2026年4月21日火曜日

自転車世界一周 - 7

 自転車世界一周 - 7    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その7。

ある日の午後、4人の少女が格式高い茶道に興じた。日本の茶道は芸術的であり、詩でもある。ソネットを書くように、厳格な作法に従いお茶を飲む。お湯を注ぐことから、飲んだ後の茶碗を洗うことまで、すべての動作が清らかで儀式的な作法である。私たちは床に座った。女主人役の丸顔の少女、他の3人の少女、チャーチ先生、そして訪問者。誰も一言も話さなかった。この茶道は「茶の湯」と呼ばれ、静寂の中で行われた。茶は小さな棗に入った緑色の粉末だった。棗は決まった持ち方で持ち、蓋は決まった動作で開けられ、お湯を注ぐ柄杓は特定の方法で持ち上げられ、小さな竹製の茶筅で茶をかき混ぜた茶碗は優雅に体を曲げて客に手渡された。泡立ったお茶を飲み干すと、茶碗は厳粛に頭を下げて返された。儀式全体は簡素ながらも優雅で洗練されていた。それは単なるお茶を飲むことではなく、小さな詩を演じているように感じられた。

そして、その晩きちんとした着物を着た少女たちが教室に集まり、床に半円形に座ったとき、私は旅の話をするように頼まれた。

イギリスの女子生徒たちの前で話すことは、男の内気さを試す良い機会だが、12歳から20歳までの40人の日本人の娘たちの前で外国語を話すことに比べれば、それは何ほどのことだろうか?しかし、彼女たちはイギリスの女子生徒たちのように笑うことはなかった。彼女たちは小さな手を膝の上に置いて、慎ましやかに座っていた。

私の傍らには、粗末な服を着て、すらりとした、愛らしい顔立ちの日本人少女が立っていた。彼女は美しい英語を話し、日本人が言っていることを通訳した。

私たち3人が神戸で合流した時、ビーチコーマーズ・サイクリング協会が夕食会を開いてくれた。ビーチコーマーとは、常に金欠で、条約港をぶらぶらして仕事を探し、決して見つからないようにと天に祈っている人のことである。日本で最も美しい場所の一つに住むことになったのは運命のいたずらだと考えている。神戸の陽気な紳士淑女たちは、自分たちを「ビーチコーマーズ」と呼んでいる。彼らの協会には変わったところがある。ある会員の一人は、夕食会で、鴨をきちんと切り分けられなかったという理由で、普通の機械清掃員に降格された。他の会員は皆、立派な肩書きを持っている。食事の最中、誰かが外に出て、屋根から鉛の塊を盗み、私たちの訪問を記念するメダルを鋳造した。ビーチコーマーズは魅力的な人たちで、私たちが家に帰ったのは午前4時であった。

神戸は骨董品の輸出が盛んである。毎月何千もの箱が出荷され、中には本国の人々が日本品だと思っている品々が入っている。しかし、それらを日本の家庭で見かけることは決してない。ある商人が私にこう言った。「日本の骨董品はほとんど残っていません。それに、一般の人は日本の美術品を理解できません。彼らが理解するのは、私がデザインして『日本品』とラベルを貼ったものです。この日本の屏風を見てください。日本中どこへ行っても、家でこの屏風を見かけることはないでしょう。私はヨーロッパ市場向けに作っているのです。」
「ビジネスなんてどうでもいい。そんなものには興味がない」と、神戸を出発する朝、神戸のサイクリストたちは言った。
小さな群衆が一日私たちに付き添ってくれた。ホテルの階段に立っていると、神戸サイクリストクラブの日本人代表団がやって来て、たどたどしいながらも親切な英語で私たちを褒め称え、「勇敢で勇気ある」自転車旅行を称えるメッセージが刻まれた銀の星を一人一人にくれた。彼らは私たちを町から見送り、歓声をあげた。

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挿絵 オユチャさん

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2026年4月20日月曜日

自轉車瓦版 第104号

 自轉車瓦版 第104号

昭和61年1月24日発行

外国製 アンティック自転車のあっせん、

①アメリカ製ボーンシェーカー、たいへん精巧な仕上げでアメリカ型のボーンシェーカーの特徴がよく現われている。保存状態は完璧である。 $2.750-

② コロンビア・バイシクル、1950年代のモデル(復元車) この形からビーチクルーザーが生まれ、マウンテンバイクへと引き継がれている。 $269-. (価格には船賃、通関料その他の経費は含まれていない)

問い合せは  (株)八神商会まで。

★東京の東小金井駅のそばにある東京農工大学附属繊維博物館でマッチ・ラベル展を開催中、自転車関係のもので 40枚程出展されている。この展示会は2月1 日まで。植原郭氏からの情報。

★自転車文化センターの広報誌 BCCインフォメーションの1月号に 日本製ミショーと題して、次のような記事があった。「明治20年代につくられたミショー型自転車で、泥よけがついているのが珍しい。玉野市 (岡山県)の大エだった広畑浅太郎(1872-1950)が設計し、鍛冶職人と共同製作したものです。浅太郎は、本業のかたわら自動織機を考案したり、発明工夫に大いに興味をもていたようです」

註、明治20年と言えば、既に欧米ではセーフティーの時代を迎えようとしている時期である。

★自転車に関する情報等をお待ちしております。編集部。

1984年8月17日付け山陽新聞の記事
八浜町の広畑浅太郎さんが明治時代中期に自作したミショー型自転車と伝えられている。

岡山の河原コレクション
これも広畑浅太郎氏製作のミショー型か?
明治20年代後半

2026年4月19日日曜日

自転車世界一周 - 6

 自転車世界一周 - 6 

「自転車世界一周」  

ジョン・フォスター・フレイザー著 

 1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その6。

第34章

私たちが自転車に乗り、広島から去った朝、大地は霜でキラキラと輝いていた。薄く低い乳白色の霞が大地を覆っていたが、丘は太陽の光を浴びてくっきりと浮かび上がり、まるで空に浮かぶ島のように見えた。木立や谷間には、墓地があり、簡素ながらも印象的で、木々の下には苔むした墓石があり、枝の上では陽気な鳥たちがさえずっていた。

道が分岐する場所には、古びた石灯籠が並んでいた。どっしりとして不思議な石灯籠には、夕暮れのそよ風から炎を守るための紙の窓がはめ込まれていた。沿道には、立派な戦没者を偲ぶ慰霊塔や、戦いを記念する記念碑が点在していた。それらは、私たちの故郷にあるような厳粛で磨かれた台座ではなく、歪んだ不規則な岩の塊で、表面には金色の碑文が刻まれていた。その美しさは、飾らないところにあった。

多くの丘の斜面には、寺社へと続く小道があった。たいていは神社だが、時には仏教寺院もあった。頭を垂れ、眉間にしわを寄せた老僧が、苔むした小さな参道を時折よろよろと歩いていた。しかし、騒がしい世間はそこには入り込んでいない。

