自転車世界一周 - 2
ジョン・フォスター・フレイザー著
1899年発行
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その2。
知事は私たちを温かく迎えてくれた。小柄で丸々とした体格で、顔はまるでオランダのチーズのような感じであった。髪は極端に短く刈り込まれ、フロックコートを着て葉巻を吸っていた。彼は魅力的な笑い声を上げ、歯には金が詰められていた。英語を話せなかったが、通訳は素晴らしい。通詞は青白い顔をした男であった。私は彼にジョークをいくつか言ってみたが、「ああ!」と言うだけだった。
知事は私たちの旅に興味を示した。中国がいかに惨めで汚く、非人道的であったか、そして日本のような美しい国にたどり着けるという見込みだけが私たちの精神を支えていたことを伝えた。
たまたま私たちは、一年で最も寒い月である1月(1898年・明治31年)に日本に到着した。雨やみぞれ、雪が降る可能性もあった。長崎を散策している間、確かに少しどんよりとして陰鬱な気分であった。
3日目の朝、私たちは自転車に乗り、九州を横断して本土へと向かった。どんよりとしていた空は晴れ、爽やかな朝を迎えた。道はよく整備されていて、道中たくさんのミカンを抱えて小走りする、頬を赤らめた少女の群れに出会った。小さな子供たちは、駆け寄ってきて、ふっくらとした手で小さな膝をこすりながらお辞儀をし、「おはようございます」と云った。
その光景は、ミニチュアスケールで、美しく幻想的だった。
私は魅了されるのを感じた。人々にはおとぎ話のような趣があった。村々は小規模で言葉では言い表せないほど素晴らしかった。
彼女たちは髪に花を飾っていた。衣装もまた、素晴らしかった。柔らかな色合いで、上品に感じられた。
日本の芸者たちは肩を可愛らしく揺らしながら、愛らしく微笑み、美しい手をしていたので、私たちはすっかり魅了されてしまった。芸者たちと話すことはできなかったが、私たちがお茶を飲んでいる間、彼女たちは周りに座ってくすくす笑っていた。日本料理の作法を教わっている間も、笑ったり歌ったりして楽しそうであった。食後のタバコを吸っている間も、お菓子やミカンを食べたりしていた。そして、夜の9時頃になると、彼女たちは戸口でひざまずき、額を畳に触れさせ、笑いながら階段を下りていった。
その晩、私を感心させたのは宿の清潔さであった。すべてが簡素で、安っぽい豪華さを装うような試みは一切なかった。畳は飾り気がなく、木工品は塗装されていなかった。片隅に置かれた青い花瓶に挿された緑の枝は、部屋に芸術的な香りを添えていた。料理はきちんとした皿に盛り付けられ、すべての料理は漆塗りの盆に並べられていた。しかし、空腹の三人の自転車乗りにとっては、特に食欲をそそるものではなかった。日本の料理は複雑で、難しいものである。小さな魚の切り身とご飯、そして塩と砂糖を混ぜた味付けの料理がいくつかあれば、まあまあであるが、天候が寒く、身を切るような風が吹き、毎日50マイルを自転車で走っていると、ハムと卵と牛肉とプディングが欲しくなる。2日に1回くらい、イギリス人の胃袋を理解している日本人に出会わなかったら、私たちは飢え死にしていたかもしれない。
ある日、昼食のために佐賀に立ち寄った。佐賀は、1874年に反乱を起こし、文明と日本のヨーロッパ化に激しく抵抗した場所である。しかし、蜂起は失敗に終わった。
註、佐賀の乱(1874年)は、明治初期に相次ぐ士族反乱の“嚆矢”となった事件。江藤新平と島義勇の佐賀出身の二人が中心に起こした反乱。
下の記事でフレーザーは、この佐賀の乱を1868年としている。明治維新と混同したと思われる。
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