2026年5月4日月曜日

スプリングフィールド・ホイールメンズ・ガゼット 誌

 スプリングフィールド・ホイールメンズ・ガゼット誌

月刊・サイクリング専門誌

第11巻 第1号

マサチューセッツ州スプリングフィールド、1884年5月号


ストッダード、ラヴァリング&カンパニー
ミルクストリート10番地
マサチューセッツ州ボストン
ブリティッシュ・チャレンジの米国総代理店
ラッヂ・ライト・ロードスター
コーリー・ヒルを登り切った唯一のダルマ自転車。
52インチ、走行準備完了時の重量は34ポンド。1883年のリーグ選手権はこの自転車で優勝し、1マイルを2分53秒で走破した。
仕様:両輪に調整式ボールベアリング、丸型バックボーン。中空楕円形フロントフォーク、セミチューブラーリアフォーク、湾曲中空ハンドルバー、クレメント中空フェロー、接線方向スポーク、ボールペダル、標準仕上げ。バックボーン、フォーク、フェロー、スポークはエナメル塗装、その他のパーツはニッケルメッキ。
価格:50インチ、140.00ドル。


スプリングフィールド・ホイールメンズ・ガゼット 誌
1884年5月号

註、『THE SPRINGFIELD WHEELMEN’S GAZETTE』は、1880年代前半のアメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドで発行された、地域密着型の月刊自転車雑誌で、レース結果・技術情報・クラブ活動・業界ニュースを中心に扱った刊行物。
創刊は、1883年  

2026年5月3日日曜日

自転車世界一周 - 11

自転車世界一周 - 11  

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

 1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その11。

 ペースメーカーのおかげで、時速16マイルで走った。古き良き奈良を出発し、2時間ちょっとで、古い街並みが広がる京都に到着した。

1868年、天皇が京都から新都の東京へ向かう際、先祖代々の装束を身にまとっていた。絹の衣をまとい、冠(立纓)は漆塗りの硬いものであった。数百人の神官たちが、俗人の目に触れないよう常に閉じられた金箔張りの鳳輦で移動した。周囲の武士たちは古風な鎧を身に着け、高く掲げた巨大な両手剣を携えていた。侍従たちは錦織の衣装をまとっていた。

10年後、天皇は京都に戻った。日本は文明を身にまとい、天皇は列車で旅をし、フロックコートと絹の帽子を身に着け、普通の人間のように歩き、宮殿へ行くときは、2頭の栗毛の馬に引かれた立派な馬車に乗っていた。このようにして日本は進歩したのである。

私たちは京都で3日間を過ごし、駆け回り、無数の神々などを見物した。その3日間で見た
神々や龍、寺院の数は、他の場所で2週間かけて見た数よりも多い。

しかし、私たちの中に、神々について互いに熱狂する人はいなかった。神々に関しては、私たちはすっかり飽きてしまっていた。

書斎に神像を置くのは素晴らしいことである。それを寒山、鬼子母神、須佐之、六部天など、好きなように呼んで構わない。しかし、その名前を知らない確率は100分の1である。あなたの友人が知らない確率は100万分の1で、彼らはあなたが知っていると思っている。だからそれでいいのである。

神像には確かに利点がある。奥様は植物標本を吸取紙に押し付ける際の重石として使えるかもしれないし、1歳の息子は神像の耳をかじって歯が生えるのを助けることができるかもしれない。

最悪の場合でも、温室にあるいつものシダや白塗りの石の中にあっても、それほど悪くは見えないだろう。温室では、シャツの袖口を汚し、自分がアマチュア園芸家であるという心地よい錯覚の中で居られる。

私たちは何千もの京都の神像を見た。それらは面白くなく、あまりにも混雑していた。そして、混雑した神像は威厳に見えない。私たちは千手観音立像を祀る三十三間堂に行った。その建物はアールズ・コートの大劇場を思い出させた。そこには何千もの神々が、何段にも並んでいた。皆、高さ5フィート、金色で、皆同じよう並んでいる。これほど多くの神々が集まったことはかつてなかった。中央には、巨大な観音像が鎮座していた。

観音菩薩が神か女神かは、あなたの好み次第である。ここでは、観音菩薩は、くすんだ金色の人物像で、頭は一つだけである。場所によっては、観音菩薩は多くの頭を持ち、時には馬の頭であり、千手でもある。千手とは、もちろん四十本の腕のことで、これらの腕には、法輪、蓮華、数珠・浄瓶・剣・宝珠・弓矢・羂索などが握られている。この観音像の頭部には、本物の頭蓋骨が入っていると云われる。700年前、ある天皇が重度の慢性頭痛に悩まされていた。当時は薬やホメオパシー療法などなく、天皇は当時の慣習に従って社寺巡礼を行い、痛みの緩和を求めた。ある夜、天皇が熱心に祈っていると、幻影が現れた。幻影は、天皇が前世で敬虔な僧侶であり、その善行によって天皇の位に昇ったと告げた。しかし、不幸にも前世の頭蓋骨は川底に沈んでおり、そこから柳の木が生え、風が吹くと木が揺れ、それが頭痛の原因となっていたのである。そこで翌朝、天皇は頭蓋骨を探しに行き、見つけると観音像の頭部に納めた。それが今、そこにある。私は実際に見たわけではないが、この話は信じたいと思う。
私たちは三光神の門を持つ天神様に行き、奇想天外で詩的な名前を持つ曲がった木々を見た。また、大徳寺の彫刻を見学し、狩野 探幽など、聞いたこともない画家たちが描いた絵画を鑑賞した。

445頁

446頁

2026年5月2日土曜日

自轉車瓦版 第108号

 自轉車瓦版 第108号

昭和61年2月13日発行

★E、バウアー氏からの手紙、拝啓 ライン河の増水で河沿の木々も水の下になる程一時は寒さがゆるみましたが、ここのところ又青空があおげ、代わりに真冬の寒さに戻ったボンです。大変興味深く絵入りの年賀状を有難うございました。 又、追って多くの日本の資料が届きました。どれも興味ある大変参考になる資料で喜んでおります。さて、以前のお手紙にありました質問にお答えします。西ドイツには個人的に自転車史等研究する人は居てもグループやクラブはありません。従って会報誌、機関誌もありません。自転車コレクションにつきましては個人の収集家はいないらしく、「二輸車博物館(ZWEI RAD MUSEUM)」に集められ、その所有の台数は70台にのぼります。この博物館のカタログももらいましたので、それをその町の案内図・ハガキ、又は先日偶然スイスで見っけた自転車工場の古いポスターのハガキと共に別便でお送りします。もしドイツにいらっしゃる機会がございましたら、その地図を持って是非訪ねてみて下さい。 なお、カタログには自転車以外の二輪車も載っています。昨年開かれた自転車発明家DRAIS (ドライス)の展示会の目録を手に入れましたので、昨年末にお送りしました。又、私の知人ラウク (RAUCK) が、日本滞在中に書いた小論文のコピーを上記のものと一緒にお送りします。彼はマスター論文でこのドライスの生涯を扱っていますので、その論文も手に入り次第お送りしたいと思います。二輪車博物館の情報から他の博物館又は古乗物協会という存在がわかって、その中の自転車担当の方に私は問い合わせの手紙を出しました。返事が来るまで暫くお待ち下さい。

敬具 1986.2.6、Dr. Erich Pauer ,  Japanologisches Seminar der Universität Bonn

ドイツのBrennabor-Werke
資料提供:E、バウアー氏

〇ドイツのBrennabor-Werke(ブレンナボア製作所)の1920年代自転車カタログ。
 創業: 1871年にライヒシュタイン兄弟によって設立。ドイツのブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル。かつては欧州最大の自転車メーカーの一つであった。
 Brennabor 3 Neues leichtes Turenrad(新型軽量ツーリング車)。
価格: 全3サイズ一律 150マルク。70インチのギア比、楕円形スチール製クランク、空気圧タイヤ(Pneumatiks)などを装備。
Brennabor 7 Neues feines leichtes Turenrad(新型上質軽量ツーリング車)。
 価格: 全3サイズ一律 180マルク。「Brennabor 3」より上位の豪華モデル。ニッケル仕様のリムや最高級のサドルが使われ、15マルクの追加で木製リムへの変更も可能。

自転車文化センター45周年

 自転車文化センター45周年

自転車文化センターの開館45周年を記念して、交通ルールに関する企画が開催されている。イベント内容: 「自転車青切符制度」に関するクイズに挑戦し、展示を見ながら参加すると、抽選で記念品が当たる企画。
開催期間: 2026年5月1日から開始され、記念品がなくなり次第終了。
会場: 自転車文化センターのギャラリー・ライブラリーにて。

