2020年7月3日金曜日

大正3年の日記より

先日、知人の山崎さんのFacebookに伯父さんの夏休日記が掲載された。
その日記は大正3年7月に書かれたもので、当時の文章としては読みやすい。
この日記は、師範学校に在籍していた山崎喜久丸さんが夏休みの課題の一つとして書いたもの。年齢は19歳、なかなかの達筆である。
この日記の中に自転車の記述がないか調べてもらったところ、すぐに返事が来て、その部分のコピーをFacebookにUPしてくれた。
この時代、自転車はまだ高価で、どこの家でも所有するほどに至っていない。
当時の統計を見るとおよそ全国で50万台ほどである。ようやく輸入車から宮田自転車などの国産化が軌道にのりはじめた時期である。
第一次世界大戦が始まり、輸入が激減したことも影響している。
自転車は、まだ一般家庭にそれほど普及していない時代であった。それに当時は自転車税も納めなければならない。納税すると、それを証明する木製鑑札がハンドル部等についていたはずである。
日記の内容は叔父の病気の急変を知らせるために山北から神縄の家に自転車で向かった様子が書かれいる。途中の酒匂川河畔の景色の描写も詩的に書かれていて、素晴らしい。
なお安戸隧道も大正2年に完成しているから、おそらく喜久丸さんは、この新しいトンネルを通行したに違いない。完成間もない近代的なトンネルであった。
当時、まだ山北には自転車店はなく、現在ある井山自転車店も昭和初期からの開業である。おそらく松田町の鍵和田自転車店が営業していたかと思われる。鍵和田自転車は大正5年発行の日本輪界名鑑に出ている。
自転車の価格は、1919年(大正8)で1台、45~60円であった。現在の価格だと概算で30万円ぐらいである。
まだ、自転車は高嶺の花の時代であった。


7月17日付けに自転車の記述あり

安戸隧道 大正2年完成

井山自転車店 昭和初期に開業