スティーブンスの日本旅行記 パート2-32
岡部では強い風が吹いていたが、今朝もかなり風が強い。カンザスの自転車乗りを思い出す。彼はかつてコートの裾を広げ、ローレンスからカンザスシティまで3時間で走ったと云っていた。残念ながら、私が着ているコートの裾を帆として使うことはできない。そうでなければ、世界一周旅行の終盤戦は、この旅で私が遭遇した数々の出来事の中でも、最もユニークな出来事の一つとなったかもしれない。
神奈川の街路で、ドイツを出て以来最も精鋭な野砲の砲台に遭遇した。そこは横浜への道が東海道から分岐する地点である。私が京都から東京まで旅した東海道は、さらに17マイル先まで続いている。東京と神奈川の間に鉄道が開通して以来、首都から東海道を旅する旅行者は通常、神奈川まで汽車で行くため、今日では人力車の旅は神奈川から始まる。
神奈川は事実上、横浜の郊外にある。ここで見られる日本人所有の時計の1つは8時、もう1つは11時、そして3つ目は9時半を指していたが、横浜堤防にあるクラブホテルの時計はイギリス人の所有物で、まさに10時を打とうとしている。それは、私がこれまで多くの国を旅してきたダルマ自転車のサドルから降りる時である。こうして、1884年4月22日にカリフォルニア州サンフランシスコで始まったダルマ自転車世界一周旅行は、1886年12月17日に横浜で終わった。
この港で太平洋郵便汽船「シティ・オブ・ペキン」に乗り、17日後にサンフランシスコに到着した。サンフランシスコ自転車クラブ、ベイシティ・ホイールマン、そして全米各地の様々なクラブから受けた熱烈な歓迎は、当時の新聞に詳しく掲載されている。この冒険はゴールデンゲートで始まり、そして終わる。読者の温かい厚意で、再び反響を呼ぶことを願っている。