イベントのポスター
自転車文化センター

2026年5月1日金曜日

「オーストラリアン・サイクリスト」誌

 「オーストラリアン・サイクリスト」誌

 「Australian Cyclist」(オーストラリアン・サイクリスト)誌は、1890年代からのオーストラリアの自転車界にとって中心的な情報源であった。

内容は、レース結果・クラブニュース・自転車広告・業界動向など。

サイクリング・ジャーナリズムの分野に参入するにあたり、少し説明をすると、その使命は、ビクトリア州だけでなく、南十字星の下にあるすべての土地で、レース、ツーリング、そしてサイクリングを促進することである。この植民地では以前にもサイクリング雑誌が発行されていた。最初に発行されたのは「ザ・バイシクル」で、10年以上前に数ヶ月間発行された。その後、「バイシクリング・ニュース」が18ヶ月で廃刊となり、さらに「オーストラリアン・サイクリング・ニュース」が1889年まで。その後、「オーストラリアン・ホイールメン」が、わずかな期間に登場した。

西オーストラリア州パースからニュージーランドのクライストチャーチ、タスマニア州ホバートからポートダーウィンまで、この広大な地域にサイクリングを普及させることで、自転車愛好家の心を結びつける。・・・


「オーストラリアン・サイクリスト」
メルボルン、1893年9月7日発行
創刊号

「オーストラリアン・サイクリスト」
1898年12月1日号
アッシャーの「トライアド」チェーンレス3段変速自転車
現代における最大の発明
50インチ、70インチ、116インチの3段変速ギア。走行中でも、衝撃、摩擦、騒音なしに瞬時に切り替え可能。最小限の動力で最大限の速度を実現。快適さ、優雅さ、経済性を兼ね備えているため、大きなメリットとなる。
この機構は、あらゆる自転車に適用可能である。

註、『Australian Cyclist』誌の創刊は、1893年9月7日である。

ビクトリア州のメルボルンで誕生したこの雑誌は、当初は週刊誌として発行され、瞬く間にオーストラリアを代表する自転車専門誌となった。
その後、1905年頃まで発行されたが、自転車ブームの終焉とともに、雑誌の内容も徐々に自動車やモターバイクの普及を支持する内容へと変遷した。

2026年4月30日木曜日

自転車世界一周 - 10

 自転車世界一周 - 10    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その10。

奈良の森にて

私たちが訪れた日は神道の聖なる日で、その日に生まれた子供は、前日や翌日に生まれた子供よりも1歳年上と数えられた。何千人もの巡礼者が神社を訪れていた。八角形の帽子をかぶり、長い灰色の絹の衣をまとった、頬のやつれた老人が、杖を振りながら寺から寺へとよろよろと歩いていた。剃髪し、黄色の袈裟をまとった僧侶が、静まり返った参道を厳粛な表情で歩いていた。

愛らしい日本の乙女たちが、下駄を履いて、互いの肩に寄り添いながら腕を組んで歩いていた。木々は長い枝を小道の上にアーチ状に伸ばし、膝まで埋まるシダの中から鹿が飛び出してきた。長い角を持つ雄鹿と優しい目の雌鹿が、恐れることなく走り回り、鼻を人の手に押し付けて餌の匂いを嗅いでいた。鹿は人間と友好的に暮らしている。昼間は森や小道を歩き回り、日没時にはラッパの音が響き、軽快な跳躍で夕食と柵の中の避難場所を求めてやってくる。

杉並木が、松林に囲まれた寺院へと向かっている。幹は赤褐色で、緑の葉が優しくささやき、霜で赤くなったつる植物が頭上で揺れる。苔むした水盤に流れ落ちる水の音が聞こえる。古風で、はるか昔を思わせる静寂な地衣類に覆われた石灯籠が、道沿いに2、3列並んでいる。今夜は灯籠にろうそくが灯され、和紙の覆いが風を防ぎ、木々の間には美しい影が舞い、きっと妖精たちが陽気に過ごすだろう。

しかし今は午後で、光は薄紫色に染まっている。私たちは巡礼者たちの間を散策し、神社の赤い鳥居をくぐって本殿へと向かう。春日大社には、何百もの彫刻が施された緑青の灯籠が静かに揺れている。他にもたくさんの寺院がある。若宮神社では、黒髪をほどいた若い娘たちが、藤の花で飾られた薄絹の衣装をまとい、厳粛な舞を踊る。彼女たちは緋色の椿の枝を優雅に振り回す。老僧たちは鐘を鳴らし、経を唱える。
近くには、雑草が生い茂る静かな池がある。娘たちは手をつないで、黒い水面を悲しげに見つめる。何百年も昔、ここで美しい乙女が、身を投げたと伝わる。彼女は天皇の息子を愛していた。彼女は日本のオフィーリアだ。

森の薄暗い奥まった場所に、忘れ去られたような神社がある。大きく広がる軒と素晴らしい持ち送りは、芸術的に朽ち果てつつある。信仰が、寺院を神秘と詩情で包み込んでいる。鐘の響き、僧侶たちの声明、シダの間を歩く鹿のざわめき、少女たちの軽やかな笑い声が聞こえる。自転車のシューッという音が長い並木道に歌い、ロンドンの自転車乗りの「気をつけろ!」という叫び声が、静寂を破る。

またしても素晴らしい一日、澄み渡り、穏やかで幸せな朝が私たちを迎えてくれた。わずか35マイル離れた古都、京都へと出発した。

443頁
挿絵、神社の入り口

444頁

2026年4月29日水曜日

自轉車瓦版 第107号

 自轉車瓦版 第107号

昭和61年2月13日発行

★現代版ペダーセンはいかが?

Dursley Pedersenは今でも人気のあるクラシック自転車であるが、この程、現代風にアレンジされたペダーセンが入手出来る。価格は$1175とやや高価だが、乗り心地は Dursley Pedersen以上とか、希望者、八神商会へ。

★三元車に似た自転車は、「キング・オブ・ロード」という本に出ている シンガー・トライシクルであるが、 1880年の『THE CHALLENGE』というシンガーのカタログの中にも、同型の三輪車が出ている。ハンドルのグリップの形状を除いて、他は殆ど同じである。

★自転車と女性と言うと、すぐ思い出すのは、三浦 環である。しかし、それ以前に自転車と関係があった女性は意外と知られていない。その一人「自転車のお玉」は裏面史の彼方に、今にも消えようとしている。彼女が登場する時代は、自転車史そのものもよくわからない、明治8年頃である。だからどのような自転車に乗ったかもわかっていない。ダルマ自転車と言う人もあれば、ボーンシェーカーあるいは三輪車とも云う。まだまだ、自転車史は未知の部分が多いのである。

◎情報等をお待ちしております。


シンガー模造三元車 1883年(明治16年)頃

イギリスのシンガー社製三輪車 1879年
「キング・オブ・ロード」より

シンガー・チャレンジ三輪車 第1号
(折りたたみ式)1880年

2026年4月28日火曜日

ル・ヴェロセマン誌

 ル・ヴェロセマン誌

「アウティング」誌の中に『LE VELOCEMAN』誌の記事を引用して、フランスには良い自転車競技場がないことを嘆いている。

1886年9月15日付の、フランスの『LE VELOCEMAN』は、フランス国内に良質なトラックがないことを嘆き、イギリスで記録を打ち立てた優秀な選手たちがフランスで成功できなかった理由として、海外のトラックの方が国内のトラックよりも優れていることを挙げている。記事の結びはこうだ。「この重大な問題に真剣に取り組むべきだ。ためらうことなく、恒久的なトラックを建設しなければ、フランスにとって自転車競技は破滅してしまうだろう。」

とある。


263頁
「アウティング」誌
第10巻
1886年12月号

「ル・ヴェロセマン」誌
1885年2月15日

註、1885年2月15日に発行されたフランスの月刊自転車雑誌 『Le Véloceman』(ル・ヴェロセマン)の第1巻・第2号の表紙。
イギリスのコヴェントリーに拠点を置いていた D. Rudge & Co(D. ラッジ社)の広告。

2026年4月27日月曜日

自転車世界一周 - 9

 自転車世界一周 - 9    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その9。

女性には神々しさがあった。聖アントニウスは、きっと日本の茶屋には行ったことがないだろう。

「これは日本の流行、熱狂と呼ぶかもしれない。それは弱い心の表れだと言うかもしれない。しかし、日本に行って、オユチャさんを見れば、残りの人生ずっとオユチャさんに夢中になるでしょう。」

そして、恋に落ちた海軍士官が「ロザリー」の美しいメロディーにのせて書いたこの「オユチャさん」の歌を、私たちイギリス人は、妖精のランプと月明かりに照らされた幻想的な街並みを人力車でガタガタと走りながら歌った。空気は芳しく、私たちはロマンスの世界にいた。

