2026年7月4日土曜日

「THE HUB」誌

「THE HUB」誌

「ザ・ハブ」誌 1897年5月8日号

註、「THE HUB」誌は、1890年代イギリスで発行された自転車専門週刊誌。

  自転車界の著名人

J・A・ロバートソン

ピーターバラのJ・A・ロバートソンの名は、自転車界でその名声を十分に認められている。レーサーたちは彼を畏敬の念をもって見ており、トラック設計者たちも頻繁に彼の助言を求めている。何よりも、ロバートソンは紳士であり、レースウェアを着てトラックにいる時も、日常生活における数々の社交の場にいる時も、等しく好人物である。

数日前、この国への短い訪問中に、ハンマンが彼を訪ねたとき、彼はクラブ会員や友人たちが集まっている場所で紹介されると、静かな隅へと案内されたロバートソンは椅子に深く腰掛け、次々と投げかけられる質問に答えた。

ロバートソンを表現する最良の方法は、彼がフランク・ショアランドを彷彿とさせると言うことである。同じように細身で引き締まった体型、それほど広くない肩幅、そして力強い下肢を持っている。また、夜には静かで陽気な輝きがあり、「良い冗談を聞けばわかる」という表情、そして落ち着いた決意と覚悟の表情がある。

無駄話に時間を費やすことはほとんどない。

「いつから乗り始めたのか?」とのハブマンの質問にロバートソンは、「最初にレースを始めたのは1891年です。もちろん、それよりもずっと前に自転車の乗り方を学びました。趣味として乗り始めたのは、11歳くらいの頃だったと思います。」

「私が覚えたのは普通の40インチの自転車でした。ですから、私が幼い頃はそれほど大きな少年ではなかったことは、判断していただけるでしょう。安全装置付きの自転車が流行し、誰もがそれに乗っていた時でさえ、私は古い自転車に乗り続けました。自転車を交換するまでには何年もかかりましたが、もちろん、一度安全装置付きの自転車に乗ってしまえば、そのタイプの自転車を使い続けることに疑問はありませんでした。」

最初のレースは、ミッドランドの競馬会の一つで行われました。1マイルのハンディキャップレースに出走しました。何のハンディキャップだったかは覚えていませんが、いずれにせよ、優勝はできませんでした。しかし、次のレースではずっと良い成績を収めました。ノッティンガムでノッツフォレストスポーツに出場し、2つか3つの賞を獲得しました。1891年には、いくつかのロードレースに出場し、25マイルのレースで優勝しました。」・・・


13頁

2026年7月3日金曜日

ヴィクター号関連

 ヴィクター号関連

下の資料は、1889年5月3日に発行されたアメリカの雑誌『The Bicycling World & Bulletin』の表紙。中央に描かれているのは、オーバマン・ホイール・カンパニー(Overman Wheel Co.)が製造した「ヴィクター・セーフティ」自転車。このモデルは、当時革新的だった独自のスプリングフォークを備えているのが特徴。

『The Bicycling World & Bulletin』誌は1878年の創刊。

1889年5月3日号の表紙

ヴィクター・セーフティは、市場で唯一効率的なスプリングフォークを搭載している。アメリカ製の唯一の「ダイヤモンドフレーム」セーフティである。

オーバーマンホイール社、ボストン


2026年7月2日木曜日

水上自轉車

 水上自轉車

「輪界」第11号 輪界雑誌社 1909年(明治42年)7月25日発行

名家の論説

水上自転車 発明談

「石山式水上航行器」の発明者である、埼玉県熊谷町48番地の平民・石山善太郎氏が、このたび当局の特許を取得した「水上自転車」について語った内容は以下の通り。

▲石山氏の経歴

石山氏は今年26歳になる青年で、熊谷町に生まれた。幼少期は熊谷小学校に学び、明治32年に熊谷中学校へ進学。同校を卒業した後は、主に商業で身を立てようと考えて上京し、早稲田大学商科で学ぶ。しかし、途中でやむを得ない事情があり郷里に戻って引きこもっていた。

一方、彼の厳格な父・新蔵氏は幼い頃から発明を好んでおり、家事一切を妻や家族に任せて、もっぱら様々な発明に心を砕いていた。これまでにも成功させた発明は少なくなかったと云う。新蔵氏は明治1718年頃から「水上航行器」を発明しようと心掛け、色々と苦心していた。しかし、不幸にも最新の科学的素養がなかったため、この発明(理論化や地盤固め)を息子の善太郎氏に依頼した。

ところが、善太郎氏も中学校こそ卒業しているものの、工芸や科学に関する専門的な素養はなかったため、それ以来、独学でこれらの研究に従事した。専念し苦心した結果、ようやく一昨年の末になって、おおむね理論に合致する考案がまとまったため、再びこれを持って上京した。

▲実験の困難

石山氏はこの発明を友人たちにも固く秘密にし、「成功した暁に発表しよう」と考えていた。というのも、この実験は非常に難しく、もし世間に気づかれるようなことがあれば、せっかくの苦心が他人に横取りされてしまう恐れがあったからである。

