ラッジ関連 - 1
発行年: 1889年
会社名: Rudge Cycle Company, Limited
所在地: コヴェントリー
「世界最古」かつ「最大の自転車・三輪車メーカー」
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
ラッジ関連 - 1
自轉車瓦版 第56号
昭和60年7月5日発行 発行所:日本自転車史研究会
★ 〔ガタクリ市〕
①『旅とサイクリスト』誌 1967年1月~12月計12冊、¥18,000-, 1968年9月~12月計4冊¥4,000-,1970年1月~12月計12冊¥13,000-
②『ニューサイクリング』誌 1967年1月~12月計12冊¥18,000-
ご希望の方は、 事務局まで。
☆名古屋の八神氏より、 "poutrait-morin”という、美しい自転車の部品カタログを送っていただいた。このカタログはフランスで発行されたもので、表紙は、52種類のアンティーク・ポスターでデザインされている。
自轉車瓦版 第55号
昭和60年7月14日発行
☆(第50号からつづく) メーカー事始シリーズ、その3『ラーヂ』
1894年、ラッジサイクル社は、同業のホイットワース・サイクル社と合併することになった。ラッジはコベントリーにホイットワースはバーミンガムをそれぞれ本拠地としていたが、この合併によって両社は同一ブランドの元で自転車生産を行なうことになったのである。新い社名は『ラッジ・ホイットワースLTD』となり、 以後このブランドは世界各地に向けて大躍進を遂げることになる。19世紀末から20世紀初めにかけてのラッジ・ホイットワース社は、自転車生産において世界有数の規模を持つ企業へと発展し、トレードマークである右手のエンブレムは、文字通り世界を席巻したのであった。(クラシック MC ファンダム第25号より)
註、ラッジ・ホイットワース(Rudge-Whitworth Ltd)について
1894年に創業されたイギリスの老舗メーカーで、自転車・オートバイ・自動車用ワイヤーホイールの分野で革新をもたらした企業。第二次世界大戦後の1946年に事実上消滅したが、その技術とブランドは今もヴィンテージ愛好家に強い影響を残している。
コヴェントリーの *Rudge Cycle Co.* とバーミンガムの *Whitworth Cycle Co.* の合併によって誕生 した会社。
美しい英国:パースシャー州、カトリン湖(上の写真)
完璧な自転車とバランス
ラッジ・ウィットワースに乗る人だけが享受できる喜びである。
それは、科学的に正しい設計と、王国最大のラッジ・ウィットワース工場でのみで使用されている比類のない優れた素材と職人技によるものである。
68ページにわたる新しいアートカタログには、1910年モデルのラッジ・ウィットワース自転車の新しい特徴が詳細に説明されており、以下が含まれている。
オールスチール製フラッシュジョイントフレーム
コッターレスクランク
特許取得済みのディッシュ型後輪、ハンドルバー、クランク、ブレーキレバー、ハブの錆びないセルロイド仕上げ
固定式ハンドグリップ
10年間保証の封印された証明書
他にもたくさんの商品があり、どれも現代のサイクリストの快適さに欠かせない。
価格は現金3ポンド15シリングから14ポンド12シリング、または月額7シリングから。
カタログは送料無料
ラッジ・ウィットワース株式会社
リバプール、ボールドストリート101番地
自轉車瓦版 第54号
昭和60年7月14日発行
☆新聞紙上では、最近豊田商事の話題がつきない。そこで書籍情報として、『豊田商事の正体』(木村 久著 啓明書房 980円)、この本の第2章に「公営施設株式会社」という場外車券場のことが書かれている。
〇先日・いわき市の例の骨董屋に行き、再度ダルマ自転車を見て来た。やはり思ったとおりにせ物であった。しかし、同店でおもわぬ収穫があった。MONOPOLEのバッチを見付けたからである。バッチには次のような文字が記されていた。 COVENTRY MONOPOLE CYCLE & CARRIAGE CO LTD。このバッチは2個100円であった。モノポールはラーヂ程有名ではないが、当時やはり人気のあるメーカ一車の一つであった。(真船氏)
☆大阪北区にある、お初天神という境内では、毎月第1金曜日に古物市が開かれる。規模は、毎回5~6店が出る程度で余り大きいものではない。先日、その古物市でダルマ自転車が一台出品された。このダルマ自転車の前輪の直径は128cmでラジアルスポーク組となっていた。一見オリジナルと思わせるような作りであったが、どうも模造品のようであった。値段を聞いたところ95万円とのことであった。せめて当研究会員ぐらいは、このようなニセ物をつかまされないように注意すべきである。(大阪・高橋 勇氏)
モノポール・サイクル・アンド・キャリッジ株式会社
ヴィクター号関連
米国特許庁
ロードアイランド州プロビデンスのパードン・W・ティリンガスト
自転車
1891年1月6日付特許第444,258号の一部である明細書。出願日:1890年9月24日。シリアル番号:366,026。(モデルなし)
ロードアイランド州プロビデンス在住の米国市民である私、パードン W. ティリングハストは、自転車の新しい有用な改良を発明した。以下はその詳細。
本発明の目的は、自転車に便利な支柱または支持ポートを設け、使用していないときに自転車を立てた状態で保持できるようにすることである。また、本発明は、以下に記載されるように、ペダルに軸支され、操作できるように配置された支持支柱から構成されている。
図1は、本発明の改良が施された自転車の斜視図である。図2は、ペダルの端面図と支持ブレースの側面図である。図3は、ペダルの断面図である。図4は、改良例を示すペダルの下面図である。図5および図6は、図4に示す特定の部品の平面図である。
自轉車瓦版 第53号
昭和60年7月12日発行
★宮武外骨と明治6年にフランスで自転車のサーカスを見たという成島柳北(航西日乗)と関係があったらしい。人と人との巡り合わせとは不思議なものである。当福島県でも不思議な巡り合わせがあった、と言うのは、鈴木三元の出身地桑折町に雑誌「自轉車」を発刊した佐藤喜四郎(ペンネーム・半山)が明治元年10月20日に生まれていたからだ。彼は、明治21年に上京し、東京法学院(現、中央大学)に学び、24年7月卒業、26年に立憲改進党本部に入り、同報局に3年間勤務、30年10月神田区書記となり、33年7月には月刊雑誌「自轉車」を創刊している。初代三元との関係は現在不明だが時期的に、三代三元とは何等かの関係があったものと思われる。・・・(真船高年氏)
☆高橋 勇氏からの情報、
先日、知り合いの古物商より、松下幸之助氏が勤めていた、大阪・船場の五代商会のカタ ログと封筒を入手した。このカタログは、B5 判で48ページ、完成車や部品が写真入りで載っている。この店は、当時(大正8年)すでに台湾や中国とも取引きがあったようである。
松下相談役が大阪の五代商会にデッチ奉公していた記録と、五代商会の奥さんと撮った写真は有名だが、肝心の五代商会のことは殆んど何も残っていない。このカタログが一つの手掛かりになるのではと思っている。