2022年9月30日金曜日

老舗さんぽ-56

 老舗さんぽ-56

久しぶりの「老舗さんぽ」、一昨日(2022年9月28日)、山北の旧高松山分校で横須賀から来たという三人の若いサイクリストに会う。初対面だが10分ほど自転車談義。この三人の青年のうちの一人は横須賀の影山輪業の人で、話を聞けばこの自転車店の創業は既に80年以上になると云う、家に帰り早速、当時の名鑑などで調べたところ、1937年(昭和12年)発行の全国輪界興信名鑑に影山自転車店が載っていた。更に昭和4年発行の東部日本輪界興信名鑑もみたが、これには掲載されていなかった。おそらくこの店の創業は昭和10年頃と推定した。いずれにしても老舗であることは間違いない。

今度機会があれば実際に横須賀へ行き尋ねてみたいと思う。

いつものGoogleストリートビューでこの店の周辺を散歩する。知人のswさんは横須賀の出身なのでメッセンジャーで尋ねたところ、父親が40年前にこの店で自転車を購入した由。このことで何となくこの店とも縁が出来たような感じがした。横須賀方面の自転車店では既にこのブログでも取り上げているが、金沢文庫の木下サイクルスポーツ(老舗さんぽ⑭を参照)を思い出す。先日もこの木下サイクルスポーツのオリジナル・ブランドであるグリーン・エンジェルが話題になったばかりである。一番下の写真を参照。

影山輪業
Googleストリートビュー

昭和12年発行の全国輪界興信名鑑
国会図書館所蔵

昭和4年発行の東部日本輪界興信名鑑
これには記載無し

木下サイクルスポーツのオリジナル・ブランド
グリーンエンジェル
1980年代に購入したと云う
写真提供:HSさん
協力:松田町の「山の店ウエレン」

2022年9月29日木曜日

車つくし

 車つくし

この錦絵は「新板車つくし」重宣 画 安政2年

一見自転車とは関係のない絵が描かれているが、これも日本の自転車史を語る上では、一つの資料と云える。

特にこの画の中で、大和車に注目したい。竹田近江の陸船車の駆動構造を連想させてくれるからである。大和車(踏車)は灌漑用の装置。

それに「初荷の車」や「出しのうし車」の車輪形状も参考になる。

絵師は二代目の歌川広重(歌川重宣) 文政9年(1826)ー 明治2年(1869)

弘化のころに初代歌川広重に入門。初期は重宣 (しげのぶ) と称した。

「新板車つくし」重宣画 安政2年
国会図書館所蔵


2022年9月28日水曜日

自転車関係資料-198

 自転車関係資料-198

この雑誌は「アメリカ自転車連盟の道路情報」 1898年2月号

「L.A.W. Bulletin and Good Roads」 February 1898 issue

2月号の表紙

12頁

一部抄訳、
自転車の進化

3. 初めての二輪車
1767-1821
最初の二輪車が登場した正確な日付は、前の四輪車と同じくらい不確かである。 通常は 1816 年または 1818 年とされているが、それよりもずっと早い可能性がある。 1767年頃にそのようなマシンがいくつか発明され、使用されたとも言われている。初めてホビーホースが登場したとき、それらは以前のものを改良したものであるという印象があった。・・

13頁


数年後、サリー州のルイス・ゴンペルツ (Louis Gompertz) は、前輪を駆動する目的で腕を使用することで脚の動きを補おうとした。
ステアリング・ハンドルには前輪ハブのピニオンに連動するセグメント・ラックが取り付けられ、推進力を補助することができた。

ドライジーネがニューヨークにも導入され、多く人の関心を集めた。
この流行は他の都市にも広がり、いくつかのマシンが作られ、貸し出された。
1819年6月26 日、「ベロシペードの改良」の特許がW・K・クラークソン(W. K. Clarkson, Jr.)に与えられたが、特許庁は 1836 年の火災で焼失し、この特許は復元されていないため、その詳細を知ることが出来ない。

2022年9月27日火曜日

自転車関係資料-197

 自転車関係資料-197

この資料は「フレムデン・ブラット」紙 1869年5月1日 土曜日

「Fremden・Blatt」 Samstag 1. Mai 1869.

