2020年7月17日金曜日

フランク・レンツ、日本の文化を体感

1892年(明治25)11月18日、アメリカ人のフランク・レンツは自転車世界一周旅行で日本を訪れている。
横浜に着いたレンツは、日本の名所旧跡を観光。横浜の近郊では、鎌倉の大仏、長谷観音、江の島の岩屋などを見学している。
日本の文化にも触れ、畳の生活や驚愕的であった混浴なども体験する。
「おはよう」とか「さよなら」など簡単な日本語も覚える。
その後、彼は横浜を経ち東海道を西に向かって旅を続ける。箱根では、自身は歩き、自転車は駕籠舁きを雇い担がせて箱根路を越えている。

彼の自転車はビークター号でアメリカのオバーマン・ホイール株式会社製、独特なスプリング・フォーク(ロッキングビーム)を取り付けた自転車であつた。
ビクター号は、明治26年頃、福沢桃介や和田義睦も愛用していた自転車である。
梶野自転車店も当時の新聞広告を載せている。(明治26年2月26日、毎日新聞)


レンツは、その後も順調に旅を続け、富士山など美しい日本の風景を堪能しながら長崎に向かっている。
その後の足取りは、長崎→上海→ビルマ→印度と順調であったが、1894年5月にトルコのエルズルム県を旅行中、強盗に襲われ殺害されてしまう。
享年27歳の若さであった。

出典:The Lost Cyclist: The Untold Story of Frank Lenz's Ill-fated Around-the-world Journey  David V. Herlihy、114頁

明治25年11月19日付け、東京朝日新聞、自転車世界漫遊者の渡来