自転車世界一周 - 17
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その17。
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自転車世界一周 - 17
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その17。
国際自転車歴史会議など
2026年国際自転車歴史会議などが、インドネシアのクラテンで開催。
Klaten International Cycling Festival 2026
開催地:インドネシア共和国 中部ジャワ州 クラテン県(Kabupaten Klaten)
期間:2026年5月17日〜24日(8日間)
主要イベント、
• ICHC – 国際自転車史会議(2026年5月17日~20日)、ペンドポ・クラテン
• IVCAラリー2026(2026年5月20日~24日)、プランバナン寺院(クラテン)
• オールバイククラシック・デイアウト(2026年5月23日~24日)、チャンディ・セウ広場(プランバナン)
国際学術会議、コスチュームパレード、バイクキャンプ、ヴィンテージマーケット、フードバザール、ソーシャルライド、音楽&文化公演、展示会、クラシック自転車競技会(ヴィンテージロードバイク、レトロMTB、クラシック折りたたみ自転車、BMXオールドスクール、ローライダーコンテスト)など。
週刊『サイクリング』誌 - 3
1893年7月22日に発行されたイラスト入り週刊誌『Cycling』の表紙。
表紙のタイトル: 『Cycling: An Illustrated Weekly』
1808年代から1893年代にかけての自転車の歴史や、当時のサイクリングの様子を描いた挿絵がコラージュされている。
自転車世界一周 - 16
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その16。
富士山を望む
そして静岡に到着し、龍で有名な神社を目にした時、あの暑さへの償いと感じた。静岡では、ヨーロッパ風のこぎれいな小さな宿を見つけ、夕食には世界一美味しいビーフステーキと最高に美味しいビールを堪能した。ウェイターは笑顔の素敵な老人だった。
また別の素晴らしい日、駿河湾沿いを長距離走り、山々を見下ろすように、いつまでも称賛されるべき雄大な富士山を眺めた。円錐形の山頂を持ち、銀色の雪に覆われたその巨大な山は、近づくにつれて大きくなり、やがて私たちの頭上にそびえ立った。そして畏敬の念を抱いた。雪解け前の早春、晴れ渡った美しい日に、その雄大な姿を目の当たりにした。私たちは尾根を迂回し、麦畑、葦原、松林、木陰に咲く牡丹、そして至る所に咲く菊が広がる吉原平野を走り抜けた。
鈴川で宿をとると、部屋の窓から永遠の美しさを誇る富士山が姿を現した。富士山は聖なる山であり、夏には白い衣をまとった巡礼者たちが持つ鈴の音が山腹に響き渡る。毎年約2万人の巡礼者が山頂まで登り、祈りを捧げる。山全体が伝説に包まれている。2000年前、富士山は一夜にして姿を現したと云われる。
女神である富士山は女性を憎み、機会があれば女性の髪をつかんで連れ去ってしまう。そのため、日本の女性は登山をする前に、十分に女性らしさを磨かなければならない。富士山の塵は非常に神聖なもので、巡礼者が草履に塵を付着させて持ち帰ると、夜になると奇跡的に戻ってくると言われている。
富士山は本当に美しい。1500年までは活火山で、毎世紀に激しい噴火を繰り返していた。最後の噴火は1707年で、1ヶ月間続き、火山灰は50マイル(約80キロ)先まで飛散し、山の麓は6フィート(約1.8メートル)もの深さの火山灰に覆われた。しかし今では、静かにそびえ立ち、山々の女神のように堂々と佇んでいる。
私たちは雪に覆われた火口に背を向け、名残惜しくも旅を続けた。途中、小さな宿屋に立ち寄った。干し柿をたらふく食べ、人々はまるで屏風から出てきたかのように、「おはようございます」と声をかけて私たちを迎えてくれた。すべてが礼儀正しく、お腹が空いたと言うと、「お腹」を気遣ってくれた。とても丁寧な人たちであった。彼らは悪態をつかないと聞いたが、いずれ文明化されれば分かることだろう。
箱根山地と呼ばれる、大きな山は、自転車では通れない山並みが行く手を阻んでいた。私たちは山地を迂回し、ルートを外れて熱海という小さな集落に数日滞在することを考えた。私たちは伊豆半島へと進路を変えたが、それは容易なことではなかった。この国の悪路の厳しさに身をもって知る前に、その地を去ることを許さなかったかのようだ。結局、山を越えなければならず、道はひどく荒れていた。土は黒く粘り気があり、道は急勾配だった。自転車は泥の塊を巻き上げ、車輪が回らなくなるまで進み、時々座り込んでポケットナイフでチェーンについた泥を取り除かなければならなかった。自転車を担いで進もうとしたが、油っぽい泥の上を滑るように進んだ。
太陽がシトロン色とサフラン色の雲の向こうに沈むと、恐ろしく荒涼とした景色に変わり、風は不気味なうめき声を上げながら吹き荒れた。気温は容赦なく下がり、自転車についた泥は5分も経たないうちに鋼鉄のように硬くなった。私たちは指を温めようと息を吹きかけ、足を踏み鳴らし、雪の中を進んだ。登りは果てしなく続いた。山頂にたどり着いたものの、反対側は500もの曲がりくねった崖だった。疲れ果てて熱海の小さなホテルに入り込んだのは午後8時。15マイルの道のりを5時間かけてやって来たのである。
熱海はなんて素敵な場所だろう。そして、そこで過ごした日曜日は、なんとものんびりとした素晴らしい時間だった。そこには気取ったところは何一つなかった。ただの小さな村で、古く不揃いな建物が並んでいたが、温泉地として非常に有名だった。
自轉車瓦版 第112号
この号が最終回
昭和62年10月20日
☆先日ぶらりと本屋に行ったら、自転車ターボブックと云う本があった。内容はこれといって目新しいものではなかったが、自転車の単行本は余り発行されないので買っておいた。自転車史の関連記事は、たったの2 ページ、それでも無いよりは増しである。自転車文化センターのドライジーネの写真が載っていた。
1987年9月16日発行 ナッメ社 1200円。
☆大阪の斧氏より錦絵及び引札のコビーを多数いただいた。
*東京名所之内・吾妻ばし風景(明治22年)
*東京名所吾妻橋(明治28年5月10日)
*当世くるまづくし(壱人車の画あり)
*合資会社愛知物産組織工場之図 (明治32年1月、オーディナリ一の画あり)
*東京名所・吾妻橋ノ真景(明治2 6年1月20日)
*東京名勝づくし・日本橋御高札場 - (幌つき三輪車の画あり)
*団扇画?(中国・朝鮮の上に日章旗を持った自転車乗りの画)
*引札機関車と自転車(セーフティー) 2葉
*引札 自転車店のもの、(大黒様の顔をした男が自転車に乗っている画)
*引札 12干支が自転車に乗っている画、etc.