また、自分自身は製図などに熟練していなかったため、やむを得ず一人の友人に頼んで図面を引いてもらう。そして、芝浦製作所の理事である石川角造氏が経営する「芝区三田四国町 特許模型製作所」を訪れ、石川氏に事情を打ち明けて模型の製作を依頼した。

しかし、どのような事情があったのか、石川氏は依頼を引き受けてから半年が過ぎても製作を完成させなかった。そのため、前年(明治40年)の夏に特許を取得しようと楽しみにしていた計画も水の泡となり、石山氏は焦りと不安から何度も催促を行う。そうしてようやく、昨年(明治41年)10月頃に、不完全ながらもなんとか製作が完了した。

▲実験の結果

芝浦製作所で製造されたその機器を使って品川湾で実験を行った。その結果、製作所での作りが雑だったために23の欠点はあったものの、理論上においては完全に成功を収めることができた。そのため、すぐに特許局へ申請して特許を求めたところ、幸いにも特許を取得することができた。

▲価格と製造

石山氏は熊谷町に自身の製造工場を持っているわけではないため、この水上自転車をすぐに製造・販売することは難しい。氏は現在、別の一生懸命な大発明に心を砕いている最中でもあるため、この水上自転車の特許権を(他社へ)譲渡したいという考えを持っていた。なお、製造費については、全部を鋼鉄製にした場合、130円から180円程度で製作できる見込みだという。

 註、石山式水上航行器(石山式水上自転車)は、明治末期(明治41〜42年頃)に埼玉県熊谷町の発明家・石山善太郎が考案した水上自転車型の航行器具で、特許申請まで行われたものの、構造が複雑で実用化には至らなかった。現存図面は未確認で、一次史料は雑誌『輪界』(明治42年7月25日発行)の記事が現在のところ唯一の詳細な情報源である。

  

6頁
「輪界」第11号 輪界雑誌社 1909年7月発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

「工業雑誌」 30(413)
工業雑誌社 1909年発行

「水産界」 36(419)大日本水産会
1917年発行

2026年7月1日水曜日

ザックス

 ザックス

ザックスのイージーバイキング
新たな成功
95年製品カタログ
EASY BIKING BY SACHS
SACHS
NEW SUCCESS
'95 Product Line Catalog

註、SACHS(ザックス)は、1890年代に自転車用ハブメーカーとして誕生し、Torpedo 自由輪ハブで世界的成功を収めたドイツの名門ブランド。
自転車用ハブメーカーとしての創業(1895)、 創業者:エルンスト・ザックス(Ernst Sachs)  、 共同創業者:カール・フィヒテル(Karl Fichtel)  
 会社名:Fichtel & Sachs  
 創業地:ドイツ・シュヴァインフルト  

表紙

裏表紙



26頁
ザックス 内蔵マルチスピードハブ
トルペード3速。どこまでも走り続けます。
定評のあるトルペード3速は、優れた信頼性、お求めやすい価格、そして多彩なギア比(73、1:1、1.36)を提供し続けています。トルペード3速は、コースターブレーキ、ドラムブレーキ、ブレーキなしバージョンをご用意しています。
ペンタスポーツ。あらゆる走行条件に対応する5速。
ペンタスポーツは、レクリエーションを楽しむサイクリストに最適な選択肢です。シングルコントロールシフターと幅広いギアレンジ(67、78、1:1、1.28、1.50)により、便利で使いやすくなっています。クリックボックスシステムは、完璧なギア調整と正確なギアチェンジのために工場出荷時に設定されています。ペンタスポーツは、コースターブレーキ、ドラムブレーキ、またはブレーキなしバージョンをご用意しています

38頁

40頁

42頁

2026年6月30日火曜日

イングリッシュ・イラストレイテッド・マガジン

 イングリッシュ・イラストレイテッド・マガジン
第17巻
1897年4月~9月
ロンドン
イラストレイテッド・ロンドン・ニュース社
ストランド通り198番地、W.C
1897

THE ENGLISH ILLUSTRATED MAGAZINE
VOLUME XVII
APRIL TO SEPTEMBER 1897
London
THE ILLUSTRATED LONDON NEWS, LIMITED
198, STRAND, W.C.
1897

サイクリング60年(一部抄訳)

ジョージ・シンガー氏が20年以上前に設立した会社は、当時比較的規模が小さかった自転車業界ですでに評価されていた。実際、「シンガー」の歴史は23年以上に及び、現在に至るまで「同業中の第一人者」という高い地位を享受している。私がシンガー・サイクル・カンパニーの巨大な工場を何度か訪れた際、各部門の完璧さに感銘を受けた。・・・

現在では普遍的な接線スポークシステムは、ヘインズ&ジェフリーズ社によって「アリエル」に採用された。同社が1876年に初めて発表したコベントリー三輪車は、「コベントリー・ロータリー」の先駆けであり、ウェールズ公妃が愛用したタイプの自転車だった。1896年初頭には、この美しい「三輪車」の1台が公妃のために特別に製作された。興味深いことに、「オーディナリー」が登場して間もなく、コルティス博士はロンドン製の「インヴィンシブル」と呼ばれる自転車で、1時間で20マイルを走破した。速度が上がり始め、簡単に乗れる自転車が広く求められるようになると、メーカーは「安全性」に注目するようになった。


