ドライス男爵関連
下の資料にドライス男爵に関連した記事がある。
数学者、天文学者、物理学者、化学者、鉱物学者、地質学者など。
J. C. ポッゲンドルフ
EFBLIN科学アカデミー会員
第1巻 A-L
ライプツィヒ、1863年 ヨハン・アンブロシウス・バルト出版社
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
ドライス男爵関連
下の資料にドライス男爵に関連した記事がある。
自轉車瓦版 第105号
昭和61年2月2日発行
★バリの小林恵三氏からの手紙、
自転車世界一周 - 7
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
ある日の午後、4人の少女が格式高い茶道に興じた。日本の茶道は芸術的であり、詩でもある。ソネットを書くように、厳格な作法に従いお茶を飲む。お湯を注ぐことから、飲んだ後の茶碗を洗うことまで、すべての動作が清らかで儀式的な作法である。私たちは床に座った。女主人役の丸顔の少女、他の3人の少女、チャーチ先生、そして訪問者。誰も一言も話さなかった。この茶道は「茶の湯」と呼ばれ、静寂の中で行われた。茶は小さな棗に入った緑色の粉末だった。棗は決まった持ち方で持ち、蓋は決まった動作で開けられ、お湯を注ぐ柄杓は特定の方法で持ち上げられ、小さな竹製の茶筅で茶をかき混ぜた茶碗は優雅に体を曲げて客に手渡された。泡立ったお茶を飲み干すと、茶碗は厳粛に頭を下げて返された。儀式全体は簡素ながらも優雅で洗練されていた。それは単なるお茶を飲むことではなく、小さな詩を演じているように感じられた。
そして、その晩きちんとした着物を着た少女たちが教室に集まり、床に半円形に座ったとき、私は旅の話をするように頼まれた。
イギリスの女子生徒たちの前で話すことは、男の内気さを試す良い機会だが、12歳から20歳までの40人の日本人の娘たちの前で外国語を話すことに比べれば、それは何ほどのことだろうか?しかし、彼女たちはイギリスの女子生徒たちのように笑うことはなかった。彼女たちは小さな手を膝の上に置いて、慎ましやかに座っていた。
私の傍らには、粗末な服を着て、すらりとした、愛らしい顔立ちの日本人少女が立っていた。彼女は美しい英語を話し、日本人が言っていることを通訳した。
自轉車瓦版 第104号
昭和61年1月24日発行
外国製 アンティック自転車のあっせん、
①アメリカ製ボーンシェーカー、たいへん精巧な仕上げでアメリカ型のボーンシェーカーの特徴がよく現われている。保存状態は完璧である。 $2.750-
② コロンビア・バイシクル、1950年代のモデル(復元車) この形からビーチクルーザーが生まれ、マウンテンバイクへと引き継がれている。 $269-. (価格には船賃、通関料その他の経費は含まれていない)
問い合せは (株)八神商会まで。
★東京の東小金井駅のそばにある東京農工大学附属繊維博物館でマッチ・ラベル展を開催中、自転車関係のもので 40枚程出展されている。この展示会は2月1 日まで。植原郭氏からの情報。
★自転車文化センターの広報誌 BCCインフォメーションの1月号に 日本製ミショーと題して、次のような記事があった。「明治20年代につくられたミショー型自転車で、泥よけがついているのが珍しい。玉野市 (岡山県)の大エだった広畑浅太郎(1872-1950)が設計し、鍛冶職人と共同製作したものです。浅太郎は、本業のかたわら自動織機を考案したり、発明工夫に大いに興味をもていたようです」
註、明治20年と言えば、既に欧米ではセーフティーの時代を迎えようとしている時期である。
★自転車に関する情報等をお待ちしております。編集部。
自転車世界一周 - 6
「自転車世界一周」
ジョン・フォスター・フレイザー著
1899年発行
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その6。
第34章
私たちが自転車に乗り、広島から去った朝、大地は霜でキラキラと輝いていた。薄く低い乳白色の霞が大地を覆っていたが、丘は太陽の光を浴びてくっきりと浮かび上がり、まるで空に浮かぶ島のように見えた。木立や谷間には、墓地があり、簡素ながらも印象的で、木々の下には苔むした墓石があり、枝の上では陽気な鳥たちがさえずっていた。
道が分岐する場所には、古びた石灯籠が並んでいた。どっしりとして不思議な石灯籠には、夕暮れのそよ風から炎を守るための紙の窓がはめ込まれていた。沿道には、立派な戦没者を偲ぶ慰霊塔や、戦いを記念する記念碑が点在していた。それらは、私たちの故郷にあるような厳粛で磨かれた台座ではなく、歪んだ不規則な岩の塊で、表面には金色の碑文が刻まれていた。その美しさは、飾らないところにあった。
