2020年12月3日木曜日

日本の自転車史と鑑札

以下の記事は、日本自転車史研究会所属の会員からの投稿である。

今後は逐次、会員からの過去の投稿をこのブログに掲載する予定である。

 最初に登場願うのは、当研究会の顧問であった大阪の高橋 勇氏(自転車店主、自転車史研究家)である。創設時のメンバーの一人で、多くのご支援をいただいた人である。既に物故者となっているが、いまでも当時の手紙のやり取りや、お会いした時の情景などが思い出される。(日本自転車史研究会 創立日、1981年06月01日)

 この研究会は、当初3人でスタートしたのであるが、その中心的な存在であった。
 もう一人は名古屋の三輪健治さんで、この研究会の命名者でもある。
或日、研究会の名称を三輪さんに相談したところ、名前は「大きいほどよい」と”日本自転車史研究会”に決定したのである。その前は「小田原輪史会」で、その後単に「輪史会」と改めた。いまでもこの「輪史会」は略称として正式に使用している。三輪さんにもいろいろアドバイスをいただき、名称から会報の出版までお世話いただいた。
 因みに三輪さんが主宰する会は「日本二輪史研究会」でオートバイや自動三輪車の研究で知られ、いまではこの会そのものが老舗(1970年の創立)に近い。私も一時そのメンバーでもあった。
 たくさんのことを三輪さんから学ぶことができた。この場を借りて、改めて感謝したい。

前置きが少し長くなってしまったが、以下に高橋 勇氏の会報の初期の投稿を紹介したい。

日本の自転車史と鑑札  高橋 勇

 「自転車の監札!ああ、そのようなものありましたなあ」という人は30才以上の人、「今もついているのと違いますか?」は若い人で、盗難予防のための防犯登録票を鑑札と混同している人である。
 私が自転車の鑑札に興味を持ったのは、日本の自転車の歴史と、この鑑札の歴史が切り離せないものであると感づいたことに始まる。
 明治5年8月、東京府(今の東京都)の諸税収納台帳の中に、
「人力車 24,500輌・小車7,500輌・荷車6,000輌・牛車191輌・馬車129輌・そして自転車1輌、以上より収むる金額一金1,856円16銭5厘5毛也」とあり、当初ここに記されている"自転車”という文字が公文書に現れた最初のものと信じていた。(ところが、大阪府の編年史に、明治3年、自転車の路上での禁止通達に文字を発見)
 ところで、この明治5年8月の諸税台帳の自転車1輌という文字には、大変な意義があるのである。と言うのは自転車税が自転車の普及につれて、地方税と国税の二重課税となり、庶民の足に重税を課するものであるとして、各地に徴税撤廃運動が起き、下駄や靴に課するようなものだという非難もあったが、しかし、この徴税の結果、各府県に自転車登録台帳がつくられ、正確な自転車保有台数が記録されるようになったからである。
 この税金徴収と同時に鑑札が交付され、明治期は木製に焼印したもの、大正終期よりアルミチューム製に変わり長方形の大きなものが後泥除に取付けられた。その後次第に形も小形になり、後泥除からハンドルに吊り下げるもの等々、各県各地でいろいろな形のものが生まれた。
 昭和33年(1958年)に自転車税が廃止されると、この鑑札もなくなり、自転車保有台数についても推定数字となってしまった。

自転車の保有台数
年代         台数(単位、千台)
大正元年(1912)    388
2            487
3            597
4            706
5            867
6           1,072
7           1,288
8           1,612
9           2,051
大正10 年( 1921)  2,319
11         2,812
12         3,208
13         3,675
14         4,071
15         4,371
昭和2年( 1927)     4,752
3           5,025
4           5,318
昭和5年 ( 1930)    5,780
6           6,000
7           6,356
8           6,524
9           6,896
10         7,304
11         7,722
12         7,879
13         8,005
昭和14年 (1939)   8,311 (以下略)

 この後、日中戦争によって伸びは止まり、昭和18年(1943)の8,613 千台が太平洋戦争の終るまでの最高保有台数となっている。
 自転車の税金も、各府県によって金額がまちまちであったが、自転車の国内保有台数が激増する大正中期には、地方財源として大きなウエイトを占めるようになった。
 さて、この自転車税のエピソードとして、大正8年(1919)の山梨日日新聞に「毎日2合の酒を飲んでいる、1年には25円20銭也の間税を支払っている計算なのに、それでも選挙権はない・・・・・・」
 この当時、25才以上の男子で、自転車を所有している者は、自転車税3円也を納めていたので選挙権があった。それにしても当時の3円は軽いものではなかった。

高橋氏の鑑札コレクション

大正初期の試乗自転車鑑札
将棋の駒の形状

●日本自転車史研究会、会報第4号 1982年(昭和57)7月15日より(一部、編集を見直し、写真も変更した)