2025年12月4日木曜日

ラッジ関連 - 1

 ラッジ関連 - 1

1889年発行のラッジ・サイクル・カンパニー社の自転車と三輪車のイラスト入り価格表
発行年: 1889年
会社名: Rudge Cycle Company, Limited
所在地: コヴェントリー
「世界最古」かつ「最大の自転車・三輪車メーカー」


ラッジ 価格表
1889年

1頁
販売店と主要代理店

目次
2頁
ラッジサイクル株式会社
目次
はじめに
ラッジ特許ボールベアリング 
三輪車 - ラッジレーシング
四輪車(特許取得済み) - 1人乗り
三輪車 - ラッジロイヤルクレセント
自転車 - ラッジレーサー
自転車 - ラッジ ニューパターン レーシング
ラッジ特許取得の非振動スプリングフォーク

2025年12月3日水曜日

自轉車瓦版 第56号

 自轉車瓦版 第56号

昭和60年7月5日発行 発行所:日本自転車史研究会

★ 〔ガタクリ市〕

①『旅とサイクリスト』誌 1967年1月~12月計12冊、¥18,000-, 1968年9月~12月計4冊¥4,000-,1970年1月~12月計12冊¥13,000-

②『ニューサイクリング』誌 1967年1月~12月計12冊¥18,000-

ご希望の方は、 事務局まで。

☆名古屋の八神氏より、 "poutrait-morin”という、美しい自転車の部品カタログを送っていただいた。このカタログはフランスで発行されたもので、表紙は、52種類のアンティーク・ポスターでデザインされている。


プトレ・モラン・カタログ(1985年)
表紙の一部

2025年12月2日火曜日

クラブ号

 クラブ号

中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)は化粧品メーカーだが、昭和30年代に「クラブ号」というブランドで自転車を製造・販売していた。家庭用・通勤・通学用、さらには運搬車など実用的なモデルも販売。

戦後の多角経営の一環として自転車事業にも参入した。   「クラブ号」自転車は、同社の化粧品ブランド「クラブ化粧品」と連動したネーミングで、企業イメージを広げるための戦略的な商品であった。


「クラブコスメチックス80年史
中山太陽堂 1983年8月発行
以下同じ
国会図書館所蔵



クラブペット号
中山太陽堂 1962年
ジャパン・アーカイブズ

2025年12月1日月曜日

自轉車瓦版 第55号

 自轉車瓦版 第55号

昭和60年7月14日発行

☆(第50号からつづく) メーカー事始シリーズ、その3『ラーヂ』 

1894年、ラッジサイクル社は、同業のホイットワース・サイクル社と合併することになった。ラッジはコベントリーにホイットワースはバーミンガムをそれぞれ本拠地としていたが、この合併によって両社は同一ブランドの元で自転車生産を行なうことになったのである。新い社名は『ラッジ・ホイットワースLTD』となり、 以後このブランドは世界各地に向けて大躍進を遂げることになる。19世紀末から20世紀初めにかけてのラッジ・ホイットワース社は、自転車生産において世界有数の規模を持つ企業へと発展し、トレードマークである右手のエンブレムは、文字通り世界を席巻したのであった。(クラシック MC ファンダム第25号より)

註、ラッジ・ホイットワース(Rudge-Whitworth Ltd)について

1894年に創業されたイギリスの老舗メーカーで、自転車・オートバイ・自動車用ワイヤーホイールの分野で革新をもたらした企業。第二次世界大戦後の1946年に事実上消滅したが、その技術とブランドは今もヴィンテージ愛好家に強い影響を残している。

コヴェントリーの *Rudge Cycle Co.* とバーミンガムの *Whitworth Cycle Co.* の合併によって誕生 した会社。


ラッジ・ホイットワースの広告
「ノーザン・フリーメイソン」誌
1910年3月号

美しい英国:パースシャー州、カトリン湖(上の写真)
完璧な自転車とバランス
ラッジ・ウィットワースに乗る人だけが享受できる喜びである。
それは、科学的に正しい設計と、王国最大のラッジ・ウィットワース工場でのみで使用されている比類のない優れた素材と職人技によるものである。
68ページにわたる新しいアートカタログには、1910年モデルのラッジ・ウィットワース自転車の新しい特徴が詳細に説明されており、以下が含まれている。
オールスチール製フラッシュジョイントフレーム
コッターレスクランク
特許取得済みのディッシュ型後輪、ハンドルバー、クランク、ブレーキレバー、ハブの錆びないセルロイド仕上げ
固定式ハンドグリップ
10年間保証の封印された証明書
他にもたくさんの商品があり、どれも現代のサイクリストの快適さに欠かせない。
価格は現金3ポンド15シリングから14ポンド12シリング、または月額7シリングから。
カタログは送料無料
ラッジ・ウィットワース株式会社
リバプール、ボールドストリート101番地


2025年11月30日日曜日

自轉車瓦版 第54号

 自轉車瓦版 第54号

昭和60年7月14日発行

☆新聞紙上では、最近豊田商事の話題がつきない。そこで書籍情報として、『豊田商事の正体』(木村  久著 啓明書房 980円)、この本の第2章に「公営施設株式会社」という場外車券場のことが書かれている。

