2024年3月31日日曜日

外国製自転車研究報告 - 8

 外国製自転車研究報告 - 8

下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編

1950年版 より

チェーン
スポーク
リム切断図

サドル
ドウズ工具
ハブネジ
チェーン引き
ネジ各種

ダンロップタイヤ
ダンロップチューブ各種
握りゴム
ペダルゴムなど

2024年3月30日土曜日

外国製自転車研究報告 - 7

 外国製自転車研究報告 - 7

下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編

1950年版 より


シートポスト
ランプ掛け3種
二重ハンガー組立構造
サンビームクランク軸
サンビームハンガーワン

ハーキュレス・ハンドル
ハンバー・ハンドル
クライド・ハンドルバー
ハンドルポスト
ブレーキ

ジェームスなどの泥除け
ドウズのチェンケース
サンビーム・チェンケース

ペダル
ハブ構造

フリー
ギヤ
フィリップス・フリー B.S.A製

2024年3月29日金曜日

競輪用自転車の車検

 競輪用自転車の車検

下の写真は競輪用自転車の車検のようす。


車検のようす 昭和30年代
写真提供:秦野市 片野自転車店


註、車検について
○自転車の検査の要領(その一部)
(平成19年10月 1日 平成19・10・01製第23号認可)
最終改正 平成29年6月6日 20170525製第3号認可

第3章 自転車の検査
 第1節 自転車の検査基準及び検査方法
自転車の検査基準及び検査方法は、次のとおりとする。
1―1 自転車は、本財団に登録されたものであること。
本財団が作成した「登録自転車一覧表」と照合確認する。
1―2 構成部品は、登録自転車仕様書に合致するもの又は「競走車部品認定基準」に適合すると認定したものであること。
本財団が作成した登録自転車仕様書又は「競走車部品認定基準適合部品一覧表」により確認する。
1―3 各部品は、適正な箇所に取りつけてあること。
1―4 構成部品は、有害な加工(切削、穴あけ、その他著しい原形の変更等)が施されていないこと。 
1―5 フレーム及び金属部品に著しい変形、摩耗、腐食又は切損がないこと。
1―6 フレーム及び金属部品の素地にひび又は著しいさび、傷がないこと。
1―7 スチール製フレームのろう付部にろう切れ又はろう離れがないこと。
1―8 非金属部分に著しい傷、き裂、老化又は、摩耗がないこと。
1―9 ハンドルバーの各部及びスチール製フレームを構成するパイプに、へこみの最大長さが、そのパイプの直径以上又はへこみの深さがそのパイプの直径の1/3以上ないこと。なお、へこみの大きさにかかわらず、角のあるへこみがないこと。
1―10 ハブ軸先端及びスチール製フレームのチェーン引きボルト先端は、面取りしてあること。
1―11 スチール製フレームのチェーン引きは、後つめの両側に取り付け、舟はハブ座金又は中ナットに接触していないこと。カーボン製フレームのチェーン調整ボルトは、後つめの両側に取り付けられ、ハブ軸中心に接していること。
1―12 小ギヤは、ハブの両側に取り付けられていないこと。
1―13 各ナットのはめ合い長さは、 目視により行う。
1―14 シートポストと立パイプ及びスチール製フレームのハンドルポスト(ハンドルステム)とホークステムのはめ合いは、限界標識以上はめ合わされていること。
1―15 チェーンは、継手リンクプレートで1本のボルトによってつないであること。
ただし、半コマの場合は、2本の継手ボルトによりつないであること。
1―16 スポークは、あや組みしてあること。
1―17 ハンドルバー端面は、にぎり又はバーテープ(キャップ付き)で覆われていること。
また、にぎり又はバーテープの巻き上がりが、ハンドルバーわん曲部最先端を超えないこと。
1―18 サドル、シートポスト、ハンドルポスト及びハンドルステムに著しい傷又は亀裂がないこと。
1―19 トークリップに著しい傷又は亀裂がないこと。
1―20 タイヤに傷、磨耗又はスレがないこと。
1―21 カーボン製フレームのホイール(バトンホイール及びディスクホイール)に著しい変形、傷、亀裂又は剥離がないこと。
2―1 前ハブナットの締付けトルクは、22N・m以上30N・m以下であること。
 トルクレンチをもって行う。
2―2 スチール製フレームの後ハブナットの締付けトルクは、33N・m以上45N・m以下であること。カーボン製フレームの後ハブナットの締付けトルクは、22N・m以上30N・m以下であること。
2―3 コッタレスギヤクランク締付けボルトの締付けトルクは、12N・m以上16N・m以下であること。
2―4 ペダル軸のクランクはめ合いねじは、完全に締め付けられていること。
2―5 ハンガ止めナット、小ギヤ止めナット及びギヤ板取付けボルトは、完全に締め付けられていること。
2―6 スチール製フレームのヘッド部上わんロックナット又はカーボン製フレームのアンカーボルト若しくはキャップ固定ネジは、完全に締め付けられていること。
2―7 スチール製フレームのチェーン引きナット、カーボン製フレームのチェーン調整ボルトは、完全に締め付けられていること。
2―8 ペダル側板の取付けボルトは、完全に締め付けられていること。
3―1 ペダル枠のかしめに緩みがないこと。
3―2 サドルの舟線とトップとの間に緩みがないこと。
3―3 ハンドルバー及びハンドルポスト若しくはハンドルステムは、完全に固定されていること。
3―3 前車輪を固定し、ハンドル両にぎり部に前進方向の反対に約300N、ハンドル回転方向に約100Nの力を加えて行う。