日本語が堪能な神戸地区のベルギー領事、レンオー氏と、モンゴルで金を探して7ヶ月間馬に乗っていたスルマン氏という興味深い二人が数日間の休暇を取り、タンデム自転車で私たちを先導してくれた。道は良好で、奈良の森への道を知っているレンオー氏は、私たちを軽快に走らせてくれた。

「君たちの経験が羨ましいよ」と、松並木をスムーズに走り抜けながら彼は言った。「2年間も、あらゆる国を旅するなんて!素晴らしい!」
私たちは小さな村々を走り抜けた。「レンオーさん、道は合っていますか?」と私は尋ねました。「昨日、南の丘陵地帯を迂回するように言われたのですが。」
「まあ、その通りだ。前にも来たことがある。2年間も自転車で旅するなんて!私も一緒に行きたい。」
「中国にはこんな道はなかった。」
「そうなのか?」
私たちは断崖絶壁の山脈に向かっていたが、道は突然狭くなり、荒れていて走行不可能になった。
「やっぱり、これは間違っているんじゃないか!」とレンホールは言った。
「ああ、君は素晴らしいね」と私は答えた。「もし私たちだけで来ていたら、たった6つの日本語だけで道を見つけられただろうか。」

しかし、田舎の人々は峡谷を通る道があると言い、結局私たちは幹線道路に出られるだろうと言った。登り始めたが、道は険しく、腰が痛くなり、滑りやすく、20ヤードごとに「ふう!」と息を切らして立ち止まった。30分後、ルノーは切り株に座り、額の汗を拭いながら言った。「これは本当に大変だ。毎日こんなのは嫌だな。君は旅でこんな経験をしたことがあるのか​​?」
「たいしたことないよ」と私たちは彼に言った。「中国西部では、これよりひどい状態が2週間も続いたものだ!」
私たちは再び歩き始めた。うなり声と、喉の渇き、そして罵り声もあった。
「素晴らしいでしょう、ルノー?」と私は思い切って言った。「数ヶ月こんな旅をしたらいいのに。私たちの中国横断旅行を体験したくなかったのかい?」
「ああ、お前と中国を飛ばしただろう!」と、息を切らしたベルギー人は言った。「お金をもらっても、二度とこんな経験はしたくない。岩をよじ登って自転車を押すなんて馬鹿げたことだ。ビールが飲みたかったよ。」
ようやく頂上に着き、谷底には本来通るべきだった道があり、暗い森の向こうには奈良の甍や仏塔がそびえていた。さらに20分ほど走ると、よい道に出て、ものすごいスピードで村や集落を駆け抜けた。そして一気に奈良の広い通りに出て、素朴な宿屋の前に着くと、バラ色の顔をした6人ほどの娘たちが、パタパタと音を立てるサンダルを履いて、飲み物とスリッパと昼食を持ってきてくれた。
午後遅く、私たちは奈良を通り抜けた。1000年前には日本の首都だった美しい古都だが、今は眠れる大聖堂の街のように、のどかで静かな雰囲気に包まれている。
世界中のあらゆる場所は、同じように、個性を持っている。奈良の個性は、世の煩わしさに悩まされることなく、尼僧の皺の寄った顔は、いつも穏やかな微笑みを浮かべている。美しい魂を持つ尼僧のようである。それが奈良である。文明化によってありきたりで粗末なものにはなっておらず、そこには、古き良き日本の美しさが残っている。


441頁

442頁

2026年4月26日日曜日

バイシクリング・ワールド誌 - 5

 バイシクリング・ワールド誌 - 5  

この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。

THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)

1888年2月17日

248頁、

トーマス・スティーブンス氏は昨日16日、ハドソン郡の自転車愛好家たちの前に姿を現し、世界一周旅行についての講演を行った。


248頁

2026年4月25日土曜日

自転車世界一周 - 8

 自転車世界一周 - 8    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その8。

それから私たちは陽気な群衆の中を、大阪までの道のりの半分ほどを、タンデム自転車に乗ったベルギー人とスイス人に先導されて向かった。大阪は日本の大商業中心地で、誰もが金儲けに熱心の街である。貿易においてはシカゴ、立地においてはベニスといったところだろうか。運河と橋が中心の街である。清潔な半ヨーロッパ風の宿で昼食をいただき、コーヒーと葉巻を楽しんだ後、自転車に乗って観光に出かけた。その日の午後、私たちは混雑した通りを13マイル(約21キロ)走り抜けた。

私たちは大阪城へ案内された。それはバールベック産のような石で造られた巨大な石垣で、中には長さ46フィート、高さ12フィートもある石もあった。小さな兵隊が私たちの後を小走りでついて行き、大砲が持ち去られていないか確認していた。それから私たちは自転車で市場を巡り、金持ちになったような想像した。上質な陶器や凝った彫刻、柔らかな絹織物、精巧な型押しが施された革製品を見た。そして、劇場通りを通り抜けた。そこはまさに色鮮やかな旗がはためく賑やかな光景であった。1マイルにわたって劇場が立ち並び、それぞれの劇場の前には、お気に入りの女優の20種類の最もエキサイティングな場面を描いた大きな手描きのポスターが飾られていた。

通りは午後の散歩客で賑わっており、私たち12人はベルを鳴らしながら、その中を通り抜けた。私たちは、堂々とした構造物である大きな塔に行き、登るように勧められた。しかし、その眺めを当然のことと思い、下に居た。

塔の中央には、巨大な梁の振り子が揺れていた。日本は地震の国であり、平均して1日に2回発生する。大きな地震であれば、あの高さの塔は倒壊するだろう。しかし、地震が起こると、その振り子が揺れ始める。それは建物にも容易な揺れを与えるため、地震は回避される。

ガタガタと音を立てながら、私たちはさらに何マイルも賑やかな通りを走り抜けてた。

大阪で唯一のイギリス人女性にアフタヌーンティーを頼むために30分ほど自転車を止め休憩し、また走り出した。5日間でヨーロッパを「回った」アメリカ人は、私たちが3時間で大阪を回ったのに比べれば、遅いと思う。

同行してくれた神戸の友人たちと、大阪で知り合ったばかりの人々は、もてなしてくれ、夕食は盛大であった。その後、皆で人力車に乗り込み、水面に月光が揺らめく運河沿いを走った。何千もの灯籠がゆらゆらと揺れる薄暗い路地を進んだ。その光景は素晴らしく芸術的で、まるで妖精の世界のようであった。陽気な人々の歌声、三味線の響き、そして人形の家のような格子窓から漏れる少女たちの笑い声が、辺りを満たしていた。そして、まばゆいばかりの茶屋の入り口にたどり着いた。

豪華な日本の宴が催された。私たちは絹の敷物に座り、炭火の火鉢で手を温めた。小さな娘たちが、食事を携えて、静かに歩いてきた。くすくす笑う芸妓たちが、鮮やかで上品な衣装をまとって現れた。サテンの着物は胸元で美しく交差し、後ろには大きな金糸の帯が巻かれていた。これらは日本の女性の服装の特徴である。芸妓たちは柔らかい絹の帯をいじりながら、手鏡に映るえくぼのある小さな顔を眺めていた。彼女たちは頬に麝香の粉をはたき、美しい歯を見せて微笑んだ。
彼女は芸者だが、清潔さ、優雅さ、礼儀正しさの真髄であり、魅力的だった。たくさんの歌を歌い踊った。その踊りは、ベルグラビアのおしゃれな若い女性が私たちを楽しませてくれるような、ハイキックやスカートをくるくる回すようなものではなかった。それは長い一連のポーズだった。顔は静止し、目は穏やかだった。手首の動きや頭の傾きの一つ一つが研究されている。着物は足元に美しい曲線を描いて流れ、それは夢のようであった。


437頁

438頁

439頁
挿絵 午後に芸者と

2026年4月24日金曜日

自轉車瓦版 第106号

 自轉車瓦版 第106号

昭和61年2月8日発行

★外国書籍のあっせん、

① BARTLEET'S BICYCLE BOOK (reprint) 

②THE WORLD ON WHEELS 

③ Bicycles (and tricycles) of the year 1877-80 (reprint) 

④BICYCLE PEOPLE 

⑤THE MOULTON BICYCLE 

⑥TEN THOUSAND MILES ON A BICYCLE 

⑦WHEN BIKEHOOD WAS IN FLOWER 

⑧BICYCLES ON PARADE 

⑨KING OF THE ROAD 

⑩BICYCLES AND TRICYCLES (reprint)

⑪VICTORIAN HIGH WHEELERS

⑫ EARLY BICYCLES

⑬ THE STORY OF THE BICYCLE

以上はすべて自転車史関連の図書、申込みは事務局か、八神商会へ。

(品切れがあるかもしれません、事前にお問い合わせください)


ジョン・ピンカートンによって
1983年に復刻出版された本

King of the Road (An Illustrated History of Cycling)
by Andrew Ritchie
January 1, 1975