参考文献、樋口 弘『幕末明治開花期の錦絵版画』・『幕末明治の浮世絵集成』、端山 孝『幕末明治文明開化』その他。
☆新刊英語版、自転車の本
On Your Bicycle
ジェイムス・マクガーン著 208 ページ、挿絵125図、内容はイラストで見る自転車の歴史。
☆イギリスのクラッシク自転車研究クラブ、SVCC (サザーン・ベテラン・サイクル・クラブ)は、名称をVCC(ベテラン・サイクル・クラブ)と改称、名実ともに全国組織に、いや世界的組織になりつつある。
自転車世界一周 - 15
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その15。
私たちは立ち止まることなく、雨と泥の中をガタガタと揺れながら、軽快なペースで進んだ。午後、暮れるにつれ雨は止み、素晴らしい夕焼けになった。薄明かりの中、私たちはシダに覆われた荒涼とした湿原を横切った。静寂を破るのは野鳥の鳴き声だけだった。遠くには山脈が連なり、雪を頂いた山頂は、もはや見えない太陽の光を受けて、美しいピンク色に染まっていた。道は徐々に高くなり、丘の頂上に着くと、目の前には鉛色の太平洋が広がっていた。黒く広大な海は、波一つなく、その憂鬱さを破るものはなく、白い波の帯が海岸に沿って音を立てて寄せているだけだった。
私たちは暗くなるまで、海沿いの道を走り続けた。浜名湖と呼ばれる広くて厄介な潟湖を渡らなければならなかった。激しい突風が吹き荒れ、月明かりは厚い雲に遮られていた。私たちは急いで走った。ランプもつけずに、土手の陰に隠れて進んだ。それから、小さなガタガタの木橋を渡った。何マイルも続く潟湖。幅は約6フィート(約1.8メートル)で、決して水平ではなく、板が何枚か欠落していて、どれもガタガタと音を立てていた。高さ30センチほどの橋桁も長い部分が折れていた。湾の上を風が唸り、ぐらつく橋は海に吹き飛ばされそうだった。私たちは慎重に、風を受け止めるように大きく体を傾けながら、長い距離を自転車で進んだ。しかし、板が欠落しているせいで不気味な揺れが起こり、自転車から降りる必要性を感じた。風は轟音を立て、橋は揺れ、そして、もろい橋が片側に傾いた時の恐怖は、どれほどのものだったことか!
暗闇の中を急いでいたため、二人が土手から田んぼに転落し、牡蠣の殻で補修された道を2マイルも歩かなければならなかったが、ようやくたどり着いたのは嬉しい限りだった。浜松の町に到着したのは午後8時半だった。
自轉車瓦版 第111号
昭和62年9月26日
☆この度、横田順弥氏(古典SF 作家)から中村春吉関係の資料をいただいた。
1 「現代のドンキホーテ五賃将軍世界横行記」大正2年10月~大正2年12月発行 雑誌( 冒険世界)より。
2 「俺は笑って死刑の宣告を受けた 五賃将軍 中村春吉」明治45年1月発行 雑誌(冒険世界)より。
3 「愛国的弥次馬譚 五賃将軍中村春吉」大正2年6月発行 雑誌(冒険世界)より。
以上の3点。
☆八神史郎氏より、
「第32回国民体育大会記念切手の通信販売申込用チラシを探究していますので、もしスペアーがありましたらお分け下さい。」
八神氏は、自転車の、切手・小型記念日付印・初日カバー等を蒐集している。スペアーのある方は、ご一報して下さい。
☆雑誌「モーター」大正14年2月発行に、自転車の起原と発達と題して、 自転車史の記事がある。ページ数としては半ページだが、次ページには、自転車変遷のイラストがあり一目で発達の歴史が分かるようになっている。当時のオートバイ関係の雑誌にも時々この様な記事が散見される。
☆会報「自轉車」の臨時増刊号が、 10月15日付けで発行される。特集記事として、植原 郭氏の「旅と自転車史」がある。ベテラン・サイクリストの植原氏が、旅先で発見したクラシック自転車の話題などを楽しく語っている。