など。

自転車技術情報 第66号
自転車産業振興協会
1995年1月発行
国会図書館所蔵資料
競技用検車機器の改良について
競技用自転車に関する研究
競技車研究グループ
 常盤喜一、坪井 信隆、稲田映二、林 博明

2024年3月28日木曜日

外国製自転車研究報告 - 6

 外国製自転車研究報告 - 6

下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
1950年版 より

フィリップス婦人車とサンビーム軽快車
下はそのフレーム
日本自転車史研究会所蔵資料
以下同じ

クライド軽快車とフレーム

クライド軽快車 拡大

サンビーム軽快車 拡大

ラージ婦人軽快車、ハンバー軽快車
ハーキュレス普通車
左下はポンプとクライドのパイプ

クライドのブレーキ、ハンガー
フォーク、バック爪

2024年3月27日水曜日

車両要塞

 車両要塞

下の図は一見漫画のようでよく分からないが、戦闘用車両要塞である。

戦闘状態になると馬車などを壁のように囲み小規模な要塞を築いた。

この車両要塞は、1400年代にチェコのフス派が採用したとある。

フス派の偉大な指導者であったトロクノフのヤン・ジシュカは、野戦で大規模な大砲を使用した最初の人物と云われている。 彼はドイツ語でヴァーゲンブルクと呼ばれる戦闘戦術の創始者と考えられており、敵と遭遇した後、馬車を連結して正方形または円形の陣形を作ることであった。

 荷車は互いに鎖で接続されており、側面にはシャフトが外側になるように配置され、必要に応じて馬を荷馬車に連結し、陣形を外して反撃を開始できるようになっていた。 各車両の兵士は、クロスボウ、弓、パイク(槍の一種)、巨大な盾などに加えて、小型火器や軽火器を装備していた。


フス派の車両要塞 1400年代
Wikipediaより
以下同じ

フス派の馬車城

自転車年表(更新)

 