Bicycles and tricycles of the year 1877-80
原書のコピー

2026年4月23日木曜日

ドライス男爵関連

 ドライス男爵関連

下の資料にドライス男爵に関連した記事がある。

「伝記文学・ハンドブック」
数学者、天文学者、物理学者、化学者、鉱物学者、地質学者など。
J. C. ポッゲンドルフ
EFBLIN科学アカデミー会員
第1巻 A-L
ライプツィヒ、1863年 ヨハン・アンブロシウス・バルト出版社

表題

600頁

ドライス・フォン・ザウアーブロン、カール男爵。 - バーデン森林局長兼侍従。G. H. フォン・ラングスドルフのブラジルへの科学調査旅行に同行。

1783年頃生まれ、…
1851年12月12日、カールスルーエにて死去。

彼が新たに発明した走行機械(ドライジーネ、ヴェロシペード)の図解と説明、マンハイム、1848年。また、おそらく彼によるものと思われる:あらゆる(数値)方程式を解くための公式、マンハイム、1824年。

(JM.11)第17巻では、父カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ルートヴィヒ(マンハイム高等控訴裁判所長官、1755年9月23日、アンスバッハ生まれ、1830年2月2日没)が発明者として誤って記載されている。更に同巻のXXIIでは、叔父のフランツ・ゲオルク・ハインリヒ(フライブルクの森林局長、1758年5月20日アンスバッハ生まれ)が発明者として誤って記載されている。

註、自転車の先駆けである「ドライジーネ」を発明した、ドイツの貴族で発明家のカール・フォン・ドライス(Karl von Drais)に関する記録。
主な内容は以下の通り、
 フルネームはカール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・クリスティアン・ルートヴィヒ・フライヘア・フォン・ドライス・フォン・ザウアーブロン。バーデンの林務官及び侍従を務めていた。
経歴と功績: ラングスドルフのブラジル学術探検に同行した。1818年にマンハイムで、自身が発明した「走行マシン」(Laufmaschine)であるドライジーネ(Draisine)の図解と解説した。
 1783年頃に生まれ、1851年12月12日にカールスルーエで死去。
 文末の注釈では、別の資料において彼の父や叔父が誤って発明者として記載されていることについて、訂正と補足が行われている。

2026年4月22日水曜日

自轉車瓦版 第105号

 自轉車瓦版 第105号

昭和61年2月2日発行

★バリの小林恵三氏からの手紙、

①フランスにはUVBEというクラシック自転車愛好会あり、同名の会報(月刊)を出している。 UVBEの編集長はMALOCHET Roland (Rue André-Morand 41700 CONTRES, FRANCE). ② フランスでのボーンシェーカーの値段は15.000FF (約45万円) ぐらい。オーディナリーは、ボーンシェーカーより、 やや安めと思われるが、いずれにしてもその台数は少ない。イギリスにはまだまだある。
③ 自転車史の関係の本では『ドライスの伝記』 (独語)が出ている、入手先:Michael Rauck. Spitzlbergerstraße 5a 8032 GRÄFELFING. West Germany. 価格は59マルク、ラウク氏は著者で、日本語での注文も可能。
④フランスの自転車コレクターは約200名位おり、『コレシクリスム』という機関誌も出している。コレシクリスムの緑集長は、R.CHERVET (2 Bd. Branly 21300  CHENOVE FRANCE).

私は、現在ドライスとミショーに関する研究をしている。

 ★深谷市の近藤元ニ氏より、大正時代に行なわれた自転車レースの写真を送っていただいた。このレースは、深谷商業学校(現、県立深谷商業高校)の開校を記念して行なわれたレースで、大正 11年11月15日に撮影されたものと言われる。近藤氏の店には大正時代のカタログや伝票類等もまだ残っているとのこと。(サイクルショップ・コンドー)

Karl Freiherr Drais von Sauerbronn: Erfinder und Unternehmer (1795-1851) (Beiträge zur Wirtschafts- und Sozialgeschichte) Perfect Paperback – 1 Jan. 1985
by Michael Rauck (Author)
カール・フライヘル・ドライス・フォン・ザウアーブロン:発明家にして起業家(1795-1851)(経済社会史への貢献)マイケル・ラウク著  1985年1月1日発行

広告
「クアドラント」自転車 No.20 
ダイヤモンドフレーム
1891年頃
"QUADRANT" Bicyclette N° 20 
Tonton-veloより

その他のクラシック自転車愛好会
☆Audax Club Parisien(ACP)

- パリの老舗クラブで、ブルベ(BRM)を主催する世界的組織。  
☆Vélo Rétro 及び Vélocipède 19e などの古典自転車愛好会
- 19世紀型のボーンシェーカーやダルマ自転車を含む、歴史的自転車の保存・走行会を行う団体。  

2026年4月21日火曜日

自転車世界一周 - 7

 自転車世界一周 - 7    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その7。

ある日の午後、4人の少女が格式高い茶道に興じた。日本の茶道は芸術的であり、詩でもある。ソネットを書くように、厳格な作法に従いお茶を飲む。お湯を注ぐことから、飲んだ後の茶碗を洗うことまで、すべての動作が清らかで儀式的な作法である。私たちは床に座った。女主人役の丸顔の少女、他の3人の少女、チャーチ先生、そして訪問者。誰も一言も話さなかった。この茶道は「茶の湯」と呼ばれ、静寂の中で行われた。茶は小さな棗に入った緑色の粉末だった。棗は決まった持ち方で持ち、蓋は決まった動作で開けられ、お湯を注ぐ柄杓は特定の方法で持ち上げられ、小さな竹製の茶筅で茶をかき混ぜた茶碗は優雅に体を曲げて客に手渡された。泡立ったお茶を飲み干すと、茶碗は厳粛に頭を下げて返された。儀式全体は簡素ながらも優雅で洗練されていた。それは単なるお茶を飲むことではなく、小さな詩を演じているように感じられた。

そして、その晩きちんとした着物を着た少女たちが教室に集まり、床に半円形に座ったとき、私は旅の話をするように頼まれた。

イギリスの女子生徒たちの前で話すことは、男の内気さを試す良い機会だが、12歳から20歳までの40人の日本人の娘たちの前で外国語を話すことに比べれば、それは何ほどのことだろうか?しかし、彼女たちはイギリスの女子生徒たちのように笑うことはなかった。彼女たちは小さな手を膝の上に置いて、慎ましやかに座っていた。

私の傍らには、粗末な服を着て、すらりとした、愛らしい顔立ちの日本人少女が立っていた。彼女は美しい英語を話し、日本人が言っていることを通訳した。

私たち3人が神戸で合流した時、ビーチコーマーズ・サイクリング協会が夕食会を開いてくれた。ビーチコーマーとは、常に金欠で、条約港をぶらぶらして仕事を探し、決して見つからないようにと天に祈っている人のことである。日本で最も美しい場所の一つに住むことになったのは運命のいたずらだと考えている。神戸の陽気な紳士淑女たちは、自分たちを「ビーチコーマーズ」と呼んでいる。彼らの協会には変わったところがある。ある会員の一人は、夕食会で、鴨をきちんと切り分けられなかったという理由で、普通の機械清掃員に降格された。他の会員は皆、立派な肩書きを持っている。食事の最中、誰かが外に出て、屋根から鉛の塊を盗み、私たちの訪問を記念するメダルを鋳造した。ビーチコーマーズは魅力的な人たちで、私たちが家に帰ったのは午前4時であった。

神戸は骨董品の輸出が盛んである。毎月何千もの箱が出荷され、中には本国の人々が日本品だと思っている品々が入っている。しかし、それらを日本の家庭で見かけることは決してない。ある商人が私にこう言った。「日本の骨董品はほとんど残っていません。それに、一般の人は日本の美術品を理解できません。彼らが理解するのは、私がデザインして『日本品』とラベルを貼ったものです。この日本の屏風を見てください。日本中どこへ行っても、家でこの屏風を見かけることはないでしょう。私はヨーロッパ市場向けに作っているのです。」
「ビジネスなんてどうでもいい。そんなものには興味がない」と、神戸を出発する朝、神戸のサイクリストたちは言った。
小さな群衆が一日私たちに付き添ってくれた。ホテルの階段に立っていると、神戸サイクリストクラブの日本人代表団がやって来て、たどたどしいながらも親切な英語で私たちを褒め称え、「勇敢で勇気ある」自転車旅行を称えるメッセージが刻まれた銀の星を一人一人にくれた。彼らは私たちを町から見送り、歓声をあげた。