多くの丘の斜面には、寺社へと続く小道があった。たいていは神社だが、時には仏教寺院もあった。頭を垂れ、眉間にしわを寄せた老僧が、苔むした小さな参道を時折よろよろと歩いていた。しかし、騒がしい世間はそこには入り込んでいない。
神々や悪魔の幻想的な姿が、木々の涼しい影から私たちを見つめていた。どれもが、世界がまだ若かった頃から語り継がれてきた、神話的で美しい物語を持っていた。
私たちは空を飛んでいた。14世紀で、物憂げなアーモンド形の目をした、奇妙なローブをまとった人々の中で昼食をとった。彼らは私たちに優しく丁寧に挨拶してくれた。6時間後、私たちは19世紀にいた。まるでアラジンの魔法のランプに触れたかのように、時空を超えて連れて行かれたのである。道の上を列車が轟音を立てて走り、寝室には電気ベルがあった。それはヨーロッパ風で、たいていは故障していた。
しかし、日本は奇妙ではあるものの、日本人でさえ損なうことのできない魅力を持っている。瀬戸内海に点在する島々と海辺の美しさは、夢のように私の記憶に残っている。
自轉車瓦版 第103号
昭和61年1月15日発行
★小学館から『自転車父ちゃん旅だより』という子供向けの本が出版された。定価1200円、 A4版。なかなか楽しい本である。(大阪・高橋 勇氏より)
★瓦版のNO.101と同様 『コレクティング&レストリング・アンティック・バイシクルス』1981年から転載。
自転車世界一周 - 5
「自転車世界一周」
ジョン・フォスター・フレイザー著
1899年発行
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その5。
小さな女給たちが周りにしゃがみ込み、私たちのすることに、笑っていた。
私たちは再び出発し、海岸沿いの素晴らしい道を走り続け、雲間から差し込む夕日の色彩や、あらゆる芸術家を至福の境地へと誘う、日本の夕暮れの素晴らしい景色を眺めた。
やがて暗くなり、星が輝き始めた。私たちが立ち寄った小さな村には、わずかな宿泊施設しかなかった。しかし、海を隔てて1マイル先に、聖なる島、宮島に灯りが揺らめいていた。私たちは、誰も生まれも死ぬことも許されず、犬も立ち入り禁止というほど神聖な島へと渡った。窪地に小さな町があり、私たちはまともなホテルと、いつものように可愛らしい笑い声の絶えない女性たちを見つけた。
向こう見ずな気分で、私たちは3人の芸者を呼んだ。彼女たちは素晴らしく魅力的な衣装を身にまとい、三味線をかき鳴らし、チュニジアのカフェでアラブの歌姫から聞いたのと同じ、物悲しく甲高い声で日本の恋歌を歌った。私たちは床に座って、素敵なハーフヨーロッパ料理の夕食を楽しみ、夜は楽しく、少し騒がしく過ぎた。しかし、ここは神聖な島でもある。
朝、私たちは宮島の美しい景色の中を散策した。土地には耕作地はなく、鬱蒼とした木立が広がっている。松林の間には心地よい木立があり、丘の頂上には寺院が点在し、鹿は人懐っこく、私たちのところに走ってきて手から餌を食べた。美しい日で、神聖な静寂がすべてを包み込み、案内役の老人は穏やかで静かであった。私たちは厳島神社へ行った。それは低い木造建築で、両側に長い回廊があり、正面には広いバルコニーがある。巨大な杭の上に建っているため、満潮時には海に浮かんでいるように見える。言い伝えによると、元の寺院は12世紀前に建てられたそうである。回廊には、国の歴史における神話的な出来事を描いた何百もの絵が所狭し飾られており、口ひげを生やした戦士たちの戦いが描かれている。風景を描いた幻想的な印象派風の習作や、日清戦争を描いたと思われる落書き、そしてエッフェル塔の安っぽいカラー版画もある。
私たちはモミの木とカエデの木の間をのんびりと歩き、大きな建物へと向かった。まるで神殿のようであった。梁や柱、壁には何十万枚もの羽根飾り(破魔矢か)が釘で打ち付けられていた。卵スプーンほどの大きさから湯たんぽほどの大きさまで、あらゆるサイズの羽根飾りがあった。あたり一面、羽根飾りで埋め尽くされていて、奇妙な光景だ。島を訪れる日本人は皆、この羽根飾りに名前を書いて釘で打ち付け、訪問の記録を残す。私たちは宮島で一番大きな羽根飾りを注文し、力強く美しい筆跡で名前を書き、数本の釘で入り口に固定した。次の世紀には、私たちの孫たちがそれを読むことであろう。
本土に戻るのは少し残念であった。
出発の際、私たちは老ガイドに2シリング相当のお金を渡した。彼はお金を見て、裏返して、それから私たちを見た。「えっ!もっと欲しいの?」と、ガイドのやり方を知っていた私たちは尋ねた。彼は店に入り、一握りの釣銭を持って戻ってきた。
「これは何ですか?」と私たちは尋ねました。
「お釣りです。多めに貰いました。ガイド料は一人2ドルです。」
私たちはそのお金を受け取り、刻印を入れて懐中時計の鎖に付けようかと考えた。ガイドがお釣りをくれたのは、生まれて初めてのことであった。