2025年6月6日金曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2

 スティーブンスの日本旅行記 パート2 初回

スティーブンスの日本旅行記 パート2は、アウティング誌の後に単行本として出版された「自転車世界一周」トーマス・スティ-ブンス著 1888年版から日本旅行の部分を何回かに分けて紹介する。内容は殆ど重複するが一部に相違点があるので、何らかの参考になるだろう。

第19章

日本を通って

2日間の平穏な航海の後、横濱丸は美しい長崎港に入港した。中国の街の汚れから、まるで磨き上げられたように清潔な長崎への変化は、実に喜ばしいものだった。日本人に対してはすぐに好印象を抱くことができた。中国から直接来たことで、そう感じられたのは間違いない。

2日間の準備と視察の後、こんなに早く出発しなければならないことに、胸が締め付けられるような後悔が残った。ここのアメリカ領事B氏は非常に礼儀正しい紳士で、彼と中国海軍の教官であるアメリカ人紳士M氏には、演芸の披露やその他多くの厚意をいただいた。

11月23日火曜日の朝、10円札、5円札、10銭札の小額紙幣、そして道中の茶屋でお茶と果物を買うための小銭を用意し、美しい日本を通って横浜まで800マイルの旅に出発した。F船長とアメリカ領事のB氏がホテルまで見送りに来てくれた。雨の降る夜だったので、道路は少しぬかるんでいた。長崎の整然とした通りを抜け、曲がりくねった道に入り、奇妙で矮小な木々や趣のある花で飾られた丘の斜面の墓地を通り過ぎ、私は日本人の不思議そうな視線と好奇の視線を浴びながらダルマ自転車を走らせた。

長崎は、日見峠と呼ばれる峠を越えた。それは丘陵地帯の海岸側に位置している。私の旅は、街を出てすぐにこの峠を上った。峠には良好な道路が整備されており、旅行者や長崎に農産物を持ち込む人々から通行料を徴収するための料金所が設置されている。料金所のおばさんは礼儀正しく、私が見張り小屋のような料金所を無邪気に通り過ぎて急な坂を上って行くと、微笑んで頭を下げてくれた。


433頁

日見峠の料金所

日見峠 明治中期
長崎大学附属図書館所蔵

Googleストリートビュー
以下同じ

長崎市側から見た日見新道(明治新道)2025年4月撮影

日見新道切通付近

日見峠案内板

敬具
トーマス・スティ-ブンス

自転車世界一周
トーマス・スティ-ブンス著
1888年発行