435頁
挿絵 オユチャさん

436頁


2026年4月20日月曜日

自轉車瓦版 第104号

 自轉車瓦版 第104号

昭和61年1月24日発行

外国製 アンティック自転車のあっせん、

①アメリカ製ボーンシェーカー、たいへん精巧な仕上げでアメリカ型のボーンシェーカーの特徴がよく現われている。保存状態は完璧である。 $2.750-

② コロンビア・バイシクル、1950年代のモデル(復元車) この形からビーチクルーザーが生まれ、マウンテンバイクへと引き継がれている。 $269-. (価格には船賃、通関料その他の経費は含まれていない)

問い合せは  (株)八神商会まで。

★東京の東小金井駅のそばにある東京農工大学附属繊維博物館でマッチ・ラベル展を開催中、自転車関係のもので 40枚程出展されている。この展示会は2月1 日まで。植原郭氏からの情報。

★自転車文化センターの広報誌 BCCインフォメーションの1月号に 日本製ミショーと題して、次のような記事があった。「明治20年代につくられたミショー型自転車で、泥よけがついているのが珍しい。玉野市 (岡山県)の大エだった広畑浅太郎(1872-1950)が設計し、鍛冶職人と共同製作したものです。浅太郎は、本業のかたわら自動織機を考案したり、発明工夫に大いに興味をもていたようです」

註、明治20年と言えば、既に欧米ではセーフティーの時代を迎えようとしている時期である。

★自転車に関する情報等をお待ちしております。編集部。

1984年8月17日付け山陽新聞の記事
八浜町の広畑浅太郎さんが明治時代中期に自作したミショー型自転車と伝えられている。

岡山の河原コレクション
これも広畑浅太郎氏製作のミショー型か?
明治20年代後半

2026年4月19日日曜日

自転車世界一周 - 6

 自転車世界一周 - 6 

「自転車世界一周」  

ジョン・フォスター・フレイザー著 

 1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その6。

第34章

私たちが自転車に乗り、広島から去った朝、大地は霜でキラキラと輝いていた。薄く低い乳白色の霞が大地を覆っていたが、丘は太陽の光を浴びてくっきりと浮かび上がり、まるで空に浮かぶ島のように見えた。木立や谷間には、墓地があり、簡素ながらも印象的で、木々の下には苔むした墓石があり、枝の上では陽気な鳥たちがさえずっていた。

道が分岐する場所には、古びた石灯籠が並んでいた。どっしりとして不思議な石灯籠には、夕暮れのそよ風から炎を守るための紙の窓がはめ込まれていた。沿道には、立派な戦没者を偲ぶ慰霊塔や、戦いを記念する記念碑が点在していた。それらは、私たちの故郷にあるような厳粛で磨かれた台座ではなく、歪んだ不規則な岩の塊で、表面には金色の碑文が刻まれていた。その美しさは、飾らないところにあった。

多くの丘の斜面には、寺社へと続く小道があった。たいていは神社だが、時には仏教寺院もあった。頭を垂れ、眉間にしわを寄せた老僧が、苔むした小さな参道を時折よろよろと歩いていた。しかし、騒がしい世間はそこには入り込んでいない。

神々や悪魔の幻想的な姿が、木々の涼しい影から私たちを見つめていた。どれもが、世界がまだ若かった頃から語り継がれてきた、神話的で美しい物語を持っていた。

私たちは空を飛んでいた。14世紀で、物憂げなアーモンド形の目をした、奇妙なローブをまとった人々の中で昼食をとった。彼らは私たちに優しく丁寧に挨拶してくれた。6時間後、私たちは19世紀にいた。まるでアラジンの魔法のランプに触れたかのように、時空を超えて連れて行かれたのである。道の上を列車が轟音を立てて走り、寝室には電気ベルがあった。それはヨーロッパ風で、たいていは故障していた。

しかし、日本は奇妙ではあるものの、日本人でさえ損なうことのできない魅力を持っている。瀬戸内海に点在する島々と海辺の美しさは、夢のように私の記憶に残っている。

私たちは丘陵地帯を自転車で走っていた。時折、道は海岸へと曲がりくねっていた。水面は銀色の平原のように広がり、波は近くの岩に絹のささやき声のように打ち寄せていた。島々は楽園のようだった。丘の頂上には羽毛のような松の木が生えていた。泡立つ滝が谷間に流れ落ち、笑い声を上げていた。それらは善​​良な人間だと感じさせた。このような美しさの中では、誰も罪人ではいられない。

夕暮れ時、太陽が沈み、炎のベッドに横たわる神々のように、紫の青みがかった、穏やかな夕焼けだった。

ある日の午後、雨が降り、空は悲しみに満ちていた。すると、雲に裂け目が開き、淡い太陽の光が差し込み、海と陸に降り注いだ。それは、悲しみに暮れていた美しい女性が、涙を流しながら微笑んでいるかのようであった。はるか東の空では、黒い夜のフードが巻き上げられ、頭上には不気味な緑色の空が広がっていた。海は鋼鉄色になり、水面に淡い光が降り注いだ。空の緑は西の青と混ざり合い、青はオレンジ色に溶け込み、世界の果てには一本の細い金色の筋があった。その後、金色は消え、オレンジ色は薄れ、緑と青は消え、黒いフードがすべてを覆った。
感傷は罪だが、日本の海岸で夜の訪れを見守った者は許されるかもしれない。静寂の中で休息し、物思いにふけるうちに、神聖な静けさが魂に忍び寄ってくる。世界中を旅して、喜びを見つけ、美徳をひけらかさないサイクリストでさえ、夜が静まり、海辺に座っているとき、時を滑るように進み、古き日本の神話の中に神性を見出すかもしれない。

さて、私たちは尾道という小さな町に1日遅くに着いた。夕方、2日以内に神戸に到着する予定であったが、夜から雨が降り、翌日も次の日も降り続いた。3日3晩雨が降り、その後、道路が少し乾くのを待つために1日休む。そのため、4日間の休憩となった。
「雨がひどい!」と、茶屋の娘たちは毎朝つぶやいていた。それから、彼女たちは私たちを囲んで日本語を教え、気分を良くしてくれた。
私たちは日本式の生活を送った。サイクリングウェアを脱ぎ、着心地の良い着物に着替え、足の骨が軋むまで床に座り、小さな皿に盛られたご飯と小さな魚の切り身を食べ、いくつも餅を食べ、たくさんのお茶を飲んだ。
そして、可愛らしいお茶娘のオユチャさんは、毎日午後になると、彼女ならではの優雅さで、一杯の「尊いお茶」を私たちに入れてくれた。「もう少し召し上がってください」と、彼女は小さくお辞儀をして微笑みながら言った。立ち去る前に、彼女は人形のような両手を床に置き、小さな鼻を畳に付けた。

道はぬかるんでいたが、ようやく気持ちの良い田園地帯を抜けて岡山に到着した。岡山は庭園と遊園地、ちょっとしたピクニックのための別荘、そして、カエデ、桜、藤、ヤシなどの美しい木々で有名である。

翌日、私たちは何事もなく姫路へと向かった。姫路には30の櫓を戴く堂々とした城があり、活気に満ち溢れていた。ここで私は体調を崩してしまい、ルンとロウは二人だけで神戸へと向かった。彼らの到着は事前に知らせられていた。12マイルほど手前で10人のサイクリストが彼らを迎え、宿屋へと案内してくれた。宿屋では美味しいイギリス式の紅茶が待っており、そこから街へと軽快に走り出した。神戸のサイクリストたちは、自分たちはただの平凡な自転車乗りだと謝っていた。それが彼らの謙遜であった。彼らは雪崩のように街に押し寄せ、多くの日本人が迷惑したはずである。
姫路で寝ていた私は、アメリカ人宣教師のチャーチさんに発見され、世話をしてもらった。チャーチさんは女子校の校長で、つり目の明るい女の子たちが集まる学校だった。

432頁

433頁

434頁

2026年4月18日土曜日

自轉車瓦版 第103号

 自轉車瓦版 第103号

昭和61年1月15日発行

★小学館から『自転車父ちゃん旅だより』という子供向けの本が出版された。定価1200円、 A4版。なかなか楽しい本である。(大阪・高橋 勇氏より)

