自転車世界一周 - 9
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その9。
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自転車世界一周 - 9
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その9。
バイシクリング・ワールド誌 - 5
この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。
THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)
1888年2月17日
248頁、
トーマス・スティーブンス氏は昨日16日、ハドソン郡の自転車愛好家たちの前に姿を現し、世界一周旅行についての講演を行った。
自転車世界一周 - 8
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その8。
それから私たちは陽気な群衆の中を、大阪までの道のりの半分ほどを、タンデム自転車に乗ったベルギー人とスイス人に先導されて向かった。大阪は日本の大商業中心地で、誰もが金儲けに熱心の街である。貿易においてはシカゴ、立地においてはベニスといったところだろうか。運河と橋が中心の街である。清潔な半ヨーロッパ風の宿で昼食をいただき、コーヒーと葉巻を楽しんだ後、自転車に乗って観光に出かけた。その日の午後、私たちは混雑した通りを13マイル(約21キロ)走り抜けた。
私たちは大阪城へ案内された。それはバールベック産のような石で造られた巨大な石垣で、中には長さ46フィート、高さ12フィートもある石もあった。小さな兵隊が私たちの後を小走りでついて行き、大砲が持ち去られていないか確認していた。それから私たちは自転車で市場を巡り、金持ちになったような想像した。上質な陶器や凝った彫刻、柔らかな絹織物、精巧な型押しが施された革製品を見た。そして、劇場通りを通り抜けた。そこはまさに色鮮やかな旗がはためく賑やかな光景であった。1マイルにわたって劇場が立ち並び、それぞれの劇場の前には、お気に入りの女優の20種類の最もエキサイティングな場面を描いた大きな手描きのポスターが飾られていた。
通りは午後の散歩客で賑わっており、私たち12人はベルを鳴らしながら、その中を通り抜けた。私たちは、堂々とした構造物である大きな塔に行き、登るように勧められた。しかし、その眺めを当然のことと思い、下に居た。
塔の中央には、巨大な梁の振り子が揺れていた。日本は地震の国であり、平均して1日に2回発生する。大きな地震であれば、あの高さの塔は倒壊するだろう。しかし、地震が起こると、その振り子が揺れ始める。それは建物にも容易な揺れを与えるため、地震は回避される。
ガタガタと音を立てながら、私たちはさらに何マイルも賑やかな通りを走り抜けてた。
大阪で唯一のイギリス人女性にアフタヌーンティーを頼むために30分ほど自転車を止め休憩し、また走り出した。5日間でヨーロッパを「回った」アメリカ人は、私たちが3時間で大阪を回ったのに比べれば、遅いと思う。
同行してくれた神戸の友人たちと、大阪で知り合ったばかりの人々は、もてなしてくれ、夕食は盛大であった。その後、皆で人力車に乗り込み、水面に月光が揺らめく運河沿いを走った。何千もの灯籠がゆらゆらと揺れる薄暗い路地を進んだ。その光景は素晴らしく芸術的で、まるで妖精の世界のようであった。陽気な人々の歌声、三味線の響き、そして人形の家のような格子窓から漏れる少女たちの笑い声が、辺りを満たしていた。そして、まばゆいばかりの茶屋の入り口にたどり着いた。
自轉車瓦版 第106号
昭和61年2月8日発行
★外国書籍のあっせん、
① BARTLEET'S BICYCLE BOOK (reprint)
②THE WORLD ON WHEELS
③ Bicycles (and tricycles) of the year 1877-80 (reprint)
④BICYCLE PEOPLE
⑤THE MOULTON BICYCLE
⑥TEN THOUSAND MILES ON A BICYCLE
⑦WHEN BIKEHOOD WAS IN FLOWER
⑧BICYCLES ON PARADE
⑨KING OF THE ROAD
⑩BICYCLES AND TRICYCLES (reprint)
⑪VICTORIAN HIGH WHEELERS
⑫ EARLY BICYCLES
⑬ THE STORY OF THE BICYCLE
以上はすべて自転車史関連の図書、申込みは事務局か、八神商会へ。
(品切れがあるかもしれません、事前にお問い合わせください)
ドライス男爵関連
下の資料にドライス男爵に関連した記事がある。
自轉車瓦版 第105号
昭和61年2月2日発行
★バリの小林恵三氏からの手紙、
自転車世界一周 - 7
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
ある日の午後、4人の少女が格式高い茶道に興じた。日本の茶道は芸術的であり、詩でもある。ソネットを書くように、厳格な作法に従いお茶を飲む。お湯を注ぐことから、飲んだ後の茶碗を洗うことまで、すべての動作が清らかで儀式的な作法である。私たちは床に座った。女主人役の丸顔の少女、他の3人の少女、チャーチ先生、そして訪問者。誰も一言も話さなかった。この茶道は「茶の湯」と呼ばれ、静寂の中で行われた。茶は小さな棗に入った緑色の粉末だった。棗は決まった持ち方で持ち、蓋は決まった動作で開けられ、お湯を注ぐ柄杓は特定の方法で持ち上げられ、小さな竹製の茶筅で茶をかき混ぜた茶碗は優雅に体を曲げて客に手渡された。泡立ったお茶を飲み干すと、茶碗は厳粛に頭を下げて返された。儀式全体は簡素ながらも優雅で洗練されていた。それは単なるお茶を飲むことではなく、小さな詩を演じているように感じられた。
そして、その晩きちんとした着物を着た少女たちが教室に集まり、床に半円形に座ったとき、私は旅の話をするように頼まれた。
イギリスの女子生徒たちの前で話すことは、男の内気さを試す良い機会だが、12歳から20歳までの40人の日本人の娘たちの前で外国語を話すことに比べれば、それは何ほどのことだろうか?しかし、彼女たちはイギリスの女子生徒たちのように笑うことはなかった。彼女たちは小さな手を膝の上に置いて、慎ましやかに座っていた。
私の傍らには、粗末な服を着て、すらりとした、愛らしい顔立ちの日本人少女が立っていた。彼女は美しい英語を話し、日本人が言っていることを通訳した。