ラーヂ号関連
「裸一貫より光之村へ」 創業三十五周年紀念 日米商店 編 昭和9年発行より
自動車同様に当時歐米に流行した、簡易利便の粋たる自転車の輸入に卒先せし𤏐眼者中に日米商店の名を逸する事は出来ませぬ。時は明治三十一年、僕放浪の海外生活を終って歸朝せし當時、横濱市海岸十一番に、マクアーサーと稱する一輸入商あり、店主が僕と相識の故を以て、ランブラー號仕様書の反譯を託せられ、三日間勤勞の代償として、同自転車一臺を贈られました。尤も其時代には、今日の如き自転車部品の名稱適譯を發見するに苦しんだが、當時和文參考資料としては、石川商會發賣のアイバンホー、ビヤスの説明書以外になくクリーブランド及ウエストすら、英文以外になかった時代です。是れ今より三十六年前で其頃日米商店主岡崎君は、横濱三井物産に勤務せられ、海外輸出の任にあり、偶々同氏の姻戚某氏の紹介で私が君の交友の一人となり得た事は欣快に堪へざる次第です。
其後僕はゴム界の人となり、君は其翌年より先づ寫眞機を、續いて米車スターリングを輸入し、次にマクアーサー氏の輸入せしラーヂ號の日本一手販賣の特約者として日米商店今日の礎を築かれしは不思議なる因縁です。加ふるにダンロップ會社が嘗て鬼タイヤを製作し大に愛顧を蒙りたるが如きも亦故なきに非ざる次第です。