510頁
シンガー社(コベントリー)の旋削・機械加工部門

511頁
シンガー社の組立場

表題

2026年6月29日月曜日

千里行車と陸奔舟車の駆動方式

 千里行車と陸奔舟車の駆動方式

(註、一部画像を修正)

 正田門弥の千里行車と平石久平次時光の陸奔舟車の駆動方式について一考察

まず門弥の千里行車であるが、この人力自走車の概要は、

一、名称は、千里行車(一般的には舟車或いは陸舩車)、欧米風に云えば「門弥のヴェロシペード」。

一、製作者は、武州兒玉郡若泉庄北堀村の正田門彌(61歳)。

一、製作年代は、1729年(享保14年)。

一、製作期間、56年。

一、形状は桐材を使用した木製のボート型で4輪車。一人乗り。本体のサイズは長さ2.8mで、高さは50㎝程、梶棒の高さまでは90㎝)、車体の色は墨色。

一、駆動方式は足踏み式(戻りバネ付きラチェット方式)で箱の中の歯車を回し、車輪を回転させる前輪駆動である。後輪は操舵輪。

一、方向転換は車体の下部左右に梶取紐があり、後輪車軸が少し前後に動く。後輪は遊び車であり、車軸は回転しない。(左右の梶棒から紐で後輪車軸に繋がつている)

概念図は以下に

  

月堂見聞集にある図 国会図書館所蔵資料

世説海談の図 国立公文書館所蔵資料


平石久平次時光の陸奔舟車

次に久平次の陸奔舟車の駆動方式

下に概念図を作成。

絵心があればもっと正確に描けるのだが。

概念図

 

 

 

彦根図書館所蔵資料の図

この陸奔舟車は四輪車で前輪がステアリングホイール、後輪が駆動輪で直接地面に接していた。左右の車輪は「遊行車」と云われ、いわゆる遊び車でバランスをとる役割であった。要するに子供用自転車につける補助輪の役目と同じである。

この後輪を直接の駆動輪とすれば根本的に、より自転車に近い構造となる。

 

上にある平石久平次時光の図をよく見ると、梶棒の後ろにある「奔車」が「遊行車」よりも大きい。それに「奔車」と云う言葉の意味も、駆動輪をさしている。

「遊行車」は補助輪である。

この左右の「遊行車」を外せば二輪車であり、ミショー型の後輪駆動方式と云える。

伝動効率から云っても直接後輪を回した方が、走行性能は増し、軽量化も期待できる。

陸奔舟車の特徴、

一、桐材を使用した人力自走車

二、四輪車

三、奔車が駆動輪

四、遊行車は補助輪

五、名前は「陸舟奔車」ではなく「陸奔舟車」

六、享保17年(1732年)に製作

七、製作者 彦根藩士 平石久平次時光

以上

 2023810日 日本自転車史研究会 編


註釈、
修正前の画像
陸奔舟車の駆動方式 概念図
修正後の画像、駆動輪の両サイドにペダルクランク軸の支えとなる垂木を挿入。

サイエンティフィック・アメリカン

 サイエンティフィック・アメリカン

サイエンティフィック・アメリカン増刊号 第947号 1894年2月24日

SCIENTIFIC AMERICAN SUPPLEMENT, No. 947. FEBRUARY 24, 1894.

ヴァレール式自転車
パリで開催される国際自転車博覧会では、非常に珍しいタイプの器械、ヴァレールの自転車が展示される。それまでは、ヴァレールによってこの発明はやや秘密にされていたが、軽率な人々はヴァレールを攻撃し、手足の動きを研究し、何よりもまず合理的な装置、つまり、陶芸における人間の自然な動きに対抗する装置を構築しようと努めた。
古代の運動選手の動きを大まかに分析すると、右足を前方に動かすと、左足と左腕が前方に動くと同時に、右腕はすぐに左足の後ろに動き、逆方向にも動くことがわかる。ヴァレールマシンでは、右足がペダルに荷重をかけ、右腕が右手のレバーを押し、体の方へ、そして逆方向にも動く。この装置の動きは、自然で本能的ですらある。これが、ヴァレール特許を、従来の特許とは異なる重要な点である。特に、その重量は36キログラムで、決して普通の三輪車を構築したものではない。・・・

15130頁

表紙

2026年6月28日日曜日

ヴェロシペードの特許

 ヴェロシペードの特許

米国特許庁
英国ケンブリッジ在住のウィリアム・ジョージ・クロスリー
特許番号75,581、1868年3月17日
陸上および水上用ヴェロシペードの改良
英国ケンブリッジ在住のウィリアム・ジョージ・クロスリーは、新しく有用な改良型「陸上および水上用ヴェロシペード」を発明した。添付図面および図面に付された参照文字を参照しながら、以下にその完全かつ正確な説明を記載する。
図面において、
図1は平面図、
図2は側面図、
図3は装置の側面断面図、

