける自轉車見聞記(未完)
帝國輸友會員長距離轉輪詳報
帝國輸友會第四回大競爭會一ロ評
江戸八百八街見聞記(其三)
自轉車叢談(其一)
乗法
自轉車片々
帝國輪友會月報外全國競走會詳報
オールド・ヒッカリー外雑報問答・玉石混合、紹介欄
夜行自轉車(つづき)外二節


「自轉車」6号の目次
明治34年1月1日発行


註、オールドヒッコリーについて
19世紀後半にシカゴのオールドヒッコリーサイクル社やエリオットヒッコリーホイール社といった企業によって製造された、ヒッコリー材を使用して作られた木製フレームの自転車である。
発明家であったスターリング・エリオットは、1892年のヒッコリー安全自転車など、自転車デザインにおける多くの革新的な業績を残した。

Old Hickory wood bike 1897
flickrより

ヒッコリーの四輪車
エリオット博物館

2025年8月23日土曜日

「自轉車瓦版」 第22号

 「自轉車瓦版」 第22号  

昭和60年6月2日発行

★Q 自転車に関する最も有益な外国雑誌は、如何なる名称にて、何処より販売せらるるや。

A. 自転車に関する外国雑誌は、欧米各国には定めし数十種あるべし、然し記者の知る亜米利加雑誌中にて答えんに、サイクルエージ、サイクルウォールド、モーターエージ、オートモビルマガジン、その他まだ沢山あれど、以上は其主なものなり。我国にて販売店は日本橋通二丁目の丸善又は横浜居留地在外人の書籍店あり、尚本社は来年分を今年十月頃に注文する序であれば御希望なれば一緒に申込みて上ぐるべし、委細は本社編集部に御照会あれ。(輪友、№10、読者の質問ページより転載 、明35.8.5)

☆外国雑誌・カタログ、①バイシクル・モトクロス・アクション(米) 、②ザ・エレクトリック・カンパニー(米)、③バイシクリング(米)、④ラドマルクト(西独)、 ⑤バイシクル・マガジン(米)、 ⑥トゥール(西独) 、⑦ドヴィーヴィエレール(オランダ)、 ⑦リシュヴィエル&モトワーク/メーテル・デュ・シウル&モト(ベルギー)、⑨モーター・サイクル&サイクル・トレイダー(英) 、⑩ロフィシェル・デュ・シクル・デュ・モトシクル・エ・ドゥ・ラ・モトクルチュール(仏)、⑪バイシクル・ジャーナル(米)、⑫ザ・ホイールメン(米)、⑬ヴェロ(仏)、⑭ ミロワール・デュ・シクリスム、⑮ バイク・ワールド(米)、⑯ サイクリング(英)、⑰インターナショナル、サイクル・スポーツ(英)⑱ アメリカン・バイシクリスト&モーターサイクリスト(米)、⑲ル・シクル(仏)、⑳ ボーンシェーカー(英)など。(世界の雑誌大研究より、講談社 1982.2.26発行)


世界の雑誌大研究
1001冊の雑誌が世界を語る
 1982発行 講談社

2025年8月22日金曜日

ダルマ自転車関連

 ダルマ自転車関連

下記の写真、先般メタのサイトにアップされたもの。

写真の撮影年は定かではないが、1880年代と思われる。

コメントに、

非常に激しい雨が降った後、ニュージャージー州ヴァインランドのホイールメンのメンバー 3 人が、ランディス通りと 7 番街の角で行われたボート・レガッタを観戦するためにやって来た。とある。


メタのサイトに投稿された写真
ニュージャージーのホイールメン
1880年代


2025年8月21日木曜日

「自轉車瓦版」 第21号

 「自轉車瓦版」 第21号

昭和60年5月30日発行

☆真船氏からの出版情報 『男の空間』タウン・ムック VOL 1. 60. 6.15発行 1985年春号 980円、 特集として、P.76~P.86に「自転車がある男の部屋」が載っている。その他児童書として次の2点、『兄ちゃんの黄色い自転車』 大原興三郎著 福田岩緒絵、児童文学創作シリーズ、講談社 1985.4.22 初版 980円。『おばあさんのじてんしゃ』 こだまともこ作  水野二郎絵、ひさかたメルヘン 1983.6 初版発行 700円。

