2020年12月24日木曜日

老舗さんぽ⑳

 昨日の「老舗さんぽ」は、また小田原市内である。

 小田原郵便局前付近にあった太田自転車店のその後と遠藤自転車店(本町)のあった場所、中島自転車の二代目店主についての補足調査などである。
 まず、本町の遠藤自転車店のあった場所を探索する。この店には過去数回訪れているが、現在は廃業していて、まったくどこだか分からなくなっていた。心当たりの道路を行ったり来たりしていたが、どうしても分からない。そこで、周辺にある古そうなお店で聞いてみることにした。一軒の刃物屋に入ってみる。ちょうど店番の人がいて、教えてくれた。「この道路沿いの南寄りにある床屋さんあたりです」という。また少し戻って確認することにした。確かに床屋さんがあり、念のためにその店を覗き、丁度いた店主に聞いてみる。「ここが前遠藤自転車店です」と親切に教えてくれた。いつごろ廃業し、この店を転売したかは調べていないので分からないが、かれこれ20年前ぐらいと思っている。初代の店主は、アマチュア自転車競技の審判員などをやっていて、何回か平塚競輪場でお会いしている。二代目は、聞くところによると病気になり、店を閉めることになったそうである。
 とりあえずその場所が確認できたことで、今日の一つの目的は達成した。

 遠藤自転車店の次は、中島自転車店に向かう。その途中、岩瀬自転車店前を通過して、高野古書店を覗いてみる。丁度、店主がいて明細地図をながめていた。声をかけてみる。「自転車が写っている古い風景写真か絵葉書はないでしょうか?」と「あるかもしれないが、すぐには分からない」と言う返事。その他の話の中で、日本自転車史研究会を知っている、以前、横浜の中央図書館で会報「自轉車」をみたことがあると、意外な話の展開でびっくり、「その機関誌を出した人は小田原にいると聞いているが」と、そこまでも知っていて更に驚いた次第である。「私の二人の息子は自転車が好きで、いまでも二番目の息子は自転車関係の仕事をしている」と、ますます興味ある話に進展していった。
 そう言えば、どこかで高野さんの息子さんもアマチュア自転車競技をやっていた、と聞いた記憶がある。後で分かったがファイスブックで友達になっている石井さん(2008年の北京パラリンピック、金メダリスト)である。
 書棚に並んでいる古書の中に齊藤俊彦先生の「人力車の研究」があり、正面奥には分厚い「横浜成功名誉鑑」復刻本が目にとまる。
 高野書店の次は、中島自転車店である。東京オリンピック時に撮影された写真の確認と二代目の名前の確認である。寿町の中島自転車店も少し分かりにくい場所に移転しているので、いつも迷ってしまう。
 丁度、店の前で自転車をとめ様子をうかがっていたら、いつもは閉まっているシャッターが半開きになっいて、どなたかがいる気配を感じた。店の中を覗いて声を掛けたら丁度、三代目の店主がいて、さっそく東京オリンピック時の写真確認と二代目の名前を教えていただいた。名前は難しく、口頭の説明では分かりかねたので、メモ用紙に書いてもらった。中島价藏さんで、読めないうえに漢字検索でもなかなか出てこない。いつも使っているIMEパッドの手書き検索でなぞってみる。价藏(よしぞう)价の訓読みは、1.よし 2.おおきい、音読みは、カイ、ケである。意味は、よろう/鎧をつけた人/善いなど、とある。
 次は太田自転車店の調査である。先の「老舗さんぽ➅」では、既にこの自転車店は無いと書いた。確かに郵便局前付近にあった店はないが、その後、自動車販売に転換していて、中島自転車店近くにある「ホンダ・カーズ」という店名で受け継がれていた。この店の現在の店長は太田利光さんのお孫さんが就任しているとのことであった。

以前は遠藤自転車店

岩瀬自転車店

高野書店

中島自転車店

左から2番目が中島价藏さん
1964年の東京オリンピック自転車競技役員
左から梅本、中島、遠藤、野地さん

Honda Cars 中央神奈川、小田原中央店
小田原市寿町4-5-12