2026年8月10日月曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本へ
パート1
エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン

Project Dharma: Following Thomas Stevens through Japan
Part I
by ERIC KNIGHT, Berwyn, Pennsylvania

多くのハイホイールライダーにとって、トーマス・スティーブンスが1884年に辿ったサンフランシスコからボストンまでのアメリカ横断の旅は、夢の目標である。2021年、サイレントスポーツ誌の記事「1884年以来の大陸横断ハイホイールライディング」の調査中に、トーマス・スティーブンスを辿った現代のライダー数名と話をし、彼らについて読む機会があった。

いつか彼らの冒険(マイケル・[シャドウ]・ガブリック、スティーブ・スティーブンス、ジェームズ・アレン、ジム・オグランド、ランディとエイミー・オレイニクなど)に参加したいという思いが、私の心に芽生えた。

少し後、大学時代のルームメイト、マーク・ケネディと近況を語り合っていた。偶然にも、マークと私は1986年、トーマス・スティーブンスが日本を旅行した100周年にベイツ大学で出会った。現在日本に住んでいるマークは、日本の田園地帯をバーチャルでサイクリングする新しい趣味について話してくれた。彼は自作のポールマウントにスポーツカメラを取り付け、電動自転車での旅を撮影し、その動画をウェブサイトwww.Country RoadsJapan.comに投稿している。

冗談で、彼は私がハイホイールを日本に持ってきてくれたら楽しいだろうと云った。それは少し非現実的な考えだと思い、ハイホイールをわざわざ日本に持ってくるなら、近所を数回日帰りで回るだけではなく、何か本格的なことをしなければならないと言った。

それから私は、トーマス・スティーブンスという、自転車による世界一周旅行という前例のない偉業を成し遂げた人物について彼に話した。彼の3年間にわたる壮大な旅の最終行程として日本が旅程に含まれていたことを確認し(図1)、私たちもそれを検討すべきだと提案した。

こうして、マークが後に「プロジェクト・ダルマ」と名付けることになる計画の2年間が始まった。ダルマの車輪は、仏教などの東洋(アジア)の精神的なシンボルであり、人生の旅における目標や野心といった意味を持っている。実際、ハイホイール自転車の日本語名には「ダルマ自転車」という名称がある。・・・


2頁
ホイールメン誌
2025年5月発行
№106

3頁

図1。これは1880年頃の珍しい日本の地図で、トーマス・スティーブンスが日本を横断した時代のものである。左上には北海道の挿入図があり、右下にはその他の日本の島々が描かれている。

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2026年8月9日日曜日

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

 第411号、第61巻、
1894年5月発行
BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES
No. 411. Vol. LXI,
MAY, 1894.

表紙

325頁


自転車と政治
自転車競技の歴史を丹念に調べても、このスポーツの統制と規制を歴代で目指してきた者たちの輝かしい功績を示す証拠は見つからないだろう。自転車に関する法制化の結果が権力者の弱さや怠慢に起因するかどうかは、統括団体の行動、あるいは不作為がアマチュアスポーツの事実上の崩壊をもたらしたという事実を鑑みれば、ほとんど問題ではない。彼らの政策は常に弱く、優柔不断で、先延ばしであり、アマチュアスポーツの名誉を汚さずに維持する力に自信を示したことは一度もない。包括的な原則が定められたことは一度もなく、その結果、重要な問題に関する彼らの行動は、やや狭量なその場の考慮事項によって決定されてきた。皮肉にもいまだにアマチュアスポーツと呼ばれているものからアマチュアを根絶するという結果に終わった衰退の道の第一歩は、自転車競技をスポーツ当局の管理から外した後、高尚な理想と民主主義の理念を持つ経験の浅い立法者たちが、アマチュアの定義から「機械工、職人、労働者」条項を大胆にも削除したときに踏み出された。・・・

註、『BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES』(ベイリーズ・マガジン・オブ・スポーツ・アンド・パスタイムズ)は、19世紀から20世紀前半にかけてイギリスで出版されていた月刊のスポーツ・娯楽雑誌。
刊行期間:1860年 〜 1926年
創刊元:ロンドンの A.H. Baily & Company(1889年以降は Vinton & Company が引き継ぐ)
正式名称:初期は『Baily's Monthly Magazine of Sports and Pastimes, and Racing Register』とも呼ばれていた。

2026年8月8日土曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

本日、米国のエリックさんから「ホイールメン」誌に投稿した「プロジェクト・ダルマ自転車」の記事が届いた。

彼とは2023年10月23日に小田原城で待ち合わせ、近くの喫茶店で歓談後、酒匂川のサイクリング場まで同行した。楽しい一時であった。

PROJECT DHARMA: Following Thomas Stevens Through Japan
Part II of III.by Eric Knight, Berwyn, Pennsylvania

ホイールメン誌に載った記事
プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本を横断
パート2/3 エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン
編集者註:これは、エリック・ナイトが1886年にトーマス・スティーブンスが辿ったのと同じ道を旅行し、日本を自転車で横断した記録のパート2である。前回のパート1(2025年5月号、第106号)では、ダルマ自転車を日本に持ち込む際に直面した困難と、九州の長崎から本州の下関までの最初の5日間の旅の詳細を語っている。このパート2では、下関から始まる。遭遇した困難、そして地元の日本人コミュニティからの友好的な交流と惜しみない支援について述べている。

