2026年8月13日木曜日

C.T.C. ガゼット

 C.T.C. ガゼット

サイクリスト・ツーリング・クラブ・カゼット誌

1922年11月

THE CYCLISTS TOURING CLUB CAZETTE

No. 11 Νον., 1922

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熱心なサイクリストの間でB.S.A.自転車が人気なのは、その耐久性の高さと、常にスムーズで走りやすいことが大きな理由です。完璧な仕上げ、科学的な設計、そしてそれに伴うトラブルの少なさにより、B.S.A.自転車のライダーは長年にわたり、純粋なサイクリングの喜びを味わうことができます。

表紙

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今月のメモ
タクシーの恐怖
経験豊富なサイクリストなら、タクシーはロンドンの街路で最も無神経な運転をする乗り物であり、運転手のマナーは洗練されているとは言い難いことが多いという点に同意するでしょう。ですから、公共心のあるサイクリストであるB・C・デューク氏が、進路を横切って危うく彼を轢きそうになり、さらに道を譲らなかったことで罵声を浴びせたタクシー運転手を訴えたことを称賛すべきだと感じています。・・・

2026年8月12日水曜日

明治期の自転車写真

 明治期の自転車写真

自転車に乗って (猿島町・明治27年) まだ自転車がほとんどなかったころであり、この青年が自転車で町を走り抜ける姿を見て、人びとは目をみはったことと思われる。

註、明治27年とあるが、どう見ても明治後半と思われる。早くても明治30年代である。
猿島町は、茨城県猿島郡にあった町。

「目で見る古河・岩井・水海道の100年」
石川 治 監修 郷土出版社
1998年発行
国会図書館所蔵資料

2026年8月11日火曜日

刀水輪友会

 刀水輪友会

以下は刀水輪友会の関連資料

刀水輪友会(境町・明治34年) 明治30年代になると各地に自転車の遠乗りを楽しむ会が作られた。自転車は流行の最先端であり高価であったため、富裕な人びとに限られた。刀水輪友会の会員たちが、境の香取神社祭礼の日に遠乗りを楽しんで記念撮影。刀水とは利根川の別称。

「目で見る古河・岩井・水海道の100年」
石川 治監修 郷土出版社
1998年2月1日発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

境製糸所内での刀水輪友会 (境町・明治35年)
「写真記録茨城20世紀」
 Unforgettable scenes in Ibaraki since 1900
茨城新聞社 編
1992年発行

上の写真をAIで修正

「輪界」第8号 輪界雑誌社
1909年4月発行
茨城通信
櫻花は樹上に咲き亂れ春風は柔かに膚をなで遠近の人々は苦を忘れ欣喜雲上に登らむとするのとき茨城縣境町刀水輸友會は櫻ヶ岡常設グラウンドに於て春季自轉車大競爭會を催せり尤も同町初見清次郎氏は目下同輸友會々長にして當日も大に力を盡れたり此日は東京よりも日本商店主酒井(鍬太郎)氏及西形商店主西形氏等も臨場せられたり
此日天氣晴朗春鳥は観客を誘ひ場内の賑い方殆んで立錘の餘地なし然して各出走者は春色に氣浮き立ち其勢ひ天を衝かむとす而して聲援轟々の裡・・・

2026年8月10日月曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本へ
パート1
エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン

Project Dharma: Following Thomas Stevens through Japan
Part I
by ERIC KNIGHT, Berwyn, Pennsylvania

多くのハイホイールライダーにとって、トーマス・スティーブンスが1884年に辿ったサンフランシスコからボストンまでのアメリカ横断の旅は、夢の目標である。2021年、サイレントスポーツ誌の記事「1884年以来の大陸横断ハイホイールライディング」の調査中に、トーマス・スティーブンスを辿った現代のライダー数名と話をし、彼らについて読む機会があった。

いつか彼らの冒険(マイケル・[シャドウ]・ガブリック、スティーブ・スティーブンス、ジェームズ・アレン、ジム・オグランド、ランディとエイミー・オレイニクなど)に参加したいという思いが、私の心に芽生えた。

少し後、大学時代のルームメイト、マーク・ケネディと近況を語り合っていた。偶然にも、マークと私は1986年、トーマス・スティーブンスが日本を旅行した100周年にベイツ大学で出会った。現在日本に住んでいるマークは、日本の田園地帯をバーチャルでサイクリングする新しい趣味について話してくれた。彼は自作のポールマウントにスポーツカメラを取り付け、電動自転車での旅を撮影し、その動画をウェブサイトwww.Country RoadsJapan.comに投稿している。

冗談で、彼は私がハイホイールを日本に持ってきてくれたら楽しいだろうと云った。それは少し非現実的な考えだと思い、ハイホイールをわざわざ日本に持ってくるなら、近所を数回日帰りで回るだけではなく、何か本格的なことをしなければならないと言った。

それから私は、トーマス・スティーブンスという、自転車による世界一周旅行という前例のない偉業を成し遂げた人物について彼に話した。彼の3年間にわたる壮大な旅の最終行程として日本が旅程に含まれていたことを確認し(図1)、私たちもそれを検討すべきだと提案した。

