2020年12月2日水曜日

銀輪のわだち 最終回

「知られざる銀輪のわだち」最終回 
未解明な外来文化の咀嚼度

遺物がないのが研究の隘路
 5月は「自転車月間」で東京の中央大会では恒例のパレードに数多くのクラシック自転車が加わって人びとの目を楽しませてくれた。
 だが、そこで走るクラシック車はすべてコピー、それらしくつくられた模造品ばかりである。中には荒唐無稽なものまである。
まあ、ケチをつけても仕方がない。わが国にはホンモノの数は少ないし、走れる状態で保存されているものはまずないだろう。
あったとしてもコレクターが他人が乗るための貸出しはしないはずである。
 このことにふれたのはつぎのような事情からである。

オランダからの招請状
「日本の古典車が見たい」

 前号に欧米の自転車研究会のことを書いた。その中で「オランダにはわが国の自転車文化センターのような機関がある」とだけふれておいたが、それはベロラマという組織である。ベロラマがどのような活動をしているかは詳しくはしらないのだが、わが会とは断片的ながら交信がある。
 そのベロラマが、わが「自転車月間」と同じ時期に毎年やっているのがクラシック車によるラリーでる。ヨーロッパ各国、またアメリカからもクラシック車を愛する人たちが自分のコレクションを携えて参加するのだが、これはいずれもホンモノか正確にレストアされた自転車で、走れる状態に整備してあるから新しい加工はされているものの、模造品ではない。
 さて、そのベロラマからことしはわが会のメンバーに対し、それぞれ個別にこのラリーへ参加を招待してきたのである(ベロラマと当会の間に手紙のやりとりは以前からあって、いつか「会員のリストを送れ」という要請があって名簿を送ったことがある)。
 これには、どの会員も頭を抱えたようである。まずベロラマが期待するようなクラシック車を持っている会員がきわめて少ない、そしてラリーができる状況にはなっていない、その上、ゆうゆうと海外へ遊びに行ける余裕もないのだから。
 結局は一人として参加できなかった。ベロラマはがっかりしたにちがいない。彼らの心の内を手紙その他から推測するとこういうことになる。
 「日本自転車史研究会というからには、かなり珍しい自転車を所有しているメンバーが集っている組識にちがいない。日本は昔から蒔絵や彫金などの技術がすぐれている国だから、その19世紀につくられた自転車はかなり工芸的なものであるはず。ぜひヨーロッパへ来て見せてほしい。日本は世界一の金持ち国だから大ぜい来てくれるのではないか」。
 恥すかしいことだが、これからベロラマへはわが会の現状を知らせ、また日本という国は大企業だけが金持ちで、一般国民はどのくらい暮らしに余裕がないかを知らせなくてはなるまい。

実物を豊富に揃えた
ベロラマの博物館

ベロラマへはわが会の機関誌を送っているから、それを見てかいろいろな反応がある。この春に発行した機関誌に、余白を理める目的で何気なく下の図を掲載したところ、べ口ラマからすぐに反応があった「この自転車はこちらに実物がある。これをご覧ください」というわけで、写真を届けてくれている。

The Quadricycle(Patented)
FOR THREE RIDERS

べ口ラマから届いた写真

ベロラマの所在地はオランダでもライン川沿いのドイツとの国境に近いナイメーヘンという街であり、自転車の博物館を持っている。日本の自転車関係者はオランダへ行かれることが多いと聞くが、ナイメーヘンへ足を伸ばすことは少ないようだ。機会があればぜひ立寄っていただきたい。
 さて、なぜこのような話題から筆をとりはじめたかというと、この稿のタイトル、「知られざる銀輪のわだち」の、もっとも知られざる部分は、わが国にホンモノのクラシック車がほとんどないことから生じているからで、このことを知っていただきたいためだ。わが国自転車の草創期のころの実物が存在しない。これが自転車史研究の最大の隘路になっている。

文献のみの日本的研究
残された”物”はどこに?
 本稿も今回が最終回である。いま第1回分から読み直してみて痛感することは、ほとんど毎回、文献資料や絵画をもとにしながら自転車の軌跡をたどってばかり。現実の自転車を検証しながら事実をのべているのは鈴木三元の三元車ぐらいのものである。
 梶野仁之助はどのような自転車をつくったのか、その技術水準は?”自転車”命名の祖である寅次郎は構造部分にどんな工夫をしたのか? まったく不明というほかはない。
 歴史を調べる場合には文献研究とともに考古学的な”物”に当たることが必要なのだが残念ながらその”物”がないのである。
 この連載の第1回に「風化するその歴史」というタイトルをつけたが、事実は、文献は堀り起せても”物”はすでに風化してカタチを残してくれていない。
 一昨年、自転車文化センターが「明治自転車文化展」を催した。全国各地の資料館や個人、企業が所蔵しているミショー型やオーディナリー型の自転車がここへ20台集まった。あの三元車もこのとき公開されたのである。
 いまにして思うと、この展示会は多くの人の目が三元車に集中しすぎ、だいじなものを見落したのではないかという感がある。私自身も三元車に興味がそそがれた。主催者にしても、他の自転車は三元車展示の脇役として登場してもらったように思える。
 このため、各地から集められた自転車の技術、また技術史的な解明への取組みがあまりなされず、展示会が終るとともに自転車は各地へ戻されてしまった。自転車史研究の上で考古学的に”物”に当たれる絶好の機会であったのに――。
 今後、あの20台をふたたび集めるチャンスはそうないのではないか。
 ヨーロッパの文化・技術を明治初期の日本がどのうよに受容し、どのように日本化をはかったか。ここがだいじな点なのである。

