リチャード・カービー
下の記事は明治期に活躍した英国人リチャード・カービーについての資料、
彼は日本の自転車文化に貢献した一人と云える。
自転車の旅 東京、1892年(明治25年)4月18日
「ジャパン・メール」編集長殿
拝啓、土曜日の号に掲載された大阪特派員の記事について、東京から出発した最近の自転車旅行に関する記述を訂正させてください。旅行を完遂したのは2名ではなく3名で、3人目はR・J・カービー氏です。さらに、他の参加者は記事で示唆されているように体力的な理由で断念したのではなく、重要な事情により旅行完了前に東京に戻らざるを得ませんでした。これは、元気な自転車乗りたちにとって当然のことです。
敬具
「The Japan Weekly Mail」 1892年(明治25年)4月23日
自転車旅行、次ページ、A Journey on Wheels.
自転車旅行、次ページ、A Journey on Wheels.
拝啓、近頃試みられた東京発の自転車旅行に関し土曜日発行号にて貴社の大阪特派員の報告書を訂正させて下さい。二人ではなく三人の紳士が自転車旅行を完走していて三人目がMr.Kirbyです。更に他の一行は余力は充分でしたが重要な事情により東京へ戻ることを余儀なくされました。彼ら頑健な自転車乗りの名誉のために間違いのないように訂正させて下さい。
東京日々新聞 1892年(明治25年)6月8日
英人キルベ、東京~広島間を自転車で往復
内外用達会社雇い英国人リチャード・キルベ氏はこのほど一輌の自転車にて広島まで往復五百里の旅行をなせり、氏は英国にても自転車に名ある人なりという
内外用達会社雇い英国人リチャード・キルベ氏はこのほど一輌の自転車にて広島まで往復五百里の旅行をなせり、氏は英国にても自転車に名ある人なりという
横浜貿易新聞 1893年(明治26年)4月6日
自転車速力を汽車と争ふ 大倉組の雇英人カービー
此程のことなりとか、大倉組の雇英人カービー氏は大坂地方より帰京する令嬢を迎へんものにと自轉車にて新橋停車場に至りしに尚を2時間の後ちならでは汽車の着せざる筈なれば此儘ムザムザ待ち居るも興なしと考ふる折しも横浜行きの汽車、間もなく進行せんとすると見て取りしカービー氏は去らば吾が得意の自轉車に駕して汽車と競爭一番せんと思い立ち用意をなす中、汽笛一声發車を報じければ氏も同時に東海道を真一文字に乗り出せしが乗手は其道に名を得たる達人なり、車は英國新製の尤物なり道行く人驚き呆るる嘆声を後ろに聴き流し道程 の八里を乗り抜けて横浜停車場の掛り員に問い合すればまだ汽車の到着には四五分間あるべしとのことに吾れながら迅速に驚きしが、程経て上りし列車を俟ち受け令嬢を伴び共に東京に戻りしとぞ
東京日々新聞 1893年(明治26年)4月16日
カービーの自転車旅行
自転車に熟練なるカービー氏は、横浜と東京築地の間を自転車にて往復することしばしばなるが、その片道に費す所の時間は、クッション・タイヤ製自転車なれば1時間23分にて達し、ニューマチック・タイヤ製自転車なれば1時間21分を費せども、1時間15分にて達するはさほど難しき事にてはなき由。元来横浜、新橋間は往来すこぶる雑踏の街道なれば、同氏もあまり疾走するを好まれず、しかれども新橋までは60分にて充分なり云えり。その他同氏の自転車にて旅行せしは、名古屋、浜松間を途中の渡し津二個所及び鎖を取り替えたる時間をも合わせて、3時間30分にて達し、また下野の小山駅より東京築地まで3時間15分にて、大磯より藤沢までを35分にて、名古屋より静岡までを1時間は夜に入り14時間にて達し、また東海道を友人と同行にて、十里半余を1時間15分にて走りしことあり、また岡山より神戸居留地までを11時30分にて着せりことあり、同氏の最も困難を極めしは、京都より伊勢山田なる旅館油屋まで雪を冒して15時間にて達せし時なりしと。しかれどもこれらは皆遊歩の目的に出でたるなれば、決して最速力にはあらざるよし。
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、459頁。
『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、459頁。
1898 年(明治31年)、
彼は、並外れた礼儀正しさの持ち主だった。そして、日本の自転車界の重鎮、カービー氏。彼はミカドの国で初めてダルマ自転車を走らせ、最初のセーフティ、最初のクッションタイヤ、最初の空気入りタイヤ装着の自転車に乗った人物だ。彼らと共に、他にも紳士たちがいた。間もなく、私たちは東京の途方もなく広い通りに出た。東京は、直径8マイル(約13キロ)、人口200万人近い大都市だ。私たちはここで数日間滞在し、そして横浜に戻り、再び東京へ行き、この二つの都市を3週間近く往復した。
自転車と汽車の競争
引き札 明治後期
金属品各種製造
大阪西区新町橋 中村久次郎
提供:斧 隆夫氏
