2026年8月22日土曜日

C.T.C. ガゼット

 月刊・C.T.C. ガゼット

第3号 第12巻 
1894年3月
THE C.T.C. GAZETTE
No. 3. VOL. XII.
MARCH, 1894.

広告 8頁

 C.T.C. 月刊ガゼット
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1894年3月
広告主様へ
この雑誌は、世界中のどの自転車雑誌よりも比類のない最大かつ最も信頼できる発行部数を誇ります。
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あらゆるレベルのライダーに適したマシン。
ニューハウ・タンデム
販売店:
マンチェスター、ブリストル、カーディフ、ニューカッスル、ストックトン、ダーリントン、ミドルズブラ、ハル、イプスウィッチ、ノリッジ、ロンドン(48、ファリンドン、ロンドン、ダブリンなど)
ニューハウマシン株式会社
本社および工場:グラスゴー、ブリッジトン

2026年8月21日金曜日

サイクリング用車の設計

サイクリング用車の設計

第8回 女子用フレームの寸法図

日本サイクリングクラブ (J.C.C.)

鳥山新一 著

序:今年にはいってからサイクリングは爆発的な大流行となり、これに伴ってメーカ側もようやくサイクリング用車の生産に着手しはじめているが、何分にも経験の少ない車種であるだけに、どのような車を製作すべきかの点で迷っている様子が見受けられる。

7月20日現在。生産にはいっている東京の2社以外は、試作あるいはそれ以前の段階にあり、サイクリング用車の設計や装備についての指導依頼や照会が相当に多い。

フレーム設計の基礎的事項に関しては、すでに本誌第9号と第10号にまとめて記したので、ここにその実施の一例として、日本でのサイクリング用車はどのようにあるべきか、ということについて設計、製作上の要点を記して御参考に供したいと考える次第である。

というわけは、従来サイクリング関係の雑誌等で流布されている「サイクリング用車」というものの中心をなす考え方が、あまりにもイギリス直訳の方式であり。「サイクリングは細いタイヤのイギリスふうのクラブモデルでなければ本当に楽しめない。」といったような昔からのあやまった。しかし根強い考え方がかなり広くいきわたっているためである。これでは日本の自転車界にとって特筆すべきサイクリングという新分野への出発時機にあたって、メーカや使用者側がほとんど白紙状態に近いだけにその正しい方向をあやまる危険が多分にあると思われる。

しかもこうした二言目には、「イギリスでは」 というはなはだ視野が狭く主体性のない点や、サイクリングの本質をよく理解していない点等には、業界もメーカ側もようやく気付いて、ここでやや批判的になってきたことは、日本の国情に適した車を生み出し、本当の意味での「日本のサイクリング」を育て、日本の自転車産業を発展させる上から大いに喜ぶべきことである。・・・


表紙
「サイクリング用車の設計」
 鳥山新一 著 日本サイクリングクラブ
1955年発行
国会図書館所蔵資料


1頁

2026年8月20日木曜日

C.T.C. ガゼット

   C.T.C. ガゼット

月刊・C.T.C. ガゼット
第3号 第12巻 
1894年3月
THE C.T.C. GAZETTE
No. 3. VOL. XII.
MARCH, 1894.

表紙

広告
(本ガゼットの広告に関するすべての連絡は、ロンドン、クイーン・ヴィクトリア・ストリート163番地、T. B. ブラウン宛にお願いします。)
レーサーから観光客まで、あらゆるライダーのためのマシンは「ラッジ」です。
1894年の価格表が新しく完成しました。お申し込みいただければ郵送で無料でお送りいたします。

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上記は、昨シーズンに数々の素晴らしい成績を収めた有名な「RUDGEロードレーサー」のイラストです。実際、このバイクは年間最優秀マシンに選ばれました。
「RUDGE」サイクル株式会社、コベントリー

2026年8月19日水曜日

C.T.C. ガゼット

C.T.C. ガゼット

THE C.T.C. GAZETTE,
the Official Organ of the Cyclists' Touring Club.
No. 1. Vol. XVII.
JANUARY, 1898.

