月刊・C.T.C. ガゼット
1894年3月
THE C.T.C. GAZETTE
No. 3. VOL. XII.
MARCH, 1894.
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
月刊・C.T.C. ガゼット
サイクリング用車の設計
第8回 女子用フレームの寸法図
日本サイクリングクラブ (J.C.C.)
鳥山新一 著
序:今年にはいってからサイクリングは爆発的な大流行となり、これに伴ってメーカ側もようやくサイクリング用車の生産に着手しはじめているが、何分にも経験の少ない車種であるだけに、どのような車を製作すべきかの点で迷っている様子が見受けられる。
7月20日現在。生産にはいっている東京の2社以外は、試作あるいはそれ以前の段階にあり、サイクリング用車の設計や装備についての指導依頼や照会が相当に多い。
フレーム設計の基礎的事項に関しては、すでに本誌第9号と第10号にまとめて記したので、ここにその実施の一例として、日本でのサイクリング用車はどのようにあるべきか、ということについて設計、製作上の要点を記して御参考に供したいと考える次第である。
というわけは、従来サイクリング関係の雑誌等で流布されている「サイクリング用車」というものの中心をなす考え方が、あまりにもイギリス直訳の方式であり。「サイクリングは細いタイヤのイギリスふうのクラブモデルでなければ本当に楽しめない。」といったような昔からのあやまった。しかし根強い考え方がかなり広くいきわたっているためである。これでは日本の自転車界にとって特筆すべきサイクリングという新分野への出発時機にあたって、メーカや使用者側がほとんど白紙状態に近いだけにその正しい方向をあやまる危険が多分にあると思われる。
しかもこうした二言目には、「イギリスでは」 というはなはだ視野が狭く主体性のない点や、サイクリングの本質をよく理解していない点等には、業界もメーカ側もようやく気付いて、ここでやや批判的になってきたことは、日本の国情に適した車を生み出し、本当の意味での「日本のサイクリング」を育て、日本の自転車産業を発展させる上から大いに喜ぶべきことである。・・・
C.T.C. ガゼット
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中央馬車鐵道
以下は梶野商店関連資料
自転車とサイクリング競技の歴史
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バイシクリング・ワールド誌
C.T.C. ガゼット
サイクリスト・ツーリング・クラブ・カゼット誌
1922年11月
THE CYCLISTS TOURING CLUB CAZETTE
No. 11 Νον., 1922
B.S.A.自転車の広告
熱心なサイクリストの間でB.S.A.自転車が人気なのは、その耐久性の高さと、常にスムーズで走りやすいことが大きな理由です。完璧な仕上げ、科学的な設計、そしてそれに伴うトラブルの少なさにより、B.S.A.自転車のライダーは長年にわたり、純粋なサイクリングの喜びを味わうことができます。
刀水輪友会
以下は刀水輪友会の関連資料
刀水輪友会(境町・明治34年) 明治30年代になると各地に自転車の遠乗りを楽しむ会が作られた。自転車は流行の最先端であり高価であったため、富裕な人びとに限られた。刀水輪友会の会員たちが、境の香取神社祭礼の日に遠乗りを楽しんで記念撮影。刀水とは利根川の別称。
プロジェクト・ダルマ
多くのハイホイールライダーにとって、トーマス・スティーブンスが1884年に辿ったサンフランシスコからボストンまでのアメリカ横断の旅は、夢の目標である。2021年、サイレントスポーツ誌の記事「1884年以来の大陸横断ハイホイールライディング」の調査中に、トーマス・スティーブンスを辿った現代のライダー数名と話をし、彼らについて読む機会があった。
いつか彼らの冒険(マイケル・[シャドウ]・ガブリック、スティーブ・スティーブンス、ジェームズ・アレン、ジム・オグランド、ランディとエイミー・オレイニクなど)に参加したいという思いが、私の心に芽生えた。
