2021年9月23日木曜日

自転車趣味の会

 自転車趣味の会

この会は、鳥山新一氏が代表幹事となり「自転車趣味の情熱を通じて、自転車文化を守り育てる活動を展開する」ことを目的として1993年9月に設立された。

そして第1回の集い「講演とコレクション展示」が同年11月3日(文化の日)に中野サンプラザで開催された。

鳥山さんから事前に講演を頼まれていたので、当日は早めに出かけることにした。

以下は当日の私の講演内容である。(一部加筆修正)

オーディナリー自転車について

 オーディナリーとは、ご承知のように前輪の大きいダルマ自転車のことです。
それでは、最初にオーディナリーと自転車の歴史が好きになった経緯をこれからお話ししたいと思います。
まず自転車を好きになった事からお話ししましょう。それは中学2年のころで、父に丸石の内装3段の軽快車を買ってもらったことに始まります。
始めのうちは、ただ家の近くを乗り回していました。初めてのサイクリングは茅ヶ崎から小田原城まででした。
まだこの頃は自転車を趣味と感じていませんでした。
趣味として意識し始めたのは、昭和47年頃です。当時ホンダがオートバイを売るため、その見返りとして、イギリスからラレー自転車を大量に輸入しましたが、その頃のラレーの新聞広告をみて「これが本当の自転車だ!」と思った時から始まります。当時小学生や中学生が乗り回していたゴテゴテしたフラッシャー付自転車にあきあきしていたころで、そのシンプルさに強く引かれたのです。新聞広告に出ていた自転車は、ラレーのロードスターでした。さっそく平塚のホンダ販売店に行き、これを買いました。そして毎日のように乗りまわしました。古風な感じのロードスターを好きになったと言うことは、今思えば、クラシック自転車への興味をもつこれが最初のきっかけでもあったわけです。
ところが、次に興味をもったのは、クラシック自転車ではなく、同じカタログに出ていた最新式のロードレーサーでした。こんどはこれが欲しくなりました。この頃から今まで真剣に読んだ事が無かった自転車雑誌にも興味を覚えました。今度は雑誌に出ていたイタリアのチネリとかデローサなどのードレーサーが欲しくなりました。しかし、結局資金不足のためフランスのプジョーを買う事になりました。これはヤマハが輸入したもので、たしか15万円ぐらいだったと思います。ところが購入した当日交通事故に会い、1時間足らずでスクラップにしてしまいました。家の者はこの事故で自転車は止めるだろうと言っていましたが、かえって病が高じ、また自転車が欲しくてたまらなくなりました。次に買ったのは、ラレーのカールトン・ロードレーサーでした。
しかし、乗っているうちに不満なところが出てきて、1年ぐらいで飽きてしまいました。そして今度は、ルジュンのロードレーサーを買いました。これも欠陥は色々ありましたが、それでもかなり長く乗りました。そのうち今度トラックレーサーに興味が移り、ピスト車を買いました。最初買ったのはイギリスのヒュー・ポーター(Hugh Porter)でした。その後、チネリ・ピストも購入。そして、アマチュア競技の選手登録もし、3年ぐらい色々なレースに参加しました。ですがいつも予選落ちで、千メートルのタイムトライアルも1分20秒を切る事ができませんでした。最高は1分22秒でした。
その後体力の低下もあり、また以前のロードレーサーでのサイクリングにもどりました。現在もこれは続いています。
昭和55年頃、浜松に単身赴任してた頃、ミソノイサイクルで中古のラレーロードスターが目に留まり、すで欲しくなりました。これが今思えば、クラシック自転車への興味を持った最大のきっかけです。それ以来、古い自転車探しが始まりました。ラレーに始まり、トライアンプ、国産のラビット号、岡本ノーリツ号など10台程精力的に集めました。最初の内はただ夢中に自転車ばかりを集めていましたが、そのうち集めた自転車の来歴が知りたくなり、古いカタログとか雑誌等も収集することになりました。そうこうしているうちに、今度は自転車の歴史に興味が移り、以前読んだ「自転車の一世紀」をまた引っ張り出して真剣に何度も読みました。自転車の歴史の本を片っ端から読みましたが、その数の少なさに驚くと共に、なぜ日本では自転車の歴史があまり顧みられないか、疑問に思いました。そして、これからは自転車の歴史を勉強しようと決心したのです。丁度オートバイの関係で歴史研究会を主宰している名古屋の三輪さんと知り合い、自転車の歴史研究会を組織することにしました。この頃、既に亡くなられた大阪の高橋勇さんとも知り合いになり、昭和56年の5月に「日本自転車史研究会」を発足させました。
翌年の1月からは会報も作り、会員も少しずつ増えてきました。会報は現在も発行し、この11月で73号になります。また、今年の5月には自宅の庭に自転車歴史資料館もつくりました。
このように自転車の歴史を勉強しているうちに、今日のテーマでもあるオーディナリーも好きに成った訳です。
オーディナリーについては、自転車好きな方ならご存じと思いますが、この自転車は1880年代に欧米で流行した自転車です。名前が示すとおり、当時この自転車が普通車だったのです。
決して特殊な自転車ではなかったのです。ほとんどは男性が乗りましたが、勝気な女性は、ブルマーなどを着て乗ったようです。
なにしろオーディナリーは、乗ったとき、目の位置が2メートル以上になり、大変気分爽快になります。私は馬に乗ったことがありませんが、感覚としては同じではないかと思っています。
日本でも過去にオーディナリーに乗った人がいて、有名なところでは森村兄弟で、アメリカ製のゴマリー&ジェフリー社のオーディナリーを所有していました。これで明治26年(1893) に東海道をサイクリングしています。
私がこのオーディナリーに大変興味をもったのは、10年程前で、さきにお話ししたように自転車の歴史を調べているうちに、そのデザインの素晴らしさにひかれたのです。ご承知のようにこのデザインは今でもアクセサリーや服地のプリント模様などに使用されています。
それからというもの、このオーディナリーが欲しくなり、探しましたが、その様な自転車はあるはずもなく、なかばあきらめていましたが。5年程前縁あって1台のレプリカ車を手に入れました。しかし、これは当時の忠実なレプリカではなく、不格好なものでした。気に入らないので直ぐに手放しました。
4年前に入手したアメリカ製のケネディーは、まずまずの出来なので、今はこれに乗っています。これもレプリカなのですが、ペダルとバックボーンの曲がりが気に入りません。丁度ロードレーサーのフロント・フォークのカーブと同じで、自然な曲がりが良いのです。やはりオリジナルのラッヂとかシンガー等のオーディナリーにかないません。しかし、このようなオリジナル車はなかなか手に入りません。お金を幾らでも出せ人はすぐにも入手可能なのですが、資金の少ない私には無理です。
現在、イギリスとアメリカではクラッシク自転車のマニアが沢山いて、色々なイベントを行っています。これらのクラブが年に一度集まり世界大会も行っています。今年はチェコで第13回目の大会が行われました。
来年はイギリスと聞いています。ところがサミット参加国でもある、先進国と言われる日本にクラブが無いのです。残念ながらこれらの大会に参加していません。ただ、フランス在住の小林さんがIVCA(国際ベテラン・サイクル協会)の理事になっており、一人頑張っています。
1991年の第11回アメリカ大会には、初めて私と、ここにおられる渋谷さん、それに名古屋の八神さんがオブザーバー的に参加しました。その規模の大きさと素晴らしさに感動した次第です。日本でも将来このような大会ができる日を夢見ています。それには、一人でも多くのオーディナリーやその他のクラシック自転車愛好者を増やすことが必要なのですが、今のところ残念ながらこのオーディナリーに興味を持っているのは私だけです。是非今日お集まりの皆さんの中からオーディナリーの素晴らしさに、あるいは自転車の歴史の探求に興味をお持ちいただければと思います。
取り止めのない話しになりましたが、持ち時間がきましたのでこれで終わりにしたいと思います。
最後にこのような会を企画主催された関係者の皆様のご苦労に敬意を表するとともに、今後のご発展をお祈りいたします。ご静聴ありがとうございました。(オ)

