2026年1月31日土曜日

ヴェロシペード特許関連 - 7

 ヴェロシペード特許関連 - 7

アメリカ合衆国特許庁

コネチカット州メリデンのチャールズ・E・デイトン

1869年10月26日付け特許第96,208号

改良型ヴェロシペード

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

関係者各位

コネチカット州ニューヘイブン郡メリデンのチャールズ・E・デイトンは、新しく改良されたヴェロシペードを発明した。そして、以下はその完全、明確、かつ正確な説明であり、添付図面を参照すれば、当該業者がこれを製造および使用することを可能にする。

図面は本明細書の一部を構成し、図1は改良型ヴェロシペードの側面図。

図2は、図1の線z-zの平面で切断した、図1の垂直横断面。

本発明は、乗員が座席にまたがるタイプの二輪ヴェロシペードを駆動するための新しい機構に関するものであり、その目的は、前輪への動力供給の必要性をなくし、駆動軸のクランクに直接足を動かす際に必要な不便な回転運動を回避することである。・・・



明細書

自轉車瓦版 第76号

 自轉車瓦版 第76号

昭和60年9月28日発行

★齊藤氏及び真船氏にお詫び

瓦版74号において、齊藤氏から"真船氏にお答えとお願い”という記事がありましたが、これについて編集者の手違いがありましたので、ご説明するとともに両氏に対し、この誌面を借りてお詫びしたいと思います。互版48号において、 真船氏からの投稿のかたちで「あるいは寅次郎がこの糸車の名称を借りて・・・・」と記されていますが、実はこの文について真船氏から電話があり「借りてと言う言葉は断定的すぎるので別な表現がよかった。私はたんに一つの参考にと思って言ったにすぎない。」という連絡が48号を入手されたすぐ後にありました。また、 瓦版60号で「糸車も含めて“自転車”という名称が一般的な使われ方であったようだ」 とありますが、これについても後に真船氏から電話があり「一般的であったと結論付けることは今の段階ではできない。今後これについては十分調べる必要がある。断定的な表現は誤解を受けるので注意してほしい。」という連絡 がありました。この時にすぐ訂正等の記事を瓦版に載せればよかったのですが、私の不手際から途過してしまいました。今後このようなことのないよう情報等の提供者とは十分調整し、その上で記事にしたいと思います。しかし、言訳ではありませんが、今回このことで大きな収穫がありました。それは、たんなるメモ書きのようなこの瓦版に対して、会員の皆様方が真剣な気持ちで読んで下さっているということが分かったからです。それと同時に編集者の責任感というものを強く感じた次第です。ありがとうございました。

☆以下はホイールマン誌より

「農場」はG・F・ブルクハート氏の所有となり、一部は彼によって「マーティン・ルーサー孤児院」の使用に供された。この施設は、現在のベイカー通りの建物と土地を使用している。小川は今もそこにあり、春になると水が溢れる牧草地と、そこから優美な木々が群生する丘がそびえている。しかし、近所の人にブルック農場はどこにあるか尋ねると、「どこ?この近くに3つあるよ」と答える。少し説明すれば、「ああ、社会主義者たちがいた場所のことか!」と笑顔で答えてくれるだろう。・・・


10頁
「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行

2026年1月30日金曜日

ケンタウルカー

 ケンタウルカー

以下の記事と写真は、ケンタウルカー

ケンタウルサイクル社によって最近発売されたこの車は、ベンツと同様に、ベルトとチェーンで駆動する車で、水平方向の水冷式電気点火エンジンによって推進し、毎分700回転で4.5馬力。ベンツと同様に、モーターはフレームの後部に配置されているが、より横に配置されている。エンジンは、機構のすべての部品に簡単にアクセスできることを考慮して特別に設計されており、これらのシンプルさと数の少なさが主な特徴である。


図8. ケンタウル
モーターとフレームの図
『オートカー』誌 1901年1月26日発行

2026年1月29日木曜日

自轉車瓦版 第75号

 自轉車瓦版 第75号

昭和60年9月13日発行

★先日、友人から電話があり次のように話してくれた、「この前ブラリと赤坂の自転車文化センターに行った。2階に陳列されているアンティーク自転車をながめていたら、その中に十字号あった。確か瓦版の63号では文化センターにあるのはⅡ型のものだけと記されていたようだが、Ⅰ型とⅡ型の2台が並んで陳列されていた。「Ⅰ型も文化センターにある・・・」私が数年前見に行った時には、確かⅡ型のものしか置いてなかった。その後入手したのであろう。さすが自転車文化センターだ。

★日本で発行された自転車の歴史関係の図書は、極めてわずかだが、本場のヨーロッパやアメリカでは多数出版されている、現在入手可能ではないかと思われる書籍(英語版のもの)に次のようなものがある。