註、フレムデン・ブラットは、1847年7月1日~1919年3月22日まで、オーストリアで発行された新聞。

この新聞には、同様のベロシペードの広告が数多く載っている。

「フレムデン・ブラット」紙

 1869年5月1日(土)


ベロシペード体育館の広告
1869年6月6日(日)

抄訳、
ベロシペード体育館
k.k大通りの左側にあるプラーターは、ベロシペードの乗り方を学ぶために開校した。
朝の6時~午後9時まで毎日ベロシペードを教授
警察署は要求に応じて、ベロシペードの走行の許可を認めてくれた。
50名まで最高のベロシペード・ミショーで体育館を利用できる。 

ベロシペード・ミショーの輸入業者、フリーダー・マウアー
オフィス:ヴァルフィッシュガッセ 4. ウィーン

2022年9月26日月曜日

ラントーン関係資料-14

 ラントーン関係資料-14

この雑誌は「ガーデナーズ・クロニクルと農業ガゼット」誌 1866年

「THE GARDENERS' CHRONICLE AND AGRICULTURAL GAZETTE」

1866.

表題



註、この雑誌の6か所に同様の広告あり
一部抄訳、
ラントーン
(王室の特許状によって保護されている)
さまざまなサイズが錬鉄で製造され、最新のものをすべて備えている。
軽量、コンパクト、シンメトリカルな外観。時速 8 ~ 12 マイルの速度で推進する。
健康的で快適な運動と娯楽の手段として他に比類なし。
本発明の単純さは、その大きな推奨事項である。
これまで、ベロシペデスの名で知られるこの種の車は、力がなく、扱いにくく、かさばり、
そして労力がいる。
 ハンドレバーの独創的な組み合わせとクランクアクスルに接続された足踏みにより操作できる。
ハンドレバーの一つにブラスチェーンとプーリーを取り付け、ガイドホイールの車軸、そしてこの単純な工夫によって車は必要に応じて任意の方向に回転できる。
それ自体がミニチュアの体育館であり、その特異な作用によって、体のすべての主要な筋肉が動かされるが過負荷になることはない。

価格、
2フィート.6インチの駆動輪、若者向け、10ポンド.10シリング。
3フィートの駆動輪、成人向け、12ポンド.12シリング。
3フィート.6インチの駆動輪、成人向け、14ポンド.14シリング。

クローズドパッキングケース追加、1ポンド.10シリング、スケルトン同上、18シリング

チャールズ・ポメロイ・ボタン、
142 および 143、チープサイド、ロンドン、E.C.

2022年9月25日日曜日

自転車関係資料-196

 自転車関係資料-196

この資料は「ウィーン・サロンブラット補足版」1870年5月22日

「Beilage des Wiener Salonblatt」22. Mai 1870.

註、ウィーン・サロンブラット(Wiener Salonblatt)は、1870年~1938年までオーストリアのウィーンで発行されていた新聞。

「ウィーン・サロンブラット補足版」
1870年5月22日



世界ベロシペード・レース
新しいスポーツは、日曜日に初の公開デビューを祝った。
俳優のテヴェレ氏が不運に終わって以来、大衆が腕と脚を骨折するマシンと見なしていたベロシペードの栄誉は花火広場でのレースによるものである。 k.プラーターは、安全に自転車に乗れるようになり、特別なスキルも必要なかった。少数の新しい教授法により、ベロシペード を完璧にマスターすることができる。
ベロシペードは全身運動と同じくらいの効果がある。・・・


6、実業家賞レース

フリード・マウラー氏から贈られる名誉賞。ベロシペード、85 c/m。
競技種目:距離1000メートル。
 賞品: 名誉賞: 300 fl 相当のミショー・ベロシペード、賞金 10 fl. (6名の署名で締め切られた)
1. レオン・デュピュイ、 ベロシペード 100 c/m、 F. ミショー & C.
2.アドルフ・リット、 ベロシペード 85 c/m、 F. ミショー & C.
3.サボのアレキサンダー  ベロシペード 95 c/m、 F. ミショー & C. 
4 オズワルド・ベーマー    ベロシペード 100 c/m、 F. ミショー & C.
5.イグナス・ハラー   ベロシペード 95 c/m、 コンプ .パリ
6. ヘンリー   ベロシペード 95 c/m、 F. ミショー & C.