★瓦版のNO.101と同様 『コレクティング&レストリング・アンティック・バイシクルス』1981年から転載。

DIRECTORY RESTORATION INFORMATION
Wheelmen Bulletins available to members
Bulletin   Title
 Number   
1、Advice On Buying A High Wheel Bicycle
2、Learning to Ride the Ordinary
3、 Restoration and Restoration Data Sheets
4、Mounting Tires on the Ordinary
5、The Bicycle Uniform From Head to Foot
6、Bicycle Bugles and Bugling
7、Nickel, Bright and Gun Blue Finishes
8、How to Organize A Wheelmen Meet
9、Parade Riding
10、Making Leather Saddles For the Ordinary 
11、Wood Finishing Straightening and Bleaching
12、The Story of Bicycling in America
13、Research Your Antique Bicycles Before Restoring
14、More on Bright Nickel Plating
15、Bicycle Literature Collecting
16、Evolution of the Bicycle, Historical Events
17、 Fancy Ladies' Skirt Guards, How to Attach
18、World Postage Stamps on Bicycling
19、Physical Fitness Preparation for the Century Ride
20、A New Method of Tiring and A New Machine
The Restoration of Veteran Cycles by F.R. Whitt, 1979, available from the Southern Veteran Cycle Club, 383 Wanstead Park Rd., Ilford, Essen, 161 3TT, England
DIRECTORY RESTORATION SERVICES
(Note: Numbers preceding each name correspond to code numbers listed in the next section under services).
Sources
1、 G. Donald Adamas Henry Ford Museum Dearborn, Michigan 48121 
2、 Paul Gibson 32 pelham Rd. Hudson, New Hampshire 03061
3、 Richard Hammel 970 Ray St. RR1, Box 17 Huntington, Indiana 46750
4、Art Hart North Road RR 1. Box 91 B Chester, New Jersey 07930
5、 Lowell Kennedy Kennedy Machine Shop RFD1 Defiance, Ohio 43512
6、 David Meta 25 Broadway Freehold, New Jersey 07728
7、 Universal Tire Company 2650 Columbia Lancaster, Pa. 17603
8、John  Vanderpoel 119 Crescent Road Concord, Massachusetts 01742
9、 Carl  Wiedman 3515 Walbri Drive Bloomfield Hills, Michigan 48013
10、Gary Woodward 6549 Fleming Court Drive Ann Arbor, Michigan 48105
Services
(Send self-addressed, stamped, envelope when contacting these sources)
Brake hardware, ordinary-5
Cleaning and preserving-1
Handlebar grips, ordinary pear shaped-4&5
Handlebar grips, ordinary double grip-5
Handlebar grips, leather and cork-5,10
Mudguards, duplicate wood-2
Plating, nickel-5
Rims, new duplicate steel-5
Rubber, pedal duplicating original-6
Restorations, compete and partial ail bicycles and tricycles-5, 8, 10
Saddle cutting template-9 Saddle leather work-5.8
Saddle pans and other hardware-8
Sandblasting-5
Spokes, double and single butted-8
Spoking and truing wheels-5, 10
Stands, hoop and reproduction of original -5
Steps-ordinary-5
Tire mounting-3, 5, 9, 10 Tiring device, Wiedman-9
Tires, single tube pneumatic, new-7
Tires, solid wire on 7/16" to 14"-3,5
Supplies and Information
Advice proper uniform color and style for your state, Wheelmen Bulletins, bat Issues The Wheelmen magazines, David Gray, 39 Squirrel Rd: Doylestown, PA 18901.
Wheelmen uniform buttons, Fred Fisk, 2815 Moraine Ave., Dayton, Ohio, 45406

修復情報一覧
会員向けホイールメン会報
会報   タイトル

番号
1.ハイホイール自転車の購入アドバイス
2.オーディナリーの乗り方を学ぶ
3.修復と修復データシート
4.オーディナリーへのタイヤの取り付け
5.自転車のユニフォーム(頭からつま先まで)
6.自転車のラッパとラッパ演奏
7.ニッケル、ブライト、ガンブルー仕上げ
8.ホイールメンの集まりの開催方法
9.パレードライディング
10.オーディナリー用レザーサドルの製作
11.木材の仕上げ:矯正と漂白
12.アメリカにおける自転車の歴史
13.修復前にアンティーク自転車について調べる
14.ブライトニッケルメッキについて
15.自転車関連文献の収集
16.自転車の進化、歴史的出来事
17.おしゃれな女性用スカートガードの取り付け方
18.自転車に関する世界の切手
19.センチュリーライドのための体力トレーニング
20.新しい疲労方法と新しいマシン
F.R. Whitt著『ベテランサイクルの修復』(1979年)、Southern Veteran Cycle Club(住所:383 Wanstead Park Rd. Ilford, Essen, 161 3TT, England)より入手可能
修復サービス一覧
(注:各名称の前の数字は、次項のサービス一覧に記載されているコード番号に対応します。)
出典
1.G. Donald Adamas Henry Ford Museum Dearborn, Michigan 48121
2.Paul Gibson 32 Pelham Rd.ニューハンプシャー州ハドソン 03061
3. リチャード・ハメル 970 Ray St. RR1, Box 17 インディアナ州ハンティントン 46750
4. アート・ハート North Road RR 1, Box 91 B ニュージャージー州チェスター 07930
5. ローウェル・ケネディ Kennedy Machine Shop RFD1 オハイオ州ディファイアンス 43512
6. デビッド・メタ 25 Broadway ニュージャージー州フリーホールド 07728
7. ユニバーサル・タイヤ・カンパニー 2650 Columbia ペンシルベニア州ランカスター 17603
8. ジョン・ヴァンダーポール 119 Crescent Road マサチューセッツ州コンコード 01742
9. カール・ウィードマン 3515 Walbri Drive ミシガン州ブルームフィールドヒルズ 48013
10. ゲイリー・ウッドワード 6549 Fleming Court Drive ミシガン州アナーバー 48105
サービス
(返信用封筒を同封してください) (これらの情報源に連絡する際は、切手を貼った封筒を同封してください)
ブレーキ金具、通常-5
クリーニングと保存-1
ハンドルグリップ、通常洋梨型-4&5
ハンドルグリップ、通常ダブルグリップ-5
ハンドルグリップ、革とコルク-5,10
泥除け、木製レプリカ-2
メッキ、ニッケル-5
リム、新品スチールレプリカ-5
ゴム、ペダル、オリジナルレプリカ-6
レストア、自転車と三輪車の完全および部分修復-5,8,10
サドル型紙作成-9 サドル革加工-5,8
サドルパンおよびその他の金具-8
サンドブラスト-5
スポーク、ダブルバテッドおよびシングルバテッド-8
スポーク交換とホイール振れ取り-5,10
スタンド、フープ、オリジナルレプリカ-5
ステップ、通常-5
タイヤ取り付け-3,5,9,10ウィードマン-9
タイヤ、シングルチューブ空気入り、新品-7
タイヤ、ソリッドワイヤー、7/16インチ~14インチ-3.5
用品と情報
お住まいの州の適切なユニフォームの色とスタイルについては、Wheelmen Bulletins、Wheelmen誌の最新号をご覧ください。David Gray、39 Squirrel Rd: Doylestown, PA 18901。
Wheelmenユニフォームボタンについては、Fred Fisk、2815 Moraine Ave. Dayton, Ohio, 45406までお問い合わせください。

★会員の皆様からたくさんの楽しい年賀状をいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

2026年4月17日金曜日

自転車世界一周 - 5

自転車世界一周 - 5  

「自転車世界一周」

ジョン・フォスター・フレイザー著

1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その5。

小さな女給たちが周りにしゃがみ込み、私たちのすることに、笑っていた。

私たちは再び出発し、海岸沿いの素晴らしい道を走り続け、雲間から差し込む夕日の色彩や、あらゆる芸術家を至福の境地へと誘う、日本の夕暮れの素晴らしい景色を眺めた。

やがて暗くなり、星が輝き始めた。私たちが立ち寄った小さな村には、わずかな宿泊施設しかなかった。しかし、海を隔てて1マイル先に、聖なる島、宮島に灯りが揺らめいていた。私たちは、誰も生まれも死ぬことも許されず、犬も立ち入り禁止というほど神聖な島へと渡った。窪地に小さな町があり、私たちはまともなホテルと、いつものように可愛らしい笑い声の絶えない女性たちを見つけた。

向こう見ずな気分で、私たちは3人の芸者を呼んだ。彼女たちは素晴らしく魅力的な衣装を身にまとい、三味線をかき鳴らし、チュニジアのカフェでアラブの歌姫から聞いたのと同じ、物悲しく甲高い声で日本の恋歌を歌った。私たちは床に座って、素敵なハーフヨーロッパ料理の夕食を楽しみ、夜は楽しく、少し騒がしく過ぎた。しかし、ここは神聖な島でもある。

朝、私たちは宮島の美しい景色の中を散策した。土地には耕作地はなく、鬱蒼とした木立が広がっている。松林の間には心地よい木立があり、丘の頂上には寺院が点在し、鹿は人懐っこく、私たちのところに走ってきて手から餌を食べた。美しい日で、神聖な静寂がすべてを包み込み、案内役の老人は穏やかで静かであった。私たちは厳島神社へ行った。それは低い木造建築で、両側に長い回廊があり、正面には広いバルコニーがある。巨大な杭の上に建っているため、満潮時には海に浮かんでいるように見える。言い伝えによると、元の寺院は12世紀前に建てられたそうである。回廊には、国の歴史における神話的な出来事を描いた何百もの絵が所狭し飾られており、口ひげを生やした戦士たちの戦いが描かれている。風景を描いた幻想的な印象派風の習作や、日清戦争を描いたと思われる落書き、そしてエッフェル塔の安っぽいカラー版画もある。