①Bicycle People、② Early Bicycles、⓷King of The Road、④Sturmey's Indispensable Hand book to the Safety Bicycle 、⑤The Moulton Bicycle 、⑥The Story of the Bicycle 、⑦The Victorian High Wheelers、⑧Staley & Sutton 1884、⑨ Bicycles of the Year (Old Ed. reprint 1877、⑩ Reprint Old Linley & Biggs. Practical Hints on Cycling、⑪ Eddy willy Cartoons、⑫ Strange But True、⑬ Simpson Bicycles 1896、⑭ Rover Cycles 1896 、⑮The Bicycle and the Bush. etc 以上の図書は確実に入手できるかどうかかりませんが、問い合わせ等を知りたい方は、事務局までご連絡下さい。(また、他に外国の本で入手可能なものをご存じでしたらご連絡下さい。)

Sturmey's Indispensable Handbook
 to the Safety Bicycle

King of The Road

2026年1月28日水曜日

ヴェロシペード特許関連 - 6

 ヴェロシペード特許関連 - 6

アメリカ合衆国特許庁

ウェストバージニア州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマー

特許第92,808号、1869年7月20日

改良型ヴェロシペード

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

オハイオ州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマーは、新しく改良されたヴェロシペードを発明した。以下は、本特許証の一部を構成する添付図面を参照し、その構造と操作の完全かつ明確で正確な説明である。

図1は、図2の線z-zに沿った縦断面図である。

図2は上面図である

本発明の目的は、通常は陸上で使用するために設計されているが、水上でも同様に走行可能なヴェロシペードを一般向けに提供することであり、これにより、乗り手は湖、川、またはその他の水域に到着したときに、降りたり停止したりして乗り物を変更することなく、直接水域に乗り、水域を横切ることができる。・・・



明細書

2026年1月27日火曜日

自轉車瓦版 第74号

 自轉車瓦版 第74号

昭和60年9月7日発行

★書籍案内、①「これが BMX & MTBだ!」 平木康三著、小学館発行 ¥530-。

②「ぼくらのサイクリングコース」サイクルスポーツ臨時増刊 八重洲出版社発行  ¥700-。

★真船氏にお答えとお願い 

①「瓦版」第48号に糸車に「自転車」という名称のものがあり寅次郎がそれを借用したことも考えられる旨、記述されていますが、これは氏の感違いだと思います。乗物の「自転車」 の製作・販売の許可は明治3年5月。「自転車」どう名称の糸車の考案は明治4年です。糸車が1年遅いのです。この件については、明治48年「長野県政史」発行後まもなく私の職場に寄贈された時に読んで、参考カードを作成、また昭和58年8月9日~ 12日の4日間、長野県立図書館に資料調査( 個人的に)で訪問した時にも一応調べております。 (考案者の館三郎ご子孫の探索を中心として)。

今回の小論では「自転車」という名称の起源については明治3年までのものまで取り上げました。明治4年以降のものは関係がなく記述しておりません(紙数の制限もあり)。

 ②瓦版60号に『「寅次郎がこの車の名称を借りて・・・」 と書いたが、むしろ当時人力によって回転する車輪状のものが付いでる機械は糸車を含めて「自転車」という名称が一般的な使われ方であったようだ。』と書いておられますが、その事実を述べた資料・文献を是非ご教示いただけますようお願いいたします。私も相当調べたつもりでしたが、そのような文献は未見です。やはり調査範 囲が狭かったようです。(藤沢市、齊藤俊彦氏)

下のイラストは「ザ・ホイールマン」誌より

9頁
「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行

同上

2026年1月26日月曜日

ハンバー関連

 ハンバー関連

新型ハンバー・ビーストン・クラブマン(The NEW HUMBER BEESTON CLUBMAN)

の広告

クラブライダーとタイムトライアルライダーのために特別に設計
クラブマンのニーズを知り尽くした男たちによって設計され、自転車製造の第一人者によって組み立てられた、新型ハンバー・ビーストン・クラブマンは史上最高である。仕様を読み、ディーラーの在庫モデルをご覧になれば、その新しい改良点と機能が際立って優れていることがわかる。
フレーム:22インチ、73インチのヘッドアングルと71インチのシートアングル、レイノルズ531チューブを全面に使用。凝ったデザインのラグ。薄いテーパーシートステーとチェーンステー。
フォーク:レイノルズ531チューブの「D」ブレードとソリッドエンドで特別に設計。
ホイール:27x1/4ステンレススチール製高圧リムとステンレススチール製スポーク。
ベイリス・ワイリー・コンチネンタル・ハブ
タイヤ:ダンロップ 27インチ ロードレーシング
ギア:69.0インチと77.6インチ、固定ギア
チェーンホイール:3ピン着脱式、46T フランジ付きレーシングタイプ
クランク:6.1/2段。ペダル:レーシングタイプ
ブレーキ:軽合金製、フード付きレバー
価格:26.16.6ポンド
Sturmay-Archer製3速または4速ギアは注文に応じて供給される・・・