レオン・デュピュイとヘンリーはコンペティションを辞退した。 オズワルド・ベーマー は1分55秒。
ハラーは、1 分 58 秒、2 番目にフィニッシュ。

註、自転車は6台の内ミショーが5台である。5番のイグナス・ハラーの乗る自転車はコンプ・パリとある。コンパニエ・パリジェンヌである。

2022年9月24日土曜日

自転車関係資料-195

 自転車関係資料-195

この資料は「ベロシペード・マニュアル」

発行者、グラン・ジャック

イラスト、エミール・ベナシット

1869年

「MANUEL DU VÉLOCIPÈDE」

PUBLIÉ PAR LE GRAND JACQUES

ILLUSTRÉ PAR ÉMILE BENASSIT

1869.

表題

108頁

一部抄訳、
ベロシペード ・ミショー
私たちは理想のベロシペードに乗って、すべての幻想の道をたどってきた。 恐らく物質的な観点から対処する時が来た。この興味深い新しい産業が、その最も熱心な喧伝者の一人のおかげであることに注目する必要がある。ミショー氏はペダル付きのベロシペードの発明者で特許を取得済みである。
ミショー家の工場とワークショップは、シャンゼリゼ通りのジャン・グジョン通り 27 番地に設立され、かなりの数の職工を雇用している。 

2022年9月23日金曜日

ラントーン関係資料-13

 ラントーン関係資料-13

この資料は「ベルグラビア・ロンドン・マガジン」

編集、M・E・ブラドン 第10巻 1870 年 2 月号

「BELGRAVIA A LONDON MAGAZINE」

CONDUCTED BY M. E. BRADDON VOL. X. FEBRUARY 1870

註、この雑誌の446頁にラントーンの記事あり、


表題

446頁

一部抄訳、
ベロシペードの 3 番目の種類は三輪車である。これは安全なマシンであり、ドライバーの転倒を回避する。小柄な女性にも適している。
アメリカの自転車では見たことがない前輪にガイドハンドルがあり、ドライバーは二つある後輪の間に座って、クランクに作用するスリッパ型のペダルで推進する。数年前、タイムズ紙や他のさまざまな新聞の読者は、広告コラムの主要部分が「ラントーン」という言葉で取り上げられ、他の説明文がないのを見て驚いたに違いない。これは三輪車と同じ原理の自転車だが、足で推進するだけでなく、後輪の車軸にあるクランクに接続されたハンドレバーも併用した。

2022年9月22日木曜日

ラントーン関係資料-12

 ラントーン関係資料-12

「パンチ」 第56号 1869年

「PUNCH'S」 ALMANACK FOR 1869.

註、この「パンチ」のラントーンの画は、他の書籍にも引用されている。
そして今まで見てきた画からラントーンには3~4型式があり、特許を得た各社により改良が加えられていった。

各社とは、開発者のジョゼフ・グッドマン(Joseph Goodman)
ペイトン&ペイトン社(Peyton and Peyton)
ランサム社(Messrs.Ransome)
チャールズ・ポメロイ・ボタン社(CHARLES POMEROY BUTTON)
など。
表紙

PUNCH'S ALMANACK FOR 1869
ラントーンと走る

カバーサイド、 午前10時45分 スプリギンズは、彼のお気に入りの「ラントーン」の狩りを考え出す。

56号の旗とラントーンの図

右下に「ラントーンと走る」とある

2022年9月21日水曜日

ラントーン関係資料-11

 ラントーン関係資料-11

この本は、「エヴリ・ボーイズ・アニュアル」

エドモンド・ラウレッジ編集 1870年

「EVERY BOY'S ANNUAL」

EDITED BY EDMUND ROUTLEDGE 1870.

