2026年4月25日土曜日

自転車世界一周 - 8

 自転車世界一周 - 8    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その8。

それから私たちは陽気な群衆の中を、大阪までの道のりの半分ほどを、タンデム自転車に乗ったベルギー人とスイス人に先導されて向かった。大阪は日本の大商業中心地で、誰もが金儲けに熱心の街である。貿易においてはシカゴ、立地においてはベニスといったところだろうか。運河と橋が中心の街である。清潔な半ヨーロッパ風の宿で昼食をいただき、コーヒーと葉巻を楽しんだ後、自転車に乗って観光に出かけた。その日の午後、私たちは混雑した通りを13マイル(約21キロ)走り抜けた。

私たちは大阪城へ案内された。それはバールベック産のような石で造られた巨大な石垣で、中には長さ46フィート、高さ12フィートもある石もあった。小さな兵隊が私たちの後を小走りでついて行き、大砲が持ち去られていないか確認していた。それから私たちは自転車で市場を巡り、金持ちになったような想像した。上質な陶器や凝った彫刻、柔らかな絹織物、精巧な型押しが施された革製品を見た。そして、劇場通りを通り抜けた。そこはまさに色鮮やかな旗がはためく賑やかな光景であった。1マイルにわたって劇場が立ち並び、それぞれの劇場の前には、お気に入りの女優の20種類の最もエキサイティングな場面を描いた大きな手描きのポスターが飾られていた。

通りは午後の散歩客で賑わっており、私たち12人はベルを鳴らしながら、その中を通り抜けた。私たちは、堂々とした構造物である大きな塔に行き、登るように勧められた。しかし、その眺めを当然のことと思い、下に居た。

塔の中央には、巨大な梁の振り子が揺れていた。日本は地震の国であり、平均して1日に2回発生する。大きな地震であれば、あの高さの塔は倒壊するだろう。しかし、地震が起こると、その振り子が揺れ始める。それは建物にも容易な揺れを与えるため、地震は回避される。

ガタガタと音を立てながら、私たちはさらに何マイルも賑やかな通りを走り抜けてた。

大阪で唯一のイギリス人女性にアフタヌーンティーを頼むために30分ほど自転車を止め休憩し、また走り出した。5日間でヨーロッパを「回った」アメリカ人は、私たちが3時間で大阪を回ったのに比べれば、遅いと思う。

同行してくれた神戸の友人たちと、大阪で知り合ったばかりの人々は、もてなしてくれ、夕食は盛大であった。その後、皆で人力車に乗り込み、水面に月光が揺らめく運河沿いを走った。何千もの灯籠がゆらゆらと揺れる薄暗い路地を進んだ。その光景は素晴らしく芸術的で、まるで妖精の世界のようであった。陽気な人々の歌声、三味線の響き、そして人形の家のような格子窓から漏れる少女たちの笑い声が、辺りを満たしていた。そして、まばゆいばかりの茶屋の入り口にたどり着いた。

豪華な日本の宴が催された。私たちは絹の敷物に座り、炭火の火鉢で手を温めた。小さな娘たちが、食事を携えて、静かに歩いてきた。くすくす笑う芸妓たちが、鮮やかで上品な衣装をまとって現れた。サテンの着物は胸元で美しく交差し、後ろには大きな金糸の帯が巻かれていた。これらは日本の女性の服装の特徴である。芸妓たちは柔らかい絹の帯をいじりながら、手鏡に映るえくぼのある小さな顔を眺めていた。彼女たちは頬に麝香の粉をはたき、美しい歯を見せて微笑んだ。
彼女は芸者だが、清潔さ、優雅さ、礼儀正しさの真髄であり、魅力的だった。たくさんの歌を歌い踊った。その踊りは、ベルグラビアのおしゃれな若い女性が私たちを楽しませてくれるような、ハイキックやスカートをくるくる回すようなものではなかった。それは長い一連のポーズだった。顔は静止し、目は穏やかだった。手首の動きや頭の傾きの一つ一つが研究されている。着物は足元に美しい曲線を描いて流れ、それは夢のようであった。


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挿絵 午後に芸者と