自 転 車 年 表
西暦記     事
600年頃日本最古の車輪、車輪の直径は約1.1メートル、スポークが12本。 (飛鳥時代)
1200年頃三輪車の模型、長さは40センチ・幅21センチ、前輪の直径は9センチで後輪は欠損。 (鎌倉時代)
1420年パドヴァのジョヴァンニ・フォンタナ、手動式のウォーキングチェアを考案。(応永27年)
1516年マクシミリアン1世の豪華に装飾されたパレード用車両。(永正13年)
1649年ドイツ・ニュルンベルクのハンス・ハウチュ、自走式の四輪車を製作。(慶安2年)
1655年ステファン・ファーフラー(Stephan Farffler)、手動ペダル・クランク式自走三輪の車椅子を製作。 (明暦元年)
1662年大坂農人橋の住人、京屋七兵衛と京屋清兵衛は灌漑用の踏車を製作。 (寛文2年)
1690年フランス・ロシェルの医師 M.リチャード、馭者と後に乗る従僕(Footman)の足踏み式四輪車を製作。(元禄3年)
1724年頃興行師、竹田近江の人力自走車、陸舩車(りくせんしゃ)が 「璣訓蒙鏡草」三巻、多賀谷環中仙著(享保15年発行)に掲載。(享保9年頃)
1729年武藏国兒玉郡若泉庄北堀村の農民、正田門弥が「千里行車・せんりこうしゃ」と呼ぶ舟型四輪の人力自走車を製作。(享保14年)
1732年平石久平次、新製陸奔舟車(人力自走車)を製作、足踏み式ペダル・クランクとハンドルによる方向転換可能。(享保17年)
1781年頃三河国宝飯郡御油の戸田太郎大夫、木製の三輪車を作る。 (天明年間)、『欧州大戦当時の独逸』ベルツ花子 著 昭和8年発行
1817年ドイツのカール・フォン・ドライス男爵、ドライジーネを考案。この自転車はほとんど木で作られ、重さは18kg。その後の二輪車の発展に大きく寄与。
1818年ドライス男爵、パリのリュクサンブール公園で、ドライジーネを初めて公開。
イギリスのデニス・ジョンソンは、ドライジーネを改良し、特許を取得。これが流行して、ホビーホースとかダンディーホースと呼ばれる。
1839年イギリスのカークパトリック・マクミランが、後輪駆動の二輪車を考案。これにより二輪車として、初めて地面から足を離すことができた。しかし、この自転車は当時のものが1台も現存していないことから、疑問視する研究者もいる。
1855年ドイツのフィリップ・モリッツ・フィッシャーが前輪にペダル・クランクを付けた二輪のベロシペードを開発。
1861年フランスのピエールとエルネスト・ミショー親子は、前輪にペダ ル・クランクを装着した二輪車を製作。
1862年松平文庫(松平宗紀氏蔵・福井県立図書館寄託)の「御用日記」 に、「ビラスビイデ独行車」の記述がある。その資料には次のように書いてある。 「権六(佐々木権六)罷出ビラスビイデ独行車相廻り組立出来靭負(家老、中根雪江)も罷出御馬場辺御乗試被遊候」(文久2年)
1865年ミショー・カンパニー、ベロシペードの生産台数を400台に伸 ばす。自転車工場が一つの企業として確立される礎となる。
「提督の物語」(AN ADMIRAL'S YARNS) チャールズ・ホープ・ダンダス著、 1922 年発行に三輪車の写真(1865年とある)、1869 年のエリオット・ヴェロシペードに似ている、場所は横浜居留地か。(慶応元年)
1866年ミショーの下で働いていたピエール・ラルマンは、アメリカに渡り 、自転車の特許を取得。
1868年からくり儀右衛門(田中久重)、二輪車と三輪車を製造する。彼の弟子、川口市太郎の手記にある。
パリのサン・クルー公園で、最初の自転車レースが行われ、イギリス人のジェームズ・ムーアが優勝。
横浜居留地の外国人が、ラントン車で、横浜~東京間を往復。このことが、風刺漫画『ジャパン・パンチ』に掲載。(明治元)
1869年7月30日、ノーフォーク・バイシクル (THE "NORFOLK" BICYCLE)は、イギリスの雑誌「英国のメカニック そして科学と芸術のミラー」1869 年 7 月 30 日号(「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」July 30, 1869)に掲載。ベルト・ドライブ方式の安全型自転車。
パリで、最初のサイクルショーが開かれ、パイプ・フレーム、泥除け、ワイヤー・スポーク、前輪ブレーキなどの新しい発明品が多数展示。
パリの時計製造人、ギルメとメイヤーの両人がチェーンを使って後輪を駆動させるセーフティー型自転車を造ったといわれる。(明治2)
1870年4月29日、竹内寅次郎、東京府へ自転車の製造及び販売の許可を出願。
