ブリストル・ホイーラーズ
第2巻 第14号 1898年2月
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
ブリストル・ホイーラーズ
ロンドン自転車クラブ・会報
ロンドン自転車クラブ会員の皆様へ
クラブの執行部と他の会員との間の公式な連絡手段がないことは、長らく深刻な問題として認識されてきました。
無制限の批評権を持ち、全世界に発行されている雑誌に、純粋に内部的な取り決めに関する通知を掲載することは、クラブの適切な品位とはほとんど相容れません。さらに、会員に公式情報を特定の定期刊行物で探させ、文献の選択を指示することは、公平とは言えません。そもそも、会員が、自分たちとは全く無関係な人物、クラブ、物事を扱っている新聞を購入することに興味があるかどうかさえ疑問です。
先日の総会において、クラブと役員間の既存の連絡手段を変更する必要性を示唆する状況が発生しました。熟慮の結果、委員会は、このクラブに特化した会報を発行することを決定し、ここに会員の皆様にその第1号を提出いたします。
「ロンドン自転車クラブ会報」
会報が会員の皆様の承認と支持を得られれば、4月から毎週金曜日に発行されます。
アメリカン・バイシクリング誌
Boston, January 19, 1878.
道路のマナー
自転車を移動手段として導入し使用したイギリスの同胞たちの経験は、いわば一連の案内板であり、進むべき道を示すだけでなく、多くの場合、避けるべきことも教えてくれるので、アメリカの自転車愛好家の読者の皆様には喜ばしいことでしょう。イギリスの自転車関連出版物を参照すると、大西洋のこちら側ではまだ類を見ないような事実や、そこから得られた教訓が時折言及されているのがわかります。自転車においても、他の多くの事柄と同様に、「人民による統治」の原則に基づき、確立された形式を改良し、その原則を正しく適用することが、私たちの明白な使命であるように思われます。・・・
C.T.C. ガゼット
ポーランド・サイクリスト誌
C.T.C. ガゼット
サイクル誌
週刊「サイクル」誌 第1巻、第3号 マサチューセッツ州ボストン、1886年4月16日
アボット・バセット社(スクールストリート22番地、19号室)発行、毎週金曜日
註、以下の号にトーマス・スティーブンスの記事あり、
トーマス・スティーブンスの友人の誰かが、Outing誌の新しい編集者に連絡を取り、世界一周自転車旅行が2年前(1884年4月22日)にカリフォルニア州オークランドで始まったことを告げるべきである。3月号のOuting誌に掲載されたスティーブンスの記事の編集者注では、日付が「1885年4月」とされていたが、4月号では「1年前の世界一周のスタート」とラベル付けされた写真を掲載することで、同じ間違いを繰り返している。
C.T.C. ガゼット
広告、
「ラレーは、いつものタイヤのトラブルを除けば、一度も路上で私を裏切ったことはありません。購入から10年間で6万マイルを走破しました。この自転車は今でも毎日使用しており、購入した日と同じように完璧に動いています。」
ヒュー・J・W・ストック
この自発的な手紙は、何十万人ものラレーのライダーが証言できる物語を語っています。ダンロップタイヤとスターメーアーチャー3速ギアを搭載したラレーは、永久保証付きです。
ラレー・サイクル社、ノッティンガム
オリンピアのカタログ
下のカタログは1986年頃のもの、
1893年にイタリア・ミラノで創業した自転車メーカー「オリンピア(Olympia)」の歴史や初期のモデル、およびブランドの歩みを紹介するヴィンテージ風の表紙。
1893年にカルロ・ボルギ(Carlo Borghi)によって設立され、イタリアでビアンキに次ぐ歴史を持つ自転車ブランド。
CICLI OLYMPIA since 1893
モーターサイクル
以下は、自転車メーカーが自動二輪車に進出した時期の一つの資料。
昭和30年代(1950年代半ばから後半)頃の日本における二輪車(オートバイ・スクーター)製造メーカーの一覧表。当時は戦後の乗り物需要の急増を背景に、日本全国に無数のオートバイメーカーが乱立した時期である。
その結果、後に撤退或いは倒産した企業も多い。
月刊・C.T.C. ガゼット
『随筆 志賀先生の台所』
月刊・C.T.C. ガゼット
月刊・C.T.C. ガゼット
サイクリング用車の設計
第8回 女子用フレームの寸法図
日本サイクリングクラブ (J.C.C.)
