2024年4月20日土曜日

三光舍の広告

 三光舍の広告

下の写真は、三光舍の広告

「サイクリング・ハンドブック」サイクル時報社 1956年10月1日発行


三光舍の広告
国会図書館所蔵資料


工作の精密であること
扱易い機構であること
交換ギヤの豊富なこと
フリー・ハブ・変速機を一貫生産していること
三光舎製品はどの 条件でもトップクラス です。

三光舎製品はサイクリストと共に常に前進しております。

株式会社 三光舍
東京都板橋区志村中台町1 

たのしくのれるサンスターサイクリング車

「サイクル」表紙
1956年8月号
三光舎
資料提供:渋谷良二氏

サンスター自転車980型
「商工経済」第10巻 第9号 経済通信社
1957年(昭和32年)9月1日発行
国会図書館所蔵資料

2024年4月19日金曜日

慶應義塾自轉車規約

 慶應義塾自轉車規約

「慶應義塾學報」第54号 1902年(明治35年)7月15日発行


91頁
慶應義塾自轉車規約
国会図書館所蔵資料


○義塾自轉車規約(その一部)
義塾々員及び塾生中の有志者は、過般自轉車俱樂部を組織し、時々部員の遠乗を催し居りしが、今度左の如き規約を設け、且つ左の諸氏を役員に舉げたり。

役員、
福澤一太郎、清岡那之助、松井康義、石河幹明、吉田東洋、 田村彰一、山本昌弐、山道梅太郎、星井壽助、柿本利一、中島甚三郎、瓜生雪雄

註、部長の福澤 一太郎(ふくざわ いちたろう、1863年11月22日 -1938年6月4日)は、日本の教育家。慶應義塾創始者福澤諭吉と錦夫妻の長男である。


「技事珍報号外」
明治31年頃
日本自転車史研究会所蔵資料
「技事珍報」は当時の塾生によって発行された

「技事珍報号外」、
来賓諸君の眼を注記居たる双輪倶楽部自転車競走の勝利は遂に鶴田勝三君に帰したり
次の号外は六百ヤード競走の勝敗決したる時にいたすべし


「清輪」第7号 清輪社
 1905年9月15日発行
本誌顧問子爵 松井康義氏 如蓮號
国会図書館所蔵資料

註、松井 康義(まつい やすよし、1871年7月5日 - 1915年10月15日)は、旧川越藩藩主・松井松平家14代当主。

2024年4月18日木曜日

仙臺新報 - 6

 仙臺新報 - 6

「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号

下は「自転車の売行」の記事。


「仙臺新報」第20号
国会図書館所蔵資料
以下同じ




●自轉車の賣行
美麗に装飾を施したる軟弱の和製品並びにフレームパイプ地金等を未成品稅率の下に輸入し内地に於て蠟吹き仕上げを加へたる車輛は昨年春頃一時賣行盛んなりしも實用に適せざる爲め昨今賣行滅切り少なく之に反しスヰフト號、ピアス號は 目下降雪の季節にも拘はらず賣行最とも盛んにて志田郡古川町の如きは一時に五臺のスヰフト號を購入し且つクラブエツキスフレームの如きもの賣行多く本縣警察署中古川佐沼等はスヰフト號を飯野川岩出山等にてはピアス號を買入れたりといふ。

2024年4月17日水曜日

見開き広告

 見開き広告

下は新聞の見開き広告。

新聞広告に大きく自転車が載っていたので、保存していたもの。

自転車は英国のパシュレーであろうか。

ウールで交際しませんか
やさしい、あたたかい、コンフォタブル
メリノ・コンフォート
新聞広告 16、17頁
1991年9月6日(金)朝日新聞

裏面には放置自転車の記事



放置自転車200台 横浜→ドミニカ
捨てられた私ですが
途上国で役立ちます

駅前などに置き去りにされた日本の中古自転車が、中南米やアフリカ、アジア諸国で役立っている。総務庁によると、沖縄を除く全国の市や区、大都市圏の町村の放置自転車は約八十万台。新品同様のものを含め、自治体が撤去した約三分の一は引き取り手のないまま処分される。そこでリサイクルと海外援助の一石二鳥を狙って、放置自転車を途上国に贈る自治体が少しずつ増えているのだ。この夏、横浜市から二百台を贈られた中米ドミニカ共和国の郵便局を訪ねた。(文・写真 三山 喬)


