2020年12月5日土曜日

老舗さんぽ⑭

  この”老舗さんぽ”に過去の記事を載せるのはどうかと思った。といのは当時はまだ老舗の部類に入らないと思われる店もあったからである。一応の目安としては半世紀以上営業を続けている店を、個人的に老舗の範疇にいれている。老舗の定義(100年以上か?)はよく分からないが、最近のコンビニのように5年も経たないうちに、やめていく店を多く見ているからである。特にセブンイレブンが顕著である。私の家の周辺でも多くのコンビニが開店したと思ったら数年のうちにやめている。このような状況を見ていると、半世紀も続いている店はやはり老舗の範疇に入れたくなる。特に愛着のある自転車店はなおさらである。

 昨日、老舗のコスナサイクルでスポークが1本折損し、また修理をしてもらった。
ちょうどそこへアラヤ製のラーレー・カールトンの自転車に乗った男性が現れた。小砂さんに「リアデイレーラーの調子がおかしいから見てくれ」と店に入ってきた。私は急がないので、先にそのお客さんの修理を優先するよう伝えた。
5分もかからないうちにリアデイレーラーの調整は終わった。
 このラレー・カールトンを見ているうちに40年以上前のことが思い出された。
それは、本家のラレー・カールトン・コンペティションを入手した時のことである。

 当時のメモ帳に次のように書いてある。
1974年5月2日(木)晴れ
木下サイクルスポーツ(金沢文庫駅近く)でラレー・カールトンを購入する。
価格は9万円であった。
その時、ちょうど店に来たお客がいた。なんでも久里浜から来たと言っていたが、その客がチネリのフレームだけを買ったのである。なんとその価格は7万円であった。私のカールトンとあまり変わらない金額である。でもそのフレームは、やはり素晴らしい完成度で、むしろ7万円は安いとは思わないまでも適正な値段のように思えてきた。色はエビ茶色ですこし派手だが良い色でる。10分以上そのお客と話しをしていたが、これから茅ケ崎までサイクリングをかねて、このラレー・カールトンを運ばなければならず、途中で話を切り上げて失礼した。
 帰路のコースは、金沢八景~鎌倉霊園~二十所~七里ヶ浜~江ノ島~湘南海岸自転車専用道路~柳島~浜見平団地~鶴嶺~自宅
 今回はなんとか無事にラレー・カールトンと共に着いた。
何故あえて無事についたと言ったのは、実は前段があり、横浜のシマダでプジョーを買って帰る途中、事故に遭い買ったばかりのプジョーはクラッシュ、自分は転倒して顔面を強く打ち、救急車で病院に運ばれたからである。この事故については、後ほど触れたいと思う。

 木下サイクルスポーツ(1957年、昭和32年創業)は、今では立派な老舗である。
木下サイクルスポーツについて、少し触れておく、このブログの「あるサイクリストのメモ帳より」の記事でルジュンについてその欠陥箇所を指摘したが、実はそのルジュンはこの店で購入したものである。欠陥箇所の指摘は、私の衝動買いに対するもので、この店を批判したのではない。この店は以前からお気に入りで、店主の腕がよく、非常に親切でもあった。結果、この店で購入した自転車はルジュンをはじめ、このラレー・カールトンそしてバンテル社のヒュー・ポーター(ピスト)であった。店主との会話も楽しかったし、店に陳列されていた自転車も興味深いものが多く、少し記憶がかすれてきたがまだ楽しい思い出が残っている。

 アラヤ製のラレー・カールトンを見て、当時の状況が頭の中で少し垣間見えたことにより、今回はこの木下サイクルスポーツを紹介する次第である。

アラヤ製のラレー・カールトン

本家のラレー・カールトン・コンペティション

木下サイクルスポーツの領収証

ラレー・カールトンの登録車籍カード

ヒュー・ポーターの納品書控