註、412頁にたった2行だがラントーンの記述あり

表題

411頁

一部抄訳、
図 11.女性用パリの三輪車
足を乗せるスリッパ型のレストは、ライダーが足を瞬時に離せるようにつくられている。その動力は機織りに似ている。足に負担がかからず、けいれんを起こすことなく脚を完全に伸ばすことができる。

412頁
ランサム社の「ラントーン」ベロシペードは、
レバーと足踏み付きの三輪車

2022年9月20日火曜日

ラントーン関係資料-10

 ラントーン関係資料-10

「1877-80 年の自転車(と三輪車)」ハリー・ヒューイット・グリフィン著 1885年発行 

Bicycles (and tricycles)  of the year 1877-80

by Harry Hewitt Griffin.

ラントーンの部分を抄訳、

年配のライダーは、腕と脚の両方で使用されたラントーンと呼ばれる1869 年に人気のあった三輪車 (C. P. ボタン社製、143、チープサイド、E.C.) を覚えているかもしれない。 それは現在でも記憶にある。時間の経過とともに改良された。 アームレバーはシングルまたはダブルのいずれかで、前者が一般的なシステムである。 ハンドルは、フレームの内側からの突起部 (車軸の前約 19 インチ) に蝶番で固定されており、その下端にはロッド (22 インチ) が蝶番で固定されている。 次に、ロッドは力を加える目的で、別の曲がりのある車軸の周りに留められている。 この構造では死点がなく、片方または両方の腕でフルパワーを出すことができる。 右はステアリングに使用できるため、アームレバーはシングルが望ましい。ハンドレバーとその接続部はいつでも取り外すことができる (どちらかまたは両方)。そして、マシンは通常のレバーになる。 左(固定)ハンドルのすぐ下に小さなブレーキレバーがあり、指で簡単につかむことができ、ロッドを使って地面を引きずる。 ハンド レバーのないマシンの価格は 16.10 ポンド。レバー 1つは、17.17ポンド。両方は18.18ポンド。重量は最初のケースでは 94ポンド、1つで、100ポンド強。そして2つは約106ポンド。摩擦が多く発生する部分に最適なローラーベアリングを採用。

94頁
図6はレバー三輪車
ラントーンの図は無し

95頁
図7はツー・トラック・スイング・レバー三輪車

2022年9月19日月曜日

ラントーン関係資料-9

  ラントーン関係資料-9

これもラントーン関係資料、「歴史的原則に関する新しい英語辞書」

オックスフォード :クラレンドンプレス.1910年発行

A NEW ENGLISH DICTIONARY ON HISTORICAL PRINCIPLES .

OXFORD :AT THE CLARENDON PRESS.1910.

ラントーンの項目、

ラントーン(Rantoon)、 以前使用されていた三輪車の一種 (引用 1869年を参照)。

1869年、 R. クローリー 「男の子向けゲーム」439(Manly Games for Boys) 

ラントーンには前に小さな車輪があり、後ろに 2 つの大きな車輪がある。それは前輪によって方向を変える。

 1870年、H. キングスレー「灰色の少年」 ゾウがのったノアの方舟・・・ラントゥーンに仕える

ラントーンの項目 147頁

2022年9月18日日曜日

ラントーン関係資料-8

 ラントーン関係資料-8

ラントーン・ベロシペードの広告

「イングリッシュ・メカニックとミラー・オブ・サイエンス」1869年2月26日

「 ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE」FEB. 26, 1869.

ラントーン・ベロシペード

チャールズ・ポメロイ・ボタン、142 & 143、チープサイド、ロンドン

RANTOONE VELOCIPEDE.

CHARLES POMEROY BUTTON, 142 & 143, CHEAPSIDE, LONDON.