★当研究会が最近入手した資料は次のとおり。(コピーを希望する場合は、往復ハガキでご依頼下さい。) ①『自転車業界紳士録』第一集、126ページ 1冊、非売品、自転車工業新聞社 昭和24年発行。②パンフレット営業案内 東京都自転車整備作業所 1枚 昭和23年。③マッチラベル「5人乗自転車の絵」 2枚、明治期。

★この瓦版は、4号でご案内したように、2か月に1回以上の情報等の提供がある会員との連絡用(メモ)として発行しております。したがいまして、全会員には配布されませんのでご了承ください。当研究会のコミュニケーションの中心はあくまでも会報「自轉車」ですから、この瓦版で扱った「重要な情報等は総て、会報上にて再度とりあげております。なお、瓦版のバックナンバーを希望まれる会員はハガキでご依頼下さい。」

 自転車業界紳士録 第1集
昭和24年12月25日発行
自転車工業新聞社

85頁
島野庄三郎ほか

奥付

背表紙

2025年8月20日水曜日

バイキングの自転車

バイキングの自転車

下の写真は先般メタのサイトにアップされたバイキングの自転車とベリル・バートン選手。


ベリル・バートンのバイキング
1963年のパーシュート世界選手権で優勝したマシン

ベリル・バートン


Viking Cycles
1908年にアルフレッド・ヴィクター・デイヴィスがウルヴァーハンプトンで自転車修理店として創業。
戦後は年間2000台以上を製造し、レース用バイクにも進出。
2001年にイギリスの企業Avocet SportsがViking Cyclesのブランドを買収し、現在はインドのHero CyclesがAvocet Sportsの株式を保有している。

BerylはこのVikingバイクでベルギー・リエージュ郊外のロクールトのヴェロドロームで世界タイトルを獲得。
1967年には男性の12時間TT記録を上回る驚異的な記録を樹立。
オリンピックには出場できなかったが、女性サイクリングの地位向上に大きく貢献した。

2025年8月19日火曜日

「自轉車瓦版」 第20号

「自轉車瓦版」 第20号

昭和60年5月21日発行

☆瓦版の10号で、高橋勇氏から送られてきた富士登山の新聞記事を紹介したが、この程、同氏及び真船氏から、次のような情報をいただいた。月刊「サイクルスポーツ」の81年5月号に”明治の人も、はやかった!!富士山スーパーダウンヒル”というタイトルで「ヴォーガン氏の”富士”挑戦記」が掲載されているとのこと、また、この年のサイクルショーでも大々的に紹介されたという。

これはまさにマウンテン・サイクリングの元祖であり、歴史的な快挙でもあった。


ヴォーガン氏の”富士”挑戦記

富士山ダウンヒル
明治33年8月21日
「私は自分のクリーブランド号に乗り、
デビンは小橇(そり)に乗った」
(ヴォーガン紀行文より)

2025年8月18日月曜日

ストランド・マガジン

 ストランド・マガジン

以下の記事は月刊雑誌「ストランド・マガジン」合本版より
「ストランド・マガジン」イラスト入り月刊誌
第8巻 7月~12月 1894年 

726頁

J. グリーン
1894年のN.C.U.選手権の優勝者は、唯一の例外を除いて、ベテランライダーと云える。1867年11月8日、ノーサンブリアの小さな村、バリントンに生まれ、現在28歳。彼のキャリアは普通のレースから始まり、最初のレースは約13年前に行われた。当時、彼は長距離走者だったが、すぐに仲間のところに戻り、偉大なロバート・イングリッシュが登場したときには、スクラッチ選手であった。イングリッシュはすぐにプロの仲間入りを果たし、少し後にスクラッチマンになったグリーンは、二度とレースに出場しないと考え、トラックを去った。その後、安全型自転車が登場し、彼は再び復帰し、主に曲乗りに注目した。
しかし、その期間、そして現在に至るまで、彼は数え切れないほどのレースで勝利を収めた。1891年にはニューカッスル・センターの5マイルと10マイルのN.C.U.選手権で優勝した。1892年には同団体の5マイル選手権で優勝し、昨年は10マイルレースで同様の成績を収め、25マイル選手権で2位になった。今シーズンは、ハンディキャップレースやスクラッチレースで完璧な勝利を収め、バーミンガムで開催された世界参加型の5マイルN.C.U.選手権では他を圧倒した。この成績は、25マイルレースの際にメトロポリスでも再現され、グラスゴーで開催された国際チームレース、イングランド対スコットランドでも審査員1位を獲得した。彼の最新の功績は、ハーンヒルで開催された50マイル選手権で、手綱を握って優勝しただけでなく、当時のアマチュア、プロを問わず、その距離の世界記録を更新した。