海外文化に加えられた
日本らしさの独創は?

 単にミショー、オーディナリーの自転車ということなら海外からまだ入手の方法はあるし、わが国にも所蔵者はいる。だからそれは日本でつくられ使われたものとはサイズもちがうし工作もちがう。現に「明治自転車文化展」に集められたものには、フレームの塗装にウルシを用いた跡のあるもの、ステーに雲型やぶどう紋様の装飾をつけたもの、ヘッドに家紋を入れたものが散見されたのである。そして同一製作者によってつくられた可能性のある数台が存在した。
 新しい海外の技術を積極的に受入れ、それを咀嚼して自分のものに変えていく日本の手法はこのころから現在までつづいているのである。この過程を探し当てないとわが国の自転車史は本格的なものにならない。
 歴史の遺物でも絵画や骨とう品でも、それを鑑定する専門家は多いのだが、自転車史の分野ではまずきわめて稀である。産業の面でも製鉄や造船など”官業”といわれていた分野には多くの資料と研究が蓄積されてきた。が、自転車のような小規模の産業分野にはそれがなく、また、つぎからつぎへと新しい事物へ関心を移し、過去のものを捨て去っていく国民性のもとではあまりにも空白が大きいのである。
 さきほどのベロラマの話に戻るが、わが会のメンバーが地方の旧家で珍しい自転車を発見したというニュースに接すると、すぐに問合わせがやってくる。こういうときの問合わせ内容はきまっていて「その自転車のどの部分に日本のオリジナルが加えられているか? 後になって復刻した部分はないか? 製造年代の推定は?」というものになっている。こちらの返事によっては「われわれの所蔵自転車と交換してくれないか」という希望をのべてくる。文化の格差はこれほど開いている。
 また”物”に当って研究する機会にめぐまれない、経験不足のわれわれが心しなければならないのは、同じ国産のミショー型やオーディナリー型であっても後世の複製品とホンモノの区分である。
 実は明治後期以降にもこれらは複製としてつくられることがあったのである。それは実用というよりはイベントのアトラクション用につくられている。各地の商店街などの売出し等に再現された”優しい自転車”として出演している事実がある。工作技術などに”鑑定眼”が必要なわけである。
 ”物"に当たっての研究が必要な理由がおわかりいただけたであろう。

「自転車史」よりも
その「日本史」解明を

 年に4回発行の本誌であるが18回といえば足かけ5年の連載であった。どのくらいの方がこういう研究に興味を持ってくださったかわからないが、拙宅までわざわざ来訪されて興味あるお話を聞かせてくださった自転車店主もあって嬉しかった。
 第1回にも書いたように15年ほど前に外国製自転車に興味を持ったのがきっかけで、やがて日本の自転車はどのような生いたちをしてきたのだろう?に関心が移り、仕事の余暇とポケットマネーをここへ注ぎ込んできた。「いま調べておかなければわからなくなってしまう」という不安からである。
 最近はシマノ工業と堺市が共同で自転車博物館をつくる準備を進めている。海外から多くの自転車を入れたとも聞いている。
こういう企画にも希望をのべれば、ぜひ日本の自転車史を解明できる仕組みがほしいということである。その部分の”物”が不足していることはいうまでもないが、徐々にでもその方向をとってほしいと思う。
 最後に私の最新のコレクションをお目にかけよう。1869年(明治2年)パリの凱旋門裏のリンゲ製のミショー型自転車だ。


1869年(明治2年)のリンゲ製のミショー型自転車

まずは珍品である。なけなしの金をはたいたのは当会にもシンボル、看板がほしいからである。拙宅に取材に見えるマスコミ関係者も文献資料の話だけではものたりないらしい。ここにも”物”が必要なのだ。出来ることなら日本製の明治初期の”物”が・・・。

季刊「サイクルビジネス」№30 盛夏号、1987年7月14日、ブリヂストン株式会社発行、「知られざる銀輪のわだち」より(一部修正加筆)