私たちはモミの木とカエデの木の間をのんびりと歩き、大きな建物へと向かった。まるで神殿のようであった。梁や柱、壁には何十万枚もの羽根飾り(破魔矢か)が釘で打ち付けられていた。卵スプーンほどの大きさから湯たんぽほどの大きさまで、あらゆるサイズの羽根飾りがあった。あたり一面、羽根飾りで埋め尽くされていて、奇妙な光景だ。島を訪れる日本人は皆、この羽根飾りに名前を書いて釘で打ち付け、訪問の記録を残す。私たちは宮島で一番大きな羽根飾りを注文し、力強く美しい筆跡で名前を書き、数本の釘で入り口に固定した。次の世紀には、私たちの孫たちがそれを読むことであろう。

本土に戻るのは少し残念であった。

出発の際、私たちは老ガイドに2シリング相当のお金を渡した。彼はお金を見て、裏返して、それから私たちを見た。「えっ!もっと欲しいの?」と、ガイドのやり方を知っていた私たちは尋ねた。彼は店に入り、一握りの釣銭を持って戻ってきた。

「これは何ですか?」と私たちは尋ねました。

「お釣りです。多めに貰いました。ガイド料は一人2ドルです。」

私たちはそのお金を受け取り、刻印を入れて懐中時計の鎖に付けようかと考えた。ガイドがお釣りをくれたのは、生まれて初めてのことであった。


430頁

431頁
挿絵は厳島神社

2026年4月16日木曜日

橋本商会 - 8

 橋本商会 - 8

以下は明治40年ごろの橋本商会の正価表、最終回

ブレーキ歯止め
ニューディパアチャコスタブレーキ 一個金拾貳圓
バーウェストコスタブレーキ 一個金八圓
クロンコスタブレーキ 同金六圓
舶來ローラーブレーキ 同金四圓五拾錢
和製ローラーブレーキ 同金貳圓

ボール (玉)
一分ヨリ一分七半迄玉 一個金五厘
二分ヨリ二分五厘迄玉 同金壹圓
三分玉 同金貳錢

分解器并ニ修繕器
極上等スバナ 一個金壱圓
並上同No. 1 同金六拾錢
並上同No. 3  同金五拾錢
木子ジ廻シ 一本金拾五錢
スポーク廻シ 同金參拾錢
シングルタイヤ修繕用注射器兼注射液入テープ付罐入 一個金參拾錢
シングルタイヤ注射器 同金參拾五錢
二重タイヤ修繕器 同金弐拾錢

リーム
並リーム 一組金壹圓五拾錢
同塗分ケ リーム 同金貳圓五拾錢
ダンロップリーム金入 同金六圓五拾錢
ジェンドゼリーム銀色穴アリ 同金參圓
同極上等 同金四圓
クリブ用アルミニュム入り 同 金八圓
英國製ニッケルリーム穴ナシ 同 金六圓

21頁

22頁

23頁

24頁

25頁

弊商會、諸事確實に營業罷在候遠方御注文に對しては充分責任を以て御用命に應じ可申候
代金小包引換にて附屬品御注文、半額自轉車は二割御送金願上候
遠方御注文が荷造費及荷為替料等、不申受候へど小包引換、郵稅申受け候
弊商會には完全なる工場と熟煉の職工多數有之候間如何なる修繕も出來可申候
乘車初心の方、弊店獨特の乘法敎授可仕候

2026年4月15日水曜日

自転車世界一周 - 4

 自転車世界一周 - 4  

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

 1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その4。

何か恐ろしい感情が彼の中に存在していた。すると稲妻のように――いや、むしろ一筋の太陽の光のように、彼の顔は突然明るく照らされた――彼は「本!」と叫び、ポケットに手を入れて、何度も目についたメモ帳を取り出した。

「ええ、その通りです」と私は言った。「あなたは英語があまり分からず、知っていることも引き出す​​のに時間がかかる。でも、あなたの言う通り。もう一度続けてください。」

彼は眉をひそめ、天井を見上げた。口元はぴくぴくと動いていたが、とても静かだった。7分後、彼はポケットに手を突っ込み、「ナイフ!」と叫ぶ。

「また正解です」と私は彼を励ました。「諦めずに続けてください。忍耐に勝るものはありません。でも、あなたが思い出している間、私が読書をしても構いませんよね?何か思いついたら邪魔しても構いませんよ。」

私はその紳士の存在をほとんど忘れていて、寝ようとしていたところ、彼が「ペン!」と叫び、床からその名前のペンを掴み上げた。

「素晴らしい!」と私は言った。「本当に素晴らしい!でも、もう少し待ってください。またこちらに来たら、もう1時間ほど面白いおしゃべりをしましょう。」別の日本人が、6ペンスずつに分かれた英語の教科書のようなものを脇に抱えてやって来た。彼は1冊の本を開き、様々な顔をしかめた後、非常にゆっくりと読み始めました。

「ビールはお好きですか?」

「ええ、もちろん。疑​​うのですか?」

彼は気に留めず、読み続けた。

「お母様はビールがお好きですか?」

「いいえ、好きではありません。よく飲酒の害について説教されます。」

それでも彼は気に留めず、厳粛な面持ちで続けた。

「お姉様はビールがお好きですか?」

「知るかよ。長い間会ってないんだ。」

「君のお母さんの叔母さんは…いとこは好きかい?」

「ああ、いいかい、サイクリストの忍耐にも限界があるんだ。ナンキポさん、口語表現の最初の練習から生じる計り知れない問題に気づいたことはないのか?」

英語がビールという品のない話題について語っているのか? あなたの男らしい魂は・・・

しかし、彼はまだ入門書を見つめ、「b-e-e-r-beer」と苦労して言っていた。

私たちは寝る時間だと言った。

彼は入門書のページをめくり、それから「数日後にまた電話します」と言った。

「ぜひそうしてください。朝7時に出発しますから。」

小倉で再び海に出た。島々が点在する広大な青い海はとても美しく、朝鮮半島からそよ風が吹いていた。道は水辺に沿って、暗い松並木の道が続いていた。空気は芳しく、景色は魅力的であった。日本人が土曜から月曜まで海辺で過ごせるほど文明化され、裕福な人々が新鮮な空気を求めてここに来るようになったら、この道は将来、素晴らしいドライブコースになるだろうと思った。複線の鉄道があり、前方には門司の溶鉱炉の煙が見え、日が暮れると海峡の向こうに、下関の灯りが見えた。

門司は、日本の発展著しい町のひとつである。鉄道が開通した1891年にようやく誕生した。今では、近くに豊かな炭鉱があり、大きなホテルや立派な公園もあるため、繁栄への道を順調に進んでいる。朝、私たちは海峡を渡って下関へ行った。大きな汽船が停泊し、煙を吐きながら小型ボートがあちこちを行き来していた。本土まではわずか1マイルであった。下関では休憩せず、雑然とした通りをまっすぐ進み、方向転換をすると海岸に出た。深い緑色の瀬戸内海に太陽の光が反射し、美しい島々が太平洋に向かって紫色の遠景に広がり、四角い帆船が岸から岸へと滑るように進んでいた。

私たちは、この上なく素晴らしい道を軽快に走っていた。中国との大きな違いが私たちを喜ばせたのかもしれない。あるいは、周囲の景色と爽やかな空気のせいかもしれない。私たちの健康と良い運動のせいかもしれない。いずれにせよ、私たちはただただ楽しんでいた。

サイクリングはまるで新しい喜びであるかのように、たった2週間乗っただけで新しい喜びを発見したかのようである。

ブライトンまで猛スピードで走り、ライゲート・ヒルを駆け下り、アールズウッド・コモンを横切り、クローリーの「ジョージ」のバーでロングドリンクをせがむ男たちよ、君たちはサイクリングが何であるかを知らない。日本に行ったことがないから!

