2026年1月31日土曜日

自轉車瓦版 第76号

 自轉車瓦版 第76号

昭和60年9月28日発行

★齊藤氏及び真船氏にお詫び

瓦版74号において、齊藤氏から"真船氏にお答えとお願い”という記事がありましたが、これについて編集者の手違いがありましたので、ご説明するとともに両氏に対し、この誌面を借りてお詫びしたいと思います。互版48号において、 真船氏からの投稿のかたちで「あるいは寅次郎がこの糸車の名称を借りて・・・・」と記されていますが、実はこの文について真船氏から電話があり「借りてと言う言葉は断定的すぎるので別な表現がよかった。私はたんに一つの参考にと思って言ったにすぎない。」という連絡が48号を入手されたすぐ後にありました。また、 瓦版60号で「糸車も含めて“自転車”という名称が一般的な使われ方であったようだ」 とありますが、これについても後に真船氏から電話があり「一般的であったと結論付けることは今の段階ではできない。今後これについては十分調べる必要がある。断定的な表現は誤解を受けるので注意してほしい。」という連絡 がありました。この時にすぐ訂正等の記事を瓦版に載せればよかったのですが、私の不手際から途過してしまいました。今後このようなことのないよう情報等の提供者とは十分調整し、その上で記事にしたいと思います。しかし、言訳ではありませんが、今回このことで大きな収穫がありました。それは、たんなるメモ書きのようなこの瓦版に対して、会員の皆様方が真剣な気持ちで読んで下さっているということが分かったからです。それと同時に編集者の責任感というものを強く感じた次第です。ありがとうございました。

☆以下はホイールマン誌より

「農場」はG・F・ブルクハート氏の所有となり、一部は彼によって「マーティン・ルーサー孤児院」の使用に供された。この施設は、現在のベイカー通りの建物と土地を使用している。小川は今もそこにあり、春になると水が溢れる牧草地と、そこから優美な木々が群生する丘がそびえている。しかし、近所の人にブルック農場はどこにあるか尋ねると、「どこ?この近くに3つあるよ」と答える。少し説明すれば、「ああ、社会主義者たちがいた場所のことか!」と笑顔で答えてくれるだろう。・・・


10頁
「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行