32頁
「バイシクル」誌、1950年1月25日発行

2026年1月25日日曜日

自轉車瓦版 第73号

 自轉車瓦版 第73号

昭和60年9月1日発行

★瓦版の70号に日航機の事故で亡くなった辻氏のことが書かれていたが、同じシマノ工業の塔本正吾氏(宣伝係長)もやはりこの事故に遭遇している。同氏の葬儀は8月24日堺市の東本願寺でしめやかに行なわれた。塔本氏は入社歴も古く、営業から宣伝係に変わり、殆んど一人でなにもかもやっていた人である。当研究会にとっても塔本氏を亡くしたことは大きなマイナスと思っ ている。(大阪市、高橋 勇氏)

☆世界自転車選手権で中野浩一が9連覇を達成。第52回世界自転車選手権はイタリアのバッサーノ・デル・グラッパで行なわれ 、8月24日のプロ・スプリント決勝で、同じ日本の松枝義幸を2-0で破り、みごと優勝した。1977年のサンクリストバル(ベネズエラ)大会以来9連覇をマークし、自己の持つ連勝記録をまた伸ばした。

☆会報“自轉車”のサイズが9月15日発行の第23号よりA5版になる。これは単に印刷の都合によるもので、内容的は以前と同様である。

★この瓦版は既にお知らせしたとおり、1ヵ月に1回以上定期的に情報等を寄せて下さる会員との連絡用(メモ)に発行しているものです。したがいまして全会員には発送されませんのでご了承下さい。なお、バック№を希望の方はご依頼下さい。1部20円(送料とも) で頒布致します。(情報等の提供者には従前より無料配布しております)


2026年1月24日土曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

第 2 巻 1883年8月 第5号

ナチュラルブリッジへの旅

フィラデルフィア出身の3人がバージニア渓谷を旅した記録の出版は、熱心なサイクリストにとってこの地域の魅力を多くのライダーに知らしめた。ルレイ洞窟とナチュラルブリッジを訪れ、ブルーリッジの山の景色を眺められるという期待に加え、連続した良好な道の斬新さはこれまで見たことのないことが分かった。一行は数年の経験を持つライダーで、装備の準備は完璧だった。

慎重に検討した結果であり、あらゆる点で満足のいくものであったため、その一行についての簡単な説明は興味深いものとなるだろう。

ワシントンのキャピタル・バイシクル・クラブのマックス・ハンスマン氏、クラレンス・G・アレン氏、L・W・シーリー氏は、ナチュラル・ブリッジを目的地とする3週間のツアーを計画した。提案されたルートは約500マイルの自転車旅行で、ハンスマン氏は48インチの「エクストラ」オーディナリーに乗っていた。・・・


「ホイールマン」誌
第 2 巻 1883年8月 第5号

註、 アメリカ・バージニア州のナチュラルブリッジ
巨大な石灰岩のアーチがそびえ立つ景観、周辺には歴史的ホテル、洞窟、サファリパークなど観光資源が多い。かつては先住民の聖地でもあったと言われ、文化史的な深みもあり、自然地形と人間の歴史が重なる場所である。

2026年1月23日金曜日

自轉車瓦版 第72号

 自轉車瓦版 第72号

昭和60年8月29日 発行

資料版、

「ザ・ホイールマン」誌

サイクリングに関する文学とニュース、イラスト入り雑誌

第1巻 1882年10月~1883年3月 合本版

ボストン ザ・ホイールマン・カンパニー  ワシントン通り608番地  1883年発行

THE WHEELMAN AN ILLUSTRATED MAGAZINE OF CYCLING LITERATURE AND NEWS

VOL. I 1883年

註、 The Wheelman誌は、1882年(ボストン)で創刊された。

発行元:The Wheelman Company(Boston)

印刷は高品質で知られる Rockwell & Churchill が担当し、毎号1万部以上刷られたと云われている

編集者:Samuel S. McClure、自転車王アルバート・ポープ(Pope Manufacturing Company)の依頼で編集を担当した。


自轉車瓦版 第72号

「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行

12頁

パウダーハウス・ロックはかなりの高さにそびえ立つ急峻な岩棚で、その頂上には、地方時代や独立戦争時代に弾薬を保管するために使われていた趣のある小さなレンガ造りの建造物がある。画家がそれをスケッチしている間、他の者たちは曲がりくねったチャールズ川と美しい田舎の村、デダムの美しい景色を眺めていた。デダムの元の名前であるコンテントメントは決して変更されるべきではなかった。
東の通りと間隙の向こうに、長さ4分の3マイルの運河の終点を見た。この運河は1639年にチャールズ川からモッシャー・ブルックに水を引くために作られたものだ。これはアメリカ合衆国で最も古い運河で、「ミル・クリーク」と呼ばれるチャールズ川とネポンセット川を結ぶ連絡路で、6つの町と3つの都市からなる島を形成している。・・・