C.T.C. ガゼット
サイクリスト・ツーリング・クラブの公式機関紙
第17巻 第1号
1898年1月

表紙

広告ページ

新型ラピッドロードスター、16ポンド10シリング
フルースタイヤ。トゥルータンジェントホイール
お客様にお知らせすべき変更点があります。高額で派手な定価と、同様に派手な割引という旧来のシステムを廃止し、厳密に正味価格表示を採用しました。
ニューラピッドサイクル株式会社、ポープストリート、バーミンガム

トライアンフ自転車
ダンロップタイヤ
ワーウィックタイヤ
全国ショーでこれ以上のものはありません。
「ショーに出展されている最高級自転車を一つ一つ丁寧に見て回りましたが、トライアンフより優れたものは見当たりませんでした。これは現代の自転車工学の完璧な美しさを示す好例です。トライアンフには新しいチェーンが装着されており、大変好評です。」 - デイリー・メール、1897年12月9日
トライアンフ・サイクル株式会社 コベントリー
カタログ無料、郵送無料(お申し込みください)


目次

C.T.C. ガゼット
サイクリスト・ツーリング・クラブの公式機関紙
第17巻 第1号
1898年1月

目次
社説
公式通知
評議会会議
地区委員
全国博覧会
速記
陽光あふれる南部にて
小さなものに多くのものが詰まっている
通信
通信への回答
候補者リスト
その他

2026年8月18日火曜日

中央馬車鐵道

 中央馬車鐵道

以下は梶野商店関連資料

近事摘要
中央馬車鐵道 は山田嘉穀、梶野敬三、小島千助、山田泰造、鈴木八郎、大島正辰、中村得治の諸氏發起し資本百萬圓線路は千住大橋より通新町金杉橋を経て坂本町日本鐵道蹈切より上野停車場横及三橋を過ぎ上野廣小路天神下町、末廣旅籠萬世淡路美土代町神田橋を経て瀧の口に至る、又上野廣小路より仲御士町より厩橋に至り夫より本所御蔵橋兩國一の橋新大橋上中下の橋万年箱崎の二橋より鎧橋に至る、御徒士町より煉塀町和泉橋岩井町辨慶橋人形町通水天宮脇を経て鎧橋に至る夫より北島町二丁目を過ぎ三代町本材木町日本橘通橫斷檜物町より麴町區永樂町河岸に至る、龍の口より堀端、日比谷大神宮脇議事堂前を経て新し橋に至る・・・

註、梶野敬三は政治家であり、梶野仁之助(自転車製造者)とは親戚。

「仲買人雑誌」 (3)
仲買人雑誌社
1896年(明治29年)9月発行

2026年8月17日月曜日

自転車とサイクリング競技の歴史

自転車とサイクリング競技の歴史

アンジェロ・ガルデリン著
元イタリアスピードチャンピオン
アントニアナ書店のタイポグラフィ
パドヴァ 1946年発行

STORIA DEL VELOCIPEDE E DELLO SPORT CICLISTICO
 ANGELO GARDELLIN
EX CAMPIONE ITALIANO DI VELOCITA
TIPOGRAFIA LIBRERIA ΑΝΤΟΝΙΑΝΑ
PADOVA 1946

表紙

98.99頁

註、『STORIA DEL VELOCIPEDE E DELLO SPORT CICLISTICO(自転車と自転車競技の歴史)』は、イタリアの元プロ自転車競技選手・スポーツ史家のアンジェロ・ガルデッリン(Angelo Gardellin)の著書。1946年にイタリア・パドヴァのAntoniana出版社から刊行された、自転車史研究における古典的な文献である。全483ページに及ぶ大著で、2010年には復刻版も刊行された。
本書は大きく分けて二つのテーマから構成されている。
1. 自転車(Velocipede)の技術史
ドライジーネ(Draisienne)
ミショー型ベロシペード
オーディナリー(ペニー・ファージング)
三輪車・四輪車
一輪車
タンデムなどの多人数乗り自転車
空気入りタイヤの登場
セーフティ・バイシクルへの発展
2. 自転車競技の歴史
初期の木製・鉄製ベロシペードによる競走
トラック競技(ベロドローム)の発展
アワーレコード(1時間走世界記録)
世界選手権の成立
ロードレースの発展
イタリアを中心とした競技史