神々や悪魔の幻想的な姿が、木々の涼しい影から私たちを見つめていた。どれもが、世界がまだ若かった頃から語り継がれてきた、神話的で美しい物語を持っていた。

私たちは空を飛んでいた。14世紀で、物憂げなアーモンド形の目をした、奇妙なローブをまとった人々の中で昼食をとった。彼らは私たちに優しく丁寧に挨拶してくれた。6時間後、私たちは19世紀にいた。まるでアラジンの魔法のランプに触れたかのように、時空を超えて連れて行かれたのである。道の上を列車が轟音を立てて走り、寝室には電気ベルがあった。それはヨーロッパ風で、たいていは故障していた。

しかし、日本は奇妙ではあるものの、日本人でさえ損なうことのできない魅力を持っている。瀬戸内海に点在する島々と海辺の美しさは、夢のように私の記憶に残っている。

私たちは丘陵地帯を自転車で走っていた。時折、道は海岸へと曲がりくねっていた。水面は銀色の平原のように広がり、波は近くの岩に絹のささやき声のように打ち寄せていた。島々は楽園のようだった。丘の頂上には羽毛のような松の木が生えていた。泡立つ滝が谷間に流れ落ち、笑い声を上げていた。それらは善​​良な人間だと感じさせた。このような美しさの中では、誰も罪人ではいられない。

夕暮れ時、太陽が沈み、炎のベッドに横たわる神々のように、紫の青みがかった、穏やかな夕焼けだった。

ある日の午後、雨が降り、空は悲しみに満ちていた。すると、雲に裂け目が開き、淡い太陽の光が差し込み、海と陸に降り注いだ。それは、悲しみに暮れていた美しい女性が、涙を流しながら微笑んでいるかのようであった。はるか東の空では、黒い夜のフードが巻き上げられ、頭上には不気味な緑色の空が広がっていた。海は鋼鉄色になり、水面に淡い光が降り注いだ。空の緑は西の青と混ざり合い、青はオレンジ色に溶け込み、世界の果てには一本の細い金色の筋があった。その後、金色は消え、オレンジ色は薄れ、緑と青は消え、黒いフードがすべてを覆った。
感傷は罪だが、日本の海岸で夜の訪れを見守った者は許されるかもしれない。静寂の中で休息し、物思いにふけるうちに、神聖な静けさが魂に忍び寄ってくる。世界中を旅して、喜びを見つけ、美徳をひけらかさないサイクリストでさえ、夜が静まり、海辺に座っているとき、時を滑るように進み、古き日本の神話の中に神性を見出すかもしれない。

さて、私たちは尾道という小さな町に1日遅くに着いた。夕方、2日以内に神戸に到着する予定であったが、夜から雨が降り、翌日も次の日も降り続いた。3日3晩雨が降り、その後、道路が少し乾くのを待つために1日休む。そのため、4日間の休憩となった。
「雨がひどい!」と、茶屋の娘たちは毎朝つぶやいていた。それから、彼女たちは私たちを囲んで日本語を教え、気分を良くしてくれた。
私たちは日本式の生活を送った。サイクリングウェアを脱ぎ、着心地の良い着物に着替え、足の骨が軋むまで床に座り、小さな皿に盛られたご飯と小さな魚の切り身を食べ、いくつも餅を食べ、たくさんのお茶を飲んだ。
そして、可愛らしいお茶娘のオユチャさんは、毎日午後になると、彼女ならではの優雅さで、一杯の「尊いお茶」を私たちに入れてくれた。「もう少し召し上がってください」と、彼女は小さくお辞儀をして微笑みながら言った。立ち去る前に、彼女は人形のような両手を床に置き、小さな鼻を畳に付けた。

道はぬかるんでいたが、ようやく気持ちの良い田園地帯を抜けて岡山に到着した。岡山は庭園と遊園地、ちょっとしたピクニックのための別荘、そして、カエデ、桜、藤、ヤシなどの美しい木々で有名である。

翌日、私たちは何事もなく姫路へと向かった。姫路には30の櫓を戴く堂々とした城があり、活気に満ち溢れていた。ここで私は体調を崩してしまい、ルンとロウは二人だけで神戸へと向かった。彼らの到着は事前に知らせられていた。12マイルほど手前で10人のサイクリストが彼らを迎え、宿屋へと案内してくれた。宿屋では美味しいイギリス式の紅茶が待っており、そこから街へと軽快に走り出した。神戸のサイクリストたちは、自分たちはただの平凡な自転車乗りだと謝っていた。それが彼らの謙遜であった。彼らは雪崩のように街に押し寄せ、多くの日本人が迷惑したはずである。
姫路で寝ていた私は、アメリカ人宣教師のチャーチさんに発見され、世話をしてもらった。チャーチさんは女子校の校長で、つり目の明るい女の子たちが集まる学校だった。

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2026年4月18日土曜日

自轉車瓦版 第103号

 自轉車瓦版 第103号

昭和61年1月15日発行

★小学館から『自転車父ちゃん旅だより』という子供向けの本が出版された。定価1200円、 A4版。なかなか楽しい本である。(大阪・高橋 勇氏より)

★瓦版のNO.101と同様 『コレクティング&レストリング・アンティック・バイシクルス』1981年から転載。

DIRECTORY RESTORATION INFORMATION
Wheelmen Bulletins available to members
Bulletin   Title
 Number   
1、Advice On Buying A High Wheel Bicycle
2、Learning to Ride the Ordinary
3、 Restoration and Restoration Data Sheets
4、Mounting Tires on the Ordinary
5、The Bicycle Uniform From Head to Foot
6、Bicycle Bugles and Bugling
7、Nickel, Bright and Gun Blue Finishes
8、How to Organize A Wheelmen Meet
9、Parade Riding
10、Making Leather Saddles For the Ordinary 
11、Wood Finishing Straightening and Bleaching
12、The Story of Bicycling in America
13、Research Your Antique Bicycles Before Restoring
14、More on Bright Nickel Plating
15、Bicycle Literature Collecting
16、Evolution of the Bicycle, Historical Events
17、 Fancy Ladies' Skirt Guards, How to Attach
18、World Postage Stamps on Bicycling
19、Physical Fitness Preparation for the Century Ride
20、A New Method of Tiring and A New Machine
The Restoration of Veteran Cycles by F.R. Whitt, 1979, available from the Southern Veteran Cycle Club, 383 Wanstead Park Rd., Ilford, Essen, 161 3TT, England
DIRECTORY RESTORATION SERVICES
(Note: Numbers preceding each name correspond to code numbers listed in the next section under services).
Sources
1、 G. Donald Adamas Henry Ford Museum Dearborn, Michigan 48121 
2、 Paul Gibson 32 pelham Rd. Hudson, New Hampshire 03061
3、 Richard Hammel 970 Ray St. RR1, Box 17 Huntington, Indiana 46750
4、Art Hart North Road RR 1. Box 91 B Chester, New Jersey 07930
5、 Lowell Kennedy Kennedy Machine Shop RFD1 Defiance, Ohio 43512
6、 David Meta 25 Broadway Freehold, New Jersey 07728
7、 Universal Tire Company 2650 Columbia Lancaster, Pa. 17603
8、John  Vanderpoel 119 Crescent Road Concord, Massachusetts 01742
9、 Carl  Wiedman 3515 Walbri Drive Bloomfield Hills, Michigan 48013
10、Gary Woodward 6549 Fleming Court Drive Ann Arbor, Michigan 48105
Services
(Send self-addressed, stamped, envelope when contacting these sources)
Brake hardware, ordinary-5
Cleaning and preserving-1
Handlebar grips, ordinary pear shaped-4&5
Handlebar grips, ordinary double grip-5
Handlebar grips, leather and cork-5,10
Mudguards, duplicate wood-2
Plating, nickel-5
Rims, new duplicate steel-5
Rubber, pedal duplicating original-6
Restorations, compete and partial ail bicycles and tricycles-5, 8, 10
Saddle cutting template-9 Saddle leather work-5.8
Saddle pans and other hardware-8
Sandblasting-5
Spokes, double and single butted-8
Spoking and truing wheels-5, 10
Stands, hoop and reproduction of original -5
Steps-ordinary-5
Tire mounting-3, 5, 9, 10 Tiring device, Wiedman-9
Tires, single tube pneumatic, new-7
Tires, solid wire on 7/16" to 14"-3,5
Supplies and Information
Advice proper uniform color and style for your state, Wheelmen Bulletins, bat Issues The Wheelmen magazines, David Gray, 39 Squirrel Rd: Doylestown, PA 18901.
Wheelmen uniform buttons, Fred Fisk, 2815 Moraine Ave., Dayton, Ohio, 45406