(残念ながら鳥山氏は今年5月に逝去されました)

1993年9月30日付け
日本輪業通信

2021年9月22日水曜日

老舗さんぽ-49

 老舗さんぽ-49

 だいぶ古い話になるが、1994年に日本自転車史研究会の会員でもあった中野サイクルを尋ねる。


当時、所用で盛岡へ行く。団体行動から一人抜け出し、当研究会員の中野保男氏を尋ねる。タクシーに乗り、うろ覚えの住所と店の名を運転手に告げる。
どうやら分かったようで、岩手訛り?の返事が返ってきた。
タクシーに乗ってから45分程で、中野さんの店の前に到着。ブリヂストンの大きな看板が目に留まった。
 丁度中野さんは自転車の修理中で、店先に立った私の顔をみて、軽く会釈した。
初対面なので、始めはただの客と思ったであろう。名刺を差し出し挨拶を交わす。それは同じ趣味人?のこと(御歳は私より先輩であるが)直ぐに話しは自転車談義に移り、図々しくも家に上がり込んでしまった。
 家の中もすべて自転車づくめ、あらゆる置物はすべて自転車。小物を含めて1、000点近くは有ったろう。本も充実していて「自転車の一世紀」をはじめ、殆どの自転車関係書籍は揃っていた。
 タクシーを待たしていたことも忘れ、自転車の話しは尽きない。そのうち堪り兼ねたタクシーの運転手が呼びにくる。心残りではあったが、またの再会を約し、中野サイクルを後にした。