6日目(2023年9月29日)広島への道
九州南部の島々は、下関海峡の強い潮流によって隔てられ、私たちの背後にあった。魚市場で朝食を済ませ、マークと私は本州にある山陽道(山陽地域を走る主要道路)を北に向かって自転車で走り始めた。6日目、またもや晴天で、比較的平坦な道だった。路肩のない道路は交通量が多く、交差点や信号機も多く、何度も停止と発進を繰り返した。また、ナビゲーションアプリのKomootを解釈しようとして、何度も道を間違えた。・・・


5頁
写真は、マークとエリック、岩国市錦帯橋の前で

小松輪友会

 小松輪友会

小松輪友会(川西町・昭和初期) 明治の終わり頃からプロによる自転車レースが各地で行なわれたという。これはアマチュアのメンバーでクラブを作りサイクリングに出かけた時の写真である。服装も軽装が多く、自転車はスポーツタイプだ。

註、小松町は山形県東置賜郡にあった町。現在の川西町中心部にあたる。

「目で見る米沢・置賜の100年」
郷土出版社 1995年発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

「写真集・やまがた100年」
山形新聞社 1988年発行

小松輪友会(大正初期) 明治の末期から大正期にかけて、各地で自転車競争が大流行した。川西町小松地区のハイカラ青年たちの自転車好きがいつしか集まり、スピードを競ったり、遠乗りをし、 仲間で小松輪友会と呼び合った。

註、上の資料の写真は、同じものだが、キャプションが一部相違している。
上は昭和初期とあり、下は大正初期である。自転車の形状から判断すると、明らかに大正初期と思われる。

2026年8月7日金曜日

サイクル誌

 サイクル誌

第1巻、第2号
マサチューセッツ州ボストン、1886年4月9日
The cycle
VoL. I., No. 2.
BOSTON, MASS., 9 APRIL, 1886.

註、この雑誌は、1886年にボストンで発行されていた自転車(サイクリング)専門誌「The Cycle」。「The Cycle」は、1886年から1887年にかけてAbbot Bassettによって発行された、ボストンを拠点とする週刊のサイクリング専門誌。ハイホイール(ペニーファージング)時代のアメリカのサイクリング文化を扱い、レースの結果、クラブの活動報告、製品レビュー、そして当時サイクリング界を賑わせていたアマチュア対プロ論争についての論説などを掲載していた。

広告、
「マールボロ・クラブ」
自動操舵装置
カタログはお申し込みください。
コベントリー機械工会社
ボストン、コロンバス通り239番地

註、 "The Marlboro' Club" というトライシクル(三輪自転車)の広告。
製造元:Coventry Machinists' Co.(イギリス・コヴェントリーの大手自転車メーカー)。もとはコヴェントリー・ソーイング・マシン社として設立され、後にコヴェントリー・マシニスツ社として法人化されてヴェロシペード(初期自転車)製造に転じた会社で、ジェイムズ・スターリーやウィリアム・ヒルマンなど、後に独立して名だたる自転車メーカーを興す人物たちが在籍していたことでも知られている。

表紙

23頁
ラッヂ広告


D.ラッジ社製 世界最古にして最大の自転車製造工場
イギリス、コベントリー
自転車と三輪車
1886 カタログ
米国総代理店 マサチューセッツ州ボストン、コングレス通り152~158番地
最新は常に最高。それがあなたの求めるものです。
ニューヨーク本社、ジョージ・R・ビッドウェル、ニューヨーク、東60丁目2番地および4番地

2026年8月6日木曜日

C.T.C. ガゼット

 C.T.C. ガゼット

第43巻 第4号 1924年4月
サイクリスト・ツーリング・クラブの公式機関誌
1876年創立
後援者:ジョージ5世国王陛下
1887年法人化
会長:ポートランド公爵閣下、K.G.、P.C.、G.C.V.O.
私たちの自転車はまもなく、このような景色の中を走ることになるでしょう。

表紙

註、1878年に設立されたイギリスのサイクリスト・ツーリング・クラブ(CTC)の公式機関誌「The CTC Gazette」の1924年4月号の表紙。イラストは、フランク・パターソン(Frank Patterson)に似ているが、サインが違う。誰であろうか。
署名は「JAMMO?」 のように読めるが、この署名だけから特定のイラストレーター名を断定することはできない。
「Our wheels will soon be spinning amid such scenes as this.」という文章が添えられ、当時ののどかな英国の風景が描かれている。ページ下部には「Ibsley Bridge, Ringwood, Hants.」と記載されており、具体的な場所の風景を題材にしている。
イブズリーの橋は、イングランド・ハンプシャー州ニューフォレストにある有名な橋。フランク・パターソンも度々この橋を描いている。

2026年8月5日水曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下の資料は出宮順一関連。

昭和十一年陸軍戶山學校大運動場で行はれた世界選手權大會全日本豫選會一萬米競走(先頭は出宮順一・岡山縣)のスナップ

註、写真は昭和11年(1936年)に戸山学校運動場で行われた世界選手権大会全日本予選会の様子。先頭を走っているのは、岡山県代表の選手であった出宮順一。


「自転車運動綱要」
日本自転車聯盟 編 目黒書店
昭和13年6月15日発行
国会図書館所蔵資料

奥付