727頁
A. J. ワトソンとJ. ローリー

表紙

ストランド・マガジン
イラスト入り月刊誌
第8巻 7月~12月
1894年

2025年8月17日日曜日

「自轉車瓦版」 第19号

 「自轉車瓦版」 第19号  

昭60年5月16日発行

☆自転車月間中央大会が5月6日、午前9時50分より、東京、上野恩賜公園において開催された。大会パレードでは、クラシック自転車や変わり種自転車などの行進が行なわれ、観客を喜ばせた。

☆フランス・アールヌーボー・デコの「グラフィック展」が中日新聞社主催で3月25日から5月7日まで、名古屋市内の松坂屋本店7F催事場で開催された。約100年前のボスター約150点が展示され、フランスのフェルナン・クレマン社の自転車ポスター(パル・ジャン・ド・パレオログ)をはじめ、シリウス自転車のポスターなども出品された。


シリウス自転車のポスター

☆高橋勇氏からのお便り、「機関誌自轉車」21号の最終11頁のダルマの登場の項で、ペニー・ファージング(1ペンスと1/4ペンス)とありますが、これは1ペニー貨と1/4ペニー貨でありまして、ペンスはこの下の補助貨幣で、ご参考までに小生が持っておりますペニー貨の写真をお送りいたします。実際は1ペニーが30.5mm(直径)1/4(ファージング)ペニーが20.3mmぐらいです。そしてこのペニー貨は1872年に発行され、当時ちょうどダルマ自転車全盛と併せ、この名前がつきました。ご参考まで。

註、ペニー・ファージング(英: penny-farthing)、日本ではダルマ自転車、アメリカではハイ・ホイール・バイク(米語: high wheel bike)、イギリスでは当時、オーディナリー(英: ordinary)とも呼ばれていた。


one pennyとfarthing硬貨

◎情報等も結構ですからお寄せ下さい。


2025年8月16日土曜日

明治期の自転車

 明治期の自転車

下の写真の自転車は明治30年代のものであろう。

出典は、「天まではねろ―磯村春子の生涯と信仰」横山麗子 (著) 1988年11月1日発行
自転車が登場する本文には、

明治三十六年一月八日、愛知県西春日井郡平田村二百六十一番地、戸主磯村善三郎弟源透婚姻、同月十二日受付除籍
しかし、これは婚姻届がこの日に提出されたのであって、結婚はもう一年さかのぼった明治
三十五年と思われます。というのは、明治三十六年一月三日が、長男英一氏の誕生日だからです(戸籍は一月十日出生)。
当時は、婚姻届がたいへん遅くなるケースもよくあったようです。また当時の戸籍謄本は和紙に毛筆で書かれ、和紙が薄くて次のページの字がすけて見えるし、壹とか貳とか拾とか、難しい字が細字の手書きで書かれているので、判読しにくいのです。
わずかの資料に、いろいろ周囲の状況をからませて推測しますと、宮城女学校の火事(明治
三十五年三月八日)の直後に、ハルは結婚したものと思われます。
当時の源透の写真が一枚残っています。自転車に乗った超モダンなハンサムボーイといえま
す。ここに掲載されているのが、その写真ですが、あるいはこれがお見合いの写真だったのかも知れません。最先端を行く、翔んでる女性のハルは、この写真を見て一目ぼれをした可能性も考えられます。・・・

67頁の写真

註、この写真の自転車をよく見ると、明治30年代の特徴が不鮮明だが見られる。
前ブレーキが見当たらない。タイヤを押すタイプでもない。コースターブレーキか?
左は前泥除けなし。右側はホークから後方に泥除けあり。
不鮮明でまったくヘッドのマークが分からない。恐らくデートンか何かの米車と思われる。
空気入りの太いタイヤ。アップハンドルの形状とベル。
撮影場所は写真館のスタジオか?