本発明は、陸上と水上の両方に等しく適応するように構成されたヴェロシペードに関するもの。これは、通常の蒸気船と同様に、ボートの形状をした車体と、車体の中央を横切る主軸によって互いに連結されたサイドホイールから構成される。この主軸Aには二重クランクが取り付けられており、ボート底部の踏み板Bと、クランクおよび踏み板に接続されたレバーa、b、cなどによって操作される。これにより、レバーと踏み板の両方によって主軸Aを回転させることができる。踏み板に接続されたクランクロッドは、必要に応じて取り外すことができ、クランクをレバーのみで操作できるようにも構成されている。・・・



明細書

2026年6月27日土曜日

サイクリング誌

 サイクリング誌

「サイクリング」第131号 第6巻 1893年7月22日
図入り週刊誌
「CYCLING」 No 131 VOL VI JULY 22 1893
AN ILLUSTRATED WEEKLY.

来週土曜日(29日)、スタンレーはホーシャムへ向かい、ブライトンの選手たちと合流する。
サンとクルセイダーズのクラブ対抗チームレースでは、サンが7ポイント差で勝利した。
ブラックヒースのドーバー・ローズ・クリケットクラブは、今月27日にインヴィクタ・トラックで夜間レースを開催する。
キルバーン・ランブラーズの5マイル選手権とハンディキャップレースは、27日にケンサル・ライズで開催される。
キルバーン・ランブラーズとその友人約40名が、蒸気船「マイ・クイーン」号でヘンリーへの日帰り旅行に参加した。・・・

キャットフォードCC、1893年

表紙

2026年6月26日金曜日

「ヴェロシペディスティカ」誌

  「ヴェロシペディスティカ」誌

『La Rivista Velocipedistica』は、1883年トリノ創刊~1898年頃まで続いたイタリア初期の本格的自転車専門誌。合本版。

広告、
最新の素晴らしい発明
比類なき利便性とスピード。
空気入りタイヤよりも振動が少ない。手、足、背骨への振動は全くない。
前後輪のフォークはスプリング式。同じく特許取得済みのスプリング式サドルは、ライダーの体重に合わせて調整可能。
ネジ一本たりとも緩んではならず、装置から異音も発してはならない。
報道レビュー
価格、メーカー名、シンプルさ、そして並外れた快適性と滑らかな乗り心地を考慮すると、新型自転車「クアドラント」は1891年のブームを巻き起こすと確信している。
「ホイーリング誌」、1890年12月17日。
「クアドラント」社は、スプリングフレーム式安全装置という素晴らしい発明を成し遂げた。これは間違いなく、これまで一般に発表された中で最も安価な製品である。石畳の道路で行った試験の結果、空気入りタイヤに匹敵する強力なライバルであることが分かった。
「ホイーリング」誌、1890年12月16日。
一見すると、普通の「ソリッドタイヤのセーフティ」とほとんど違いがないように見えるが、実際には他の「リジッドフレームまたはスプリングフレーム」のマシンとは大きく異なる。乗っていて本当に楽しく、衝撃を感じることなく障害物を簡単に乗り越えられるのは実に素晴らしい。これは非常に成功したシンプルな製品であり、地面や埃を感じることなく走れるほど防振性に優れたマシンと断言できる。
 クアドラントスプリング・フロム・セーフティ
「スポーツ・アンド・プレイ」誌、1890年12月16日。
イタリアで優秀なエージェントを探している。

1891年版の図解入りカタログをご請求ください。そこには、世界的に有名な当社のマシンのすべてに関する説明が掲載されています。
ザ・クアドラント・トライシクル社
シープコート・ストリート バーミンガム(イギリス)

2570頁

註、クアドラントは1883年にウォルターとウィリアム・ロイドによって自転車と三輪車の製造を目的とした会社として設立された。

2026年6月25日木曜日

ヴェロシペードの特許

 ヴェロシペードの特許

米国特許庁
ニューヨーク州ニューヨーク市のジョージ・ハンロン、ウィリアム・ハンロン、アルフレッド・ハンロン、エドワード・ハンロン、フレデリック・ハンロン
特許証第79,654号、1868年7月7日
ヴェロシペードの改良

United States Patent Office.
GEORGE HANLON, WILLIAM HANLON, ALFRED HANLON, EDWARD HANLON, AND FREDERICK HANLON, OF NEW YORK, N. Y.
Letters Patent No. 79,654, dated Julu 7. 1868.
IMPROVEMENT IN VELOCIPEDES.