修復情報一覧
会員向けホイールメン会報
会報   タイトル

番号
1.ハイホイール自転車の購入アドバイス
2.オーディナリーの乗り方を学ぶ
3.修復と修復データシート
4.オーディナリーへのタイヤの取り付け
5.自転車のユニフォーム(頭からつま先まで)
6.自転車のラッパとラッパ演奏
7.ニッケル、ブライト、ガンブルー仕上げ
8.ホイールメンの集まりの開催方法
9.パレードライディング
10.オーディナリー用レザーサドルの製作
11.木材の仕上げ:矯正と漂白
12.アメリカにおける自転車の歴史
13.修復前にアンティーク自転車について調べる
14.ブライトニッケルメッキについて
15.自転車関連文献の収集
16.自転車の進化、歴史的出来事
17.おしゃれな女性用スカートガードの取り付け方
18.自転車に関する世界の切手
19.センチュリーライドのための体力トレーニング
20.新しい疲労方法と新しいマシン
F.R. Whitt著『ベテランサイクルの修復』(1979年)、Southern Veteran Cycle Club(住所:383 Wanstead Park Rd. Ilford, Essen, 161 3TT, England)より入手可能
修復サービス一覧
(注:各名称の前の数字は、次項のサービス一覧に記載されているコード番号に対応します。)
出典
1.G. Donald Adamas Henry Ford Museum Dearborn, Michigan 48121
2.Paul Gibson 32 Pelham Rd.ニューハンプシャー州ハドソン 03061
3. リチャード・ハメル 970 Ray St. RR1, Box 17 インディアナ州ハンティントン 46750
4. アート・ハート North Road RR 1, Box 91 B ニュージャージー州チェスター 07930
5. ローウェル・ケネディ Kennedy Machine Shop RFD1 オハイオ州ディファイアンス 43512
6. デビッド・メタ 25 Broadway ニュージャージー州フリーホールド 07728
7. ユニバーサル・タイヤ・カンパニー 2650 Columbia ペンシルベニア州ランカスター 17603
8. ジョン・ヴァンダーポール 119 Crescent Road マサチューセッツ州コンコード 01742
9. カール・ウィードマン 3515 Walbri Drive ミシガン州ブルームフィールドヒルズ 48013
10. ゲイリー・ウッドワード 6549 Fleming Court Drive ミシガン州アナーバー 48105
サービス
(返信用封筒を同封してください) (これらの情報源に連絡する際は、切手を貼った封筒を同封してください)
ブレーキ金具、通常-5
クリーニングと保存-1
ハンドルグリップ、通常洋梨型-4&5
ハンドルグリップ、通常ダブルグリップ-5
ハンドルグリップ、革とコルク-5,10
泥除け、木製レプリカ-2
メッキ、ニッケル-5
リム、新品スチールレプリカ-5
ゴム、ペダル、オリジナルレプリカ-6
レストア、自転車と三輪車の完全および部分修復-5,8,10
サドル型紙作成-9 サドル革加工-5,8
サドルパンおよびその他の金具-8
サンドブラスト-5
スポーク、ダブルバテッドおよびシングルバテッド-8
スポーク交換とホイール振れ取り-5,10
スタンド、フープ、オリジナルレプリカ-5
ステップ、通常-5
タイヤ取り付け-3,5,9,10ウィードマン-9
タイヤ、シングルチューブ空気入り、新品-7
タイヤ、ソリッドワイヤー、7/16インチ~14インチ-3.5
用品と情報
お住まいの州の適切なユニフォームの色とスタイルについては、Wheelmen Bulletins、Wheelmen誌の最新号をご覧ください。David Gray、39 Squirrel Rd: Doylestown, PA 18901。
Wheelmenユニフォームボタンについては、Fred Fisk、2815 Moraine Ave. Dayton, Ohio, 45406までお問い合わせください。

★会員の皆様からたくさんの楽しい年賀状をいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

2026年4月17日金曜日

自転車世界一周 - 5

自転車世界一周 - 5  

「自転車世界一周」

ジョン・フォスター・フレイザー著

1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その5。

小さな女給たちが周りにしゃがみ込み、私たちのすることに、笑っていた。

私たちは再び出発し、海岸沿いの素晴らしい道を走り続け、雲間から差し込む夕日の色彩や、あらゆる芸術家を至福の境地へと誘う、日本の夕暮れの素晴らしい景色を眺めた。

やがて暗くなり、星が輝き始めた。私たちが立ち寄った小さな村には、わずかな宿泊施設しかなかった。しかし、海を隔てて1マイル先に、聖なる島、宮島に灯りが揺らめいていた。私たちは、誰も生まれも死ぬことも許されず、犬も立ち入り禁止というほど神聖な島へと渡った。窪地に小さな町があり、私たちはまともなホテルと、いつものように可愛らしい笑い声の絶えない女性たちを見つけた。

向こう見ずな気分で、私たちは3人の芸者を呼んだ。彼女たちは素晴らしく魅力的な衣装を身にまとい、三味線をかき鳴らし、チュニジアのカフェでアラブの歌姫から聞いたのと同じ、物悲しく甲高い声で日本の恋歌を歌った。私たちは床に座って、素敵なハーフヨーロッパ料理の夕食を楽しみ、夜は楽しく、少し騒がしく過ぎた。しかし、ここは神聖な島でもある。

