佐藤半山関連
下の資料は明治期の月刊雑誌「自轉車」の編集長であった佐藤喜四郎の略歴である。
佐藤喜四郎の長男・佐藤成夫氏が記録したメモ書き。
亡父略歴
明治元年10月20日、福島県伊達郡半田村大字北半田字熊野1番地に生まれる。
父、佐藤彦三郎、母、よし、三男なり、(母よし、そろばん堪能教授す)
明治42年4月16日、半山と改名す。前名を喜四郎と称す。
分家に因りて明治32年5月17日戸主になる。籍を神田区小川町一番地に置く。長兄安太郎(安政6年生る)、次兄金六(東京にてコレラで死亡)、姉ふじ(安政3年)、家業は菓子製造卸小売、眞粉屋(屋号)、小学教員を終えて、桑折町教育養成所(?)に入り後、半田村の小学校教員たり、(15、6頃かー2年)15才~18才まで、18才の時に教員を罷やめて上京。然るに半田銀山の一技師に小学校の如き前途のびぬと勧められ上京18才。俸給5、6円程度か(最初は3,4円か)、中央大学近くの東京法学院卒業卒業後帰郷(半田村)したるが再び出京す。24才か25才の帰郷中、桑折税務署(当時保原から移転しているも少し)使用方を署長から直接25円給与するとかで就職方を勧められる。・・・
明治元年10月20日、福島県伊達郡半田村大字北半田字熊野1番地に生まれる。
父、佐藤彦三郎、母、よし、三男なり、(母よし、そろばん堪能教授す)
明治42年4月16日、半山と改名す。前名を喜四郎と称す。
分家に因りて明治32年5月17日戸主になる。籍を神田区小川町一番地に置く。長兄安太郎(安政6年生る)、次兄金六(東京にてコレラで死亡)、姉ふじ(安政3年)、家業は菓子製造卸小売、眞粉屋(屋号)、小学教員を終えて、桑折町教育養成所(?)に入り後、半田村の小学校教員たり、(15、6頃かー2年)15才~18才まで、18才の時に教員を罷やめて上京。然るに半田銀山の一技師に小学校の如き前途のびぬと勧められ上京18才。俸給5、6円程度か(最初は3,4円か)、中央大学近くの東京法学院卒業卒業後帰郷(半田村)したるが再び出京す。24才か25才の帰郷中、桑折税務署(当時保原から移転しているも少し)使用方を署長から直接25円給与するとかで就職方を勧められる。・・・
(一部読み取れない箇所あり)
1枚目
日本自転車史研究会コピー所蔵
資料提供:真船高年氏
以下同じ
2枚目
3枚目
註、佐藤喜四郎は、明治時代に創刊された日本最古の自転車雑誌『自轉車』の編集長として知られている。
『自轉車』は明治33年(1900年)8月に創刊され、当時としては画期的な第三種郵便物認可を受け、毎月1日に発行された。
内容は、 自転車競争に関する話題が豊富で、競技や技術、軍事利用など多角的な視点から自転車を取り上げ、目次には「自転車」「寄書」「雑録」「倶楽部彙報」「詞苑」などが並び、読者との交流も意識した内容であった。