註、ラントーン・ベロシペードと書かれた大活字の広告が目にとまったので紹介する。これもラントーン関係の資料。

下には図入りで、最新式のフランス型ベロシペードの広告も二つ掲載されている。


「イングリッシュ・メカニックとミラー・オブ・サイエンス」のラントーン広告

以下は2社のフランス型ヴェロシペードの広告

●フランスのヴェロシペード社
インペリアル・ベロシペデス・カンパニー
(COMPAGNIE IMPERIALE DE VELOCIPEDES)
A.デイビス、代理店兼製造業者、ストランド 14
ベロシペードの説明と使い方のパンフレット、切手6枚で送れる。
フランスのヴェロシペード社、
この美しいマシンの使用を奨励する目的で、大規模な供給の手配を行っている。
このヴェロシペード は国や町のさまざまな地域、さまざまな体格や体重のライダーの要件に適用。
 アマチュアや発明家、クラブ、学校、連隊、体育館などに情報を提供する準備ができており、必要な数量を特別な条件で提供。 
ヴェロシペードの価格は、その品質に応じて決まる。
 最高の車種は、部品のすべてに潤滑装置を備え、鍛造と鋼で製造され、独自の特許砲金ローラー、転がり軸受など、どの民間企業よりも安い料金で提供できる。
パターンは、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スイスのモデルで構成されている。
子供用のヴェロシペードは、特に安全のために作られている。三輪のベロシペードを二輪に変更可。女性にはソファのように軽くて楽なヴェロシペードも提供。
夜間の使用には、ランタンを取り付けることができる。旅行用、旅行鞄、泥除け、特別なプロテクター、移動した距離と速度を計算する計算機、傘サポーターなどもある。
アーティスト、写真家、商業旅行者、および荷物を運ばなければならないすべてのライダーのために、特別なヴェロシペードも製作。
クラブの組織、ロンドンまたはその国でクラブを結成する場合は、支援を受けることができる。

●新しい二輪ベロシペード
スノクセルとスペンサー社(SNOXELL and SPENCER)
ヴェロシペードと 運動具
最高のパリ・モデルを導入したメーカー。
新しい二輪ベロシペードのいくつかの重要な改良を行い、すでに注文を受ける準備ができている。
現在提供されているベロシペードは、最高の素材で作られている。 それらは十分にテストされており、公開中に最小の労力で最大の速度が認められた。 購入者は、熟練したパフォーマーによる広い練習室で、購入者に最も適したベロシペードで指導を受けることができる。

2022年9月17日土曜日

自転車関係資料-194

 自転車関係資料-194

この資料は「アメリカの女性と自転車、1868-1900」2019年11月7日発行

ケリー・セグレイブ著

「Women and Bicycles in America, 1868-1900」November 7, 2019

by Kerry Segrave

1800 年代の後半、アメリカでは自転車ブームが訪れた。 この傾向は女性の生活にも大きな影響を与え、女性の機動性を高め、女性は弱いという認識を変えた。

 この本は、アメリカの自転車の歴史と発展をたどり、男女平等のために自転車も重要な役割をはたしてたとしている。

8頁の一部を抄訳、

ヴェロシペードの重要性は今更言うまでもない。しかし、氷上と空・海で利用できるヴェロシペードはいまだ不十分であると云える。

ヴェロシペードには、二輪と三輪そして四輪がある。 伝えられるところによると、ヴェロシペードの流行が始まったのはパリで、「これらの小さな車両の数が大幅に増加し、夕方にはランプを付けて走る必要があった」