朝、私たちは宮島の美しい景色の中を散策した。土地には耕作地はなく、鬱蒼とした木立が広がっている。松林の間には心地よい木立があり、丘の頂上には寺院が点在し、鹿は人懐っこく、私たちのところに走ってきて手から餌を食べた。美しい日で、神聖な静寂がすべてを包み込み、案内役の老人は穏やかで静かであった。私たちは厳島神社へ行った。それは低い木造建築で、両側に長い回廊があり、正面には広いバルコニーがある。巨大な杭の上に建っているため、満潮時には海に浮かんでいるように見える。言い伝えによると、元の寺院は12世紀前に建てられたそうである。回廊には、国の歴史における神話的な出来事を描いた何百もの絵が所狭し飾られており、口ひげを生やした戦士たちの戦いが描かれている。風景を描いた幻想的な印象派風の習作や、日清戦争を描いたと思われる落書き、そしてエッフェル塔の安っぽいカラー版画もある。

私たちはモミの木とカエデの木の間をのんびりと歩き、大きな建物へと向かった。まるで神殿のようであった。梁や柱、壁には何十万枚もの羽根飾り(破魔矢か)が釘で打ち付けられていた。卵スプーンほどの大きさから湯たんぽほどの大きさまで、あらゆるサイズの羽根飾りがあった。あたり一面、羽根飾りで埋め尽くされていて、奇妙な光景だ。島を訪れる日本人は皆、この羽根飾りに名前を書いて釘で打ち付け、訪問の記録を残す。私たちは宮島で一番大きな羽根飾りを注文し、力強く美しい筆跡で名前を書き、数本の釘で入り口に固定した。次の世紀には、私たちの孫たちがそれを読むことであろう。

本土に戻るのは少し残念であった。

出発の際、私たちは老ガイドに2シリング相当のお金を渡した。彼はお金を見て、裏返して、それから私たちを見た。「えっ!もっと欲しいの?」と、ガイドのやり方を知っていた私たちは尋ねた。彼は店に入り、一握りの釣銭を持って戻ってきた。

「これは何ですか?」と私たちは尋ねました。

「お釣りです。多めに貰いました。ガイド料は一人2ドルです。」

私たちはそのお金を受け取り、刻印を入れて懐中時計の鎖に付けようかと考えた。ガイドがお釣りをくれたのは、生まれて初めてのことであった。


430頁

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挿絵は厳島神社

2026年4月16日木曜日

橋本商会 - 8

 橋本商会 - 8

以下は明治40年ごろの橋本商会の正価表、最終回

ブレーキ歯止め
ニューディパアチャコスタブレーキ 一個金拾貳圓
バーウェストコスタブレーキ 一個金八圓
クロンコスタブレーキ 同金六圓
舶來ローラーブレーキ 同金四圓五拾錢
和製ローラーブレーキ 同金貳圓

ボール (玉)
一分ヨリ一分七半迄玉 一個金五厘
二分ヨリ二分五厘迄玉 同金壹圓
三分玉 同金貳錢

分解器并ニ修繕器
極上等スバナ 一個金壱圓
並上同No. 1 同金六拾錢
並上同No. 3  同金五拾錢
木子ジ廻シ 一本金拾五錢
スポーク廻シ 同金參拾錢
シングルタイヤ修繕用注射器兼注射液入テープ付罐入 一個金參拾錢
シングルタイヤ注射器 同金參拾五錢
二重タイヤ修繕器 同金弐拾錢

リーム
並リーム 一組金壹圓五拾錢
同塗分ケ リーム 同金貳圓五拾錢
ダンロップリーム金入 同金六圓五拾錢
ジェンドゼリーム銀色穴アリ 同金參圓
同極上等 同金四圓
クリブ用アルミニュム入り 同 金八圓
英國製ニッケルリーム穴ナシ 同 金六圓

21頁

22頁

23頁

24頁

25頁

弊商會、諸事確實に營業罷在候遠方御注文に對しては充分責任を以て御用命に應じ可申候
代金小包引換にて附屬品御注文、半額自轉車は二割御送金願上候
遠方御注文が荷造費及荷為替料等、不申受候へど小包引換、郵稅申受け候
弊商會には完全なる工場と熟煉の職工多數有之候間如何なる修繕も出來可申候
乘車初心の方、弊店獨特の乘法敎授可仕候

2026年4月15日水曜日

自転車世界一周 - 4

 自転車世界一周 - 4  

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

 1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その4。

何か恐ろしい感情が彼の中に存在していた。すると稲妻のように――いや、むしろ一筋の太陽の光のように、彼の顔は突然明るく照らされた――彼は「本!」と叫び、ポケットに手を入れて、何度も目についたメモ帳を取り出した。

「ええ、その通りです」と私は言った。「あなたは英語があまり分からず、知っていることも引き出す​​のに時間がかかる。でも、あなたの言う通り。もう一度続けてください。」

彼は眉をひそめ、天井を見上げた。口元はぴくぴくと動いていたが、とても静かだった。7分後、彼はポケットに手を突っ込み、「ナイフ!」と叫ぶ。

「また正解です」と私は彼を励ました。「諦めずに続けてください。忍耐に勝るものはありません。でも、あなたが思い出している間、私が読書をしても構いませんよね?何か思いついたら邪魔しても構いませんよ。」

私はその紳士の存在をほとんど忘れていて、寝ようとしていたところ、彼が「ペン!」と叫び、床からその名前のペンを掴み上げた。

「素晴らしい!」と私は言った。「本当に素晴らしい!でも、もう少し待ってください。またこちらに来たら、もう1時間ほど面白いおしゃべりをしましょう。」別の日本人が、6ペンスずつに分かれた英語の教科書のようなものを脇に抱えてやって来た。彼は1冊の本を開き、様々な顔をしかめた後、非常にゆっくりと読み始めました。

「ビールはお好きですか?」

「ええ、もちろん。疑​​うのですか?」

彼は気に留めず、読み続けた。

「お母様はビールがお好きですか?」

「いいえ、好きではありません。よく飲酒の害について説教されます。」

それでも彼は気に留めず、厳粛な面持ちで続けた。

「お姉様はビールがお好きですか?」

「知るかよ。長い間会ってないんだ。」

「君のお母さんの叔母さんは…いとこは好きかい?」

「ああ、いいかい、サイクリストの忍耐にも限界があるんだ。ナンキポさん、口語表現の最初の練習から生じる計り知れない問題に気づいたことはないのか?」

英語がビールという品のない話題について語っているのか? あなたの男らしい魂は・・・

しかし、彼はまだ入門書を見つめ、「b-e-e-r-beer」と苦労して言っていた。

私たちは寝る時間だと言った。

彼は入門書のページをめくり、それから「数日後にまた電話します」と言った。

「ぜひそうしてください。朝7時に出発しますから。」

小倉で再び海に出た。島々が点在する広大な青い海はとても美しく、朝鮮半島からそよ風が吹いていた。道は水辺に沿って、暗い松並木の道が続いていた。空気は芳しく、景色は魅力的であった。日本人が土曜から月曜まで海辺で過ごせるほど文明化され、裕福な人々が新鮮な空気を求めてここに来るようになったら、この道は将来、素晴らしいドライブコースになるだろうと思った。複線の鉄道があり、前方には門司の溶鉱炉の煙が見え、日が暮れると海峡の向こうに、下関の灯りが見えた。