鳥山新一 著
序:今年にはいってからサイクリングは爆発的な大流行となり、これに伴ってメーカ側もようやくサイクリング用車の生産に着手しはじめているが、何分にも経験の少ない車種であるだけに、どのような車を製作すべきかの点で迷っている様子が見受けられる。
7月20日現在。生産にはいっている東京の2社以外は、試作あるいはそれ以前の段階にあり、サイクリング用車の設計や装備についての指導依頼や照会が相当に多い。
フレーム設計の基礎的事項に関しては、すでに本誌第9号と第10号にまとめて記したので、ここにその実施の一例として、日本でのサイクリング用車はどのようにあるべきか、ということについて設計、製作上の要点を記して御参考に供したいと考える次第である。
というわけは、従来サイクリング関係の雑誌等で流布されている「サイクリング用車」というものの中心をなす考え方が、あまりにもイギリス直訳の方式であり。「サイクリングは細いタイヤのイギリスふうのクラブモデルでなければ本当に楽しめない。」といったような昔からのあやまった。しかし根強い考え方がかなり広くいきわたっているためである。これでは日本の自転車界にとって特筆すべきサイクリングという新分野への出発時機にあたって、メーカや使用者側がほとんど白紙状態に近いだけにその正しい方向をあやまる危険が多分にあると思われる。
しかもこうした二言目には、「イギリスでは」 というはなはだ視野が狭く主体性のない点や、サイクリングの本質をよく理解していない点等には、業界もメーカ側もようやく気付いて、ここでやや批判的になってきたことは、日本の国情に適した車を生み出し、本当の意味での「日本のサイクリング」を育て、日本の自転車産業を発展させる上から大いに喜ぶべきことである。・・・
C.T.C. ガゼット
C.T.C. ガゼット
中央馬車鐵道
以下は梶野商店関連資料
自転車とサイクリング競技の歴史
C.T.C. ガゼット
バイシクリング・ワールド誌
C.T.C. ガゼット
サイクリスト・ツーリング・クラブ・カゼット誌
1922年11月
THE CYCLISTS TOURING CLUB CAZETTE
No. 11 Νον., 1922
B.S.A.自転車の広告
熱心なサイクリストの間でB.S.A.自転車が人気なのは、その耐久性の高さと、常にスムーズで走りやすいことが大きな理由です。完璧な仕上げ、科学的な設計、そしてそれに伴うトラブルの少なさにより、B.S.A.自転車のライダーは長年にわたり、純粋なサイクリングの喜びを味わうことができます。
刀水輪友会
以下は刀水輪友会の関連資料
刀水輪友会(境町・明治34年) 明治30年代になると各地に自転車の遠乗りを楽しむ会が作られた。自転車は流行の最先端であり高価であったため、富裕な人びとに限られた。刀水輪友会の会員たちが、境の香取神社祭礼の日に遠乗りを楽しんで記念撮影。刀水とは利根川の別称。
プロジェクト・ダルマ
多くのハイホイールライダーにとって、トーマス・スティーブンスが1884年に辿ったサンフランシスコからボストンまでのアメリカ横断の旅は、夢の目標である。2021年、サイレントスポーツ誌の記事「1884年以来の大陸横断ハイホイールライディング」の調査中に、トーマス・スティーブンスを辿った現代のライダー数名と話をし、彼らについて読む機会があった。
いつか彼らの冒険(マイケル・[シャドウ]・ガブリック、スティーブ・スティーブンス、ジェームズ・アレン、ジム・オグランド、ランディとエイミー・オレイニクなど)に参加したいという思いが、私の心に芽生えた。
少し後、大学時代のルームメイト、マーク・ケネディと近況を語り合っていた。偶然にも、マークと私は1986年、トーマス・スティーブンスが日本を旅行した100周年にベイツ大学で出会った。現在日本に住んでいるマークは、日本の田園地帯をバーチャルでサイクリングする新しい趣味について話してくれた。彼は自作のポールマウントにスポーツカメラを取り付け、電動自転車での旅を撮影し、その動画をウェブサイトwww.Country RoadsJapan.comに投稿している。
冗談で、彼は私がハイホイールを日本に持ってきてくれたら楽しいだろうと云った。それは少し非現実的な考えだと思い、ハイホイールをわざわざ日本に持ってくるなら、近所を数回日帰りで回るだけではなく、何か本格的なことをしなければならないと言った。
それから私は、トーマス・スティーブンスという、自転車による世界一周旅行という前例のない偉業を成し遂げた人物について彼に話した。彼の3年間にわたる壮大な旅の最終行程として日本が旅程に含まれていたことを確認し(図1)、私たちもそれを検討すべきだと提案した。
こうして、マークが後に「プロジェクト・ダルマ」と名付けることになる計画の2年間が始まった。ダルマの車輪は、仏教などの東洋(アジア)の精神的なシンボルであり、人生の旅における目標や野心といった意味を持っている。実際、ハイホイール自転車の日本語名には「ダルマ自転車」という名称がある。・・・