サイクリング本
「Le cyclisme théorique et pratique」
L. BAUDRY DE SAUNIER
「サイクリング」理論と実践について
L. ボードリー・ド・ソーニエ 著 1893年 初版
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
サイクリング本
「Le cyclisme théorique et pratique」
L. BAUDRY DE SAUNIER
「サイクリング」理論と実践について
L. ボードリー・ド・ソーニエ 著 1893年 初版
自轉車瓦版 第89号
昭和60年11月19日発行
★自転車の元祖については、いろいろと説があるが、 最近では、ドライジーネを元祖とする説が有力である。しかし、人間が自らの力で駆動させる乗り物が自転車であると定義づけるならば、ドライジーネは該当しないかもしれない。むしろそれは二輪車ではなく、三輪車か四輪車に求められよう。
1418年、ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi) が革新的な巻上げ機を発明。
1690年、ラ・ロッシェルの医師リチャードが、ペダルで動かす二人乗り四輪車を発明したと伝えられている。前方に乗った者は前輪を操舵し、後方へ乗った者は足踏みを上下して、ラチェットギャにより後輪を駆動する機構になっている。
トーマス・スティーブンス
下の図は、世界で初めて自転車で世界一周を成し遂げたトーマス・スティーブンス(Thomas Stevens)が、ペニー・ファージング(Penny-farthing)と呼ばれるダルマ自転車に乗っている様子。
彼は、1884年から1886年にかけて、このダルマ自転車で世界一周の快挙を達成した。
この図版は、1888年の「バイシクリング・ワールド(Bicycling World)」という刊行物。
自轉車瓦版 第88号
昭和60年11月13日発行
★アンティーク自転車の斡旋(外国製)。
地図、
自転車乗りによる描画
1879年9月11日~12日 2日間の走行記録
この記事の目的は、馬の現代のライバルである自転車を賞賛したり非難したりすることではなく、約40人ほどの二輪車の所有者が、アーティストの言葉を借りれば、どのように楽しんだかを明らかにし、2日間の走行の出来事のいくつかを記録することである。
自転車クラブのメンバーと、役員を持たず「無所属」のアマチュア数名が集まった。9月の朝、彼らは1人か2人ずつすれ違いながら会合場所へと向かった。そこは、現在はボストン市の一部となっている。かつてのロクスベリーにある。広く曲がりくねった大通りの入り口だった。ロクスベリーはこれまでにも多くの自転車を目にしてきたが、これほど多くの自転車を一度に目にしたことはない。服装の多様性、ナップザックやコンパクトな「マルチム・イン・パルボ」バッグといった装備には、何か目新しいものがあり、これからの旅を予感させていた。
ボストン自転車クラブとマサチューセッツ自転車クラブのユニフォームは馴染み深かったが、ウースター自転車クラブの上品なグレーの衣装、ハートフォード家の白いフランネルシャツと明るい色のストッキング、そして「E. Bi. C.」と記された青いポロキャップ、そしてニューヨーク、ワシントン、セーラムの男たちの奇妙な服装は、街へ向かう早朝のビジネスマンたちの目に留まった。・・・
自轉車瓦版 第87号
昭和60年11月9日発行
★社団法人 横浜市観光協会から出ている「横浜のたより」というタウン誌の11月号に、次のよう記事が載っていた。『石川孫右衛門は、横浜居留地のチリドル商会で、はじめて自転車に乗った外国人を見て「自転車は汽車につぐ速さで、どんな道でも練習すれば走ることができる機械」と説明され、乗り方を教えてもらいました。彼は、まだ貸自転車をやってるものは誰もいないから、この便利な自転車を時間貸しすればもうかる」と考え、翌日に16台の自転車を注文。元町に輪乗場を作り、指導員に外国人を雇って石川商会を開業したのは、明治10年(1877)でした。仕事に役立てる生糸商人やふるさとへの土産話に借りる奉公人が多く、一年でモト金をかせぐことかできたそうです。』
ところで、この記事については出典が書かれていないので、どの資料から引用したのか分らない。確か『横浜もののはじめ』という本にも同じような文章があったと記憶するが、内容がちょっと違っている。 それは、「輪乗場」とか「指導員に外国人を雇って石川商会を開業」など、どうもなかったような気がするからだ。もう一度『横浜もののはじめ』を探し出して読んでみることにしたい。しかし、『横浜もののはじめ』もかなり内容が根拠不明で出典のないものが多い。一時資料に当たっていないし、古老の話などを採用している可能性もある。
下記の絵は、同記事にあった插絵である。どういう訳か明治30年代の空気入りタイヤの安全型自転車である。 「明治10年と言えば、まだミショー型か三輪車の時代である。ミショー型にしても、根拠資料は希薄であり、錦絵の一部に描かれている程度にすぎない。