2026年8月16日日曜日

C.T.C. ガゼット

  C.T.C. ガゼット

  第43巻 第4号 1924年4月
THE C.T.C. GAZETTE
APRIL, 1924

99頁
「あなたのイングランドと私のイングランド」
バーミンガム・アンド・ミッドランドD.A.発行のW・M・ロビンソン著「あなたのイングランドと私のイングランド」の第2版(最終版)が完成しました。この版の販売後、活字と版木がすべて散逸したため、冊子は入手できなくなりますのでご注意ください。この小冊子は素晴らしい成功を収め、すべての需要を満たすと予想されていた第1版は7週間で完売しました。リバプールの牧師は冊子について「今日私たちが必要とする精神が息づいている」と書いています。アンフィールドB.C.の月刊誌は「これは間違いなく、ウェイファーラーがこれまでに生み出した最高の文学作品の1つであり、一読の価値がある」と述べています。トリッシュ・サイクリスト・アンド・モーターサイクリストは「サイクリングという趣味のための伝道活動として優れている」と述べています。
編集者のレナード・エリス氏(バーミンガム、アーディントン、ヒラリーズ・ロード86番地)までご連絡いただければ、3ペンス(送料無料)、または1ダースあたり1.9ペンス(送料無料)で入手できます。

挿絵:オールド・フォージ、イグサム、ケント州

みんなのための自転車
1924年のエンフィールドのカタログには、3速ギア、取り外し可能なオイルバス式ギアケース、ブルックスサドルを備えたリッチ・デュプレックス・ガーダーモデル(16ポンド、女性用または男性用)から、オールウェザーモデル(13ポンド、女性用は13ポンド10シリング)、同じ価格の3速ツーリスト、デュプレックス・ガーダー(11ポンドと11ポンド10シリング)、スタンダードまたはオールブラック・ロードスター(9ポンド10シリング、ダイヤモンドフレームとループフレームはそれぞれ10ポンド)、そして非常に低価格のNo.50モデル(8ポンド10シリング)まで、幅広い車種が掲載されています。

2026年8月15日土曜日

C.T.C. ガゼット

  C.T.C. ガゼット

  第43巻 第4号 1924年4月
THE C.T.C. GAZETTE
APRIL, 1924

ラレーの広告

「イースターの日の太陽は、これほど素晴らしい光景ではない。」
(ジョン・サックリング卿)
幸せな二人がそれぞれラレーのオールスチール自転車に乗っている。ダンロップタイヤとスターメー・アーチャー3段変速ギアで、毎日が楽しくなります。8ポンドから、または月々11シリング6ペンスから。
ラレーの本』をご請求ください。ラレー・サイクル・カンパニー・リミテッド、ノッティンガム。

図を拡大

最初に入手したラレーロードスター
1973年5月12日(土曜日)晴れ 
午前10時52分発の平塚行き神奈中バスに乗り、平塚へ。(バス運賃50円) 平塚の湘南ホンダモーター販売㈱でラレー・ロードスターを29,800円で購入。 帰りはさっそくラレーにまたがり、馬入橋を越える。
このラレー・ロードスターを購入してから更に自転車への関心が高まり、自転車の歴史にも興味が増進する。

2台目入手のラレーロードスター
浜松の御園井自転車店で中古車を購入

2026年8月14日金曜日

バイシクリング・ワールド誌

 バイシクリング・ワールド誌

ザ・バイシクリング・ワールド
アメリカン・モーターサイクル・レビュー
第41巻 第26号 1900年9月27日
The Bicycling World ANL MOTOCYCLE REVIEW.
Volume XLI No. 26 September 27, 1900.

註、“The Bicycling World – ANL Motorcycle Review” は、19世紀末〜20世紀初頭の米国自転車雑誌。内容は、クラブ活動報告(Century Run、Century Road Club、各地の Wheelmen)
レース結果・記録(トラックレース、ロードレース)、新製品レビュー(自転車・部品・タイヤ・ウェア)、技術記事(チェーン駆動、ギア、フレーム構造)、社会記事(自転車法規、道路整備、女性サイクリスト)など。
 

表題

493頁
トーマス・モーターサイクル
独創的で巧妙なアイデアを体現した3つの異なるタイプ
バッファローのE.R.トーマス・モーター社が、モーターサイクル・ムーブメントが勢いを増す時にトップクラスにいないとしたら、それは驚くべきことだろう。