ニューヨーク州ニューヨーク市、郡、および州に居住するジョージ・ハンロン、ウィリアム・ハンロン、アルフレッド・ハンロン、エドワード・ハンロン、およびフレッド・エリック・ハンロンは、改良された新型ヴェロシペードを発明した。また、添付図面(本明細書の一部を構成する)を参照することにより、当該業者がこれを製造および使用できるようにするため、以下にその完全かつ正確な説明を記載する。

図1は、改良されたヴェロシペードの側面図。
図2は、その平面図または上面図。
図8は、その詳細平面図。
図4は、現在使用されているヴェロシペードの側面図であり、本発明によって改良されたものである。

本発明は、一般的に2輪のみで使用され、人が座席に座り、足で前輪の車軸にあるクランクを操作して駆動するタイプのヴェロシペードの改良に関するものである。

本発明の目的は、様々な体格の人が使用できるヴェロシペードを設計し、使用方法を学ぶ人のために3つ目の車輪を追加することでバランスを取ることができるようにする。

まず、傾斜した座席上のシートを調整可能にし、また前車軸上のフットレストを長さ方向に調整可能にすることで、装置全体を大小の人が使用できるようにする。

また、後車軸を座席の二股の後端に吊り下げ、そこに1つまたは2つの車輪を吊り下げることができるようにすることにある。この装置の使用方法を学ぶ人は、まず3つの車輪を使用し、1つの車軸上の2つの車輪は装置が安定して立つように十分な間隔を空ける必要がある。ただし、熟練者は2つの車軸それぞれに1つの車輪のみを使用する。・・・



明細書


2026年6月24日水曜日

スポーツ用品ガゼット

 スポーツ用品ガゼット

「Sporting Goods Gazette」
Sporting Goods Gazette v. 3 (Apr. 1890-Mar. 1891)

註、Sporting Goods Gazette誌は、19世紀後半のアメリカで発行されたスポーツ用品業界向けの専門商業誌(trade journal)。

コロンビアサイクルの広告
男女兼用安全自転車
普通自転車、タンデム自転車、三輪車
最高級品のみ カタログ無料
支店、ニューヨーク、ウォーレン通り12番地。シカゴ、ワバッシュ通り291番地
ポープ製造会社

11頁

2026年6月23日火曜日

サイクリング誌

 サイクリング誌

「サイクリング」誌 第1009号 第39巻

1910年5月18日(水)

CYCLING、No. 1,009. Vol. XXXIX. WEDNESDAY, 18th MAY. 1910.

昨年、ラッジ・ウィットワース社は、ラッジ・ウィットワースに乗る一流俳優と女優の肖像と略歴を掲載した「舞台のスターたち」という小冊子を出版した。

今年、ミュージックホールの舞台に関する同様の小冊子が「ホールのスターたち」というタイトルで出版される予定である。この小冊子には、ラッジ・ウィットワースに乗る、当時最も有名なミュージックホールのアーティストの中から、男女それぞれ6名ずつの肖像と略歴が掲載される。・・・


表紙

広告の頁

広告、
両者の違い:ニューデパーチャー・コースターハブ
ニューデパーチャー・コースターを搭載した自転車に乗るライダーは、どんなに急な坂道でも躊躇することはない。サドルにまたがり、愛車に完璧な速度制御を可能にするブレーキが装備されているという確信から自信を持って、惰性走行の爽快感を最大限に楽しむ。
しかし、普通のブレーキしか付いていない自転車に乗るライダーは、同じ急な坂道の頂上でためらい、彼は歩いて下り、サイクリングの楽しみの半分以上を逃している。・・・

2026年6月22日月曜日

ストランド・マガジン

  ストランド・マガジン

「ザ・ストランド・マガジン」図解入り月刊誌
第4巻 7月~12月 ロンドン:ジョージ・ニューンズ社、サウサンプトン・ストリート8、9、10、11番地、エクセター・ストリート、ストランド 1892年発行
THE STRAND MAGAZINE、 An Illustrated Monthly

クロフトの自転車、
クロフトは1877年に素晴らしい器械を発明した。実際、自転車の発明家(中には正気を失っている人もいる)でさえ、それを信じるのは容易ではない。1877年という遅い時期まで、このようなことを実行できたとは考えにくい。ご覧のように、騎手は一対の棒で文字通り公道を漕ぎ進み、同時に鐙に足をかけて操縦した。この装置のスピードは、発明者の絵に描かれたひらひらとした髭によって巧みに表現されている。しかし、図にアルファベットを多用しているにもかかわらず、クロフトは自画自賛しているのではないかと危惧される。・・・

35頁
右上がクロフトの自転車

2026年6月21日日曜日

サイクル誌

 サイクル誌

第1巻、第3号
マサチューセッツ州ボストン、1886年4月16日
広告、
コベントリー機械工会社の1886年新型三輪車
マールボロクラブ ― 自動操舵式 女性向けに最適化
カタログのご請求は、ボストン、コロンバス通り239番地まで
表紙