2026年1月22日木曜日

ヴェロシペード特許関連 - 5

 ヴェロシペード特許関連 - 5

アメリカ合衆国特許庁

ボルチモア在住のエイブラハム・D・トンプソンとジェシー・マーデン・ジュニア

メリーランド州

1869年2月9日、特許第86,787号

改良型ヴェロシペード

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

メリーランド州ボルチモア市および郡在住のエイブラハム・D・トンプソンとジェシー・マーデン・ジュニアは、新しく改良されたヴェロシペードを発明した。以下は、添付図面を参照した、その構造と操作の完全かつ明確で正確な説明である。

本書の一部を構成する添付図面において、図1は側面図である。

図2は上面図である

本発明の目的は、三輪自転車の構造を改良し、ペダルの動きを変えることなく速度と移動に必要な動力を調整・変更できるようにし、足でも手でも、あるいは両方で操作できるようにすることである。これらの目的を達成するために、車両の全体構造が大きく変更・改良されたため、いくつかの重要な利点がもたらされる。



明細書

2026年1月21日水曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

第 2 巻 1883年5月発行

ブラックヒルズを巡る夏の散歩、暑い8月後半の夜、旅に出ることを決意した・・・

シャーマンは、あの偉大な英雄にちなんで名付けられた。そしてこの記事の冒頭に名前の由来となった丘陵地帯を散策することを決めた。
反乱の舞台となったロッキー山脈の山頂は、ユニオン・パシフィック鉄道が山脈を横断する場所にある。

註、ブラックヒルズとは  
サウスダコタ州南西部に広がる山岳地帯で、松林が黒く見えることから「ブラックヒルズ」と呼ばれている。 ネイティブアメリカンの聖地、アメリカ建国神話の象徴でもあり、さらに野生動物・洞窟・奇岩・旧西部の街などがある地域。


「ホイールマン」誌
第 2 巻 1883年5月発行

2026年1月20日火曜日

自轉車 第13号 - 4

  自轉車 第13号 - 4

雑誌「自轉車」 第13号 快進社 明治34年8月5日発行

以下は広告、


宮城車店 自轉車 人力車
松下松太郎 自轉車製造修繕所

仁藤商店
クリーブランド
各種自転車販売修繕

石川商會の広告
三大發明兼備 ピアス
バネ枠
休脚制輪軸
無銷ギーア
直輸出入業
橫濱市尾上町六丁目八十九番地
石川商會
神戸市三ノ宮町二丁目
石川商會支店

石川商会 神戸支店
「自轉車」第9号 明治34年4月1日発行

2026年1月19日月曜日

ヴェロシペード特許関連 - 4

 ヴェロシペード特許関連 - 4

アメリカ合衆国特許庁

ウェストバージニア州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマー

1869年7月20日、特許第92,807号

陸上および水上自転車の改良

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

オハイオ州ホイーリング郡およびウェストバージニア州在住のデビッド・J・ファーマーは、新しく有用な改良型陸上および水上自転車を発明した。以下は、本明細書の一部を構成する添付図面を参照しながら、私の発明が属する技術分野の当該業者が本発明を実施できるようにするために十分に完全、明確、かつ正確な説明である。

本発明は、ヴェロシペードの改良された構造、または陸上または水上での使用のために容易に変換できるようにするための特定の部品の配置に関するものであり、これらの部品は、使用に必要がないときは取り外し可能、または邪魔にならないように調整可能である。

本発明の改良点は、水上で乗り物を支持するためのフロートの新規な構造と配置、および必要に応じて水面から乗り物を支持するように調整可能なフロート、および使用していないときは取り外せるように調整可能なホイール、ならびに取り外し可能なフロートの配置と組み合わせて、必要に応じてドラフトホイールまたは外輪を形成するように変換できるように構成されたホイールの使用にある。図面では、本発明のヴェロシペードが水上で使用されている様子が示されている。

