自転車関係資料㉓
下の資料は、発行年が書いていないので正確には分からないがその内容からして昭和25年11月3日と思われる。内容は二井宿村の統計調査研究で二井宿村中学校の教諭と在校生徒が中心になりその成果をまとめたものである。
研究は多岐にわたり、地形・気候からはじまり、職業と人口、婚姻・出生・死亡、農業、木炭、酪農、商業工、交通、正史、文化となっている。所謂この村の村勢要覧といえる。
先ず、二井宿村の位置関係を見ると、山形県東置賜郡にあった村で、昭和29年10月1日 の町村合併により現在は高畠町二井宿になっている。
①は、本題の交通調査、
当時の郵便局から県道を一町ほど下った農協前で実施とある。昭和25年9月30日の午前6時から午後6時まで間を調査。
車類で自転車はこの日の合計で547台とけた外れに多い。次が荷車の69台、リヤカー56台、馬車49台、トラック39台と続く。そして歩行者は936人とある。自動車はトラックだけで普通の乗用車はカウントされていない。ということはこの日は1台も通らなかったか、そもそもこの時代の地方では乗用車は極めて少なかったからである。トラックにはオート三輪も含まれていたはずである。
この資料から地方における自転車の普及と利用状況を垣間見ることが出来そうである。
参考までに、全国輪界興信名鑑(昭和12年版)の東置賜郡にあった自転車商を載せる。
いまでも続いている老舗は、青柳自転車店(山形県東置賜郡高畠町大字高畠)と武田輪店
(東置賜郡高畠町大字竹森)の2店舗である。二井宿にあった佐藤自転車店と島津自転車店はいまは無い。
これらの店で購入した自転車も当時走っていたに違いない。547台にもその自転車がカウントされたはずである。
なお、35頁の村の正史編には義民で知られる高梨利右衛門(出羽置賜郡屋代郷二井宿村)が出てくる。名主であった利右衛門は米沢藩の苛政に苦しむ屋代郷の農民を救うために幕府に直訴した。その後、元禄元年(1688年)12月3日に越訴の罪で磔刑となる。二井宿村を代表する歴史的人物であった。現在も高畠町立二井宿小学校の校庭内には利右衛門の酬恩碑が建っている。
③の地図にある郵便局は現在と場所が違っている、二井宿中学校もいまは無い。現在は統合され高畠中学校の1校だけになっている。
⑤の写真は、1頁目にはりっけてあった写真、ある1軒の農家を写している。白く見えるのは当初ネコかと思ったが、どうやら放し飼いの鶏のようである。どうしてこの家が選ばれたのか分からないが、おそらく建屋も大きく、地主の家屋か何かであろう。この写真の説明書きは見当たらない。
⑧の青柳自転車店が二井宿小学校に一番近い。それでも6㎞ほど離れている。
他に遊輪舎(東置賜郡高畠町大字高畠)という自転車店もある。
①交通調査
昭和25年9月30日
②交通調査 32、33頁
③地図 38頁
④表紙 全40頁
本のサイズ 164×220㎜
⑤1頁目の唯一の写真
⑥全国輪界興信名鑑 昭和12年版
国会図書館所蔵資料
⑦全国輪界興信名鑑 昭和12年版
国会図書館所蔵資料
⑧青柳自転車店
山形県東置賜郡高畠町大字高畠
Googleストリートビューより
⑨武田輪店
東置賜郡高畠町大字竹森
Googleストリートビューより
⑩二井宿郵便局
Googleストリートビューより