39頁

レディース・ コロンビア・ 2トラック三輪車

ポープ・マニュファクチャリング社は、1885年の2トラック三輪車よりも数ポンド軽量でありながら、同じラインを踏襲した女性用の新しい三輪車を発表した。この三輪車は、簡単に説明すると以下のとおりである。
44インチの駆動輪2個、20インチのフロントステアリングホイール1個、3/4インチタイヤ、三日月型フェロー、56本と24本のフルタンジェントスポーク、No.14スチールワイヤー、鋼管フレーム、小型ステアリングヘッド、コロンビアロックステアリング調整式スペード、ハンドルクレードルスプリング、コロンビア「ダブルグリップ」ゴムボールペダル、中央クランクとチェーン駆動ギア、自転車用調整式クランク、コロンビアダブルバンドブレーキ、ワイヤードレスガード。トラック幅31インチ、全幅36インチ。仕上げはエナメルとニッケルチップ、重量70ポンド。価格175ドル、またはパラレルペダル付きで170ドル。チューブは通常の2トラックよりもはるかに軽量で、駆動輪を小さくすることでかなりの重量が削減されている。ステアリング機構は新設計で、次のように説明されている。
ステアリングヘッドブラケットアームから伸びるロッドは、その上部アームでボールジョイントを介して、フレームに対して角度をつけて回転するレバーの長いアームに接続されている。レバーの短いアームは、ステアリングハンドルの支柱上のクイックスレッド上を回転するナットにリンクされており、ハンドルを左右に回すことで上下の動きをする。動作は確実かつ迅速で、過敏すぎることはない。手を離してもステアリングホイールはコースから外れることはない。ジョイントは摩耗に合わせて調整できるため、ガタつきは一切ない。この器械にはEwartチェーンが使用されている。このチェーンは、鍛造品の場合、自転車に使用する独占的な権利を同社が有している。チェーンは、リンクを直角に回すだけで、リンクごとに分解できる。まもなくマシンが展示される予定である。その際には、さらに詳しい情報をお伝えできると思う。・・・

2026年6月20日土曜日

自転車:その歴史

 自転車:その歴史

自転車:その歴史 デイビッド・V・ハーリヒー著 2004年発行

「Bicycle : the history」  by  David V. Herlihy.

1.幻の器械馬

3世紀以上前、著名なフランスの数学者ジャック・オザナムは、「馬を使わずに、好きな場所へ自分で運転できる」人力馬車の理論的な利点を詳しく説明した。所有者は動物の世話をすることなく自由に道路を歩き回ることができ、その過程で健康的な運動を楽しむことさえできるかもしれない。さらに、この種の「自走式」車両は、推進力として風や蒸気を必要とする車両とは異なり、最も豊富で入手しやすい資源である意志力で動く。しかし、そのような貴重な車両をどのように構築するか?これは、オザナムが1696年に出版した有名な著書『数学と物理学の娯楽』の中で特定し、取り組んだ約50の「有用で面白い」問題のうちの23番目の問題であった。

オザナムは、発明家コミュニティに重要な挑戦を突きつけただけでなく、最終的には現代の自転車を生み出すことになる挑戦を、本の扉絵で誇らしげに披露した。それは、ラ・ロシェルの医師、エリー・リシャール博士が設計した巨大な四輪馬車であった。リシャールの設計によれば、前方に座った紳士は、一対の手綱を使って前輪を操舵するだけであり、一方、後方に立つ召使いは、後輪車軸に接する2枚の往復運動する板の上を上下に踏み込むことで、馬車を前進させる。板はバネ仕掛けで、ロープと滑車のシステムで吊り下げられており、運転手の圧力で一方の板が沈むと、もう一方の板が最高点に達するまで上昇し、その後、板の動きが反転する。それぞれの板は、後輪車軸に取り付けられたギアを順番に作動させ、車軸を回転させ、それによって車輪を回転させる。
駆動装置全体は、馬車の車体の中に隠されている。二人は歩いた方がましだろう、特に気の毒なのは召使いである。リチャードの馬車は、その潜在能力が疑わしいにもかかわらず、1世紀以上にわたって人力車の実用モデルとして機能した。長年にわたり、ヨーロッパでは技術的な改良が加えられたと思われるいくつかのバリエーションが作られたが、ほとんど効果はなかった。ついに1774年、ロンドンの新聞は地元の馬車を「これまで発明された中で最高のもの」と評した。オーベンデン氏の手によるこの馬車は、時速6マイルで走行し、運転手が「特別な努力」をすればさらに速く走れたと伝えられている。「しっかりとした路面」があれば、「かなりの丘」も乗り越えることができた。しかし、この立派な試みも結局は実を結ばなかったようである。

数年後の1779年、多作なフランスの発明家ジャン=ピエール・ブランシャールは、マスリエ氏の協力を得て同様の馬車を製作した。ブランシャールと彼の召使いは、パリのルイ15世広場をこの馬車で走り回り、好奇心旺盛な群衆を沸かせた。・・・


16頁

17頁

2026年6月19日金曜日

インゴ・サイクル

 インゴ・サイクル

下の図はインゴサイクルの特許図面、
1938年8月2日 P. H. HUYSSEN 他 自走式車両 2,125,568
1934年3月24日出願
3枚のうち、 図面1

1934年に出願され1938年8月2日にアメリカで登録された「自走式車両(Self Propelling Vehicle)」の特許図面(特許番号:US 2,125,568)。一般には「インゴバイク(Ingo-bike)」または「インゴサイクル(Ingocycle)」として知られている。1930年代にアメリカで非常に人気を博したユニークな乗り物である。

偏心ホイール(後輪)最大の特徴は、後輪の車軸(ハブ)がホイールの中心ではなく、わざと中心から外れた(偏心した)位置に取り付けられている点である。ペダルやチェーン、ギヤは一切ない。

推進方法は、細長いプラットフォーム(踏み板)の上に立ち、体を上下にバウンドさせるように激しく揺らす。この体重移動によって偏心した後輪が回転し、前に進む推進力へと変換される。

