2020年12月20日日曜日

第1回ポリージャポン

  ポリージャポンとは、主にランドナー型クラシック自転車の愛好者の年に一度の集いであると思っていた。いずれにしても息が長く、初回から既に30年近くになる。今年はコロナ禍で中止になったと聞いている。
 ポリージャポンのコンセプトは不勉強でよく分からないが、下の資料を見てもらえばだいたいその趣旨は読み取れるが、私がいままで参加した何回かのイベントを振り返ってみると、あくまでも私的感想になるが、エルスや東叡社のランドナーを中心とした集いのように思われた。毎年のテーマは事前に決まっていて、そのテーマに沿って製作された自転車の優劣を競うもので、そのテーマ部門と、レストア車の部門とがある。審査は参加者全員の投票によって選び決定される。その他、ビンゴゲームやスワップミートなども行われる。
 自転車が発明されて200年以上になるが、この会がもう少しすそ野を広げればよいのではと思うのだが、主催者に言わせればおそらく「この会のそれがこだわりであり、オタクたる所以である」と反論されそうである。
 この会のコンセプトは、そのようであるにしても、参加者の高齢化と共に、先細りにならないかを心配している。しかし、いずれにしても30年近くも続いている自転車の催事は日本では珍しいし、一つのそれが自転車文化の一端に位置付けられるまで高揚し、進化してほしと思っている。
 今後も末永く実施されることを願っているし、主催者の努力に敬意をはらう次第である。

☆第1回ポリージャポン
 1993年10月23日、24日、飛騨高山で第1回ポリー ジャポン 93’が開催された。私は渋谷氏とこのイベントに参加。23日午前4時小田原を出発。
 御殿場、大月、松本を経由して高山に向かう。途中国道158号の安房峠越への渋滞を心配したが、出発時間が早かったせいか何とかこの峠も無事通過した。平湯で小休止し、高山へ。現地到着は11時ごろ。家から7時間もかかったことになる。やはり高山は遠い。
 宴会が始まる夕方まで、だいぶ時間があったので、その間高山市内を見学。朝市も見たが、観光化されているせいか近くのスーパーよりも値段が高いように思われた。新鮮さだけが売り物のようである。観光用の人力車も見たが、車夫は暇そうにしていた。気温は低く、いつもより厚着をしていたがそれでも寒かった。
 18時から宿泊先であるホテル高山エレガンスでフランス料理のディナーとなった。形式張った宴会のセレモニーもなく気楽な雰囲気だった。料理の方もまあまあで空腹と疲れを癒してくれた。
 20時からイベント会場でビンゴゲームが行われ、私は景品に素敵なクラシック自転車の絵が描かれた壁掛けをいただいた。この品物は、同業で知人でもある名古屋の鈴木氏から提供されたもので、歴史好きの私が運良く引き当てたもの。ビンゴゲームのあとは、スポルティーフのコンクールとスワップミートが行われ熱っぽい雰囲気の中、盛況だった。スワップミートで私はパターソンの本と内容の堅い自転車関係の歴史図書等を出品したが、売れ筋のパターソンのみ完売した。やはり人気は60年代のクラシック・パーツで、なかには大勢の買手が競合し、阿弥陀で落札者を決める一幕もあった。私は23時ごろ部屋に戻りベットにもぐり込んだが、翌朝聞いたところによると一晩中わいわいやったらしい。
 朝5時ごろ目は覚めたが、寒いのでベットのなかであれやこれや考えごとをしていた。
8時に朝食。10時頃ホテルの前で全員の記念撮影。そして散会となった。
 全般的な印象として、リラックスした催しだったと思う。これは主催者の意向でもあったと聞く。難をあげれば、高山は遠いと言うことである。次回はできれば長野あたりでお願いしたいものだ。
 帰路は、安房峠が雪と言うことで、中津川、中央高速経由で帰る。途中、勝沼から渋滞に巻き込まれ、家に着いたのは19時半だった。高山から8時間もかかったことになる。(オ)

蛇足、
イベントが実施された現地までは私の車で行った。途中、中ノ湯までの多くのトンネルや安房峠越えは不安があり、同行の渋谷さんに運転をお願いした。私の車はこの年の9月に購入したばかりのボルボ240であった。私ではとてもあの狭いトンネルや安房峠の隘路と九十九折の道路は無理と思われたからである。
渋谷さん、その節はありがとうございました。
下の資料も本日、メッセンジャーで送ってくれた。

ポリージャポン93’
案内状

ポリージャポン実行委員会から通信
以上2点の資料提供:渋谷良二氏