磯村源透(いそむら げんとう)は、明治期から大正期にかけて活躍した実業家であり、NHKの朝ドラ『はね駒(こんま)』の登場人物・小野寺源造のモデルとなった人物である。
妻の春子は女性新聞記者の草分けである。

2025年8月15日金曜日

「自轉車瓦版」 第18号

 「自轉車瓦版」 第18号  

昭和60年5月13日発行

☆福島の真船氏からの書籍等の情報。 『サイクルショップの経営マニュアル』昭60.3.31(株)シクル発行、内田豊、佐々木裕史、大森利仁共著、〒110 東京都台東区東上野1-8-1 布施ビル5階

・古書店の「時代や書店」(東京・世田谷)から送られてきた目録に「自転車競走会番組」(東京輪士会主催)という一枚ものの資料が載っていた。価格は7000円とかなり高い。そのほか、児童書として、「ロケットじんしゃのぼうけん」インガ・モーア作、杉本芳子訳、らくだ出版 1100円、83.11.10初版。『ポンコッじてんしゃいっとうしょう』森下研作、鈴木まもる絵、PHP研究所 780円、84.11.9発行。「むかでじてんしゃケーキごう」谷真介作、国井節絵、ポプラ社、84.6発行。「じてんしゃ」まわるまわる絵本シリーズ、たけいしろう作 サンリオ発行 980円、84.12.20は発行。などがあった。

☆先日(5月11日)。NHKテレビで21:45から22:30まで「シャーロック・ホームズの冒険」を放送したが、これはシリーズもので毎週土曜日のこの時間にやる。この日のタイトルは「美しき自転車乗り・奇怪な尾行者の狙いは」である。内容は、遺産目当ての三人の男が相続人である貴婦人をねらう話しだが、これにクラシック自転車が登場、時代設定が1895年であるから、オーディナリーの時代ではなく、既に安全車に入っている。しかし、タイヤはソリッド式のものから空気入りに変わろうとする時代である。このドラマに登場した自転車も一台はソリッド式の旧型のものであった。


「ストランド・マガジン」 1904年1月号
シドニー・パジェットの挿絵

2025年8月14日木曜日

ボーンシェーカー関連

 ボーンシェーカー関連

下の写真は先般イーベイに出品されたもの。

1900年代の自転車のティンタイプと Carte de Vista の写真のコレクション。出品: アリゾナ州トゥームストーンのトゥームストーン西部遺産博物館より。このコレクションには 二つのティンタイプと、自転車に乗った男性の写真が 1 枚 CDV で収められている。最初のティンタイプには、配達員またはクーリエの制服を着て古い自転車に乗った男性が写っており、裏面に「この写真は Chamberlin & Dyes で撮影され。雨天または曇天時に撮影された」とある。


ボーンシェーカー型自転車の写真

裏面

註、Chamberlin & Dyes とは、
チェンバリン&ダイズ は、1900年代初頭にアメリカで活動していた写真会社またはスタジオである。

Photograph Car(写真車)、「チェンバリン&ダイズ写真車」というラベルは、19世紀後半から20世紀初頭に一般的だった移動式写真スタジオを運営していた。このスタジオでは、写真家が様々な町を巡り、ポートレートを撮影することができた。
これらの写真には「雨天または曇天」で撮影されたとされており、理想的とは言えない照明条件にも対応できる技術や機材を使用していたことを宣伝している。

或いは勘ぐればこの写真にあるボーンシェーカーと衣装は写真撮影用の小道具かも知れない。

これらの写真は、アリゾナ州にあるトゥームストーン・ウェスタン・ヘリテージ・ミュージアムのコレクションの一部であり、西部開拓時代の遺産を専門としている。これらのコレクションは最近オークションに出品されている。

2025年8月13日水曜日

ヴィクター号関連

 ヴィクター号関連

下の写真は先般メタのサイトにアップされたもの。

左の自転車は明らかにフロントフォークにスプリングのクッションが付いたヴィクター号である。右側も恐らくスプリングのフォークなしのヴィクターであろう。

メタのサイトより

註、このブログでは何度もヴィクター号を紹介している。
ヴィクター号自転車は、19世紀後半のアメリカの革新的な自転車である。
マサチューセッツ州チコピーフォールズのオーバーマン・ホイール社によって製造された。。
1882年にアルバート・オーバーマンによって設立されたオーバーマン・ホイール社は、アメリカで初めて安全型自転車を製造した会社の一つとして知られている。
最初のヴィクター号は1883年に発売され、当時のオーディナリー型自転車よりも安全である三輪モデルであった。
その後、二輪の安全型自転車が主流になり、人気を博した。
日本でもフランク・レンツの影響で梶野商店が取扱、後にはアッセンブル生産をするようになる。スティーブンスのコロンビア製ダルマ自転車と共に日本の自転車文化に与えた影響は大きい。

