2020年7月31日金曜日

自転車部隊の装備

先般、資料を整理していたら自転車部隊が掲載された雑誌が出てきた。
雑誌名は、「GUNマガジン」1965年12月号である。
未発表グラフでタイトルは、「旧日本軍自転車部隊の兵器」とある。
戦時中の画報などの写真は何点か見ているが、そのほとんどはマレー作戦や仏印南部に進駐する自転車部隊の写真であり、その詳細はよく分からない。
この「GUNマガジン」の記事から、どのような装備であったかを垣間見ることができる。

内容の一部、
マレー半島の進撃では、自転車に96式軽機関銃と弾薬が括り付けられていた。ビルマ戦線では99式小銃。自転車側車式運搬車やリヤカーには92式重機関銃。後輪式には自動砲。自転車部隊にも重機分隊も編成された、など。

自転車部隊関連の本としては、
『自転車指針』陸軍歩兵大尉 梅津 元晴著、明治35年11月1日発行、厚生堂。
『自転車隊の四季』(北支派遣第五九師団自転車隊)高橋 長敏著、平成元年4月5日発行、㈱栄光出版。
などがある。
軍と自転車との関係は日本でも古く、明治25年まで遡る。

海外の書籍としては次のようなものがある。
①『The bicycle that curious invention.Sybil and Stephen Leek.1973.P.105 → The bicycle in time of war.  
②『Bicycling a history 』Frederick Alderson.1972.P.127 → On civil and military occasions.
③『The bicycle in life war and literature』Seamus Mcgonagle.1968.P.86 → Give me your answer,do'  
④『Bicycles in war』Martin Caidin and Jay Barbree.1974.
⑤『A social history of the bicycle』Robert A Smith.1972.P.227 → The military role of the bicycle.
➅『The world on wheels』Ruth Calif.1983.P.162 → War wheels.
⑦『Riding high the story of the bicycle』Arthur Judson Palmer.1956.P.146
⑧『Bikes and riders』James Wagenvoord.1972.P.93 → The military-industrial bike rider complex.
など。

その他にも多数あるはずである。


2020年7月28日火曜日

メヤム自転車

この琺瑯看板は日帝工業(株)のメヤム自転車である。
おそらく1960年(昭和35)ごろのものと思われる。


日帝工業(株)は、名古屋にあった自転車メーカーである。
1915年(大正4)に創業?
1959年(昭和34)伊勢湾台風で会社は甚大な被害。
1963年(昭和38)に廃業。
銘柄では、メヤム号、ニッテー号、デラックスニッテー号、ニューニッテー号、メヤム菊花号、メヤムニッテー号、メヤム連盟号など。
昭和28年頃の住所は、愛知県名古屋市中川区清船町2-1

メヤム号の実物を初めて見たのは1998年(平成10)である。平塚の自転車店に展示してあったもの。
店主に聞くと、1962年( 昭和37)製のメヤム号(当時のカタログもあり)とのこと、機種は軽快車で、カラーを含めモダンな作りになっていた。 細かいパーツにも日帝のマークがすべて入っていて日帝工業(株)の隆盛期の自転車であったことを感じた。
先般、このブログでも紹介したが、ある自転車店の天井にもメヤム号のフレームが下げられていた。確か2本あったと記憶する。