少し後、大学時代のルームメイト、マーク・ケネディと近況を語り合っていた。偶然にも、マークと私は1986年、トーマス・スティーブンスが日本を旅行した100周年にベイツ大学で出会った。現在日本に住んでいるマークは、日本の田園地帯をバーチャルでサイクリングする新しい趣味について話してくれた。彼は自作のポールマウントにスポーツカメラを取り付け、電動自転車での旅を撮影し、その動画をウェブサイトwww.Country RoadsJapan.comに投稿している。
冗談で、彼は私がハイホイールを日本に持ってきてくれたら楽しいだろうと云った。それは少し非現実的な考えだと思い、ハイホイールをわざわざ日本に持ってくるなら、近所を数回日帰りで回るだけではなく、何か本格的なことをしなければならないと言った。
それから私は、トーマス・スティーブンスという、自転車による世界一周旅行という前例のない偉業を成し遂げた人物について彼に話した。彼の3年間にわたる壮大な旅の最終行程として日本が旅程に含まれていたことを確認し(図1)、私たちもそれを検討すべきだと提案した。
こうして、マークが後に「プロジェクト・ダルマ」と名付けることになる計画の2年間が始まった。ダルマの車輪は、仏教などの東洋(アジア)の精神的なシンボルであり、人生の旅における目標や野心といった意味を持っている。実際、ハイホイール自転車の日本語名には「ダルマ自転車」という名称がある。・・・
ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌
プロジェクト・ダルマ
本日、米国のエリックさんから「ホイールメン」誌に投稿した「プロジェクト・ダルマ自転車」の記事が届いた。
彼とは2023年10月23日に小田原城で待ち合わせ、近くの喫茶店で歓談後、酒匂川のサイクリング場まで同行した。楽しい一時であった。
小松輪友会
小松輪友会(川西町・昭和初期) 明治の終わり頃からプロによる自転車レースが各地で行なわれたという。これはアマチュアのメンバーでクラブを作りサイクリングに出かけた時の写真である。服装も軽装が多く、自転車はスポーツタイプだ。
註、小松町は山形県東置賜郡にあった町。現在の川西町中心部にあたる。
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出宮順一関連
下の資料は、「合同年鑑」 昭和16年 合同新聞社より
自轉車競技優秀選手
岡山縣淺口都玉島町出宮順一氏
出宮氏は一九三六年度スイスで開かれた世界自車競技選手大會に日本代表選手の榮を攜って出場海外にまで勇名を馳せた国際的サイクル選手である。氏は岡山縣淺口都玉島町の出身で玉島併置校卒業後は家業の自轉車販売に従事してゐるが、小學校に学ぶ頃から自転車に天才的資質を備へ、尋常二年九歳の時兒島郡字野町で開かれた一流選手競走に初陣を飾って以來長距離を得意として各地の競技會に出場、多数の栄冠を獲得してゐる。・・・
出宮順一関連
下は、出宮順一関連の資料、
寫眞は丁抹(デンマーク)オルドラップ議技場に於げる編者とわが自練車競技界のホープ出宮順一君(岡山縣)
産業考古学会第17回(1993年)論文集
以下の論文は自転車関連、
産業考古学会第17回(1993年度)総会研究発表
日本の自転車灯火
―――提灯から発電ランプまで――
梶原利夫
1、はじめに
今日わが国の自転車用発電ランプの生産は、わずか5企業で、全世界シェアーの50%を生産するまでに至っている。上記5社の内、数社は乾電地ランプ、あるいは発電ランプの市場性に着目し、乾電地ランプや発電ランプの生産を軸として、大企業へと発展させた。一方自転車が、わが国に出現する以前から使われていた提灯が初期の自転車灯として用いられ始めた。その後乾電地ランプが着及する大正の末まで、長い間だローソク灯が自転車の主な明りであった。勿論石油ランプや、アセチレンランプもあったが高価なためあまり普及はしなかった。
本稿では、前近代的な、手工業生産による自転車灯火器としての提灯から、今日の乾電地ランプや発電ランプまでの発展過程を、制度、文化、技術、等を踏まへて概観的に報告する。・・・