2025年8月12日火曜日

「自轉車瓦版」 第17号

 「自轉車瓦版」 第17号  

昭60年5月12日発行

☆前号の瓦版16号で「サイクリング文化室」のことを書いたが、この程、同室からパンフレット等の資料を入手した。この施設は、財団法人富山県民福祉公園に所属し、先にも紹介したとおり、「自転車の発達史や保健上の効用及び科学など、自転車に関する知識の啓蒙普及を通して、青少年の健全な育成を目指す」を目的として開設されたもの。館内には、ヴェロシフェール、マクミランの自転車をはじめ、ギルメやオーディナリー等の模型、1916年頃のラーヂなどが展示されている。

「サイクル文化室」のお問い合わせ先、
公益財団法人 富山県民福祉公園
富山県射水市黒河字高山4774-6
TEL:0766-56-5556

註、上記の住所でも確認したが「サイクル文化室」なる施設は現在見当たらず。

「自轉車瓦版」 第17号  
昭60年5月12日発行

2025年8月11日月曜日

デジタル・ライブラリー(更新)

  日本自転車史研究会デジタル・ライブラリー 

現在、日本自転車史研究会では会報などに掲載された投稿記事のデジタル化を進めている。

今後、デジタル編集が終わったものから逐次ネットにUPを予定。

(他のサイトからの記事もあり)