バイシクリング・ワールドが、トーマス社の計画と製品について初めて詳細を明らかにしてから2週間が経った、業界の目を覚まさせたと言っても過言ではない。
モーター三輪車や四輪車だけでなく、数種類のモーターサイクルを供給し、さらにモーターサイクル部品を業界全体に販売する意図を持っていたことは、比較的少数の人しか知らなかった。・・・

註、E. R. トーマス・モーター・カンパニーは、1900年から1919年までニューヨーク州バッファローで、モーター付き自転車、モーター付き三輪車、オートバイ、自動車の製造会社。

2026年8月13日木曜日

C.T.C. ガゼット

 C.T.C. ガゼット

サイクリスト・ツーリング・クラブ・カゼット誌

1922年11月

THE CYCLISTS TOURING CLUB CAZETTE

No. 11 Νον., 1922

B.S.A.自転車の広告

熱心なサイクリストの間でB.S.A.自転車が人気なのは、その耐久性の高さと、常にスムーズで走りやすいことが大きな理由です。完璧な仕上げ、科学的な設計、そしてそれに伴うトラブルの少なさにより、B.S.A.自転車のライダーは長年にわたり、純粋なサイクリングの喜びを味わうことができます。

表紙

広告
すべての自転車販売店でお求めいただけます。
B.B.L. 自転車アクセサリー
ご不明な点がございましたら、最寄りの販売店にお問い合わせください。
販売店には必ずB.B.L.をご指定ください。そうすることで、品質と価格の優位性を確保できます。
「ブリトー」自転車オイル
燃焼と潤滑。最高品質。高度に精製。楕円形の缶をお探しください。
ブラウンブラザーズ

ジェームス「エース」パスレーサー
ジェームス・サイクル社、グリート、バーミンガム。
ロンドン・ショールーム:
ホルボーン・バイアダクト22番地、EC1


今月のメモ
タクシーの恐怖
経験豊富なサイクリストなら、タクシーはロンドンの街路で最も無神経な運転をする乗り物であり、運転手のマナーは洗練されているとは言い難いことが多いという点に同意するでしょう。ですから、公共心のあるサイクリストであるB・C・デューク氏が、進路を横切って危うく彼を轢きそうになり、さらに道を譲らなかったことで罵声を浴びせたタクシー運転手を訴えたことを称賛すべきだと感じています。・・・

2026年8月12日水曜日

明治期の自転車写真

 明治期の自転車写真

自転車に乗って (猿島町・明治27年) まだ自転車がほとんどなかったころであり、この青年が自転車で町を走り抜ける姿を見て、人びとは目をみはったことと思われる。

註、明治27年とあるが、どう見ても明治後半と思われる。早くても明治30年代である。
猿島町は、茨城県猿島郡にあった町。

「目で見る古河・岩井・水海道の100年」
石川 治 監修 郷土出版社
1998年発行
国会図書館所蔵資料

2026年8月11日火曜日

刀水輪友会

 刀水輪友会

以下は刀水輪友会の関連資料

刀水輪友会(境町・明治34年) 明治30年代になると各地に自転車の遠乗りを楽しむ会が作られた。自転車は流行の最先端であり高価であったため、富裕な人びとに限られた。刀水輪友会の会員たちが、境の香取神社祭礼の日に遠乗りを楽しんで記念撮影。刀水とは利根川の別称。

「目で見る古河・岩井・水海道の100年」
石川 治監修 郷土出版社
1998年2月1日発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

境製糸所内での刀水輪友会 (境町・明治35年)
「写真記録茨城20世紀」
 Unforgettable scenes in Ibaraki since 1900
茨城新聞社 編
1992年発行

上の写真をAIで修正

「輪界」第8号 輪界雑誌社
1909年4月発行
茨城通信
櫻花は樹上に咲き亂れ春風は柔かに膚をなで遠近の人々は苦を忘れ欣喜雲上に登らむとするのとき茨城縣境町刀水輸友會は櫻ヶ岡常設グラウンドに於て春季自轉車大競爭會を催せり尤も同町初見清次郎氏は目下同輸友會々長にして當日も大に力を盡れたり此日は東京よりも日本商店主酒井(鍬太郎)氏及西形商店主西形氏等も臨場せられたり
此日天氣晴朗春鳥は観客を誘ひ場内の賑い方殆んで立錘の餘地なし然して各出走者は春色に氣浮き立ち其勢ひ天を衝かむとす而して聲援轟々の裡・・・