2024年4月16日火曜日

南洋號

 南洋號

「旅人の友」渋谷金次郎 大正11年11月15日発行

註、下記の記事にはちょっとした日本での黎明期の自転車史を垣間見ることが出来る。

「南洋號」の屋号は、当初この店で販売していた自転車のブランド名と思われる。

大正期になると南洋號商會は自転車からオート三輪の販売へと進化している。


75頁「旅人の友」
国会図書館所蔵資料
以下同じ

76、77頁


南洋號
(高松市西新通町)
南洋號商會は輪界模範卸商といふ金銘を打ち四國の雙輪王を任じて町に立派な商店を開ひてゐる
店主橋本秀太郎氏は若い時から輪界に入って多年研究を重ねた人であるが以前から阪神に於る雙輪商と連絡を取り現代的營業振りを發揮し盛んに取引をしてゐたがその後大阪西區新町と神戸市栄町に堂々たる店舗を張つてゐる株式會社石丸商會の株主となり同商會の四國、 九州の一手販賣擴張主任として非凡の手腕を揮ひつつあるが早くも香川縣の輪業界を壓し南洋號の威名は隆々旭日の如く揚りつつある
氏は元と香川郡安原村の出身にて幼時から神童と唄はれた俊才にて併かも眉目清秀にして溢るる許りの愛嬌と一種の商才を有してゐるから氏に接する者は何れも一層その親しみを感じ 且つ人格者たることを知るであらう
抑も自轉車の輸入されたのは明治十四五年頃印刷局に三輪車の到着したのが始めでこの頃頻りに行はれたのは三輪車又は椅子形三輪車で何れも木製であつたが外人中には俗に一輪車と稱する達摩形二輪車を用ゐたものもあつた、明治二十一・二年頃丸亀聯隊など陸軍方面では木製鐵輪の雙輪車を數輛伝令用に買入れたこともあつた、二十八・九年頃空氣入安全車輪が輸入されてから大に流行し東京では二十九年の天長節に自轉車俱樂部を設け競走、遠乗など行はれ陸軍では自轉車隊を設け警察、郵便電信局でもこれを實用するに至り斯くて全國一般に盛んになり香川縣でも九年前參圓の車税が壹圓五拾錢に減稅したので俄かに其数を増加し今日の盛大を来たした譯である、要するに尚ほ前途有望なる輪界に氏のやうな勇氣と誠意ある人が縱橫商才を振ひつつあるのは心強く感じる。

輪界興信名鑑 昭和3年度版 西部日本

2024年4月15日月曜日

仙臺新報 - 5

 仙臺新報 - 5

「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号

下の記事は、河原崎権之助と自轉車の記事。

註、河原崎権之助(かわらさき ごんのすけ)は、 歌舞伎役者の名跡 。 屋号は山崎屋 。江戸河原崎座座元の名跡でもある。この記事の河原崎権之助は八代目と思われる。


「仙臺新報」第20号 
国会図書館所蔵資料

權之助と自轉車

俳優中での自轉車狂なる河原崎権之助が自轉車に乗る功徳の大なる事を稱賛し居るが其言ふ處に依れば五つの便益を具へ居れり

一、従来の柔弱怯懦なる俳優の精神を强健に且つ確固ならしむ

二、男地獄的の服装を一變して自然にその氣象をも改善せしむ

三、他の社會に見るを得ざる一種忌むべき門閥の陋習を破り上下平等の源を開くことを得べし

四、婦人に接近する場合を少くして悪しき遊びより遠ざからしむ

五、遠足を屢次する爲め種々の観察を廣くし藝道に裨益するに至るべし

斯く見來れば自轉車なるものは何れの社會にも通じて多大の便利と功徳とを有するものなる事を知るなり、とはまた遅し、之れ等は疾くに社會の凡てに認識せられたるものにして我が東北に於て始めて新らしき云ひ條なるべきか呵々。


2024年4月14日日曜日

仙臺新報 - 4

 仙臺新報 - 4

「仙臺新報」第20号 仙臺新報社 1908年2月号

下の記事は「自轉車撰擇の要訣」である。


「仙臺新報」第20号
国会図書館所蔵資料
以下同じ



●自轉車撰擇の要訣
英國倫敦体育會長セレリベル氏自轉車の選擇法を曰く「自転車は中古を買うべからず」、「自轉車の購入は最も有名なる會社を選べ」、「自轉車の撰擇は外観よりも實質を重んぜよ」、「自轉車の購入は必ず信用ある商人の手に於てせよ」の四條を挙げ之が注意事項として「クランクの堅牢」「ギャの精良」「チェインの善惡」「フレームの鋼質」「タイヤの良否」「把手の釣合等」を列舉せられたり。