天井から吊り下げられていたメヤム号


2020年7月27日月曜日

NHK 私の秘密

NHK 私の秘密は、1955年~1967年まで放送された人気番組。
この番組にダルマ自転車も登場していた。

私の秘密は、大津市に住む脇坂与之助さん。
蔵の中で眠っていたダルマ自転車。
脇坂さんのご先祖が愛用した自転車とのこと。

司会、高橋圭三アナウンサー
回答者、渡辺紳一郎、藤原あき、藤浦 洸
週刊テレビ時代 TV-GUIDE より
昭和35年7月3日発行 旺文社 定価40円

注、このダルマ自転車は、おそらく明治25年頃に近江の国友で製作された自転車と思われる。

このダルマ自転車も国友製と思われる
自転車文化センター明治自転車文化展より
1984年(昭和59)3月9日発行

ゼブラ自転車略年史

ゼブラ自転車製作所の略年史

1892年(明治25)、高橋長吉が浅草聖天町で人力車製造を開始したのがはじまり。
1895年(明治28)、浅草聖天町で達磨自転車を製作。貸自転車も営業。
1897年(明治30)、このころから自転車用修理部品の生産を始める。
1902年(明治35)、イギリスのセンター号を見本に自社ブランドのゼブラ号を発売。
1906年(明治39)、ギヤクランクの製造をはじめる。
1909年(明治42)、ニッケル荷掛(ルーカス型)を発売、その他、ニッケルワッシャ、ペダル、ハンドル、ポストの製作もはじめる。
1913年(大正2)、自転車名をゼブラと銘名し発売、附属品はすべて外国製品を使用。
1916年(大正5)、プライム号を発売、レースにも出場し、ゼブラの知名度を上げる。
1917年(大正6)5月、南千住に工場を移転。このころからペダル、ハブも製作。
1921年(大正10)、ホクセン号を発売。
1922年(大正11)、工場が類焼による火災で焼失。三河島に移転。会社組織を合名会社とし、高橋長吉、鳥海角太郎、鳥海勝太郎、北川角蔵の共同出資とする。
1923年(大正12)、関東大震災の被害は幸いにも殆どなかった。 
1925年(大正14)、チェーン、フリー、サドルは外国製を使用し、完成車で価格は125円で販売。
1931年(昭和6)、一般普及車としてヒボン号を発売。3月、販売部を独立させ下谷区入谷町に店舗を新設、社長に北川角蔵が就任。
1933年(昭和8)4月29日、組織を株式会社とし、8月に販売部を統合。
1942年(昭和17)、戦時中は軍需関連工場になる。
1954年(昭和29)、三河島工場でゼブラ号、ネロア号、プライム号、ホクセン号、ヒボン号を販売。
1969年(昭和44)、光風自転車と合併しゼブラケンコー自転車株式会社に商号を変更。
1976年(昭和51)、岡本理研ゴム(株)がゼブラケンコー自転車(株)を吸収合併。
1985年(昭和60)、オカモト株式会社に商号を変更。(この年以前に自転車生産から撤退か?)

歴代のゼブラ自転車の銘柄
ニューゼブラ号、ネロア号、NRA号、スペシャルゼブラ号、ゼブラエース号、ゼブラ号、ゼブラハイカー号、ゼブラライト号、ヒボン号、プライム号、ホクセン号、ローヤルゼブラ号、金富号、銀富号、ケーエム号、高級光富号、ニューエフエス号、ニューローマン号、ネロアプライム号、セミライト号など。

セミライト号 1959年
写真提供:428さん

自転車はスマホ並み

ナショナルジオグラフィックに自転車記事が掲載

自転車はスマホ並みに世界を変えた発明だった
1890年代の「破壊的」な熱狂を振り返る、コロナ禍でも需要急増

200年の歴史ある自転車はスマホ以上の発明品だと思います。












2020年7月26日日曜日

英国の自転車展

「英国に於ける自転車展覧会の出品状況に就いて」
-EXPORT TRADER.DEC.1948による-
50頁という小冊子が手元にある。
以前、東京の古書店で3000円で購入。
この資料は大日本機械工業株式会社輸出部が1950年1月に発行したものである。
内部資料であろうか。
1948年12月に英国で行われたの博覧会の調査報告書である。
内容は、アルファベット順に自転車メーカーと自転車部品メーカー別に載せている。
それぞれ出品された各メーカーの自転車について詳しく調査されている。
自転車メーカー名(約30社)をざっと挙げると、アームストロング、バテス、ブラウン・ブラザー、カールトン・サイクル、デイトン、グランビー、ヘッチン、W.F.ホルドスワース、ノーマン・サイクル、ラレー、ラッヂ、ハンバー、フリップス、ヘラクレス、パシュレーなど。
部品付属品メーカー(約70社)ではブルックス、スターメイ・アチャー、ダンロップ、バーミンガム・マッドガード、ブロンプトン・フィッティング、ブリティッシュ・ハブなどである。