2026年8月10日月曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本へ
パート1
エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン

Project Dharma: Following Thomas Stevens through Japan
Part I
by ERIC KNIGHT, Berwyn, Pennsylvania

多くのハイホイールライダーにとって、トーマス・スティーブンスが1884年に辿ったサンフランシスコからボストンまでのアメリカ横断の旅は、夢の目標である。2021年、サイレントスポーツ誌の記事「1884年以来の大陸横断ハイホイールライディング」の調査中に、トーマス・スティーブンスを辿った現代のライダー数名と話をし、彼らについて読む機会があった。

いつか彼らの冒険(マイケル・[シャドウ]・ガブリック、スティーブ・スティーブンス、ジェームズ・アレン、ジム・オグランド、ランディとエイミー・オレイニクなど)に参加したいという思いが、私の心に芽生えた。

少し後、大学時代のルームメイト、マーク・ケネディと近況を語り合っていた。偶然にも、マークと私は1986年、トーマス・スティーブンスが日本を旅行した100周年にベイツ大学で出会った。現在日本に住んでいるマークは、日本の田園地帯をバーチャルでサイクリングする新しい趣味について話してくれた。彼は自作のポールマウントにスポーツカメラを取り付け、電動自転車での旅を撮影し、その動画をウェブサイトwww.Country RoadsJapan.comに投稿している。

冗談で、彼は私がハイホイールを日本に持ってきてくれたら楽しいだろうと云った。それは少し非現実的な考えだと思い、ハイホイールをわざわざ日本に持ってくるなら、近所を数回日帰りで回るだけではなく、何か本格的なことをしなければならないと言った。

それから私は、トーマス・スティーブンスという、自転車による世界一周旅行という前例のない偉業を成し遂げた人物について彼に話した。彼の3年間にわたる壮大な旅の最終行程として日本が旅程に含まれていたことを確認し(図1)、私たちもそれを検討すべきだと提案した。

こうして、マークが後に「プロジェクト・ダルマ」と名付けることになる計画の2年間が始まった。ダルマの車輪は、仏教などの東洋(アジア)の精神的なシンボルであり、人生の旅における目標や野心といった意味を持っている。実際、ハイホイール自転車の日本語名には「ダルマ自転車」という名称がある。・・・


2頁
ホイールメン誌
2025年5月発行
№106

3頁

図1。これは1880年頃の珍しい日本の地図で、トーマス・スティーブンスが日本を横断した時代のものである。左上には北海道の挿入図があり、右下にはその他の日本の島々が描かれている。

拡大

2026年8月9日日曜日

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

ベイリーズ・スポーツ&娯楽誌

 第411号、第61巻、
1894年5月発行
BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES
No. 411. Vol. LXI,
MAY, 1894.

表紙

325頁


自転車と政治
自転車競技の歴史を丹念に調べても、このスポーツの統制と規制を歴代で目指してきた者たちの輝かしい功績を示す証拠は見つからないだろう。自転車に関する法制化の結果が権力者の弱さや怠慢に起因するかどうかは、統括団体の行動、あるいは不作為がアマチュアスポーツの事実上の崩壊をもたらしたという事実を鑑みれば、ほとんど問題ではない。彼らの政策は常に弱く、優柔不断で、先延ばしであり、アマチュアスポーツの名誉を汚さずに維持する力に自信を示したことは一度もない。包括的な原則が定められたことは一度もなく、その結果、重要な問題に関する彼らの行動は、やや狭量なその場の考慮事項によって決定されてきた。皮肉にもいまだにアマチュアスポーツと呼ばれているものからアマチュアを根絶するという結果に終わった衰退の道の第一歩は、自転車競技をスポーツ当局の管理から外した後、高尚な理想と民主主義の理念を持つ経験の浅い立法者たちが、アマチュアの定義から「機械工、職人、労働者」条項を大胆にも削除したときに踏み出された。・・・