この頃版行された多数の錦絵に自転車が描かれている。特に三輪車が多く、ラントン車の影響を思わせる。
イギリスのジェームズ・スターレーとウィリアム・ヒルマンは、アリエルというオーディナリー型自転車を製作。スターレーは、その後も自転車の発展に大きな業績を残し、”自転車の父”と呼ばれる。
8月、大阪布令に、自転車行人の妨害少なからざるに付き、途上運転を禁ず、とある。
普仏戦争のバルフール包囲戦で伝令に自転車を使用。 (明治3)
1871年8月20日付の横浜毎日新聞の外国商人輸出入欄に、自転車二ツ、とある。(明治4)
1872年7月18日付の東京日々新聞、東京府の車税に、自転車一ケ月6銭7厘、とある。(明治5)
1878年3月、竹内寅次郎が、東京府へ大型自転車の製造・販売の許可を申請。(明治11)
1879年梶野仁之助、横浜蓬莱町で自転車製造所を開業。 (明治12)
1881年2月1日付の東京横浜毎日新聞にスターレー、サットン製造の三輪車、横浜ブラット商会の広告あり。
3月1日~6月30日、東京で第2回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は鈴木三元、斎藤長太郎、坂口清之進。
10月、福島の鈴木三元、東京府へ新発明三元車の製造発売願書を提出。(明治14)
1883年宮武外骨、自転車に熱中する。 (明治16)
1884年オーストリア・ハンガリー帝国陸軍は、初めて自転車部隊を編制。(明治17)
1885年ジョン・ケンプ・スターレー(ジェームズの甥)は、初めて前後輪同径の自転車ローバー号を造る。セーフティー型の原型といえる。
フランス陸軍第87歩兵連隊のジェラール大尉は重さ14キロの折畳自転車を考案。 (明治18)
1886年アメリカの自転車世界一周旅行者、トーマス・スティーブンス来日。(明治19)
1887年アメリカのオバーマン・ホイール・カンパニーが、前輪にスプリング・フオーク(サスペンション装置)を取り付けたビクター号を開発。 (明治20)
1888年東京浅草の向山嘉代三郎、帝国自転車製造所を開業。
イギリスのジョン・ボイド・ダンロップ、空気入りタイヤの特許を取得。(明治21)
1889年2月、横浜高島町の梶野自転車製造所、オーディナリーの挿絵が入った広告を新聞に載せる。
11月5日、福沢桃介がアメリカからビクター号(セーフティー型自転車)を携えて帰朝。(明治22)
1890年4月1日~7月31日、東京上野で、第3回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は、山崎治兵衛(製造者・梶野仁之助)、向山嘉代三郎。
『乗方指南 自転車利用論 完』金澤来蔵著 普及舎 明治23年9月14日発行 日本最初の自転車専門書(明治23)
1891年国友鉄砲鍛治師がダルマ自転車を製作。(明治24)
1892年逓信省(現郵政省)、自転車を初めて電報配達に使用。 10月、宇都宮で行われた陸軍特別大演習で、中島中尉が初めて自転車を使用。
11月、フランク・G・レンツが自転車世界一周旅行で来日。
北越新発田の刀匠がダルマ自転車を製作。(明治25)
1893年我国最初の自転車倶楽部、日本輪友会設立。クラブ誌”自転車”を発行。
明治23年頃から自転車の修理及び試作車を手掛けていた宮田栄助、本格的に自転車の製造販売を開始。
森村兄弟、東海道をサイクリング。
ダーズリー・ペダーセンは、独創性のある三角フレームの自転車を製作。イギリス軍はこれをボーア戦争で使用。 (明治26)
1894年日清戦争勃発(明治27年7月-明治28年4月)李氏朝鮮をめぐる日本と清国の戦争。 (明治27)
1895年4月1日から7月31日、京都で第4回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は、宮田栄助、梶野仁之助、橋本峰松。
アニーロンドンデリーが自転車世界一周旅行で来日。
ファニー・ブロック・ワークマン婦人、夫のウイリアムと自転車でアトラス山脈を越えサハラ砂漠に至る。 (明治28)
1896年1月19日、日本に初めて登場したオートバイ、ドイツのヒルデブラント&ヴォルフミュラー(Hildebrand & Wolfmüller)、十文字商会の十文字信介が輸入し皇居前で試運転。
渡辺修二郎著『自転車術』が、少年園から発行。(明治29)
1899年1月2日、JWM紙(The Japan Weekly Mail)、明治29年12月26日に行われた国府津~横浜間のレース結果を掲載。
7月24日、時事新報、森田自転車製造所の国産自転車が清国へ初輸出。