ある日の午後、私たちは長く険しい坂道を上った。頂上への道は谷間を通って行った。岩場を抜けて、再び谷へと続く小道をガタガタと進み、有名な錦帯橋に着いた。5つの大きな半円形のアーチからなり、まるでスイッチバックのようである。昔は5年ごとに1つのアーチを修理し、25年ごとに橋全体を完全に改修した。しかし、今は明らかにそうではない。2つのアーチを同時に修理中だったので、私たちは渡し船で川を渡り、岩国町へ行った。昼食を食べていなかったので、ここで、故郷でハイティーと呼ばれるものをいただいた。


427頁

428頁

429頁
挿絵、岩国錦帯橋

2026年4月14日火曜日

自轉車瓦版 第102号

 自轉車瓦版 第102号

昭和61年1月12日発行

★会報「自轉車」で「空飛ぶ自転車と水上自転車を特集しているが、 1月号の日経 『サイエンス』誌に人力飛行機についての記事が載っていた。恐らく、この種の記事では一番まとまったものと言えるだろう。 次にアンティークサイクル ・クラブ提唱の件だが、ますどこで、どの規模で、どのように開催されているかの、記録とか、写真を集めて何かで発表する。あるいはPRもといったところが第一歩と思われる。3年前に来日した英国のピンカートン氏は、その年代の衣装までも揃えてあると自慢していた。日本のオリジナルのアンティック自転車は確かに少ないが、英国でも 全くのオリジナルは大切に保存しており行事にはレプリカで参加しているようである。従って日本でも、レプリカを使用すれば問題はない。なお、現在私の店でもアメリカ製のレプリカをお世話(特約している)できるので希望者があればご連絡願いたい。ただ 1台や2台の輸入になると割高になるので、出来ればまとめて輸入したい。(当店でもレプリカを製作し、大阪の御堂筋や文化センターにも納入している) 。サイクルセンター・タカハシの店主、高橋 勇氏より。

★昭和28年発行の『輪界有名マーク集1954年』(日本輪界新聞社)を先頃入手した。完成車ヘッドマーク・部品メーカーマーク・モターバイクの各種マークが載っている。
(宮田工業勤務・中村安良太氏より)


羽翼輪
明治29年10月21日付け毎日新聞

2026年4月13日月曜日

自転車世界一周 - 3

 自転車世界一周 - 3

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その3。

今では、天皇の布告により、誰もがゴム入りのブーツとフェルト帽を身に着け、現代的になることが許されている。

ある朝、私たちは道を間違え、博多に迷い込んだ。博多は左手に12マイルほど先にあると思っていた。博多は、私たちがこれまで見た中で最大の日本の街だった。人口は約6万人。綿紡績工場があり、16本の電線を張った電柱がメインストリートに立っている。大きな鉄道駅もある。大通りは活気に満ち、エネルギッシュにあふれている。こうして、新しい装いの日本を垣間見ることができた。絵のように美しい、骨董品が並ぶ日本ではなく、貿易で西洋諸国と競い合い、商売の巧みさでは西洋人をも凌駕し、鉛製のベアリングとはいえ自転車まで製造している。

私たちは森の広がる大地を走って行った。黄土色の山々が、暗いモミの木々に覆われ、私たちを取り囲んでいた。温かい光が斜面に降り注ぎ、緑の木々を浮かび上がらせていた。

名前のない小さな村で夜を過ごしたが、そこには快適な宿があり、食事も清潔で、女給は陽気で親切であった。しかし、激しい雨で気分は沈み、翌朝は何マイルにもわたる泥の中をずるずると滑りながら走った。正午、再び雷雲があらわれたので、福間(Ajama?)で一日を過ごすことにした。暖を取るために火鉢に足の指を押し付けた。

数時間の間、ビールと日本酒を混ぜて飲み、しゃがれた日本の歌を歌い、階段を飛び降りる技を見せつける、酔っ払った男のおしゃべりに耐えた。結局、彼を追い払うことにした。

朝、私たちは出発した。しかし、道はひどくぬかっていて、自転車のチェーンやタイヤは泥で詰まっており、歩くのも困難であった。しかも、私たちは道を間違えていた。村人に道を教えてほしいと頼むと、彼らは笑い、日本語で話し続けたが、私たちに道案内をしてくれなかった。

ある場所に小さな人だかりができた。

「おい、プーバー(Pooh-Bah)」と私たちは男に言った。「黒崎への道はどっちだ?」

「英語は話せない」と彼は答えた。

「ああ、でも少しは分かるんだな。何を話すんだ?」

「フランス語を話す。」

「フランス語が話せますか?黒崎への道を教えていただけますか?」

「英語か?私は英語を知らない。イタリア語を知っている。」

「ああ、イタリア語がわかるんですね。ええと、私たちは黒崎に行きたいのですが?」

「英語か?私は英語を話せない。」

"You're a fool. Let me speak to you in your own language. Kurosaki ye iku michi wa, dochira de gozaimasu?"

彼の目に光が宿った。「日本語を話すのか?」と彼は言った。

「まあ、それくらいは旅行会話集で覚えた。どっちの道だ?」

「まっすぐ出ていけ」。文字通りには「どうぞ、まっすぐ進んでください」という意味で、あるいは率直に言えば「まっすぐ行け」という意味だ。

「わかった、ありがとう。さようなら、プーバー。」

「英語は話せない。スペイン語を話す。」

「とにかく、鼻で話すのは悪い癖だ」と言って、私たちは再び出発した

私たちは森に分け入り、丘の麓を廻った。ここでは駐屯地を見つけ、通りはヨーロッパ風の服装をした小柄で威張った兵士たちで溢れていた。日本の軍人たちは小柄で、帽子を小粋にかぶり、細い胸をぴっちりとチュニックで包んでいる。彼らは滑稽である。陽気で、自分たちを真のアガメムノンだと思っており、皆うぬぼれている。将校たちは白い子羊革の手袋、大きなサーベル、そして小さなタバコを身につけている。海軍兵は私たちの青いジャケットのような服装をしており、20ヤード離れると違いが分からない。唯一の違いは、帽子のリボンに書かれている名前が英語ではなく日本語であることだけである。金色の編み紐をつけた小柄な将校たちは、気取った態度をとっていた。

ある朝、私たちが自転車を丘に押し上げていると、訓練に出ていた海軍兵たちが通りかかった。士官は身長6フィートの頭に70インチの帽子をかぶっていた。彼は私たちを見るのも嫌がり、私たちは土手を下りなければ道を譲ることができなかった。彼は攻撃的な態度で、道を譲れと言わんばかりにまっすぐ私たちに向かってきた。私は肘を突き出したが、彼はそれが気に入らなかったようである。私は悪に対して善で返すほどキリスト教徒ではない。それに、身長6フィートでそれなりの体重の男が、身長5フィートにも満たない、しかも軽い男のために道を譲ることに抵抗を感じるのは当然のことである。

迷惑でもあり、同時に面白かったのは、日本の警官だった。ハイドパークの警官など、彼らに比べればおとなしいものだ。日本の警官は刀を携え、常に白い手袋をはめ、ポケットには手帳が入っている。私たちはすぐにその手帳を覚えた。少なくとも1日に20回は目にした。私の見た限り、日本の警官のいつもの仕事は、その手帳に店主の名前を書き留めて小さな商店主を脅かし、人力車の車夫の番号を控え、学校の子供たちの前を通る時は威圧的な表情を浮かべ、子供たちは皆彼に頭を下げることだった。

村に外国人3人が到着したことは、権力を行使する絶好の機会であった。ミカンを6個ほど買いに行こうと自転車から降りるたびに、警官がやってきてパスポートの提示を求められた。宿で休んでいると、彼らは無遠慮にやって来て、ぶっきらぼうで無礼な態度を取り、あの手帳を取り出してパスポートの内容を写し、私たちが何者であるかを記した日本語の書類も写し取り、私たちの個人的な記述まで書き写した。実際、日本旅行中、私たちは役人の振る舞いを何度も目にし、彼らを嫌いになった。傲慢な態度をとることを楽しんでいるように見えた。
しかし、例外はあり、礼儀正しい日本の役人に出会えたことは嬉しかった。しかし、礼儀正しい役人たちは、英語を4語ほどしか知らず、私たちを歩き回る英語の教師と見なしていた。小柄な男が一人、儀礼的に私たちを迎えた。彼は一言も話さず、じっと前を見つめていた。

424頁

425頁

426頁

2026年4月12日日曜日

自轉車瓦版 第101号

 自轉車瓦版 第101号 

昭和61年1月5日発行

〔資料版]
「アンティーク自転車の蒐集と修復」
ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行より

Bibliography(文献目録)

①「Bartleet's bicycle book」Bartleet 1931.

②「The man who loved bicycles」 by Daniel BEHRMAN  1973.

③「Handbook of the Collection Illustrating Cycles」 1958.

④「The History and Development of Cycles」 1972.

⑤「The Ingenious Mr Pedersen.Evans」 1978.

⑥「Bicycles and Tricycles of the Year 1886」

⑦「The Badminton Library of Sports and Pastimes」1889.

⑧「Wheels Across America」1959.

⑨「When Bikehood was in Flower」 Sketches of Early Cycling 1969.

⑩「Riding High」 The Story of the Bicycle 1956.
その他、

自轉車瓦版 第101号 

「アンティーク自転車の蒐集と修復」
ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行
「COLLECTING & RESTORING ANTIQUE BICYCLES」
BY G. DONALD ADAMS
左はハードカバー製本と右はペーパバック
何れも1981年4月発行

別な版
「アンティーク自転車の蒐集と修復」
G・ドナルド・アダムス著