一方、ニューヨーク市では、「警察の規制に、まだ夜間に照明を付ける義務はなかった。しかし一部の紳士の間では、ヘッドライトをヴェロシペードに付けて乗っていた。・・・

表紙

8頁
図、1869年 女性のために作られたと思われるヴェロシペード。

2022年9月16日金曜日

自転車関係資料-193

 自転車関係資料-193

この資料も「サイエンティフィック・アメリカン 」1848年1月15日

「Scientific American」 January 15, 1848

ウォーター・ベロシペード

ベロシペードまたはウオーター・ウォーカーは、ここに示されているように水上で使用される装置である。a、b、c は、3 つの鉄の棒で接続された端に半球形の 3 つの中空のブリキのケースがあり、中央に座席がある。 .
空気で満たされたこれらのケースは、人の体重を簡単に支えることができるほどの大きさであり、a、b、および a、cと約 10 フィート、b、c とは約8フィートの大きさで、水の上に非常に安定して浮かんでいる。
足はあぶみの上に置かれ、靴に革ベルト、2 つの櫂のd、e を取り付ける。 ストロークを行うために足を前に出し、抵抗する水に対して足を引き戻す、そして垂直の位置を維持する。
 足の交互の動きによって、時速 5 マイルの速度で進むことができる。

上記の斬新な実験を目撃した。

註、初めて見たベロシペードなので紹介する。年代的にもかなり古い。この形状で安定的に推進するとは思えないが、記者は実験を目撃したとある。

Water Velocipede
1848年

2022年9月15日木曜日

自転車関係資料-192

 自転車関係資料-192

この資料は「日本金属玩具史」日本金属玩具史編纂委員会 1950年(昭和35年)8月25日発行

この本の中に陸船車の記述があるので一部紹介する。

からくり本の刊行

竹田近江の始めたからくり人形芝居は、元禄にはいるとその技術が東へ伝わり、江戸のからくり熱も急激に高まった。その後の享保の世にはいってもブームはつづいた。二代目竹田近江の大活躍で、道頓堀や両国の小屋はいつも満員の盛況だった。したがって、それらのからくりがどんなものであるのか、人々は深い関心をもち、寄るとそのうわさをしたにちがいない。そういう雰囲気がたまったとき、その機を逃がさず享保には陸続とからくり本が現われた。それらのなかで、享保十五年、京都で刊行され『璣訓蒙鏡草』は現存しいまなお光彩を放っている。その一部を紹介しよう。

陸船車

船に車をつけて陸上を走るもの。内部は図によってわかるように大きな歯車仕掛けになっている。どちらかといえば自転車の原理に近い。「山坂もかくのごとく走りまする。凡一日に四十里余はまいりまする。それ故、陸船車と名づく」との説明がある。さらに解説には、陸船車は車三つあり。あと二つ先一つ、先一つは自由に横へも廻るやうにする。この車にて自由に角を廻りたり、車のかじをとるなり。さてあと二つに時計のごとく大車をこしらへはみ こみをしてこの大車のうら表にたがいちがひ小足ののる木あり、この木を足にてふめば大車前へ廻るゆへ小車二つさきへ巡る故船むかふへ行くなり」と出ている。自転車や自動車のない時代には驚異であったろう。これは見世物だが、玩具化したらりっぱな江戸の自動車玩具となったところだ。

註、1950年にこの陸船車を「どちらかといえば自転車の原理に近い」と指摘している点に注目したい。

表題
山下 清の画
空にソニコンロケット

註、ソニコンロケット
老舗玩具メーカー「増田屋」が、1950年代に開発販売したブリキ製の宇宙船型ラジコン「ソニコンロケット」。ソニコンは、ソニックコントローラーの略、音のする方向にこの電池式のロケットが進む。当時としては画期的な玩具であった。増田屋の創業は古く1872年(享保9年)と云われている。

23頁
からくり玩具の元祖竹田近江

25頁
ゼンマイ起源考

27頁
からくり本の刊行

28頁
陸船車

2022年9月14日水曜日

自転車関係資料-191

 自転車関係資料-191

この資料は「竹田新からくり」3巻 1758年(宝暦8) 

「竹田新からくり」中の巻、花車乗物(きやしやのりもの)

註、興行師、竹田近江のカラクリは「璣訓蒙鏡草」多賀谷環中仙 1730年(享保15)に陸舩車(りくせんしゃ)の画があるが、「竹田新からくり」中の巻に花車があったので紹介する。