11月6日、JWM紙(The Japan Weekly Mail)、NBC(Nippon Bicycle Club)と大日本双輪クラブの合同サイクリングを実施。
(明治30年)
1898年11月6日、上野不忍池で、内外連合自転車競走運動会開催。(明治31)
1899年1月20日、毎日新聞、全国自転車乗熟練家投票。
4月29日、JWM紙、NBCの藤沢ー国府津間自転車ロードレース。
4月、自転車乗用速成術 村松武一郎著 横浜内外商事週報社 発行。
(明治32年)
1900年2月1日~、東野学士の自転車旅行。雑誌「今世少年」第1巻第2号 春陽堂 6月20日発行。
6月、アメリカのシッド・ブラック一座、東京座などで自転車曲乗りを上演。
8月、初の自転車専門月刊誌『自転車』創刊。
8月、鶴田勝三、ボーンらは自転車で富士登山を決行。
義和団の乱勃発(1900年6月20日-1901年9月7日)日本軍は第五師団(約8000人)を派兵。 (明治33)
1901年10月、月刊誌『輪友』創刊。(明治34)
1902年1月30日、日英同盟締結。 劇作家の松居松翁著『自転車全書』刊行。
中村春吉、自転車世界無銭旅行に出発。(明治35)
1903年読売新聞に小杉天外の『魔風恋風』が連載。 (明治36)
1904年日露戦争勃発(明治37年2月6日-明治38年9月5日)朝鮮半島及び満州南部でロシア軍と激戦。一部伝令などに自転車を使用。 (明治37)
1905年2月15日、雑誌 ”清輪”を創刊、清水卓編集 清輪社。
11月12日、東京有志聨合大競走会 不忍池畔にて開催。 (明治38)
1906年埴 亀齢(はにかめとし)、三輪車を製作。(明治39)
1907年5月、大阪~日光間千哩レース 大阪新報主催。
11月16日、時事新報、東京・小宮山長造、京都・砂田松次郎の一騎打ちは砂田の勝利。 (明治40)
1908年月刊誌『輪界』創刊。
石川商会解散。(明治41)
1910年三越百貨店、白塗りX型フレームの自転車を使い、メッセンジャーボーイを組織。(明治43)
1914年2月20日、大久保素公(25才)、自転車世界一周旅行へ。
8月、探検家の菅野力夫 自転車で第2回世界探検旅行へ。
第一次世界大戦が勃発。自転車・部品の輸入が激減。国産車の量産体制化が始まる。(大正3)
1915年宇佐川正輝、自転車世界一周旅行へ。
前輪にガソリンエンジンを取付けたAutopedがアメリカで発売。(大正4)
1916年大日本自転車(株)設立。東京業平橋の工場で、国産ラーヂを製造。(大正5)
1920年自転車税の減廃運動が高まる。(大正9)
1922年上野で開催された平和記念東京博覧会の余興で、米人オスカー・バブコップが自転車曲乗りを公演。(大正11)
1923年9月、関東大震災により、一府六県の自転車業界は大打撃を被る。渡辺承策著『自転車の経済と其活用』刊行。(大正12)
1926年6月、川室 競(かわむろ きそう)選手、ツール・ド・フランス(第20回)に日本人として初めて出場。(大正15)
1928年全国自転車保有台数500万台を突破。(昭和3)
1929年輸出組合法により、日本自転車輸出組合設立。 (昭和4)
1931年満州事変勃発(昭和6年9月18日-昭和8年5月31日)柳条湖事件に端を発し、関東軍により満州全土を占領。 (昭和6)
1932年日本自転車工業組合連合会(自工連)設立。 (昭和7)
1933年国益チェーン(株)、宮田、新家、丸石各社の出資により設立。(6年後に大同工業KKと改称)(昭和8)
1934年日本サイクル競技連盟を結成。(昭和9)
1935年4 月 23 日付の大阪朝日新聞の記事に陸奔車という木製自動車あり。 (昭和10)
1936年日本サイクル競技連盟、国際サイクリスト連合(UCI)に加盟。
第11回オリンピック・ベルリン大会開催。
スイス・チューリヒでの世界選手権で、出宮順一選手が7位と健闘。
日本学生自転車競技連盟の結成。(昭和11)
1937年6月19日、芝公園競技場で第1回学生自転車競技大会を開催。
機械輸出部門で、自転車・部品・付属品の実績がトップを占める。
日本学生自転車競技連盟は、日本サイクル競技連盟に包含され、日本自転車競技連盟が発足。
(昭和12)
1939年9月、初の本格的トラック競技場、大宮公園双輪場落成。 (昭和14)
1941年太平洋戦争始まる。
国家総動員法に基づく、機械鉄鋼製造工業整備要項により、1,348社の自転車・部品製造業は113社に統合。(昭和16)
1942年マレー、ジャワ作戦で、銀輪部隊が活躍。 (昭和17)