図1は、座席を取り外した平面図であり、その位置は点線で示されている。図2は、図1の線z-zに沿った垂直断面図である。・・・


明細書

2026年1月18日日曜日

佐藤半山関連

 佐藤半山関連

下の資料は明治期の月刊雑誌「自轉車」の編集長であった佐藤喜四郎の略歴である。

佐藤喜四郎の長男・佐藤成夫氏が記録したメモ書き。

亡父略歴
明治元年10月20日、福島県伊達郡半田村大字北半田字熊野1番地に生まれる。
父、佐藤彦三郎、母、よし、三男なり、(母よし、そろばん堪能教授す)
明治42年4月16日、半山と改名す。前名を喜四郎と称す。
分家に因りて明治32年5月17日戸主になる。籍を神田区小川町一番地に置く。長兄安太郎(安政6年生る)、次兄金六(東京にてコレラで死亡)、姉ふじ(安政3年)、家業は菓子製造卸小売、眞粉屋(屋号)、小学教員を終えて、桑折町教育養成所(?)に入り後、半田村の小学校教員たり、(15、6頃かー2年)15才~18才まで、18才の時に教員を罷やめて上京。然るに半田銀山の一技師に小学校の如き前途のびぬと勧められ上京18才。俸給5、6円程度か(最初は3,4円か)、中央大学近くの東京法学院卒業卒業後帰郷(半田村)したるが再び出京す。24才か25才の帰郷中、桑折税務署(当時保原から移転しているも少し)使用方を署長から直接25円給与するとかで就職方を勧められる。・・・

(一部読み取れない箇所あり)


1枚目
日本自転車史研究会コピー所蔵
資料提供:真船高年氏
以下同じ

2枚目

3枚目

註、佐藤喜四郎は、明治時代に創刊された日本最古の自転車雑誌『自轉車』の編集長として知られている。
『自轉車』は明治33年(1900年)8月に創刊され、当時としては画期的な第三種郵便物認可を受け、毎月1日に発行された。
内容は、 自転車競争に関する話題が豊富で、競技や技術、軍事利用など多角的な視点から自転車を取り上げ、目次には「自転車」「寄書」「雑録」「倶楽部彙報」「詞苑」などが並び、読者との交流も意識した内容であった。

ラッジ関連 - 11

 ラッジ関連 - 11

 1889年発行のラッジ・サイクル・カンパニー社の自転車と三輪車のイラスト入り価格表

発行年: 1889年

会社名: Rudge Cycle Company, Limited

30頁
ラッジ自転車 No.2
これは、高価なマシンに乗り換えたくないライダーのニーズに合わせて作られたマシンである。低価格で非常に高品質なマシンを提供するという目標を達成できたと考えている。多くの高価なマシンを凌駕する性能であることがお分かりいただける。両輪には特許取得済みのボールベアリングが取り付けられており、使用されている素材は最高級。摩耗部品はすべて丁寧に硬化処理され、ハンドルは上記のように曲げられている。別途、注文がない限り、すべてのマシンにスプーンブレーキとマッドガードが取り付けられている。取り外し可能なカウホーンハンドルバー。
このマシンは非常に低価格であるため、追加料金なしで標準パターンから変更することはできない。
仕上げ:エナメル仕上げ。部品はメッキ。
価格:12ポンド

31頁
ラッジ自転車3号
この自転車は、中流のサイクリング初心者のニーズを満たすため、多くの有力代理店からの要望に応えて発売した。
発売以来、多数の販売台数から見て、この自転車は大きな成功を収めたと言える。
前輪には当社の比類なきボールベアリング、後輪にはコーンベアリングが取り付けられている。弓型スプリング、中空鋼製バックボーン、中空鋼製フロントフォークを備えている。
仕上げ:エナメル仕上げ(黒)。明るいパーツ。シンプルなペダル。
1888年8月のバザール・エクスチェンジ・アンド・マート誌のレビューでは、「高級メーカーによる美しい自転車を求める人には、この自転車がまさにぴったりです。この自転車は驚くほどお買い得です」と述べている。
8:0:0ポンド

32頁
ラッジの特許取得済み非振動スプリングフォーク
これがなければ完璧な自転車ではない。
サイクリングは贅沢品になり、驚くほど快適な乗り心地。
「バイシクルニュース」のコメント:
「ラッジの非振動スプリングフォーク。ここ1、2日、ラッジの非振動スプリングフォークを装着した軽量の自転車に乗っています。これまでのところ、このスプリングはメーカーが謳う通りの性能を発揮しています。荒れた道や小さな障害物を乗り越える際のマシンの軽快さは驚くべきものです」
図1~3、特許取得済みの取り外し可能なスイングハンドル

裏表紙

2026年1月17日土曜日

ICHC関連

 ICHC(国際自転車史会議)関連

第35回国際自転車史会議は、ジャワ州クラテン、インドネシアで2026年5月16日〜20日の間に実施される予定。

プランバナン寺院の美しさと雄大なメラピ山に囲まれた場所で開催される。この会議は、単なる学術的な集まり以上のものであり、アイデンティティの祭りでもある。サイクリングの伝統、活気あるコミュニティ、深く根付いた精神文化を持つインドネシアでの開催は有意義である。
主催・協力団体
KOSTI(Komunitas Sepeda Tua Indonesia) インドネシア最大級の古自転車コミュニティ
Penny Farthing Indonesia(PFI)ペニーファージング文化の保存・普及団体

以下は小林恵三氏の著作集

小林恵三氏(フランス/日本)。19歳の時に自転車で日本一周旅行をし、それ以来自転車の歴史に興味を持つようになる。1993年にはドライジーネとミショーの自転車に関する論文を執筆し、ドライジーネ200周年とミショーの自転車150周年の記念事業にも積極的に参加した。

〇ミショー型の発明者:ミショー、オリヴィエ、それともラルマンか?