花車乗物(きやしやのりもの)とある。

註、花車を「きゃしゃ」と読むのは華奢から来ている。

「竹田新からくり」中の巻
花車乗物(きやしやのりもの)右側

名轟大入来満
豊国 画
安政5年
国会図書館所蔵
右上に花車

陸舩車
璣訓蒙鏡草 3巻
多賀谷環中仙
1730年(享保15)
国会図書館所蔵

陸舩車
拾珎御伽璣訓蒙鑑草 竹の巻
米山堂 昭和4年
国会図書館所蔵

2022年9月13日火曜日

自転車資料関係-190

 自転車資料関係-190

下の図は江戸期に発行された「考工記」からである。

車輪の起源を調べると、紀元前3500年頃に古代メソポタミアのシュメールで木製の円板に軸を挿しただけの車輪が使われていたと云われている。

日本の車輪の歴史では、やはり中国の「考工記」に触れる必要があるだろう。
2000年以上も前の文献であるから、いまとなっては雲の遥か彼方と云った感はある。
正確な年代は分明ならずであるが、おそらく春秋戦国時代あたりから編纂されたと云われている。
日本にこの「考工記」が渡来したのは何時ごろであったのか、これについても定かではないが、おそらくは儒教あるいは仏教が伝来した5世紀~6世紀頃ではと考えられる。

この「考工記」について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると次のようにある。
考工記(こうこうき)
武器(戟(げき)・剣・弓・矢など)・車輿(しゃよ)・礼器・楽器・容器・宮器・城市などの構造・寸法規格・製作または建築の方法や、皮革加工・練糸・染色などの技法に関する中国の文献。編者不詳。『周礼(しゅらい)』中の一篇(ぺん)として伝存する。前漢時代、秦(しん)の始皇帝以来の禁書令が解かれ、河漢献王劉徳(かかんのけんおうりゅうとく)(在位前155~前130)に民間から『周官』(『周礼』の原名)5篇が献じられたが、すでに第6篇「冬官」が欠けており、王は『考工記』でこれを補ったと伝えられ、もとは『周礼』とは別の独立した書物であった。内容・用語の考証や近年の考古学的発掘研究によれば、春秋時代後期の斉(せい)の国の人が記録したと推定され、先秦時代の手工業技術に関する貴重な資料である。

この江戸期に発行された「考工記」を見ると詳しく車輪や車軸などの製作方法が解説されている。

考工記管籥 2巻 1752年(宝暦2)
国会図書館所蔵  

考工記図解 1796年(寛政8)
国文学研究資料館所蔵

考工記兵車國字解 1768年(明和5)
国会図書館所蔵
この図は2頁に分かれていたものをつなげた

考工記兵車國字解 1768年(明和5)
国会図書館所蔵

2022年9月12日月曜日

自転車関係資料-189

 自転車関係資料-189

この資料も「サイエンティフィック・アメリカン誌」1865年4月22日

Scientific・American、 April 22, 1865

抄訳、

№47,220-ベロシペード、ウイリアム・クイーン、フィラデルフィア、ペンシルベニア州:

最初に、2 つのクランク付き車軸 G および G' と、接続リンクZと、ベアリング Cとの組み合わせを説明及び図示。

第2に、支持具Dと組み合わせて使用されるときの支点ベアリングN、ペダル・レバーの構造を説明及び図示。

第3に、フレームの構造と配置、これまでに説明した通りである。

註、これだけの説明ではさっぱり分からない。幸いこのベロシペードの特許状が見つかったので、この図を見ればどのような形状と構造か一目瞭然である。

更に他に資料がないか調べたところ、一番下の広告が出てきた。参照されたい。

「サイエンティフィック・アメリカン誌」
1865年4月22日

特許状
1865年4月11日
米国特許庁
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のウィリアム・クイン
ベロシペデスの改良
1865年4月11日付けの特許状  No. 47,220 の一部を形成する明細書
解説:ウィリアム・クイン
証人:ジョン・ホワイト
ジョン・A・ハーレー

ウイリアム・クイーン
新改良特許のベロシペデス
1865年頃