この中野さんのお店について、戦前の名鑑を調べたが見当たらず。おそらく戦後からの営業と思われる。それでも50年以上の老舗であることは間違いない。

ナカノサイクル
Googleストリートビューより

2021年9月21日火曜日

自転車関係資料-54

 自転車関係資料-54

中村春吉の自転車無銭世界旅行ではないが、やはり貧乏旅行に近い。

決行したのは小樽市の奥山瑛明・おくやま てるあき(23)さん

1日2ドル世界一周

昭和42年6月16日発行「アサヒクラフ」通巻2258号 16頁~21頁

以下に本文の一部を抜粋

世界一周サイクリング旅行を企てた。その計画とは、アメリカ、ヨーロッパ大陸を自転車で横断して、ギリシャから船で東南アジアを回ってこようというものである。大学の三年間、トレーニングで明け、アルバイトで暮れ、英会話に精を出した。機は熟せり…いざ実行という段になり、はじめてアメリカ人の先生にこの計画を話すと、文字通り飛上がって驚いた。「アメリカ大陸を甘くみてはいけない、人家一軒ない広大な砂漠もある。自動車だって大変なのに、自転車で横断とはクレージーだ。あえて決行するなら、即ち自殺である……」と。さらに自転車通行禁止のハイウェー、山猫、熊、ガラガラ蛇の襲来など、不利な条件ばかりを述べ計画中止をすすめる。
そんな話を聞き、一時は意気消沈、計画断念まで考えたが、しかし、三年間見続けた夢は、なかなか消えない。「青春は二度ない、かつてどこかの男がヨットで太平洋を渡っているではないか、まして俺は陸の上……」と自ら励まして、ついに一九六六年三月二日、横浜港から、やっとこさ「日本脱出」に成功したのである。この時、ロサンゼルスまでの船の切符を買って、フトコロに残ったのは、わずか九万数千数十円也だった。

旅行コース( )は年月日
横浜('66/3/2)→ホノルル(3/10)→ロサンゼルス(3/17) →サンフランシスコ(7/20) ポートランド (7/29)ソルトレーク(8/20) → デンバー(9/3)→セントルイス(10/10) シカゴ (10/15) →デトロイト(10/31) トロント(カナダ)(10/10) バッファロー (11/7) → ニューヨーク (11/16) →飛行機。
マドリード (1/16)→グラナダ (1/22) → マルセーユ →モナコ(2/10)→サンレモ(2/11) → ピサ (2/12) →ローマ(2/13) マルセーユ (2/21) →ボンベイ (3/15) → コロンボ (3/19) →シンガポール(3/12) →バンコク(3/15) →香港(3/22)→横浜 ('67/3/29)


この写真のキャプション、
オレゴン州でキャンプ用トレーラーをバックに記念撮影
親善用に前輪の両サイドにつけた日の丸と星条旗がよく人目をひき昼飯をごちそうになった右手の時計型コンパス魔法ビンは便利だった。

2021年9月20日月曜日

丸石大阪支店

 丸石大阪支店

下の写真は丸石の大阪支店、ずらりと自転車が並んでいる。
これら自転車はプリミヤ、トライアンプ、ピアスのはずである。

日本で丸石商会が一手販売したプリミヤは、神戸市筒井町の日英自転車製造株式会社が製作した日本製のプリミヤ自転車、ピアスは石川商会時代からのブランド、トライアンプ号は後発の自転車である。

大阪市東区博労町(坐摩前筋) 合資会社丸石商会大阪支店
取扱商品、ピアス、トライアンプ、自転車付属品、BSA自動自転車など

全国自転車商名鑑 大正3年
国会図書館所蔵資料

同上

同上
国会図書館所蔵資料
コマ番号30

2021年9月19日日曜日

エンパイヤ号

 エンパイヤ号

今回も岡本の自転車である。

岡本と云えばすぐに思い浮かべる銘柄はノーリツ号である。ノーリツ号イコール岡本と云ったイメージが強い。これは岡本が何種類かあった銘柄をノーリツ号一本に集約したためで、大正13年からこの銘柄を踏襲している。それ以前はエンパイヤ号と云う銘柄が岡本のメインであり、当時の広告に度々このエンパイヤ号が登場する。