〇自転車史に関する資料と参考文献

〇 オリヴィエ兄弟 

〇カール・フォン・ドライスからピエール・ミショーまで、1818年~1861年

〇ミショー型自転車に関する番号

〇 パリのドライジェンヌ(ホビーホースまたはダンディホース)、1817年~1820年

〇フランスにおけるドライジーネ200周年記念の功績、1818年~2018年


ドライスからミショーまでのヴェロシペードの歴史
1817-1870
小林恵三 著 1993年発行 フランス語版

1818年から1983年の間に出版されたフランス語書籍一覧
小林恵三 著
フランス自転車連盟 1984年発行

2026年1月16日金曜日

ラッジ関連 - 10

 ラッジ関連 - 10

 1889年発行のラッジ・サイクル・カンパニー社の自転車と三輪車のイラスト入り価格表

発行年: 1889年

会社名: Rudge Cycle Company, Limited

27頁
ユース・バイシクル No.2
7歳から16歳までの子供に適している。
仕様:26インチホイール。前輪にスプーンブレーキ。両輪にスタンレーヘッド、5/8インチタイヤ。頑丈なフレーム。
仕上げ:エナメル仕上げ。メッキパーツ
価格:7.10ポンド

28頁
ラッジ新型レーシングバイク
このマシンは、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランス、ドイツ、デンマーク、スペイン、ノルウェー、アメリカ、オーストラリアのアマチュアおよびプロの選手権で優勝した。
「ラッジ」レーサーはあまりにも有名なので説明は不要。そのすっきりとしたコンパクトな外観と、強度、軽さ、剛性を極めた特許取得済みのタンジェントホイールに注目していただきたい。ハンドルバーは、特に注文がない限り、上記のように中空で曲げられている。当社の有名な特許取得済みボールペダルとベアリングが取り付けられている。バックボーンとバックフォークは一体型であるため、破損の可能性が低く、軽量化されている。このマシンは世界で最も軽量、最強、そして最も剛性が高いと断言できる。22ポンドのマシンが14ストーンの男性(世界チャンピオン、R.ハウエル)によって定期的に乗られていることがその証拠である。ベアリングはフォークにろう付けされている。
仕上げ:エナメル
メッキパーツ
価格:18.10.0ポンド
54インチマシンの正味重量は、サドルとペダル一式で、21ポンド。
この有名なマシンは、1マイルを2分31秒8という驚異的なタイムを達成した。
1マイルから25マイルまでのすべての記録を保持している。

29頁
ラッジロードスター自転車 No.1
スポークは特殊鋼製で、ハブで突き合わせ、改良された方法で組まれている。今年、当社が使用した数十万台のうち、スポークが破損したことはない。ベアリングは、よく知られている「ラッジ」特許取得の防塵ベアリングで、ボールは硬化鋼で作られている。
車軸溝はスリーブなので、スピンドルの安全性を損なうことなく適切に硬化できる。ハブのフランジはベル型になっているため、ベアリングをそこに埋め込むことができ、スポーク間のホイールの幅を狭めることなく、トレッドを狭く快適にすることができる。ハブが狭いと、ホイールが座屈しやすくなる。改良された取り外し可能なハンドルバーは、乗り心地を大幅に向上させ、収納スペースも小さくてすむ。スプーンブレーキが装備され、ハンドルはライダーに適したドロップに曲げることができる。ペダルは当社独自のボールで、強度と軽量性のためにテーパーピンが付いている。ステップは調整可能。このマシンはレーサーと同じラインで作られており、外観、安定性、そして走りやすさにおいて比類のないものである。
仕上げ:エナメル仕上げ。メッキパーツ。
価格:18.10.0ポンド。

2026年1月15日木曜日

自轉車瓦版 第71号

 自轉車瓦版 第71号

昭和60年8月26日発行

☆この程、真船高年氏から”ザ・ホイールマン”のコピーを送っていただいた。この資料については以前瓦版の№.26で紹介。同氏が東京の雄松堂という古本屋から入手したもの。内容は 「THE WHEELMAN」誌が3巻に合本されており、 VOL.1は1882年10月~1883年3月, VOL.2は1883年4月~1883年9月、VOL.3は 1883年10月~1884年3月までとなっている。 1883年(明治16)と言えば、既にオーディナリー型自転車の最盛期を迎え、あらゆる点で完成された時期である。このためホイールメン誌の内容もオーディナリーでのツーリングやレースなどの記事である。
ところでこの雑誌は、 発行元のアメリカではどのような厂史的位置づけがなされているのであろうか。 興味深いところである。