〇先日・いわき市の例の骨董屋に行き、再度ダルマ自転車を見て来た。やはり思ったとおりにせ物であった。しかし、同店でおもわぬ収穫があった。MONOPOLEのバッチを見付けたからである。バッチには次のような文字が記されていた。 COVENTRY MONOPOLE CYCLE & CARRIAGE CO LTD。このバッチは2個100円であった。モノポールはラーヂ程有名ではないが、当時やはり人気のあるメーカ一車の一つであった。(真船氏)

☆大阪北区にある、お初天神という境内では、毎月第1金曜日に古物市が開かれる。規模は、毎回5~6店が出る程度で余り大きいものではない。先日、その古物市でダルマ自転車が一台出品された。このダルマ自転車の前輪の直径は128cmでラジアルスポーク組となっていた。一見オリジナルと思わせるような作りであったが、どうも模造品のようであった。値段を聞いたところ95万円とのことであった。せめて当研究会員ぐらいは、このようなニセ物をつかまされないように注意すべきである。(大阪・高橋 勇氏)


モノポールのカタログ


「素晴らしい」モノポール、
ライトロードスター
仕様、
フレーム:22インチ、24インチ、26インチ、28インチ。タイヤ:ダンロップ製レインタイヤ。クランク:6インチまたは7インチ。ギア:70インチ、または注文に応じて。サドル:ブルックスB75、メッキスプリング。ギアケース:モノポールオイルバス(固定)。ハンドルバー:通常のフラットまたはレイズド、モノポールリムブレーキ、倒立またはローラーレバー付き。または、お客様の選択により、隠しローラーレバー付きのモノポールスペシャルハンドルバー。仕上げ:最高級の黒エナメルとライン、通常の部品は高メッキ。
このモデルは、耐久性のある品質の自転車に最も贅沢な装備を求めるライダーのために特別に作られたモデルである。純正オイルバスギアケースによってのみ得られる推進力も兼ね備えている。

モノポール・サイクル・アンド・キャリッジ株式会社


モノポールの意匠
金輪社 明治後期

"MONOPOLE CYCLE COVENTRY"(モノポール・サイクル・コベントリー)のエンブレムが刺繍されたワッペン。


金輪社の広告
明治42年7月3日付け横浜貿易新報
横浜成功名誉鑑 横濱商况新報社編 明治43年7月発行



2025年11月29日土曜日

ヴィクター号関連

 ヴィクター号関連

米国特許庁

ロードアイランド州プロビデンスのパードン・W・ティリンガスト

自転車

1891年1月6日付特許第444,258号の一部である明細書。出願日:1890年9月24日。シリアル番号:366,026。(モデルなし)

ロードアイランド州プロビデンス在住の米国市民である私、パードン W. ティリングハストは、自転車の新しい有用な改良を発明した。以下はその詳細。

本発明の目的は、自転車に便利な支柱または支持ポートを設け、使用していないときに自転車を立てた状態で保持できるようにすることである。また、本発明は、以下に記載されるように、ペダルに軸支され、操作できるように配置された支持支柱から構成されている。

図1は、本発明の改良が施された自転車の斜視図である。図2は、ペダルの端面図と支持ブレースの側面図である。図3は、ペダルの断面図である。図4は、改良例を示すペダルの下面図である。図5および図6は、図4に示す特定の部品の平面図である。


図面

明細書


2025年11月28日金曜日

自轉車瓦版 第53号

 自轉車瓦版 第53号

昭和60年7月12日発行

★宮武外骨と明治6年にフランスで自転車のサーカスを見たという成島柳北(航西日乗)と関係があったらしい。人と人との巡り合わせとは不思議なものである。当福島県でも不思議な巡り合わせがあった、と言うのは、鈴木三元の出身地桑折町に雑誌「自轉車」を発刊した佐藤喜四郎(ペンネーム・半山)が明治元年10月20日に生まれていたからだ。彼は、明治21年に上京し、東京法学院(現、中央大学)に学び、24年7月卒業、26年に立憲改進党本部に入り、同報局に3年間勤務、30年10月神田区書記となり、33年7月には月刊雑誌「自轉車」を創刊している。初代三元との関係は現在不明だが時期的に、三代三元とは何等かの関係があったものと思われる。・・・(真船高年氏)

☆高橋 勇氏からの情報、

先日、知り合いの古物商より、松下幸之助氏が勤めていた、大阪・船場の五代商会のカタ ログと封筒を入手した。このカタログは、B5 判で48ページ、完成車や部品が写真入りで載っている。この店は、当時(大正8年)すでに台湾や中国とも取引きがあったようである。

松下相談役が大阪の五代商会にデッチ奉公していた記録と、五代商会の奥さんと撮った写真は有名だが、肝心の五代商会のことは殆んど何も残っていない。このカタログが一つの手掛かりになるのではと思っている。


シンガー三輪車と宮武外骨
1884年(明治17年)

航西日乗
1873年(明治6年)3月4日の部分

店主の五代五兵衛氏夫人と松下幸之助

五代商報
大正8年3月号
資料提供:高橋 勇氏

8頁