註、『BAILY'S MAGAZINE OF SPORTS and PASTIMES』(ベイリーズ・マガジン・オブ・スポーツ・アンド・パスタイムズ)は、19世紀から20世紀前半にかけてイギリスで出版されていた月刊のスポーツ・娯楽雑誌。
刊行期間:1860年 〜 1926年
創刊元:ロンドンの A.H. Baily & Company(1889年以降は Vinton & Company が引き継ぐ)
正式名称:初期は『Baily's Monthly Magazine of Sports and Pastimes, and Racing Register』とも呼ばれていた。

2026年8月8日土曜日

プロジェクト・ダルマ

 プロジェクト・ダルマ

本日、米国のエリックさんから「ホイールメン」誌に投稿した「プロジェクト・ダルマ自転車」の記事が届いた。

彼とは2023年10月23日に小田原城で待ち合わせ、近くの喫茶店で歓談後、酒匂川のサイクリング場まで同行した。楽しい一時であった。

PROJECT DHARMA: Following Thomas Stevens Through Japan
Part II of III.by Eric Knight, Berwyn, Pennsylvania

ホイールメン誌に載った記事
プロジェクト・ダルマ

プロジェクト・ダルマ:トーマス・スティーブンスを追って日本を横断
パート2/3 エリック・ナイト著、ペンシルベニア州バーウィン
編集者註:これは、エリック・ナイトが1886年にトーマス・スティーブンスが辿ったのと同じ道を旅行し、日本を自転車で横断した記録のパート2である。前回のパート1(2025年5月号、第106号)では、ダルマ自転車を日本に持ち込む際に直面した困難と、九州の長崎から本州の下関までの最初の5日間の旅の詳細を語っている。このパート2では、下関から始まる。遭遇した困難、そして地元の日本人コミュニティからの友好的な交流と惜しみない支援について述べている。

6日目(2023年9月29日)広島への道
九州南部の島々は、下関海峡の強い潮流によって隔てられ、私たちの背後にあった。魚市場で朝食を済ませ、マークと私は本州にある山陽道(山陽地域を走る主要道路)を北に向かって自転車で走り始めた。6日目、またもや晴天で、比較的平坦な道だった。路肩のない道路は交通量が多く、交差点や信号機も多く、何度も停止と発進を繰り返した。また、ナビゲーションアプリのKomootを解釈しようとして、何度も道を間違えた。・・・


5頁
写真は、マークとエリック、岩国市錦帯橋の前で

小松輪友会

 小松輪友会

小松輪友会(川西町・昭和初期) 明治の終わり頃からプロによる自転車レースが各地で行なわれたという。これはアマチュアのメンバーでクラブを作りサイクリングに出かけた時の写真である。服装も軽装が多く、自転車はスポーツタイプだ。

註、小松町は山形県東置賜郡にあった町。現在の川西町中心部にあたる。

「目で見る米沢・置賜の100年」
郷土出版社 1995年発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

「写真集・やまがた100年」
山形新聞社 1988年発行

小松輪友会(大正初期) 明治の末期から大正期にかけて、各地で自転車競争が大流行した。川西町小松地区のハイカラ青年たちの自転車好きがいつしか集まり、スピードを競ったり、遠乗りをし、 仲間で小松輪友会と呼び合った。

註、上の資料の写真は、同じものだが、キャプションが一部相違している。
上は昭和初期とあり、下は大正初期である。自転車の形状から判断すると、明らかに大正初期と思われる。

2026年8月7日金曜日

サイクル誌

 サイクル誌

第1巻、第2号
マサチューセッツ州ボストン、1886年4月9日
The cycle
VoL. I., No. 2.
BOSTON, MASS., 9 APRIL, 1886.