1945年第二次世界大戦が終り、一部で自転車生産を再開。 (昭和20)
1946年各地の自転車工場が、賠償管理工場に指定。
宮田製作所、フレーム・パイプの接合に、フラッシュ・バット(電気溶接)技法を実用化。(昭和21)
1947年軍需工場から自転車メーカーへの転換が相次ぐ(三菱重工津機器など10数社)。
三菱重工、ジュラルミン製の十字号を発売。(昭和22)
1948年8月、自転車競技法成立公布。社団法人自転車振興会連合会設立。
11月、九州小倉で、競輪が始まる。
ブリジストン自転車、ダイカスト工法によるフレーム製作の開発研究を開始。
自転車工業会設立。(昭和23)
1950年完成車の統制廃止。
朝鮮動乱が始まり、大手軍需工場の“転換メーカー”は、自転車業界から姿を消す。
外国製自転車の研究事業始まる。(昭和25)
1951年自転車工業会を改組し、日本自転車工業会として発足。
第1回アジア大会(インド)の自転車競技各種目で、日本選手活躍。
第1回秩父宮杯日米対抗自転車競技大会開催。(昭和26)
1952年東大理工学研究所で、自転車走行時の空気力学に関する風胴実験を実施。
第1回読売杯全日本プロ・サイクル・ロードレース開催。
国内の自転車保有台数1、200万台を突破。(昭和27)
1953年モーター・バイクの流行により、自転車メーカーも参入。
自転車用電縫鋼管の量産体制確立(東芝鋼管)。
日本自転車輸出組合設立。(昭和28)
1954年日本サイクリング協会設立。 (昭和29)
1956年第1回全国高校自転車道路競走中央大会開催。
車籍登録始まる。(昭和31)
1957年世界自転車競技選手権大会(プロ)に、日本競輪選手初参加。
日本自転車競技連盟(FJC)が設立し、国際自転車競技連盟(UCI)に加盟。
財団法人日本自転車産業調査会設立。(昭和32)
1958年自転車税撤廃。財団法人自転車技術研究所設立。
自転車タイヤ工業組合が発足。(昭和33)
1959年日本自転車工業協同組合連合会発足。 (昭和34)
1960年国内自転車生産量300万台を越える。
10月、イギリスのアレックス・モールトンがモールトン型自転車で特許を取得。 (昭和35)
1961年ブチル・チューブのタイヤが普及。
自転車技術研究所で、4本車輪締上機A2型完成。(昭和36)
1962年軽快車、子供車が主要生産車種となり、需要伸びる。 (昭和37)
1963年財団法人日本サイクリング協会(JCA)設立。
アメリカ向け自転車輸出、大幅に伸びる。(昭和38)
1964年財団法人自転車産業振興協会設立。
東京オリンピック開催、八王子地区でピスト・ロードの自転車競技を行う。
10月22日、大宮政志選手男子個人ロードで36位と健闘。(昭和39)
1965年財団法人日本サイクルスポーツセンター設立(CSC)。 (昭和40)
1966年自転車道路建設促進協議会が発足。
スポーツ車のブームにより、多段変速機付き自転車の生産急増。 (昭和41)
1967年神奈川県、平塚市と大磯町の間を流れる金目川沿いに、延長13、4kmの自転車専用道完成。
東京・科学技術館で、第1回サイクルショー開催。
全日本実業団自転車競技連盟設立。(昭和42)
1968年日本競輪学校、静岡県修善寺町に移転。
神宮外苑サイクリング・センター開設。
財団法人自転車道路協会設立。(昭和43)
1969年国内自転車生産量400万台を越える。ミニサイクルの伸び率急増。(昭和44)
1970年自転車道の整備等に関する法律、公布施行。 (昭和45)
1971年財団法人日本自転車普及協会設立。
アメリカでバイコロジー運動が提唱。
ロールスロイスの技術者であった英国のハリー・ビカートンは、ポータブル自転車を設計し販売する。 (昭和46)
1973年第1次オイルショックの影響により、自転車生産量941万台の新記録達成。 (昭和48)
1976年都市近郊の駅に放置自転車が多くなる。 (昭和51)
1977年世界選手権自転車競技大会(ベネズエラ)で、中野浩一がプロスプリントレースに初優勝。(昭和52)
1978年第1回全国高校選抜自転車競技大会開催。 (昭和53)
1979年自転車安全整備士、組立整備士制度発足。 (昭和54)
1980年自転車の安全利用の促進及び自転車駐車場の整備に関する法律、制定。 (昭和55)
1981年5月を自転車月間と定め、諸行事を開催。
自転車文化センター開所。
6月1日、日本自転車史研究会発足。
8月20日、鳥取県米子市で日本初のトライアスロン大会となる、皆生トライアスロン '81を開催。 (昭和56)