ザ・ホイールマン
サイクリングに関する文献とニュース
イラスト入り
第 2 巻
1883年4月~9月
THE WHEELMAN
AN ILLUSTRATED MAGAZINE OF 
CYCLING LITERATURE AND NEWS
VOL. II
April-September, 1883

ザ・ホイールマン
第二巻 1883年5月
ブラックヒルズを巡る夏の散歩

スプリングフィールド・バイシクル・クラブ
ジョージ・M・ヘンディー

2026年1月14日水曜日

図書目録

 図書目録

パリ在住の自転車歴史研究家、小林恵三氏の最初の書籍は下の図書目録であった。

ΚΕΙΖΟ ΚΟBAYASHI

POUR UNE BIBLIOGRAPHIE DU CYCLISME

Répertoire des livres en langue française édités entre 1818 et 1983

小林恵三 著

サイクリングの書籍

1818年から1983年の間に出版されたフランス語書籍の一覧

フランス自転車連盟 1984年発行


自転車関係図書目録

サイクリング文献目録
序文

フランス自転車ツーリング連盟 - 文化・倫理・遺産委員会 2015年発行
サイクリング文献 2014年
(フランス語で印刷された書籍)
小林恵三氏によるサイクリング参考文献の更新と追加は毎年恒例の第 30 回目であり、この小冊子はデジタル化されたデータベースでは第 26 回目となる。
表示は現行の目録規則に準拠しているが、若干簡略化されている。本調査の範囲とは厳密に関連しないタイトル(定期刊行物や発行部数が非常に少ないものなど)、あるいは記録が不完全なタイトルについては、補足参考文献として記載している。
該当する場合は、主参考文献に追加する。一部の例外を除き、再版は体系的に記載されないが、データベースに注記として追加されている。

2026年1月12日月曜日

IVCAより

 IVCAより

昨夜にフェイスブックに投稿されたIVCA(国際ヴェテランサイクル協会)の記事と写真によると、自転車歴史研究家の小林恵三さんが逝去されたとのことです。

謹んでお悔やみ申し上げます。

以下は投稿記事

IVCAは、友人である小林恵三氏が2025年12月14日に76歳で逝去されたことを、謹んでお知らせいたします。長年にわたりIVCAの会員であった小林氏は、自転車史研究家(特に1817年から1870年の自転車史)として、また自転車生誕150周年記念事業の再現に情熱を注いだことで知られていました。小林氏を偲び、次に自転車に乗る際には、ぜひ「万歳」と声を掛けてください。

ドミニク・ルフェーブル

IVCA会長

フェイスブックより

ドライスからミショーまでのヴェロシペードの歴史
1817-1870
小林恵三 著 1993年発行 フランス語版

2026年1月11日日曜日

元祖EV

 元祖EV

EV(Electric Vehicle)は、電気をエネルギー源としてモーターで走る自動車のことである。ガソリンエンジンを使わず、バッテリーに蓄えた電気でモーターを回して走行する。 走行中にCO₂や排気ガスを出さないために、環境負荷が少ないと云われているが、次のようなデメリットもある。バッテリーが高価なため車両自体の価格が高い。充電に時間がかかる。充電施設が少ないため走行距離に不安あり車種によっては長距離ドライブができない等。

先日たまたま「ホイールメン」誌を見ていたら、気になる記事と図が目に留まる。果たしてこれが世界最初のEVなのか定かではないが、初期のEVであることは確かである。

〇エアトンとペリーの電動三輪車(Ayrton and Perry's Electric Tricycle)

2月8日(1883年)にグラスゴーのセント・アンドリュース・ホールで行われたエアトン教授の講演で、電動移動に関する最も興味深い例は、エアトン教授とペリー教授の発明である電動三輪車であった。エアトン氏は、聴衆の歓声の中、ホールの中央をこの三輪車に乗って登場した。聴衆は、このテーマについて非常に興味を持ったようである。この三輪車がグラスゴーで展示されるのは今回が初めてと思われる。

しかし、ロンドンの街では少し前からお馴染みで、そのパワーの蓄えの限界まで実用性を証明してきた。改造された機械はグラスゴーのハウ・マシン社製のもので、三輪車が通常支えなければならないよりもはるかに大きな重量に耐えなければならない。車輪の強度、張力、剛性を考慮して選ばれたものと思われる。機械から踏み板、チェーン、歯車が取り外され、新しい動力装置を取り付けるために再配置されている。