註、この雑誌は、1886年にボストンで発行されていた自転車(サイクリング)専門誌「The Cycle」。「The Cycle」は、1886年から1887年にかけてAbbot Bassettによって発行された、ボストンを拠点とする週刊のサイクリング専門誌。ハイホイール(ペニーファージング)時代のアメリカのサイクリング文化を扱い、レースの結果、クラブの活動報告、製品レビュー、そして当時サイクリング界を賑わせていたアマチュア対プロ論争についての論説などを掲載していた。

広告、
「マールボロ・クラブ」
自動操舵装置
カタログはお申し込みください。
コベントリー機械工会社
ボストン、コロンバス通り239番地

註、 "The Marlboro' Club" というトライシクル(三輪自転車)の広告。
製造元:Coventry Machinists' Co.(イギリス・コヴェントリーの大手自転車メーカー)。もとはコヴェントリー・ソーイング・マシン社として設立され、後にコヴェントリー・マシニスツ社として法人化されてヴェロシペード(初期自転車)製造に転じた会社で、ジェイムズ・スターリーやウィリアム・ヒルマンなど、後に独立して名だたる自転車メーカーを興す人物たちが在籍していたことでも知られている。

表紙

23頁
ラッヂ広告


D.ラッジ社製 世界最古にして最大の自転車製造工場
イギリス、コベントリー
自転車と三輪車
1886 カタログ
米国総代理店 マサチューセッツ州ボストン、コングレス通り152~158番地
最新は常に最高。それがあなたの求めるものです。
ニューヨーク本社、ジョージ・R・ビッドウェル、ニューヨーク、東60丁目2番地および4番地

2026年8月6日木曜日

C.T.C. ガゼット

 C.T.C. ガゼット

第43巻 第4号 1924年4月
サイクリスト・ツーリング・クラブの公式機関誌
1876年創立
後援者:ジョージ5世国王陛下
1887年法人化
会長:ポートランド公爵閣下、K.G.、P.C.、G.C.V.O.
私たちの自転車はまもなく、このような景色の中を走ることになるでしょう。

表紙

註、1878年に設立されたイギリスのサイクリスト・ツーリング・クラブ(CTC)の公式機関誌「The CTC Gazette」の1924年4月号の表紙。イラストは、フランク・パターソン(Frank Patterson)に似ているが、サインが違う。誰であろうか。
署名は「JAMMO?」 のように読めるが、この署名だけから特定のイラストレーター名を断定することはできない。
「Our wheels will soon be spinning amid such scenes as this.」という文章が添えられ、当時ののどかな英国の風景が描かれている。ページ下部には「Ibsley Bridge, Ringwood, Hants.」と記載されており、具体的な場所の風景を題材にしている。
イブズリーの橋は、イングランド・ハンプシャー州ニューフォレストにある有名な橋。フランク・パターソンも度々この橋を描いている。

2026年8月5日水曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下の資料は出宮順一関連。

昭和十一年陸軍戶山學校大運動場で行はれた世界選手權大會全日本豫選會一萬米競走(先頭は出宮順一・岡山縣)のスナップ

註、写真は昭和11年(1936年)に戸山学校運動場で行われた世界選手権大会全日本予選会の様子。先頭を走っているのは、岡山県代表の選手であった出宮順一。


「自転車運動綱要」
日本自転車聯盟 編 目黒書店
昭和13年6月15日発行
国会図書館所蔵資料

奥付

2026年8月4日火曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下の資料は、「合同年鑑」 昭和16年 合同新聞社より

自轉車競技優秀選手

岡山縣淺口都玉島町出宮順一氏

出宮氏は一九三六年度スイスで開かれた世界自車競技選手大會に日本代表選手の榮を攜って出場海外にまで勇名を馳せた国際的サイクル選手である。氏は岡山縣淺口都玉島町の出身で玉島併置校卒業後は家業の自轉車販売に従事してゐるが、小學校に学ぶ頃から自転車に天才的資質を備へ、尋常二年九歳の時兒島郡字野町で開かれた一流選手競走に初陣を飾って以來長距離を得意として各地の競技會に出場、多数の栄冠を獲得してゐる。・・・


「合同年鑑」 昭和16年 合同新聞社
国会図書館所蔵資料

2026年8月3日月曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下は、出宮順一関連の資料、

寫眞は丁抹(デンマーク)オルドラップ議技場に於げる編者とわが自練車競技界のホープ出宮順一君(岡山縣)


