トーマス・スティーブンス
下の図は、世界で初めて自転車で世界一周を成し遂げたトーマス・スティーブンス(Thomas Stevens)が、ペニー・ファージング(Penny-farthing)と呼ばれるダルマ自転車に乗っている様子。
彼は、1884年から1886年にかけて、このダルマ自転車で世界一周の快挙を達成した。
この図版は、1888年の「バイシクリング・ワールド(Bicycling World)」という刊行物。
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トーマス・スティーブンス
下の図は、世界で初めて自転車で世界一周を成し遂げたトーマス・スティーブンス(Thomas Stevens)が、ペニー・ファージング(Penny-farthing)と呼ばれるダルマ自転車に乗っている様子。
彼は、1884年から1886年にかけて、このダルマ自転車で世界一周の快挙を達成した。
この図版は、1888年の「バイシクリング・ワールド(Bicycling World)」という刊行物。
自轉車瓦版 第88号
昭和60年11月13日発行
★アンティーク自転車の斡旋(外国製)。
地図、
自転車乗りによる描画
1879年9月11日~12日 2日間の走行記録
この記事の目的は、馬の現代のライバルである自転車を賞賛したり非難したりすることではなく、約40人ほどの二輪車の所有者が、アーティストの言葉を借りれば、どのように楽しんだかを明らかにし、2日間の走行の出来事のいくつかを記録することである。
自転車クラブのメンバーと、役員を持たず「無所属」のアマチュア数名が集まった。9月の朝、彼らは1人か2人ずつすれ違いながら会合場所へと向かった。そこは、現在はボストン市の一部となっている。かつてのロクスベリーにある。広く曲がりくねった大通りの入り口だった。ロクスベリーはこれまでにも多くの自転車を目にしてきたが、これほど多くの自転車を一度に目にしたことはない。服装の多様性、ナップザックやコンパクトな「マルチム・イン・パルボ」バッグといった装備には、何か目新しいものがあり、これからの旅を予感させていた。
ボストン自転車クラブとマサチューセッツ自転車クラブのユニフォームは馴染み深かったが、ウースター自転車クラブの上品なグレーの衣装、ハートフォード家の白いフランネルシャツと明るい色のストッキング、そして「E. Bi. C.」と記された青いポロキャップ、そしてニューヨーク、ワシントン、セーラムの男たちの奇妙な服装は、街へ向かう早朝のビジネスマンたちの目に留まった。・・・
自轉車瓦版 第87号
昭和60年11月9日発行
★社団法人 横浜市観光協会から出ている「横浜のたより」というタウン誌の11月号に、次のよう記事が載っていた。『石川孫右衛門は、横浜居留地のチリドル商会で、はじめて自転車に乗った外国人を見て「自転車は汽車につぐ速さで、どんな道でも練習すれば走ることができる機械」と説明され、乗り方を教えてもらいました。彼は、まだ貸自転車をやってるものは誰もいないから、この便利な自転車を時間貸しすればもうかる」と考え、翌日に16台の自転車を注文。元町に輪乗場を作り、指導員に外国人を雇って石川商会を開業したのは、明治10年(1877)でした。仕事に役立てる生糸商人やふるさとへの土産話に借りる奉公人が多く、一年でモト金をかせぐことかできたそうです。』
ところで、この記事については出典が書かれていないので、どの資料から引用したのか分らない。確か『横浜もののはじめ』という本にも同じような文章があったと記憶するが、内容がちょっと違っている。 それは、「輪乗場」とか「指導員に外国人を雇って石川商会を開業」など、どうもなかったような気がするからだ。もう一度『横浜もののはじめ』を探し出して読んでみることにしたい。しかし、『横浜もののはじめ』もかなり内容が根拠不明で出典のないものが多い。一時資料に当たっていないし、古老の話などを採用している可能性もある。
下記の絵は、同記事にあった插絵である。どういう訳か明治30年代の空気入りタイヤの安全型自転車である。 「明治10年と言えば、まだミショー型か三輪車の時代である。ミショー型にしても、根拠資料は希薄であり、錦絵の一部に描かれている程度にすぎない。
橋本商会 - 2
以下は明治40年ごろの橋本商会の正価表、
ハンバー會社の二重作用ハンドブレーキは今や非常の成效を以て各地に現はれ最とも完全せりとの賞賛を博せしが、殊に自由輪則ちフリホィルに用いて著しき其有效なるを證せり、此のハンドブレーキに於ける二要點は之を車に適用せし時絶へず後車の中央輪を握り亦取り外づす時通常の車体となるなり、バンドは鞍と脚に附せる飾釘内部螺狀彈力機に依て支持せられ、別に固着せし個所あるにあらずバンドの動作は同時に此の螺狀弾力機を緊壓せしめ足部の壓力は中央前よりバンドを離れしめて再び通常の位地に之を迎へず、バンド高く離れざるため且つ共底部を中央輪に觸れざらしめん爲め之を防ぐ制楔あり常に注意して革ハンドを滑らかならしむるは肝要なることなれども此場合には宜しく黒鉛を使用すべし共機械油を使用するには優れるはハンバー會社の多年試験せし慮なり・・・
4頁
自轉車瓦版 第86号
昭和60年10月31日発行
★大阪で久々にダルマ自転車が売られているという広告(60.10.16朝日・夕刊)が載ったので、早速行ったところ、以前紹介した北区のお初天神宮境内で売られていたダルマ自転車であった。次に京都で明治中期?(売手は初期と云っている)30cm角の。 ボロボロの木棉布1枚を入手した。その布地の図柄は4種類の車が描かれており、1つは御所車他は、ダルマ自転車と三輪車のようであった。黒地に白で抜いてあり、着物地か布団地かは分らないが、御所車と重なっているところから判断すると、 高価なものと思われる。それから先般、探求を依頼した“自転車の科学”はカッパブックスではなく、ゴマブックスである。〔大阪、高橋 勇氏)
★この度、西ドイツ・ボン大学の日本文化研究所助教授のE・パウアー氏からお便りがあり、鉄砲鍛治と自転車製造との関係をしめす資料はないか、という依頼があった。そこで当研究会の資料の中から宮田及び堺の部品メーカー等の文献コピー約10点を先日航空便で送った。E・パウァー氏は1986年国際社会経済史学会で「日本の伝統技術と産業革命の関係(在来技術の役割)」というテーマで講演を頼まれでいるそうで、その講演の中で自転車と鉄砲製作技術との関係も扱いたいとのことであった。(会員諸兄において、これらに関する資料がありましたら、事務局までご連絡下さい)
★雑誌「Bicycle Club」11月号でアレックス・モールトンを特集している。内容は、モールトン小史といったところで、分りやすく解説されている。