シカゴのフィリップ&プレスコット・ハイセン(Huyssen)兄弟によって発明され、大手小売のボルグワーナー社などから発売された。当時は単なる移動手段だけでなく、全身を使う風変わりなエクササイズ器具や、ハリウッドのスターたちも愛用するトレンディな玩具として親しまれた。   


インゴサイクル

インゴに初めて乗る
1991年6月26日 フィンドレー大学構内にて

2026年6月18日木曜日

自転車の誕生

 自転車の誕生

ニック・クレイトン著

「The Birth of the Bicycle」 by  Nick Clayton  2016

以下はkindle版より

1840年頃、ダンフリーズ周辺ではレバー駆動式ホビーホースへの関心が一時的に高まった。おそらくジェームズ・チャータリスが発端で、ギャビン・ダルゼルやカークパトリック・マクミランも関わっていたと思われるが、彼らの作品は他では注目されず、自転車開発に影響を与えたと主張するのは非現実的である。トーマス・マッコールはマクミランの器械を記憶に基づいて複製したと主張し、グラスゴーで数台を販売したが、これはミショーの器械がグラスゴーに到着した後であり、彼の後輪駆動は前輪ペダル駆動よりも効率が悪かった。1869年製のマッコールの現存する唯一のホビーホースはロンドン科学博物館に所蔵されており、彼がずっと後に作った複製はダンフリーズ天文台にある。1890年代の排他的な風潮の中でジェームズ・ジョンソンがマクミランを公然と擁護したこと、そしてその神話が根強く残っていることから、残念ながら世界中のほとんどの自転車博物館は、それ相応した複製を展示せざるを得ない状況にある。(註、kindle版の頁:位置237)


表紙

2026年6月17日水曜日

ストランド・マガジン

 ストランド・マガジン

「ザ・ストランド・マガジン」図解入り月刊誌

第4巻 7月~12月 ロンドン:ジョージ・ニューンズ社、サウサンプトン・ストリート8、9、10、11番地、エクセター・ストリート、ストランド 1892年発行

THE STRAND MAGAZINE、 An Illustrated Monthly

それから数年後(正確な年は不明)、ギャビン・ダルゼルはスコットランドのレスマハゴウで自転車を製作した。この器械は、ライダーが地面から離れた位置に座り、十分な駆動・操舵装置を備えた最初の二輪直列車両として長らく考えられてきた。実際、現在私たちが知っている最初の実用的な自転車であり、さらに奇妙なことに、後輪駆動の安全性の最新型とほぼ同じプロトタイプである。しかし最近、ダルゼルが製作する少し前に、同じくスコットランド人で鍛冶屋のピーター・マクミランが、全く同じ原理で別の器械を製作していたことが判明した。それでも、これらが同種の別々の発明であり、この出来事全体が奇妙な偶然だった。ダルゼルのオリジナルの器械は今も現存しており、かなり使い込まれ、虫食いだらけだがまだ動く。この器械は主に木製で、鉄製の金具とタイヤが付いている。後輪の直径は40インチ、ステアリングは30インチである。フロントフォークは現代の自転車と同様に後方に傾斜しており、ハンドルも今日の流行に倣って後方に湾曲している。後輪はシングルバーペダルからのクランクとレバーによって駆動される。フレームは重くて扱いにくいものの、女性用安全自転車のフレームとよく似ている。後輪の上にあるウサギ小屋のような構造は、ドレスガードである。これもまた、現代の女性用自転車にも別の形で用いられている。

32頁

表題

2026年6月15日月曜日

自転車とサイクリング

 自転車とサイクリング
H・ヒューイット・グリフィン著 1890年
CYCLES AND CYCLING. BY  H. HEWITT  GRIFFIN -1890

その後数年間は、特筆すべきことは全くないが、1835年は自転車の歴史における新たな時代を画する年である。この年、ギャビン・ダルゼル(1811年8月29日生まれ、1863年6月14日没)は、スコットランド、ラナークシャーのレスマハゴンで樽職人として事業を開始した。彼は発明家の家系に生まれ、古いダンディホースを見たか、あるいは所有していたかのいずれかで、その乗り物の改良に情熱を注いた。彼は自ら新しい道を切り開き、地面を蹴って動力を得ることなく器械を前進させるという、当時不可能と思われていたことに着手した。、

通常のものよりはるかに単純な形で、前方のスイングレバーと後方の駆動輪のクランクを接続する単一のロッドのみを使用した。幸いなことに、推測以上の効果があり、実際の器械は今も存在し、次の図は、その詳細を非常によく示している。(図6を参照)。

11頁

12頁
図6 - ダルゼルの後輪駆動小型安全自転車(1836年)

2026年6月14日日曜日

サイクル誌

  サイクル誌

週刊「サイクル」誌 第1巻、第2号 マサチューセッツ州ボストン、1886年4月9日
アボット・バセット社(スクールストリート22番地、19号室)発行、毎週金曜日

ラッジの広告、
英国コベントリー、D.ラッジ社製 世界最古にして最大の自転車メーカー
カタログ請求 1886年のカタログ 自転車と三輪車
米国総代理店
マサチューセッツ州ボストン、コングレス通り152~158番地