これは三輪車のフレームに吊り下げられた二次電池である。教授たちはこれらの電池に様々な種類のセルを使用し、重量と比較した容量をテストした。図のMは約45ポンドの0.5馬力のモーター。座席の下に配置され、ピニオン(P)と大きな歯車で噛合したスピンドルを回転させる。この歯車は三輪車の44インチの駆動輪の車軸に固定されている。ピニオン付きのモーターのスピンドルは駆動輪の約20倍の速さで回転するため、三輪車が時速8マイルで走行しているとき、毎分約4000回転する。

Cは整流子で、電動モーターと回路内の蓄電池の数を調整することで速度を変えることができる。また、整流子は電力を徐々に増減させることもできるため、突然の電力流入によって機械が振動することはない。

Aは電流を測定する電流計と、モーターの起電力を示す電圧計。これら2つの装置によって、ライダーは任意の瞬間に費やされた力の量を計算することができ、バッテリーを充電する前に、走行する路面に応じて速度を調整する。

LLは道路を照らし、必要に応じて電圧計と電流計を点灯させるための2つの白熱電球である。これらの電球で使用される電流は、バッテリー内の2つの蓄電池から供給され、モーターでも使用できる。平坦な道路で時速6マイルの平均速度で使用する蓄電池は約150ポンドの重さで、1時間あたり約2馬力、または2時間で1馬力に相当する電気エネルギーを蓄える。

会長のラッセル氏は、未来の旅人と宿屋の滑稽な絵を描いた。彼は三輪車を馬に、バッテリーをその動物の胃に例えた。旅人は馬にオート麦を与える代わりに、機械に電気を与えるだろうと云った。オート麦は無駄になるか、馬は与えられた飼料に全力を出さないかもしれないが、電動三輪車は、必要なパワーや速度に実際に必要な以上の電力を消費しない。

エアトン教授とペリー教授は、展示された三輪車にいくつかの改良を加え、モーターとバッテリーのサイズと重量を軽減したとしている。おそらくペダルを機械に取り付け直し、足の力を電気エネルギーと組み合わせて使用​​できるようにすることで、乗り手を疲労させることなく運動させ、電動力を節約するだろう。


147頁
「ホイールメン」誌
第 2 巻 1883年5月発行

148頁

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このエアトンとペリーの電動三輪車よりも2年早い1881年にフランスのトゥルーヴェはシーメンス社が開発した小型電動モーターの効率を向上させ、充電式バッテリーを用いて、イギリスのジェームズ・スターリー社製三輪車に搭載し、世界初の電気自動車を発明したと云われている。この電気自動車は1881年4月19日、パリ中心部のヴァロワ通りで試験運転に成功したが、特許を取得することはなかった。 

トゥルーヴェの電動三輪車
Trouvé made the first electric vehicle.

2026年1月10日土曜日

自轉車 第13号 - 3

 自轉車 第13号 - 3

雑誌「自轉車」 第13号 快進社 明治34年8月5日発行

以下は拾い読み、

世界周遊の輪容を訪ふ

半山生

七月五日の午後一時であつた。江南鎗太郎氏は拙寓を訪はれて、是から世界周遊の輪客を訪問しやうではないか、梅津元晴氏も同伴の筈にて、既に山崎商店へ向はれて君を待つて居るとの事である。ソハ固より願ふ所、是非に御供申さんと、直ちに車を命して江南氏と共に京橋區八官町の山崎粲氏方へ駆け付くれば、梅津氏既に在りて余等を待ちつつあつた。山崎氏に様子を聞けば、今しがた二六新報記者岡田氏と昼飯を取るに行きたれば、追っ付け此處へ見へるであらう。先つ暫く待たれよとの事で、夫れから山崎氏よりいろいろな話を聞きつつ、凡そ小一時間も待つて居ると、年は二十七歳だと云へど、三十四、五歳にも見ゆる中肉中脊の、身に粗服を纏いて、而して幾歳月間他郷の日光に照され、幾多の辛酸を甞め來ったと云ふを、其ふけたる顔に證據立てたる一洋人の腕車を下りてツイト入り来るを一見して直ちに氏は余等の訪はんとする獨逸人マックス、シューフラー氏なるとを了解するとを得たので、席を離れて敬意を表すると、山崎氏の紹介に依りて余等の來意を知り、其褐色の顔に深き愛嬌を湛へて、恰も故舊にでも接するかの如き親しき体度を以て、余等と握手の禮を取られた。獨逸語を能くせらるる江南氏の通辯に依て、東京へ来て如何なる事を第一に感じられたかの問いに答えて、未だ横濱より東京へ来たばかりで、一向何等の考も起らねど、日本人の親切心に富むには實に感服の外なしと、一番愛嬌を振りまき、自分は伯林大學に於て英語を五年間程習ひしも、長く使用せざるを以て今は能くするを得ず。偶々獨逸語を以て對話するを得るときは一種の愉快を感ずると、強ち江南氏に・・・


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