スティーブンスの日本旅行記-⑪
朝、窓の外に、年老いた日本人漁師の姿が映る。彼は祈りを捧げているのだ。人間として考えられる限りの真剣さである。しかし、日本人は祈りを捧げている時でさえ滑稽に見える。時折、両手をぴしゃりと叩き、頭髪はほぼ垂直に立っている。彼の考えが多かれ少なかれ劇的であることは誰の目にも明らかだ。
近くの小さな丘の頂上には大きな神社があり、石段が続いている。石段の入り口に、そして斜面を登る途中にも、独特の鳥居、いわゆる「鳥の止まり木」が立ち並び、神社の象徴となっている。境内には数多くの社が鎮座している。神社は主に木造で、それぞれに祀られている様々な神々が安置されている。それぞれの神社の前には、金銭を入れるための賽銭箱がある。日本の信者は神社の前で一分間、頭を下げて両手を合わせる。それから小銭を一、二枚、賽銭箱に投げ入れ、次にまた参拝したい神社へと向かう。本殿には、数多くの絵画、弓矢、刀剣、そして明らかに奉納物と思われる様々な品々が置かれている。漁師の運命を司る神の神社は、巨大な銀紙の魚と、多数の三叉の魚槍が際立っている。日本の神話に通じていない旅行者には意味が理解できない奇妙な物の中には、少なくとも3フィート(約90センチ)の鼻を持つ怪物のような人間の顔(天狗)がある。
散歩の途中、私は店や通りの迷路の中で一時的に迷子になったが、それでも、日本の街の斬新で興味深い光景と、どこもかしこも礼儀正しく感じの良い人々に囲まれて、しばしの時間を過ごした。商店街の南端の方にある仏教寺院の庭に、朝の礼拝に訪れる一団の後をついていくと、入り口に立って、黄色い袈裟をまとった僧侶たちが、お経を唱え、銅鑼を鳴らしながら、ぐるぐると回りながら、俗世を忘れようと努めているのを目にした。寺院の中を興味深く覗いてみると、金箔と豪華な装飾が輝いている。外には経蔵庫があり、中には経典を収めた蔵書がある。別の建物には木の格子の後ろに仏像がある。入口には通常、賽銭を入れる箱があるが、仏像は外界との接触を遮断する格子の内側にある。茣蓙の上に、捧げられた供物が置かれている。畳の上に小さな二厘硬貨(中国の貨幣)があったが、その表情を特徴づける愉快な笑みは、寄付されたお金の少なさにあるようだ。厨子に入れられた赤い仏像をしばし眺めた後、振り返ると、百人もの女性の笑顔が目に飛び込んできた。近所の女性たちが、私が寺の門をくぐるのを見て、噂話を広め始めた。その結果、周囲には女性が大勢集まり、私の訪問の目的を聞き出そうと躍起になっている。彼女たちは、ここにいる皆と同じ、都会的な笑みと楽しそうな表情を浮かべている。私が寺に興味を持つことが、彼女たちにとってとても面白いことのように思えるのだ。
自分の現在位置を確認しようとぶらぶら歩いていると、大きな校舎を通り過ぎた。校舎では子供たちが朗読に励んでいた。下駄と和傘は、入り口に設置された専用のラックに収納されていた。