1982年第1回国際サイクルロードレース大会が、東京と大阪で開催。
仙台でシティサイクルシステム(CCS)の実験が行われる。
マンテンバイクが流行始める。(昭和57)
1983年第1回国際デザイン・フェスティバルが大阪で開催。同会場では自転車の変遷を実車により展示紹介。(昭和58)
1984年3月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、明治自転車文化展を開催。
オリンピック・ロスアンゼルス大会、男子スプリント競技で、坂本勉が銅メダルを獲得。 (昭和59)
1985年ブリジストン自転車、構造接着工法、開発。
国内でもトライアスロン競技が盛んになる。(昭和60)
1986年世界選手権自転車競技大会(アメリカ)で、中野浩一がプロスプリントレースに10連勝達成。(昭和61)
1987年日本最大規模のステージレース、“ツール・ド・北海道”開催。
10月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、第1回ハンドメイドバイシクル展を開催。(昭和62)
1988年日本自転車競技連盟(FJC)が解散。(昭和63)
1989年サイクルスポーツカーニバルを東京ドームで開催。
ナゴヤで開催された世界デザイン博でオーディナリーによるレースが行われる。(平成元)
1990年世界選手権自転車競技大会が日本で開催(アジアで初めて)。
タンデムレースで高校生ペア(稲村・斎藤)が銀メダルを獲得。(平成2)
1991年アメリカ、オハイオ州フィンドレーで行われた第11回国際ベテラン自転車ラリーに日本から初参加。(平成3)
1992年財団法人シマノ・サイクル開発センターが開所。
2月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、コンパクトサイクルフェア開催。 (平成4)
1993年4月7日、自転車基本法改正、防犯登録の義務付け等。
5月2日、日本自転車史研究会の自転車歴史資料館オープン。
11月1日、ヤマハ、電動アシスト付き自転車パスを開発。 (平成5)
1994年11月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、アレックス・モールトン博士の 講演会とモールトン自転車の歴史展を開催。(平成6)
1995年阪神・淡路大震災で、切断された交通網に自転車が活躍。
7月1日からPL法(製造物責任法)が施行。
日本自転車輸出組合が解散。(平成7)
1996年6月、第83回ツール・ド・フランスに今中大介選手が出場。
7月、アトランタ・オリンピックで十文字貴信選手が千メートルタイムトライアルで銅メダル。
(平成8)
1997年4月20日、アースディ1997イン東京を開催、都内を自転車でパレード。
11月、シマノ自動変速機、快テック・オートDを開発。(平成9)
1998年ドイツの自転車史研究家、レッシング氏は、レオナルド・ダビンチが自転車を発明したとする説を否定。
運輸省は、地球温暖化の解決策の一環として電車に自転車の持ち込みができる制度を導入。
ナショナル自転車工業(株)は、世界最軽量のコンパクト車 トレンクルを発売。
9月5日、新潟県佐渡市で、アジア初のトライアスロン世界選手権開催。 (平成10)
1999年財)自転車産業振興協会の調査によると本年の輸入台数の総合計は4.263.367台で国産は5.590.578台。(平成11)
2000年(財)自転車産業振興協会の調査によると、本年は6月までで3.221.255台の輸入があり、国産車は2.640.847台。この結果、通年で輸入台数が国産台数を上回ることが確実。
”マビック”ブランドの競技用自転車部品を取扱うサロモン・アンド・テーラーメード社は7月からインターネットを使った商取引を開始。
8月、第11回国際自転車歴史会議が堺のシマノ本社で開催。
10月、ブリヂストンサイクルは英国ブラッドフォード市の高級自転車メーカー、アレックス・モールトン社と高級スポーツ自転車、ブリヂストン/モールトンBSM179、を共同開発。
東京北の丸の科学技術館に参加体験型自転車館 ”北の丸サイクル” がオープン。
横浜市MM21地区で初めてパークとサイクルの実験。(平成12)
2001年1月、自転車の温室効果ガスの排出量を環境省が調査したところ、一人が1㎞移動するのに排出される温室効果ガスは、自転車の場合約0.01kg、自動車はこの18倍。
日本自転車協会では、環境に優しい自転車に独自の基準を定め、今後 ”ハース(Hearth)” と呼び普及に努める。