下の資料もその一つである。

1921年(大正10年)9月1日の官報
その宣伝文句に、

畏くも宮内省より数度御用命の光榮を荷ふ
博覧会共進会に於て毎次名誉金牌・大賞牌を拜受す
陸海軍逓信各省御指定の我社製品
輪界に斯る最大名誉を博せるは單り
我社製品…
要するに品質本位の優良車なればなり
 EMPIRE エンパイヤ自転車
名古屋 株式会社岡本自転車自動車製作所

とある。

大正10年9月1日付け官報の広告
国会図書館所蔵資料

2021年9月18日土曜日

ノーリツ号

 ノーリツ号

下の写真は昭和22年ごろの岡本ノーリツ号である。三菱十字号同様にフレームはジュラルミン製、戦後間もない時期に発売されたもの。このノーリツ号を入手してからも既に40年ほどになる。

軒下に長年置いているので劣化が著しい。スチールの部分は見ての通り赤さびだらけ。おそらくフレーム部分もかなり劣化が進んでいるだろう。

入手してから数回は試乗したが、フォークの強度に不安があり、それ以来まったく乗っていない。販売の当初からこのフォークの強度不足は問題で、折損事故も起きたとも聞いている。発売から何年間続いたのか分からないが数年で販売を停止したはずである。

このノーリツ号は浜松に腕のいい職人がいて、その店で組み立ててもらったもの。

以下がその辺の経緯である。

その腕のいい職人さんとは小栗自転車店の店主であった小栗幸平さんで、きっかけはラレーロードスターに付いていたスターメイ・アーチャーの内装ハブが故障して、どこの店に行っても修理ができないと断られていたが、あるバイク屋さんを訪ねたところ、腕のいい自転車店を知っていて、浜松市鴨江の小栗自転車店を紹介してくれた。

或日、小栗自転車店を尋ねた。店主は小栗幸平さんと言って、この時すでに83歳のご高齢であった。まず驚いたことは店の佇まいで、一般の自転車ショップのイメージからまったくかけ離れた店であった。店内に新品の自転車が置かれていないこと、床は土間であった。天井から古いフレームが何本も下がっていたり、中古の自転車が数台置いてあった程度。修理用の大きな作業台には万力があり、土間には確かフイゴのようなものもあった。昔の鍛冶屋のことは知らないが、たぶんそのイメージに近い店である。

小栗さんは釣りが趣味で、釣から帰ってきたところで、スターメイ・アーチャーの内装ハブの修理を依頼をした。早速、快諾をいただき、その日はラレー自転車を預けて帰る。

数日後に、店へ行ったところ、既に修理は終わっていて、完璧に直っていた。これがきっかけで小栗さんと親しくなり、中古車だが2台この店で購入した。1台は昭和22年製の岡本ノーリツ号で、これは天井から下がっていたフレームに適当な部品を組み合わせて作っていただいた。もう1台はこれも昭和20年頃のフレームで、形状はスチール製の十字号のような形であった。

奥がその岡本ノーリツ号

ヘッド部のリベット留め

 
クランクアームに
OKAMOTO CYCLE CO とある

錆は酷いがチェーンホイールも岡本のオリジナル

強度に不安があったフロントフォーク部分

チェーンステー後部

上部シートチューブまわりのようす

2021年9月17日金曜日

カッター號

 カッター號

先のブログの中で、(2021年9月14日火曜日、チドリ号

「昭和10年代にもチドリ号やカッター号があったのかいまのところ不明である」

と書いたが、本日、昭和4年度の輪界興信名鑑を眺めていたら、ヒドリの自転車カッター號が載っていた。下がその広告である。

昭和新進の標準車 ヒドリの三種
カッター號
フクフク號
レンサ號
ヒドリの自轉車 製造発売元 東京市日本橋区本銀町三丁目 正輪社

とある。

チドリ號については、チドリ商会と云う名で昭和4年、昭和12年発行の名鑑に出ている。はたしてこのチドリ商会がチドリ号の発売元であるのか、もしそうであれば、チドリ号代理店山内自転車店の店舗前写真の撮影年も昭和6年頃で間違いないということになる。

昭和4年、チドリ商会 東京市芝区櫻田鍛冶町三 小売商

昭和12年、チドリ商会 東京市渋谷区景丘10 完成車・フレーム製造

同じチドリ商会だが所在地が違っている。小売りと製造元の相違もある。はたして同じ会社なのか判断できかねる。チドリ号と云う銘柄も載っていない。

「輪界興信名鑑」
 昭和4年度 東部日本
日本輪界新聞社
昭和4年発行
国会図書館所蔵資料
コマ番号26

輪界興信名鑑・東部日本 昭和4年
国会図書館所蔵資料
コマ番号46

全国輪界興信名鑑. 昭和12年版
日本輪界新聞社
国会図書館所蔵資料
コマ番号71