門司は、日本の発展著しい町のひとつである。鉄道が開通した1891年にようやく誕生した。今では、近くに豊かな炭鉱があり、大きなホテルや立派な公園もあるため、繁栄への道を順調に進んでいる。朝、私たちは海峡を渡って下関へ行った。大きな汽船が停泊し、煙を吐きながら小型ボートがあちこちを行き来していた。本土まではわずか1マイルであった。下関では休憩せず、雑然とした通りをまっすぐ進み、方向転換をすると海岸に出た。深い緑色の瀬戸内海に太陽の光が反射し、美しい島々が太平洋に向かって紫色の遠景に広がり、四角い帆船が岸から岸へと滑るように進んでいた。

私たちは、この上なく素晴らしい道を軽快に走っていた。中国との大きな違いが私たちを喜ばせたのかもしれない。あるいは、周囲の景色と爽やかな空気のせいかもしれない。私たちの健康と良い運動のせいかもしれない。いずれにせよ、私たちはただただ楽しんでいた。

サイクリングはまるで新しい喜びであるかのように、たった2週間乗っただけで新しい喜びを発見したかのようである。

ブライトンまで猛スピードで走り、ライゲート・ヒルを駆け下り、アールズウッド・コモンを横切り、クローリーの「ジョージ」のバーでロングドリンクをせがむ男たちよ、君たちはサイクリングが何であるかを知らない。日本に行ったことがないから!

ある日の午後、私たちは長く険しい坂道を上った。頂上への道は谷間を通って行った。岩場を抜けて、再び谷へと続く小道をガタガタと進み、有名な錦帯橋に着いた。5つの大きな半円形のアーチからなり、まるでスイッチバックのようである。昔は5年ごとに1つのアーチを修理し、25年ごとに橋全体を完全に改修した。しかし、今は明らかにそうではない。2つのアーチを同時に修理中だったので、私たちは渡し船で川を渡り、岩国町へ行った。昼食を食べていなかったので、ここで、故郷でハイティーと呼ばれるものをいただいた。


427頁

428頁

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挿絵、岩国錦帯橋

2026年4月14日火曜日

自轉車瓦版 第102号

 自轉車瓦版 第102号

昭和61年1月12日発行

★会報「自轉車」で「空飛ぶ自転車と水上自転車を特集しているが、 1月号の日経 『サイエンス』誌に人力飛行機についての記事が載っていた。恐らく、この種の記事では一番まとまったものと言えるだろう。 次にアンティークサイクル ・クラブ提唱の件だが、ますどこで、どの規模で、どのように開催されているかの、記録とか、写真を集めて何かで発表する。あるいはPRもといったところが第一歩と思われる。3年前に来日した英国のピンカートン氏は、その年代の衣装までも揃えてあると自慢していた。日本のオリジナルのアンティック自転車は確かに少ないが、英国でも 全くのオリジナルは大切に保存しており行事にはレプリカで参加しているようである。従って日本でも、レプリカを使用すれば問題はない。なお、現在私の店でもアメリカ製のレプリカをお世話(特約している)できるので希望者があればご連絡願いたい。ただ 1台や2台の輸入になると割高になるので、出来ればまとめて輸入したい。(当店でもレプリカを製作し、大阪の御堂筋や文化センターにも納入している) 。サイクルセンター・タカハシの店主、高橋 勇氏より。

★昭和28年発行の『輪界有名マーク集1954年』(日本輪界新聞社)を先頃入手した。完成車ヘッドマーク・部品メーカーマーク・モターバイクの各種マークが載っている。
(宮田工業勤務・中村安良太氏より)


羽翼輪
明治29年10月21日付け毎日新聞

2026年4月13日月曜日

自転車世界一周 - 3

 自転車世界一周 - 3

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その3。

今では、天皇の布告により、誰もがゴム入りのブーツとフェルト帽を身に着け、現代的になることが許されている。

ある朝、私たちは道を間違え、博多に迷い込んだ。博多は左手に12マイルほど先にあると思っていた。博多は、私たちがこれまで見た中で最大の日本の街だった。人口は約6万人。綿紡績工場があり、16本の電線を張った電柱がメインストリートに立っている。大きな鉄道駅もある。大通りは活気に満ち、エネルギッシュにあふれている。こうして、新しい装いの日本を垣間見ることができた。絵のように美しい、骨董品が並ぶ日本ではなく、貿易で西洋諸国と競い合い、商売の巧みさでは西洋人をも凌駕し、鉛製のベアリングとはいえ自転車まで製造している。

私たちは森の広がる大地を走って行った。黄土色の山々が、暗いモミの木々に覆われ、私たちを取り囲んでいた。温かい光が斜面に降り注ぎ、緑の木々を浮かび上がらせていた。

名前のない小さな村で夜を過ごしたが、そこには快適な宿があり、食事も清潔で、女給は陽気で親切であった。しかし、激しい雨で気分は沈み、翌朝は何マイルにもわたる泥の中をずるずると滑りながら走った。正午、再び雷雲があらわれたので、福間(Ajama?)で一日を過ごすことにした。暖を取るために火鉢に足の指を押し付けた。

数時間の間、ビールと日本酒を混ぜて飲み、しゃがれた日本の歌を歌い、階段を飛び降りる技を見せつける、酔っ払った男のおしゃべりに耐えた。結局、彼を追い払うことにした。

朝、私たちは出発した。しかし、道はひどくぬかっていて、自転車のチェーンやタイヤは泥で詰まっており、歩くのも困難であった。しかも、私たちは道を間違えていた。村人に道を教えてほしいと頼むと、彼らは笑い、日本語で話し続けたが、私たちに道案内をしてくれなかった。

ある場所に小さな人だかりができた。

「おい、プーバー(Pooh-Bah)」と私たちは男に言った。「黒崎への道はどっちだ?」

「英語は話せない」と彼は答えた。

「ああ、でも少しは分かるんだな。何を話すんだ?」

「フランス語を話す。」

「フランス語が話せますか?黒崎への道を教えていただけますか?」

「英語か?私は英語を知らない。イタリア語を知っている。」

「ああ、イタリア語がわかるんですね。ええと、私たちは黒崎に行きたいのですが?」

「英語か?私は英語を話せない。」

"You're a fool. Let me speak to you in your own language. Kurosaki ye iku michi wa, dochira de gozaimasu?"