 2025年8月11日現在、

1、知られざる銀輪の”わだち 大津幸雄

2、日本の自転車史と鑑札 高橋 勇

3、歴史を大事にしたい 今井彬彦

4、カレンダーに見る山王とロン・キッチンそして鳥山新一 渋谷良二

5、ドライジーネとミショー型の歴史 小林恵三

6、梶野仁之助伝(改訂版) 大津幸雄

7、日本の自転車史・その疑問点(改訂版) 大津幸雄

8、日本における自転車の製造・ 販売の始め 齊藤俊彦

9、自転車の歴史探訪 大津幸雄

10、「自転車学」の提唱 佐野裕二

11、日本のオーディナリー型自転車の歴史 大津幸雄

12、資料で読む中村春吉 大津幸雄

13、NCTCの分派 渋谷良二

14、自転車産業技術の変遷に関する一考察 渡邉喜久

15、「第三フランス通信」について 渋谷良二

16、彦根藩士「人力自走車」創製の記録 大須賀和美

17、自転車全書 松居松葉

18、ロンドン・ペダリング 大津幸雄

19、アンチック自転車 高橋 勇

20、創立20周年を迎えて 石原政雄

21、日本の自転車製造業の歴史 大津幸雄

22、パリの古本屋をたずねて 瀧川美佐緒

23、初めてのサイクリング 大津幸雄 

24、日本の自転車灯火 梶原利夫

25、オーディナリー自転車について 大津幸雄

26、江戸中期の自転車「陸舩車」  真船高年

27、日本の自転車の歴史(遺稿) 佐野裕二

28、History of The Ordinary in Japan Yukio Ootsu

29、歴史は繰返す”スポークの折損より 井上重則

30、お寺にあったダルマ自転車 大津幸雄

31、旅と自転車史 植原 郭

32、日本輪友会について 大津幸雄

33、自転車発展の途をたどる 高木六弥

34、日本自転車史の脇役たち 高橋 達

35、自転車はどこを走ればよいのか? 大津幸雄

36、Around the world on a bicycle  ThomasStevens

37、自轉車利用論 金澤来藏

38、Bicycles & tricycles  Archibald Sharp

39、Across Asia on aBicycle Allen and Sachtleben

40、各地の自転車小史 須賀繁雄

1The Modern Bicycle  Charles Spencer

2Round the World on a Wheel John Foster Fraser

43、自転車発明の始祖に思う 奈良重幸

44、自転車術 渡辺修二郎

45、名古屋デザイン博の自転車イベント 大津幸雄

46、「 自転車」のスポーツ史的考察 奈良重幸

47、日本の自転車製造業の歴史(改訂版) 大津幸雄

48、遠いフィンドレー 大津幸雄

49、ドライジーネの原書コピー 八神史郎

50、郵便と自転車 斧 隆夫

51、自転車史研究ノート 稲垣正浩

52、明治12年と自転車 齊藤俊彦

53、人力飛行の夢を追って 稲垣正浩

54、明治末の鳥取における自転車競走 大熊広明

55、ジャパンパンチ・ワーグマン 高橋 勇

56、ニュースレター・バックナンバー 大津幸雄

57、娯楽俱楽部 民友社

58、日本の自転車製造業の歴史(改訂新版) 大津幸雄

59、郵便と自転車 大津幸雄

60、明治期の埼玉における自転車事情 佐竹慎太郎

61、名車 "Rene・HERSE" 上野修一

62、スティーブンスの自転車世界一周 大津幸雄

63、簡易写真術 扶桑商会

64、1985年版資料目録 日本自転車史研究会

65、Velocipedes  Bicycles and Tricycles  1869 Velox

66、日本で最初の自転車旅行 大津幸雄

67,輪界追憶録 佐藤半山遺稿

68、輪界追憶録について 高橋 達

69,佐藤半山の遺稿 高橋 達

70、スティーブンスの日本での旅程 大津幸雄

71、アメリカン・スターについて 大津幸雄

72、堺の自転車 堺輪業協会

73、外装変速機のすべて 前田鉄工所

74、簡易自転車修繕法 佐藤喜四郎

75、ホルストマンの日本滞在記 大津幸雄

76、フランク・レンツとビクター号 大津幸雄

77、陸奔車の中川泉三  大津幸雄

78、正田門弥の千里行車について 大津幸雄

79、ヴェロシペードの時代 大津幸雄

80、ラントーン(RANTOONE)について 大津幸雄

81、「提督の物語」のヴェロシペード 大津幸雄

82、ヴェロシペードの時代(増補版) 大津幸雄

83、「ジャパン・パンチの自転車」-1 真船高年

84、自転車の復権 大津幸雄

85、千里行車と陸奔舟車の駆動方式 大津幸雄

86、自転車の切手について 大津幸雄

87、日本最初のサイクリング? 小林恵三

88、やはり明治の自転車リロイ号 大津幸雄

89、ジャパン・パンチの自転車 -2 真船高年

90、ジャパン・パンチの自転車 続編 真船高年

91、埴 亀齢の三輪車 大津幸雄

92、郵便と自転車の出会い 大津幸雄

93、足柄・箱根サイクリング 大津幸雄

94、南アルプススーパー林道サイクリング 渋谷良二

95、世附サイクリング 大津幸雄

96、第1回ポリージャポン 大津幸雄

97、門弥が先か? 大津幸雄

98、ラレーの思い出 山中唯裕

99、自転車年表 大津幸雄

100、サンビームのレストア記録 小池一介

101、リンゲのボーンシェーカー 大津幸雄

102、日本の自転車史 大津幸雄

103、会報「自轉車」創刊号 日本自転車史研究会

104、自転車の起源はどこにあるのか 小池一介

105、モトゥス 陸奔舟車  日本自転車史研究会

106、レンツの日本自転車旅行 大津幸雄 編

107、自転車店の老舗探訪 大津幸雄

108、スティーブンスの日本旅行記 大津幸雄 編

109、続・スティーブンスの日本旅行 大津幸雄 編

110、石川商会について 大津幸雄


2025年8月10日日曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-最終回

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-最終回

日本での旅程は以下の通り、 

1886 年11月19日-20日、上海から日本の汽船「横浜丸」で長崎に向かう 

11 月21 日、22日、 長崎滞在、これからの日本国内旅行の準備 

11月23日、火曜日の朝スタート、横浜までの800マイルの旅が始まる 

23 日、長崎を出発し、日見峠を越え矢上~大村泊 

24 日、左は大村湾~嬉野~武雄~牛津 

25 日、26日、牛津~佐賀~福岡~福間 

27 日、芦屋~若松 

28 日、若松~小倉~下関、 小倉から和船で下関に渡る 

29 日、14時に下関着、雨のため24時間休憩、神社や寺を見学 

30 日、正午には晴れ下関スタート~瀬戸内海沿いを走る 

12月1日、下関~防府 

2 日、防府~広島 

3 日、広島~福山 

4 日・5日、岡山で二日滞在、宣教師宅で歓迎パーティー 

6 日、午後に姫路着 

7 日・8日、 兵庫~神戸で二日滞在 

9 日、大阪 

10 日、淀川沿いの道を~京都へ、西本願寺、金閣寺、修学院離宮などを見学 

11 日、大津~琵琶湖~石部~鈴鹿峠~坂ノ下で泊 

12 日、坂ノ下~四日市~宮(熱田宿) 

