2025年8月4日月曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-30

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-30

彼は自分が非常に重要な人物であると感じているかのように振る舞い、観客に勝者の名前を告げる。

この東海道に於いてダルマ自転車で走行できない唯一の区間は、有名な箱根峠であり、この三島から始まる。そこは16マイルにわたって、険しい岩だらけの道が続く。三島の駕籠かき人足は、箱根峠を越えて物資や乗客を運ぶことで生計を立てている。ダルマ自転車を運ぶ男を数人雇い、肌寒い天候は、駕籠に乗るよりも彼らの後を歩いて行くことである。この道は荷馬車が通れるほど広く、間違いなく軍事輸送を目的として建設されたものである。長く急な坂道は、人や馬のすり減った草鞋で文字通り敷き詰められている。

箱根峠の高台から眺める景色は実に美しく、雄大な富士山の白い頂きが、まるで支配するように、すべてを見下ろしている。山中集落の近くには、「富士見平」(富士を眺める台地)と呼ばれる有名な場所がある。箱根の村と湖へと続く南斜面の広い石畳の道には、大きな杉並木が日陰を作っている。

箱根は非常に美しく興味深い地域で、現在では東京と横浜に住むヨーロッパ人のお気に入りの夏のリゾート地となっている。横浜から芦ノ湖まではわずか80キロほどで、人力車と駕籠を使えば1日で行くことができる。湖は実に魅力的な小さな水域で、まるで山の宝石のようである。澄み切った水晶のような深みに、周囲の松に覆われた斜面が映り、まるで鏡のようである。日本神話は、国の歴史が始まった頃、辺り一面が茂みや道のない森で、この地域を超自然的な存在で満たしていた。

1868年の明治維新でこれらの古い封建的な慣習がすべて廃止されるまで、ここの東海道は「関所」の一つで遮断されており、通行手形なしでは誰もそこを通り抜けることができなかった。これらの関所は封建領地の境界に設置されており、通常、旅人が他に選択肢のない地点にある。

箱根村から少し離れた東海道には、見事な杉並木が日陰を作っている。左手には大きな政府の保養所がある。それは、現在の天皇の進歩的で啓蒙的な政策を雄弁に物語る壮麗で近代的な建物の一つである。道はその後、急な山を登って行く。


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箱根宿 明治期 
箱根町立郷土資料館 

箱根杉並木と籠 
国際日本文化研究センター

箱根離宮 
神奈川県立恩賜箱根公園