23頁

註、9 April 1886(1886年4月9日号)のTHE CYCLE(Vol.1 No.2) は、Abbot Bassett が編集する週刊サイクリング紙で、Boston を中心としたアメリカ輪界ニュース、レース記録、クラブ活動、機材広告を掲載。

2026年6月13日土曜日

リチャード・カービー

リチャード・カービー

 下の記事は明治期に活躍した英国人リチャード・カービーについての資料、

彼は日本の自転車文化に貢献した一人と云える。 

自転車の旅 東京、1892年(明治25年)4月18日
「ジャパン・メール」編集長殿
拝啓、土曜日の号に掲載された大阪特派員の記事について、東京から出発した最近の自転車旅行に関する記述を訂正させてください。旅行を完遂したのは2名ではなく3名で、3人目はR・J・カービー氏です。さらに、他の参加者は記事で示唆されているように体力的な理由で断念したのではなく、重要な事情により旅行完了前に東京に戻らざるを得ませんでした。これは、元気な自転車乗りたちにとって当然のことです。
敬具 

The Japan Weekly Mail」 1892年(明治25年)4月23日
自転車旅行、次ページ、A Journey on Wheels.
拝啓、近頃試みられた東京発の自転車旅行に関し土曜日発行号にて貴社の大阪特派員の報告書を訂正させて下さい。二人ではなく三人の紳士が自転車旅行を完走していて三人目がMr.Kirbyです。更に他の一行は余力は充分でしたが重要な事情により東京へ戻ることを余儀なくされました。彼ら頑健な自転車乗りの名誉のために間違いのないように訂正させて下さい。

東京日々新聞 1892年(明治25年)6月8日
英人キルベ、東京~広島間を自転車で往復
内外用達会社雇い英国人リチャード・キルベ氏はこのほど一輌の自転車にて広島まで往復五百里の旅行をなせり、氏は英国にても自転車に名ある人なりという

横浜貿易新聞 1893年(明治26年)4月6日 
 自転車速力を汽車と争ふ 大倉組の雇英人カービー
此程のことなりとか、大倉組の雇英人カービー氏は大坂地方より帰京する令嬢を迎へんものにと自轉車にて新橋停車場に至りしに尚を2時間の後ちならでは汽車の着せざる筈なれば此儘ムザムザ待ち居るも興なしと考ふる折しも横浜行きの汽車、間もなく進行せんとすると見て取りしカービー氏は去らば吾が得意の自轉車に駕して汽車と競爭一番せんと思い立ち用意をなす中、汽笛一声發車を報じければ氏も同時に東海道を真一文字に乗り出せしが乗手は其道に名を得たる達人なり、車は英國新製の尤物なり道行く人驚き呆るる嘆声を後ろに聴き流し道程 の八里を乗り抜けて横浜停車場の掛り員に問い合すればまだ汽車の到着には四五分間あるべしとのことに吾れながら迅速に驚きしが、程経て上りし列車を俟ち受け令嬢を伴び共に東京に戻りしとぞ

東京日々新聞 1893年(明治26年)4月16日
 カービーの自転車旅行
自転車に熟練なるカービー氏は、横浜と東京築地の間を自転車にて往復することしばしばなるが、その片道に費す所の時間は、クッション・タイヤ製自転車なれば1時間23分にて達し、ニューマチック・タイヤ製自転車なれば1時間21分を費せども、1時間15分にて達するはさほど難しき事にてはなき由。元来横浜、新橋間は往来すこぶる雑踏の街道なれば、同氏もあまり疾走するを好まれず、しかれども新橋までは60分にて充分なり云えり。その他同氏の自転車にて旅行せしは、名古屋、浜松間を途中の渡し津二個所及び鎖を取り替えたる時間をも合わせて、3時間30分にて達し、また下野の小山駅より東京築地まで3時間15分にて、大磯より藤沢までを35分にて、名古屋より静岡までを1時間は夜に入り14時間にて達し、また東海道を友人と同行にて、十里半余を1時間15分にて走りしことあり、また岡山より神戸居留地までを11時30分にて着せりことあり、同氏の最も困難を極めしは、京都より伊勢山田なる旅館油屋まで雪を冒して15時間にて達せし時なりしと。しかれどもこれらは皆遊歩の目的に出でたるなれば、決して最速力にはあらざるよし。

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、459頁。
1898 年(明治31年)、
彼は、並外れた礼儀正しさの持ち主だった。そして、日本の自転車界の重鎮、カービー氏。彼はミカドの国で初めてダルマ自転車を走らせ、最初のセーフティ、最初のクッションタイヤ、最初の空気入りタイヤ装着の自転車に乗った人物だ。彼らと共に、他にも紳士たちがいた。間もなく、私たちは東京の途方もなく広い通りに出た。東京は、直径8マイル(約13キロ)、人口200万人近い大都市だ。私たちはここで数日間滞在し、そして横浜に戻り、再び東京へ行き、この二つの都市を3週間近く往復した。

自転車と汽車の競争
引き札 明治後期
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