戦時中に途絶えた自転車の技術を如何に早く、吸収挽回するかという使命感と熱意が感じられる報告書である。
その後も、外国製自転車研究報告1950年や外国製自転車・機械研究報告1953年など膨大な報告書が続くことでもわかる。

表紙

ラレー社の部分

2020年7月25日土曜日

捜査資料自転車

この小冊子は以前、古本屋で入手した。確か5000円であった。
このような資料は時々古書として店頭に出てくる。最近ではヤフオク(約7000円)でも出品されている。

捜査資料 自転車 30号 京都市警察本部科学捜査研究所 昭和30年6月20日発行

表紙の国産三輪車のデザインが歴史を感じさせ、なかなかいい。
このタイプの三輪車は明治3年ごろの錦絵に度々登場する。イギリスのランチューン三輪車(Rantoone)を模した構造で、ほとんど木製である。そして最初に自転車という名称がつけられたの乗り物でもあった。

捜査資料の内容は自転車の歴史からはじまり、各部の名称、種類、製造販売機構、自転車工業の概要、関係団体及び同業者、自転車の鑑別に及ぶ。

特に自転車製造業者一覧は大変参考になり、今でも活用している。
現在は殆ど廃業をしているか他の業種に転換したり、吸収合併による統合や海外にその拠点を移している。会社の名前も当然変更されている。
最近も大日本自転車株式会社を少し調べたが、その変遷は複雑であり、よく分からない部分が多い。
このような資料が出てくることにより、自転車歴史研究の一助にもなっている。

表紙

自転車製造業者一覧

こちらの資料は自転車のタイヤ編

長崎の老舗

この絵ハガキは、長崎の茶碗蒸しの専門店、吉宗である。
創業は慶応二年(1866年)、長崎市万屋町(現在は浜町)で、吉田宗吉信武が、自分の名前の2字をとり「吉宗」という商号で開業。茶碗むしや蒸寿し専門の店である。
茶碗蒸しの歴史は、寛政年間に京都・大阪ではじまったと伝えられている。
その後、江戸や長崎にも広まっていったとされる。
四国伊予藩士だった吉田宗吉信武は、長崎の肥後藩邸に出入りする内に、この茶碗むしに出合いそのおいしさに魅了され、店を出すことを決意、新しい時代の流れを先取りして武士から商人に鞍替えしたと思われる。

浜町の吉宗本店は昭和二年(1927年)に建設される。
おそらくこの絵葉書もそのころに発行されたと思われる。
店の前にずらりと並んだ自転車が、この店の隆盛ぶりを物語っている。

吉宗本店
1927年(昭和2)に建設

吉宗の公式サイトは → こちら


2020年7月24日金曜日

自転車道中記

「東京坂出間自転車往復弥次喜多道中記」昭和12年12月25日発行 塩業の友社

この本は、表題を十返 舎一 九の東海道中膝栗毛を模していますが、内容は若者らしいまじめな紀行文です。
十返 舎一 九のような珍事や失敗談はありません。

小田原の部分を読みましたが、当然ながら五右衛門風呂の騒動はありません。
小田原の宿では箱根越えで疲れた二人はぐっすり眠り、翌朝はゆっくり起床しています。午前10時に宿を出て、小田原城址、尊徳二宮神社、大久保神社などを参詣しています。

昭和12年といえば、盧溝橋事件を端緒に日中戦争が勃発した年です。軍国主義の風潮があらゆる面で加速していた時代です。
言論統制で共産主義や自由主義への弾圧がはじまっています。