「自転車運動綱要」日本自転車聯盟 編
目黒書店 昭和13年発行
国会図書館所蔵資料

註、 出宮順一(でみや じゅんいち)
1917年 – 1945年6月
岡山県の旧玉島町(現・倉敷市)出身
出宮順一は世界情勢が閉塞感を強める中、1930年代初頭から主にロードレースで台頭した選手で、実家の自転車店を手伝いながら競技を続けていた。1935年には当時のアマチュア日本選手権においてロードレースと1万メートルのスプリントで優勝し、その実力が認められる。翌1936年、ベルリンオリンピック日本代表選手に選出され、開会式には参加したものの、役員の登録ミスでレースには出場できなかった。
オリンピック出場が叶わなかった約3ヵ月後、結果的に日本人選手として、オリンピックも含めて初めて自転車競技の世界大会出場となった、スイスのチューリッヒとベルンで開催された世界選手権自転車競技大会に、石塚隆春、村上二三九、困見辰夫の3人とともに参加した。スクラッチおよび145kmロードレース(いずれもアマチュア部門)に出場し、ロードレースにおいて7位に入る健闘を見せた。この結果について、世界選手権のロードレースにおいて、プロ・アマ通じて現在でも日本人選手の最高順位である。
その後、第二次世界大戦が始まると陸軍に召集されて出征。1937年の日中戦争勃発を機に「オリンピックはやめるべき」との声が高まり、1938年には日本がオリンピックを返上、東京大会(1940年)は中止となる。スポーツは兵士を育成するための軍事訓練の場となり、出宮は獲得したトロフィーを兵器転用のために徴収されてしまったと云われる。
1941年に太平洋戦争が始まると、出宮は1943年に召集され南方の戦地へ赴いた。自動車などが進めない密林や山岳地帯で物資を自転車で運び、偵察や伝令を行う「銀輪部隊」に配属され、旧ビルマ(現ミャンマー)に送り込まれた。そして1945年6月、旧ビルマにて戦死した。

2026年8月2日日曜日

産業考古学会第23回(1999年)論文集

 産業考古学会第23回(1999年)論文集
以下の論文は自転車関連、

産業考古学会第23回(1999年) 総会研究発表講演論文集
自転車文化センター保存資料にみる自転車錠の種類と変遷
Kind and changes of the bicycle lock that observe it to the Bicycle Culture Center preservation data.
谷田貝一男(自転車文化センター)
Kazuo YATAGAI (Bicycle Culture Center)

Ⅰ. はじめに
地球の環境保全が叫ばれている現在、二酸化炭素を発生しない地球にやさしい乗物として、また健康維持に最適な乗物として自転車が見直されている。その一方で、駅前の無法な放置や盗難、利用者のマナーといった問題も指摘されている。
こうした問題の中で、最近特に盗難防止のためのいろいろなアイディアと工夫を施した自転車が発売されているが、そのアイディアの多くはすでに明治の頃から登場している。
盗難防止のための自転車錠は、自転車走行のために必要不可欠な部品ではないため、 特に保存が十分ではない。今回は、自転車文化センターが所有する資料、文献に限って日本を対象にして検討したため、拙稿な部分も多く、さらなる研究を要するが、自転車部品特に錠前の保存対策の一助になれば幸いである。・・・

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表紙
資料提供:自転車文化センター

表紙に描かれているのは、戦後間もない時期に三菱重工業が航空機の技術を応用して製造したジュラルミン製自転車「十字号」。

2026年8月1日土曜日

産業考古学会第17回(1993年)論文集

 産業考古学会第17回(1993年)論文集

以下の論文は自転車関連、

産業考古学会第17回(1993年度)総会研究発表

日本の自転車灯火

―――提灯から発電ランプまで――

梶原利夫

1、はじめに

今日わが国の自転車用発電ランプの生産は、わずか5企業で、全世界シェアーの50%を生産するまでに至っている。上記5社の内、数社は乾電地ランプ、あるいは発電ランプの市場性に着目し、乾電地ランプや発電ランプの生産を軸として、大企業へと発展させた。一方自転車が、わが国に出現する以前から使われていた提灯が初期の自転車灯として用いられ始めた。その後乾電地ランプが着及する大正の末まで、長い間だローソク灯が自転車の主な明りであった。勿論石油ランプや、アセチレンランプもあったが高価なためあまり普及はしなかった。

本稿では、前近代的な、手工業生産による自転車灯火器としての提灯から、今日の乾電地ランプや発電ランプまでの発展過程を、制度、文化、技術、等を踏まへて概観的に報告する。・・・

表紙
資料提供:梶原利夫氏

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