バイシクリング・ワールド誌 - 3
この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。
THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)
1887年12月30日
1887年の春、トーマス・スティーブンス氏は素晴らしい自転車での世界一周旅行を終え、その後、文筆家としての生活に落ち着いた。
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
バイシクリング・ワールド誌 - 3
この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。
THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)
1887年12月30日
1887年の春、トーマス・スティーブンス氏は素晴らしい自転車での世界一周旅行を終え、その後、文筆家としての生活に落ち着いた。
自轉車瓦版 第99号
昭和60年12月30日発行
発行所 日本自転車史研究会
★だいぶ年も押し詰まりました。この瓦版もこの号をもって本年の最終といたします。みなさん、よいお年をお迎へ下さい。風邪がたいへんはやっています。くれぐれもご自愛の程お願いします。新年は、100号からスタートします。
バイシクリング・ワールド誌 - 2
この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。
THE BICYCLING WORLD (創刊は1878年)
1888年4月6日号
専門家の証言、
コロンビア・エキスパートは、堅牢性、耐久性、操作の容易さ、そして美しいラインと仕上げで世界的に高い評価を得ており、製造7年目を迎える。中級の自転車の中で間違いなくトップの座を占め、その存在は常に人気と売上を伸ばしている唯一の自転車という特筆すべき特徴を持っている。
これほど多くの好意的な証言を集めることができる自転車は、おそらく他にないだろう。
この自転車は、ヒュー・J・ハイ大尉、ジョージ・B・セイヤー、F・E・ヴァン・メレベックによって3度大陸横断され、トーマス・スティーブンスが世界一周に使用した自転車でもある。・・・・
イギリスのA・J・ウィルソン(フェード)は、トーマス・スティーブンスのエキスパートに乗って注意深く調べた後、これまで乗ったどの自転車にも劣らない品質であると述べた。
ここで注目すべきは、中級のロードスターとされているエキスパートは、いわゆる軽量ロードスターの多くと同じくらい軽いということである。
この自転車の詳しい図解付き説明は、新しいコロンビア・カタログに掲載されている。
ポープ製造会社、ボストン、ニューヨーク、シカゴ
橋本商会 - 7
以下は明治40年ごろの橋本商会の正価表、
自転車世界一周
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
1899年発行
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。
1896年7月、スコットランド人のジャーナリストであったジョン・フォースター・フレイザーは、2人の友人(エドワード・ラン、S.A.ロウリー)と共に、セーフティ型自転車で世界一周の旅に出発。イギリスから、ヨーロッパ、中東、インド、中国、日本、そしてアメリカ大陸を横断して帰国した。
以下は日本旅行の部分、長崎から東京へ。
私たちは日本に着いた。長崎は美しく、絵のような景観であった。木々に覆われた斜面。ここは日本人が初めてヨーロッパ人、銃、キリスト教、そしてウイスキーと出会った場所である。
この港に外国の軍艦が停泊している。ロシア軍艦5隻、イギリス軍艦1隻、アメリカ軍艦1隻を見た。水兵たちは皆、真の愛国者のように互いに張り合っているかのようだが、朝夕の国旗掲揚と降納の際には、艦の楽隊が互いの国歌を演奏している。彼らは皆、同時に大音響で演奏している。イギリスの水兵たちが「ヘイル・コロンビア」を演奏している間、ロシアの水兵たちは「女王陛下万歳」を、ヤンキーたちは「我らが高貴なる皇帝陛下に祝福を」を演奏している。このメドレーは音楽的ではないし、国際儀礼でもない。
日本人は、ヨーロッパの習慣に馴染もうと必死である。もちろん、ミットフォードの『古き日本物語』、ピエール・ロティの『菊の母』、サー・エドウィン・アーノルドのエロティシズムを読みふけり、サヴォイ劇場の『ミカド』やデイリー劇場の『芸者』で見たものしか知らないロンドンのサイクリストは、期待しすぎる傾向がある。日本の美しさ、繊細さを、扇をひと振りするだけで目の前に展開してほしいと願う。だが失望する。その日はどんよりとして肌寒く、路地裏で小さな人々を何人も見かける。だが、これらは魅力的で人を惹きつける娘たちであり、すべての外国人が熱狂し、彼らに心を奪われ、多くのお金を失うのである。
旅館で給仕してくれる男たちは、ドイツの温泉宿の風呂番のように、チップを要求する。これが常に礼儀正しい日本人というものである。中央アフリカの住民が白い帽子と眼鏡を身につけると、威張り散らし、気取って、自分を優れていると思い込むように、日本人はヨーロッパ風の帽子をかぶると、先祖からの習慣を捨て、奔放で、進取的で、文明的な人間だと考える。日本人は和服を着ると同時に帽子をかぶる。彼らは他の東洋人とは違うということを誇示している。
私たちは知事を表敬訪問した。すべてがヨーロッパ風であった。私たちが迎えられた部屋にはウィルトンカーペットが敷かれ、化粧板張りのテーブルと豪華な椅子があり、壁には油絵が掛けられ、イギリス式の暖炉と電気ベルがあった。
ホイールメンズ・ガゼット誌
THE WHEELMEN'S GAZETTE.