この二人の若者は、つかの間の平和をこの自転車旅行で満喫したに相違ありません。

表紙

弥次さんと喜多さん

道中往復略図
昭和12年10月17日~同年11月9日



2020年7月23日木曜日

鎌先温泉

鎌先温泉の一條旅舘は、400年以上の歴史がある老舗旅館である。
この旅館の創業は言い伝えによると「湯主一條の始まりは1560年ごろになる。今川義元が桶狭間の戦で織田信長に敗れた際、義元の配下にあった一條長吉がここで湯治をしたところ、日ならずして傷が癒えたので、長吉は弓矢を捨てて宿を開いた」とのこと。

下の絵葉書は、明治後期かと思われる。
まだ自転車が地方では珍しい時代であった。

宮城県白石市 一條旅舘


菅野力夫、世界探検旅行

大正3年、探検家の菅野力夫が自転車で第2回目の世界探検旅行(1914 - 1915)へ。

行程:
大正3年8月1日、宮田製作所の自転車で日比谷公園を出発。
東海道を西へ。敦賀港からウラジオストク行に乗船。
ウラジオストクの日本人小学校で世界探検旅行等を講演。
その後、ブラゴウエシチェンス市~黒龍江省黒河道~ネルチンスク州~
チタ市~ザバイカル州スツレチエンスク市郊外~
ウエルフネウジンスク市~イルクウスクー市~ハルピン~長春~
撫順~遼陽~大連~青島~天津~北京~南京~上海。
上海ではインフルエンザと腸チフスを罹患。
1915年7月帰国する。その後、別府温泉で療養。

菅野の世界探検旅行は第8回(1938 - 1939)まで続く。

群衆の前で出発にあたり演説
1914年8月1日

出典:
謎の探検家菅野力夫 若林 純著 青弓社

2020年7月22日水曜日

自転車世界一周

日本力行会の会員である大久保素公(25才)は、1914年(大正3)2月20日に自転車世界一周の旅に出発しました。
 当日は午前9時から皇居前広場で二重橋を拝しながら、日本力行会のメンバーやその他の関係者、それに野次馬を含めた大勢の人々が集まり、壮行会が行われました。大久保青年は集まった聴衆を前に、自転車世界一周の抱負と決意表明をいたしました。その後、主催者を代表して会長から旅の無事と成功を祈念する挨拶がありました。報道陣のインタビューもあり、最後に集まった人々全員が万歳三唱をしました。壮行会の終了後、自転車に乗った彼は勇ましく皇居前を出発しました。背中には、日本語と英語で「自転車世界漫遊」と書かれた旗がひらめいていました。
 
1914年(大正3)2月21日付け東京毎日新聞


2020年7月21日火曜日

国産クラッシック自転車ー2

先日、お伺いした自転車店を再度訪問しました。
2,3気になる点がありましたので。
今日は定休日ですが、たまたま店は開いていました。
ちょうど気になっていた日米富士の自転車をよく見えるように店の前に出してくれました。お陰様でじっくり眺めることができました。
先の写真と重複しますが再度載せたいと思います。
前回はコンパクトカメラであったため不鮮明の上に、ほとんどがピンボケ写真でした。

日米富士自転車株式会社の実用車

やはりチェーンケースが変えられていた
龍華は早川商店(平塚市)のもの



サドルも変更
栄興社のサドル

タイヤはやむを得ない
タイヤも栄興社(名古屋)

リフレクター


風切り 

ベルとセル握りも変更

山口自転車のスマートレディ

マルエーの標準車

渥美商店のマルエーは、特選車、
経済車、標準車がありました


エイニチ号(栄日号)栄興社


暁号
日本スヰフト株式会社「機関銃印自轉車」

ヒドリ号
ヒドリ自転車製作所、葛飾区

小物類

宮田と日米商店

宮田

テールランプ

光風
テールランプの金属枠

風切り

岡本の能率号とラーヂ号
のヘッドマーク

セル握り

宮田自転車

ニードル・アサヒ
宮田自転車

参考サイト:Miyata- Needle Asah

龍華のフレーム

日帝のメヤム号のフレーム

メヤム号のチェーンケース

メヤムとハッピー号
ハッピー号は乙田製作所(堺)