彼の目に光が宿った。「日本語を話すのか?」と彼は言った。

「まあ、それくらいは旅行会話集で覚えた。どっちの道だ?」

「まっすぐ出ていけ」。文字通りには「どうぞ、まっすぐ進んでください」という意味で、あるいは率直に言えば「まっすぐ行け」という意味だ。

「わかった、ありがとう。さようなら、プーバー。」

「英語は話せない。スペイン語を話す。」

「とにかく、鼻で話すのは悪い癖だ」と言って、私たちは再び出発した

私たちは森に分け入り、丘の麓を廻った。ここでは駐屯地を見つけ、通りはヨーロッパ風の服装をした小柄で威張った兵士たちで溢れていた。日本の軍人たちは小柄で、帽子を小粋にかぶり、細い胸をぴっちりとチュニックで包んでいる。彼らは滑稽である。陽気で、自分たちを真のアガメムノンだと思っており、皆うぬぼれている。将校たちは白い子羊革の手袋、大きなサーベル、そして小さなタバコを身につけている。海軍兵は私たちの青いジャケットのような服装をしており、20ヤード離れると違いが分からない。唯一の違いは、帽子のリボンに書かれている名前が英語ではなく日本語であることだけである。金色の編み紐をつけた小柄な将校たちは、気取った態度をとっていた。

ある朝、私たちが自転車を丘に押し上げていると、訓練に出ていた海軍兵たちが通りかかった。士官は身長6フィートの頭に70インチの帽子をかぶっていた。彼は私たちを見るのも嫌がり、私たちは土手を下りなければ道を譲ることができなかった。彼は攻撃的な態度で、道を譲れと言わんばかりにまっすぐ私たちに向かってきた。私は肘を突き出したが、彼はそれが気に入らなかったようである。私は悪に対して善で返すほどキリスト教徒ではない。それに、身長6フィートでそれなりの体重の男が、身長5フィートにも満たない、しかも軽い男のために道を譲ることに抵抗を感じるのは当然のことである。

迷惑でもあり、同時に面白かったのは、日本の警官だった。ハイドパークの警官など、彼らに比べればおとなしいものだ。日本の警官は刀を携え、常に白い手袋をはめ、ポケットには手帳が入っている。私たちはすぐにその手帳を覚えた。少なくとも1日に20回は目にした。私の見た限り、日本の警官のいつもの仕事は、その手帳に店主の名前を書き留めて小さな商店主を脅かし、人力車の車夫の番号を控え、学校の子供たちの前を通る時は威圧的な表情を浮かべ、子供たちは皆彼に頭を下げることだった。

村に外国人3人が到着したことは、権力を行使する絶好の機会であった。ミカンを6個ほど買いに行こうと自転車から降りるたびに、警官がやってきてパスポートの提示を求められた。宿で休んでいると、彼らは無遠慮にやって来て、ぶっきらぼうで無礼な態度を取り、あの手帳を取り出してパスポートの内容を写し、私たちが何者であるかを記した日本語の書類も写し取り、私たちの個人的な記述まで書き写した。実際、日本旅行中、私たちは役人の振る舞いを何度も目にし、彼らを嫌いになった。傲慢な態度をとることを楽しんでいるように見えた。
しかし、例外はあり、礼儀正しい日本の役人に出会えたことは嬉しかった。しかし、礼儀正しい役人たちは、英語を4語ほどしか知らず、私たちを歩き回る英語の教師と見なしていた。小柄な男が一人、儀礼的に私たちを迎えた。彼は一言も話さず、じっと前を見つめていた。

424頁

425頁

426頁

2026年4月12日日曜日

自轉車瓦版 第101号

 自轉車瓦版 第101号 

昭和61年1月5日発行

〔資料版]
「アンティーク自転車の蒐集と修復」
ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行より

Bibliography(文献目録)

①「Bartleet's bicycle book」Bartleet 1931.

②「The man who loved bicycles」 by Daniel BEHRMAN  1973.

③「Handbook of the Collection Illustrating Cycles」 1958.

④「The History and Development of Cycles」 1972.

⑤「The Ingenious Mr Pedersen.Evans」 1978.

⑥「Bicycles and Tricycles of the Year 1886」

⑦「The Badminton Library of Sports and Pastimes」1889.

⑧「Wheels Across America」1959.

⑨「When Bikehood was in Flower」 Sketches of Early Cycling 1969.

⑩「Riding High」 The Story of the Bicycle 1956.
その他、

自轉車瓦版 第101号 

「アンティーク自転車の蒐集と修復」
ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行
「COLLECTING & RESTORING ANTIQUE BICYCLES」
BY G. DONALD ADAMS
左はハードカバー製本と右はペーパバック
何れも1981年4月発行

別な版
「アンティーク自転車の蒐集と修復」
G・ドナルド・アダムス著

2026年4月11日土曜日

バイシクリング・ワールド誌 - 4

 バイシクリング・ワールド誌 - 4  

この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。

THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)

1888年1月13日

トーマス・スティーブンスがサンフランシスコに到着し、自転車での世界一周旅行を終えたのは、ちょうど1年前の土曜日のことである。


171頁

2026年4月10日金曜日

自転車世界一周 - 2

 自転車世界一周 - 2  

ジョン・フォスター・フレイザー著

  1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その2。

知事は私たちを温かく迎えてくれた。小柄で丸々とした体格で、顔はまるでオランダのチーズのような感じであった。髪は極端に短く刈り込まれ、フロックコートを着て葉巻を吸っていた。彼は魅力的な笑い声を上げ、歯には金が詰められていた。英語を話せなかったが、通訳は素晴らしい。通詞は青白い顔をした男であった。私は彼にジョークをいくつか言ってみたが、「ああ!」と言うだけだった。

知事は私たちの旅に興味を示した。中国がいかに惨めで汚く、非人道的であったか、そして日本のような美しい国にたどり着けるという見込みだけが私たちの精神を支えていたことを伝えた。

たまたま私たちは、一年で最も寒い月である1月(1898年・明治31年)に日本に到着した。雨やみぞれ、雪が降る可能性もあった。長崎を散策している間、確かに少しどんよりとして陰鬱な気分であった。

3日目の朝、私たちは自転車に乗り、九州を横断して本土へと向かった。どんよりとしていた空は晴れ、爽やかな朝を迎えた。道はよく整備されていて、道中たくさんのミカンを抱えて小走りする、頬を赤らめた少女の群れに出会った。小さな子供たちは、駆け寄ってきて、ふっくらとした手で小さな膝をこすりながらお辞儀をし、「おはようございます」と云った。

その光景は、ミニチュアスケールで、美しく幻想的だった。

私は魅了されるのを感じた。人々にはおとぎ話のような趣があった。村々は小規模で言葉では言い表せないほど素晴らしかった。

彼女たちは髪に花を飾っていた。衣装もまた、素晴らしかった。柔らかな色合いで、上品に感じられた。

日本の芸者たちは肩を可愛らしく揺らしながら、愛らしく微笑み、美しい手をしていたので、私たちはすっかり魅了されてしまった。芸者たちと話すことはできなかったが、私たちがお茶を飲んでいる間、彼女たちは周りに座ってくすくす笑っていた。日本料理の作法を教わっている間も、笑ったり歌ったりして楽しそうであった。食後のタバコを吸っている間も、お菓子やミカンを食べたりしていた。そして、夜の9時頃になると、彼女たちは戸口でひざまずき、額を畳に触れさせ、笑いながら階段を下りていった。