13 日、宮から浜松 

14 日、安倍川を渡り静岡へ(徳川慶喜はスティーブンスが乗るダルマ自転車を見る) 

15 日、三島、 三島大社と相撲を見学 

16 日、三島~箱根越え~湯本~小田原~戸塚 

1886 年12月17 日、戸塚~横浜港(太平洋郵便の北京号に乗船、日本を離れる) 

註、「AROUND THE WORLD ON A BICYCLE」の巻末にある旅程に記載のない部分は距離などを勘案して適宜入れた。

カリフォルニア~横浜
実際の走行距離、約13,500マイル


476頁

477頁

2025年8月9日土曜日

「自轉車瓦版」 第16号

「自轉車瓦版」 第16号 

昭和60年5月10日発行

☆福島の真船氏からの情報によると、先日、月刊「サイクルスポーツ」誌のバックナンバーを眺めていたら、昭和55年10月号に「富山市にある自転車博物館」という記事が目に止まったそうである。この自転車博物館は、富山市鴨島字川原1850-1(TEL 0764-41-0411)の中央自転車センターの2階にあり、正式な施設の名称は「サイクリング文化室」と云う。80年4月1日に「自転車の発達史や保健上の効用及び科学など自転車に関する知識の啓蒙普及を通して、青少年の健全な育成を目指す」ことを目的として開設されたもの。日本における自転車博物館では、東京赤坂の自転車文化センターは確か、昭和56年5月にオープンしている。それよりも1年早く、昭和55年4月に自転車博物館として、名のりを上げたのであるから、なにはともあれ立派なことである。現在その活動はどうなっているのか分らないが、気になるところである。東京の自転車文化センター、富山のサイクリング文化室、そしてこの秋オープンを予定している堺の自転車博物館と、これで3施設が顔をそろえることになる。このことで日本における自転車文化も世界に通用するものになるだろう。しかし問題はりっぱな施設よりも中身の充実にある。そこで、この3施設に希望することは、単なる「歴史の紹介や展示だけではなく、そこから一歩出て、今、人々が自転車に対してなにを求めているか、あるいは、今後の自転車文化はいかにあるべきか、そして 博物館としてもっとも大切である正確な史実に基づいた日本の自転車史の解明をお願いしたい。我々も微力ながら協力するつもりである。

註、グーグルマップなどで「サイクリング文化室」を調べたが、現在それらしき施設は見当たらない。


富山サイクルナビのサイト

2025年8月8日金曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-32

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-32

岡部では強い風が吹いていたが、今朝もかなり風が強い。カンザスの自転車乗りを思い出す。彼はかつてコートの裾を広げ、ローレンスからカンザスシティまで3時間で走ったと云っていた。残念ながら、私が着ているコートの裾を帆として使うことはできない。そうでなければ、世界一周旅行の終盤戦は、この旅で私が遭遇した数々の出来事の中でも、最もユニークな出来事の一つとなったかもしれない。

神奈川の街路で、ドイツを出て以来最も精鋭な野砲の砲台に遭遇した。そこは横浜への道が東海道から分岐する地点である。私が京都から東京まで旅した東海道は、さらに17マイル先まで続いている。東京と神奈川の間に鉄道が開通して以来、首都から東海道を旅する旅行者は通常、神奈川まで汽車で行くため、今日では人力車の旅は神奈川から始まる。

神奈川は事実上、横浜の郊外にある。ここで見られる日本人所有の時計の1つは8時、もう1つは11時、そして3つ目は9時半を指していたが、横浜堤防にあるクラブホテルの時計はイギリス人の所有物で、まさに10時を打とうとしている。それは、私がこれまで多くの国を旅してきたダルマ自転車のサドルから降りる時である。こうして、1884年4月22日にカリフォルニア州サンフランシスコで始まったダルマ自転車世界一周旅行は、1886年12月17日に横浜で終わった。

この港で太平洋郵便汽船「シティ・オブ・ペキン」に乗り、17日後にサンフランシスコに到着した。サンフランシスコ自転車クラブ、ベイシティ・ホイールマン、そして全米各地の様々なクラブから受けた熱烈な歓迎は、当時の新聞に詳しく掲載されている。この冒険はゴールデンゲートで始まり、そして終わる。読者の温かい厚意で、再び反響を呼ぶことを願っている。


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神奈川台場 
横浜開港資料館

シティ・オブ・ペキン 
ウィキペディア