こうして、マークが後に「プロジェクト・ダルマ」と名付けることになる計画の2年間が始まった。ダルマの車輪は、仏教などの東洋(アジア)の精神的なシンボルであり、人生の旅における目標や野心といった意味を持っている。実際、ハイホイール自転車の日本語名には「ダルマ自転車」という名称がある。・・・


2頁
ホイールメン誌
2025年5月発行
№106

3頁

図1。これは1880年頃の珍しい日本の地図で、トーマス・スティーブンスが日本を横断した時代のものである。左上には北海道の挿入図があり、右下にはその他の日本の島々が描かれている。

拡大

2026年8月9日日曜日

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

 第411号、第61巻、
1894年5月発行
BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES
No. 411. Vol. LXI,
MAY, 1894.

表紙

325頁


自転車と政治
自転車競技の歴史を丹念に調べても、このスポーツの統制と規制を歴代で目指してきた者たちの輝かしい功績を示す証拠は見つからないだろう。自転車に関する法制化の結果が権力者の弱さや怠慢に起因するかどうかは、統括団体の行動、あるいは不作為がアマチュアスポーツの事実上の崩壊をもたらしたという事実を鑑みれば、ほとんど問題ではない。彼らの政策は常に弱く、優柔不断で、先延ばしであり、アマチュアスポーツの名誉を汚さずに維持する力に自信を示したことは一度もない。包括的な原則が定められたことは一度もなく、その結果、重要な問題に関する彼らの行動は、やや狭量なその場の考慮事項によって決定されてきた。皮肉にもいまだにアマチュアスポーツと呼ばれているものからアマチュアを根絶するという結果に終わった衰退の道の第一歩は、自転車競技をスポーツ当局の管理から外した後、高尚な理想と民主主義の理念を持つ経験の浅い立法者たちが、アマチュアの定義から「機械工、職人、労働者」条項を大胆にも削除したときに踏み出された。・・・

註、『BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES』(ベイリーズ・マガジン・オブ・スポーツ・アンド・パスタイムズ)は、19世紀から20世紀前半にかけてイギリスで出版されていた月刊のスポーツ・娯楽雑誌。
刊行期間:1860年 〜 1926年
創刊元:ロンドンの A.H. Baily & Company(1889年以降は Vinton & Company が引き継ぐ)
正式名称:初期は『Baily's Monthly Magazine of Sports and Pastimes, and Racing Register』とも呼ばれていた。

2026年8月8日土曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

本日、米国のエリックさんから「ホイールメン」誌に投稿した「プロジェクト・ダルマ自転車」の記事が届いた。

彼とは2023年10月23日に小田原城で待ち合わせ、近くの喫茶店で歓談後、酒匂川のサイクリング場まで同行した。楽しい一時であった。

PROJECT DHARMA: Following Thomas Stevens Through Japan
Part II of III.by Eric Knight, Berwyn, Pennsylvania

ホイールメン誌に載った記事
プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本を横断
パート2/3 エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン
編集者註:これは、エリック・ナイトが1886年にトーマス・スティーブンスが辿ったのと同じ道を旅行し、日本を自転車で横断した記録のパート2である。前回のパート1(2025年5月号、第106号)では、ダルマ自転車を日本に持ち込む際に直面した困難と、九州の長崎から本州の下関までの最初の5日間の旅の詳細を語っている。このパート2では、下関から始まる。遭遇した困難、そして地元の日本人コミュニティからの友好的な交流と惜しみない支援について述べている。

6日目(2023年9月29日)広島への道
九州南部の島々は、下関海峡の強い潮流によって隔てられ、私たちの背後にあった。魚市場で朝食を済ませ、マークと私は本州にある山陽道(山陽地域を走る主要道路)を北に向かって自転車で走り始めた。6日目、またもや晴天で、比較的平坦な道だった。路肩のない道路は交通量が多く、交差点や信号機も多く、何度も停止と発進を繰り返した。また、ナビゲーションアプリのKomootを解釈しようとして、何度も道を間違えた。・・・


5頁
写真は、マークとエリック、岩国市錦帯橋の前で

小松輪友会

 小松輪友会

小松輪友会(川西町・昭和初期) 明治の終わり頃からプロによる自転車レースが各地で行なわれたという。これはアマチュアのメンバーでクラブを作りサイクリングに出かけた時の写真である。服装も軽装が多く、自転車はスポーツタイプだ。

註、小松町は山形県東置賜郡にあった町。現在の川西町中心部にあたる。

「目で見る米沢・置賜の100年」
郷土出版社 1995年発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

「写真集・やまがた100年」
山形新聞社 1988年発行

小松輪友会(大正初期) 明治の末期から大正期にかけて、各地で自転車競争が大流行した。川西町小松地区のハイカラ青年たちの自転車好きがいつしか集まり、スピードを競ったり、遠乗りをし、 仲間で小松輪友会と呼び合った。

註、上の資料の写真は、同じものだが、キャプションが一部相違している。
上は昭和初期とあり、下は大正初期である。自転車の形状から判断すると、明らかに大正初期と思われる。