その晩、私を感心させたのは宿の清潔さであった。すべてが簡素で、安っぽい豪華さを装うような試みは一切なかった。畳は飾り気がなく、木工品は塗装されていなかった。片隅に置かれた青い花瓶に挿された緑の枝は、部屋に芸術的な香りを添えていた。料理はきちんとした皿に盛り付けられ、すべての料理は漆塗りの盆に並べられていた。しかし、空腹の三人の自転車乗りにとっては、特に食欲をそそるものではなかった。日本の料理は複雑で、難しいものである。小さな魚の切り身とご飯、そして塩と砂糖を混ぜた味付けの料理がいくつかあれば、まあまあであるが、天候が寒く、身を切るような風が吹き、毎日50マイルを自転車で走っていると、ハムと卵と牛肉とプディングが欲しくなる。2日に1回くらい、イギリス人の胃袋を理解している日本人に出会わなかったら、私たちは飢え死にしていたかもしれない。

ある日、昼食のために佐賀に立ち寄った。佐賀は、1874年に反乱を起こし、文明と日本のヨーロッパ化に激しく抵抗した場所である。しかし、蜂起は失敗に終わった。

註、佐賀の乱(1874年)は、明治初期に相次ぐ士族反乱の“嚆矢”となった事件。江藤新平と島義勇の佐賀出身の二人が中心に起こした反乱。
下の記事でフレーザーは、この佐賀の乱を1868年としている。明治維新と混同したと思われる。

421頁

422頁

423頁

2026年4月9日木曜日

自轉車瓦版 第100号

 自轉車瓦版 第100号

昭和61年1月1日発行

★あけましておめでとうございます。

この瓦版もとうとう100号を迎えました。皆様のおかげと感謝しております。

今年も情報等お待ちしておりますので、よろしくお願い致します。

★「ニューサイクリング」誌、1986・1月号で自転車の元祖カール・ドライスの生涯を特集。

数学者、物理学者、実業家として成功しなかったドライス、しかし、次のような実績が彼の偉大さを物語っている。面積計算器、潜望鏡(1816年)、航海用構造(1816年)、飛行機の構想(1821~36年) 、自転車(1817年)、 タイプライター (1832年)の発明など。

カール・フォン・ドライス (1785~1851)

★最近送られて来た古書目録に次のような資料が出ていた。

①「自転車全書」初版、②ナイチンゲール自転車のカタログ、③「競馬・競輪事業の実態」 神奈川県 S.44、④「横浜開港見聞誌」玉蘭斎貞秀、⑤「明治事物起源」初版・石井研堂。

(以上は真船氏からの情報)


「自転車全書」
明治35年7月29日発行
国会図書館所蔵

奥付

2026年4月8日水曜日

バイシクリング・ワールド誌 - 3

 バイシクリング・ワールド誌 - 3  

この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。

THE BICYCLING WORLD 1887(創刊は1878年)

1887年12月30日

1887年の春、トーマス・スティーブンス氏は素晴らしい自転車での世界一周旅行を終え、その後、文筆家としての生活に落ち着いた。


140頁

2026年4月7日火曜日

自轉車瓦版 第99号

 自轉車瓦版 第99号

 昭和60年12月30日発行

 発行所 日本自転車史研究会

★だいぶ年も押し詰まりました。この瓦版もこの号をもって本年の最終といたします。みなさん、よいお年をお迎へ下さい。風邪がたいへんはやっています。くれぐれもご自愛の程お願いします。新年は、100号からスタートします。

☆乳母車博物館を計画中、
250年の歴史を持ち、各時代の風俗と、親心を反映してきた乳母車の博物館を作ろうというユニークな計画が、幼児乗り物卸会社・社長楢崎寿太郎(大阪府富田林市藤沢台2)らの手で進められている。楢崎氏らによると乳母車は1730年前後・英国のウイリアム・ ケントが第3代デボンジャー公のため考案したのが最初といわれている。帆立て貝形のホディーに折りたたみの日よけが付いていた。日本では、福沢諭吉が慶応3年(1867)に訪米土産として持ち帰ったものが第1号。人力車のヒントになったと伝えられている。
(以上は高橋 勇氏からの情報と新聞記事による)

☆昭和28年12月号の『サイクル』誌に、中村春吉自転車世界一周無錢旅行の記事あり、 P.56~P.57。
『サイクル日本』誌(自転車振興会連合会) 1952年3月号に、二輪外史・自転車学校・自転車美人の記事あり P.34~P.36. 
(東京・須賀繁雄氏からの情報)

中村春吉と米国製ランブラー号

2026年4月6日月曜日

クラブ・イベント

 クラブ・イベント

バイゴーン・バイクス(ヨークシャー)クラブ

コックスウォルド・サイクリスト・サービス・ライド

このイベントは、 1927年から続いている。

開催日:2026年5月10日(日)

午前11時、イーシングウォルドYO61 3AD、ジョージ・インに集合。

コックスウォルドまでの10マイル未満の短いライドを実施。

詳細については、チャールズ・ジェプソンまでお問い合わせください。


イベントの案内

クラブの広報誌
創刊号から4号まで 1980年発行

イーシングウォルド周辺の景観
Googleストリートビュー

2026年4月5日日曜日

バイシクリング・ワールド誌 - 2

 バイシクリング・ワールド誌 - 2

この雑誌に何か所か、トーマス・スティ-ブンスの記事が散見されるので、何回かに分けて紹介する。

THE BICYCLING WORLD (創刊は1878年)

1888年4月6日号

専門家の証言、

コロンビア・エキスパートは、堅牢性、耐久性、操作の容易さ、そして美しいラインと仕上げで世界的に高い評価を得ており、製造7年目を迎える。中級の自転車の中で間違いなくトップの座を占め、その存在は常に人気と売上を伸ばしている唯一の自転車という特筆すべき特徴を持っている。

これほど多くの好意的な証言を集めることができる自転車は、おそらく他にないだろう。

この自転車は、ヒュー・J・ハイ大尉、ジョージ・B・セイヤー、F・E・ヴァン・メレベックによって3度大陸横断され、トーマス・スティーブンスが世界一周に使用した自転車でもある。・・・・

イギリスのA・J・ウィルソン(フェード)は、トーマス・スティーブンスのエキスパートに乗って注意深く調べた後、これまで乗ったどの自転車にも劣らない品質であると述べた。

ここで注目すべきは、中級のロードスターとされているエキスパートは、いわゆる軽量ロードスターの多くと同じくらい軽いということである。

この自転車の詳しい図解付き説明は、新しいコロンビア・カタログに掲載されている。

ポープ製造会社、ボストン、ニューヨーク、シカゴ


392頁

2026年4月4日土曜日

橋本商会 - 7

 橋本商会 - 7     

以下は明治40年ごろの橋本商会の正価表、

バルブ
バルブ(グドリッチ) 一個金參拾錢
ジングル用 同金五拾錢
バルブ(グードイヤ) 同金參拾錢
バルブ中蟲 同金貳拾錢
英國車バルブゴム 一本金五錢

ベル(警鈴) 
三四シ自動ベル 一個金式圓五拾錢
三五シ自動ベル 同金貳圓
ブリスト三二二二分ノ一ベル 同金壹圓
エ二二四分ノ三ベル 同金壹圓五拾錢
小卷上ラッパ舶來 同金貳圓
小並通舶來 一個金壹圓

ランブ
二十世祀瓦斯ランプ新式 一個金六圓
油ランプ 同金壹圓五拾錢ヨリ
シルバーキング油ランブ 同金九圓
ガスランブ 同金貳圓五拾錢ヨリ
針金製正面ランプ掛 同金參拾錢
ホーク取附ランブ掛 同金參拾五錢
直棒取附ランブ掛 同金拾五錢

ハンドル(把手)
自由引上げハンドル 一本金壹圓五拾錢ヨリ
ハヅシハンドル 同金貳圓五拾錢ヨリ

18頁

19頁
サドル他

20頁
ペダル他

2026年4月3日金曜日

自転車世界一周

自転車世界一周

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

1899年発行

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。

1896年7月、スコットランド人のジャーナリストであったジョン・フォースター・フレイザーは、2人の友人(エドワード・ラン、S.A.ロウリー)と共に、セーフティ型自転車で世界一周の旅に出発。イギリスから、ヨーロッパ、中東、インド、中国、日本、そしてアメリカ大陸を横断して帰国した。

以下は日本旅行の部分、長崎から東京へ。

 第33章

私たちは日本に着いた。長崎は美しく、絵のような景観であった。木々に覆われた斜面。ここは日本人が初めてヨーロッパ人、銃、キリスト教、そしてウイスキーと出会った場所である。

この港に外国の軍艦が停泊している。ロシア軍艦5隻、イギリス軍艦1隻、アメリカ軍艦1隻を見た。水兵たちは皆、真の愛国者のように互いに張り合っているかのようだが、朝夕の国旗掲揚と降納の際には、艦の楽隊が互いの国歌を演奏している。彼らは皆、同時に大音響で演奏している。イギリスの水兵たちが「ヘイル・コロンビア」を演奏している間、ロシアの水兵たちは「女王陛下万歳」を、ヤンキーたちは「我らが高貴なる皇帝陛下に祝福を」を演奏している。このメドレーは音楽的ではないし、国際儀礼でもない。

日本人は、ヨーロッパの習慣に馴染もうと必死である。もちろん、ミットフォードの『古き日本物語』、ピエール・ロティの『菊の母』、サー・エドウィン・アーノルドのエロティシズムを読みふけり、サヴォイ劇場の『ミカド』やデイリー劇場の『芸者』で見たものしか知らないロンドンのサイクリストは、期待しすぎる傾向がある。日本の美しさ、繊細さを、扇をひと振りするだけで目の前に展開してほしいと願う。だが失望する。その日はどんよりとして肌寒く、路地裏で小さな人々を何人も見かける。だが、これらは魅力的で人を惹きつける娘たちであり、すべての外国人が熱狂し、彼らに心を奪われ、多くのお金を失うのである。

旅館で給仕してくれる男たちは、ドイツの温泉宿の風呂番のように、チップを要求する。これが常に礼儀正しい日本人というものである。中央アフリカの住民が白い帽子と眼鏡を身につけると、威張り散らし、気取って、自分を優れていると思い込むように、日本人はヨーロッパ風の帽子をかぶると、先祖からの習慣を捨て、奔放で、進取的で、文明的な人間だと考える。日本人は和服を着ると同時に帽子をかぶる。彼らは他の東洋人とは違うということを誇示している。

私たちは知事を表敬訪問した。すべてがヨーロッパ風であった。私たちが迎えられた部屋にはウィルトンカーペットが敷かれ、化粧板張りのテーブルと豪華な椅子があり、壁には油絵が掛けられ、イギリス式の暖炉と電気ベルがあった。


表題

419頁

420頁
挿絵 日本にいる著者

2026年4月2日木曜日

ホイールメンズ・ガゼット誌

 ホイールメンズ・ガゼット誌

THE WHEELMEN'S GAZETTE.

 THE WHEELMEN’S GAZETTE誌は
1886年創刊(米国)、マサチューセッツ州スプリングフィールド
1886年4月〜1889年12月(確認できる範囲)   
 内容は、
レース報告や記録、その他。
League of American Wheelmen(L.A.W.)の大会  
Hagerstown(メリーランド)など各地のレース結果  
100マイル記録、長距離走、クラブ対抗戦など。  

THE WHEELMEN’S GAZETTE誌
1886年4月号
コロンビア社の広告、
1886年、価格大幅値下げ。コロンビアのライダーは、他のどのメーカーのマシンのライダーよりも多くの優れた記録を保持している。
4月号カタログをご請求を。51点の版画を掲載している。
エキスパート・コロンビア(EXPERT COLUMBIA)、$125など。


BAYLISS, THOMAS & CO.

ベイリス、トーマス&カンパニーの広告、
エクセルシオール・ワークス、コベントリー、イングランド
EXCELSIOR WORKS, COVENTRY, ENGLAND
世界的に有名な、エクセルシオール自転車と三輪車の製造元
ボストンのカニンガム社が供給、アメリカで人気のロードスター、ハーバード自転車も製造している。

2026年4月1日水曜日

自轉車瓦版 第98号

 自轉車瓦版 第98号

 昭和60年12月24日発行

 発行所 日本自転車史研究会

★大阪、高橋 勇氏からの情報、

先日、四国に木製の自転車があると、古物商より知らせがあった。目下写真を取付け中である。 大阪の古本市で自転車の絵がある引札を入手、程度は中級の下であったが、価格は20,000円であった。錦絵と同様引札もだんだん手の届かないものになってしまった。瓦版94号のダルマ自転車の件で、明治14~5年頃は良い見方と思う。フロントフォークが大分寝ているし、ホイールの仕上げも角張っているようだ。(コピーなので充分わからないが)このヘッド型は、文化センターで以前行われた明治自転車展に出品されたものと同型と思われる。

★昭和28年5月発行の『サイクル』(サイクル時報社)p.31~P.33に自転車の変遷として、ホビホース、ベロシファール、その他のさし絵と解説の記事がある。同7月号の『サイクル』のp.70~p.73に、日本自転車の生い立ち、中西捨三・記がある. P.74には「今日までに本邦自転車産業発展史として見るべきものは何等出来ていないのは残念である。歴史的記録や資料がないからといって歴史そのものがなかったわけではない。いくら世界に誇る日本の自転車界と声をからして叫んでみても、その履歴書がうやむやで判然としていないなどとは世界の人に聞かせてもお恥しい話である。(中略)自転車界が自分達の子孫に伝えるべき正史を作ることに費やしても無賊ではあるまいと思う」(S)

以上は東京・須賀繁雄氏からの情報による。

引き札
松之山・猪俣商店及び坂杉商店
明治38年頃

中西製作所
中西捨三
「大日本實業信用録」
 昭和3年度 改訂増補