8月、㈱シマノが、コンピューターによって自動的に自転車のギアチェンジとサスペンションを調節する『Di2』(Digital Integrated Intelligence)システムを開発。 (平成13)
2002年5月、自転車タクシー京都で快走、このタクシーを運営するのは環境共生都市推進協会(NPО法人)で地球温暖化防止京都議定書の採択をきっかけにスタートさせた。自転車はドイツのメーカーから10台購入。
8月、ヤマハ・ハイブリッドコミューター 、 ヤマハ発動機は、ガソリンエンジンと電気モーターを併用するハイブリッド式自動二輪車を開発。
12月、電動立ち乗り二輪車(並列二輪)セグウェイ発売。 (平成14)
2003年7月、自転車に初めて乗ったのは日本人だった?ペダル式自転車が、享保17(1732)年に日本で誕生していたことを示す資料を、東京の研究家が分析し、模型を復元した。 (平成15)
2004年6月、自転車を利用することで大気汚染など公害を防止する運動を展開している ”取手バイコロジー運動推進協議会” は、茨城県取手市内の地図に自転車に関する情報などを盛り込んだ(2004年版サイクリングマップ取手)を作製した。 (平成16)
2005年7月、温室効果ガス排出抑止の国際条約 ”京都議定書” 発効で排ガス対策がより重要となる中、苫小牧市は、6月の環境月間に合わせ、職員にマイ・カー通勤の自粛を促す庁内運動、エコ通勤運動を始めた。
9月、村田製作所が超小型センサーで姿勢を制御して走る自転車ロボットを開発。 (平成17)
2006年7月、”A-bike” 、英国の発明家、サー・クライブ・シンクレア氏は、新型のフォールディングバイク(折りたたみ自転車)を開発。 (平成18)
2007年6月14日、道路交通法改正案、道路交通法の一部を改正する法律(平成19年法律第90号)が成立。この改正の目的のひとつに自転車の交通ルールを厳格化したことがあげられる。携帯電話の使用や傘差し運転禁止など。(平成19)
2008年1月4日、神奈川県は、自転車が走行しやすい道路のネットワーク化を計画。自転車にサイクリングロードと、道路幅がある車道や歩道を組み合わせて実現を図る予定。自転車が走りやすい道路や危険個所などを載せた自転車マップ作成や、車道や歩道には自転車の走行部分をカラー舗装するなど。
7月24日、警察庁は、条件付きで解禁されることになった3人乗り自転車について、強度や安定性の向上など6項目の安全要件を取りまとめ、自転車メーカー各社に通知。(平成20)
2009年3月18日、三洋電機は ”ソーラー駐輪場” を徳島県庁に建設。
3月26日から茅ヶ崎で ”サイクル&バスライド” の試験運行開始、路線バスの外部前面に自転車を2台積載。
7月26日、別府史之、新城幸也の両選手は、ツール・ド・フランスの第96回大会(7月4日~7月26日)で日本人選手として初めて完走。 (平成21)
2010年3月25日、世界選手権スクラッチで盛一大が3位。
5月30日、新城幸也選手はジロ・デ・イタリア(第93回)に出場。これでツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人となる。
同日、京都でアースライド2010を実施、地球環境を守るためには自転車を活用することが重要。
10月3日、オーストラリアのメルボルンで開催された世界選手権自転車競技大会個人ロードレースで、新城幸也選手が9位と健闘。 (平成22)
2011年3月8日、広島県呉市豊町に中村春吉(明治35年に自転車世界一周旅行)の碑を建立。
5月30日、別府史之、ジロ・デ・イタリアを完走、これで2009年のツール・ド・フランスに続く2度目のグランツールを完走。
7月4日、自転車運転中に携帯電話を使用した女子高生が神奈川県道交法施行細則(画像注視)違反で摘発。5月1日の一部細則改正後初めて。
9月18-19日、2011トライアスロン世界選手権シリーズ横浜大会開催。
9月23日、神奈川県の茅ヶ崎館で ”貞奴とその時代の自転車展” 開催。 (平成23)
2012年7月1日、女子競輪復活 平塚競輪場で ”ガールズケイリン” としてスタート。
9月10日、東京都自転車対策懇談会、自転車のナンバープレート表示などを提言。
10月22日、ランス・アームストロング、ドーピングでツール7年連続総合優勝タイトル剥奪。 (平成24年)
2013年1月21日、東京地検、信号無視などを繰り返した自転車運転者を原則として罰金を求めて略式起訴方針。
2月14日、悪質自転車走行に講習会や罰則強化、道交法改正試案。
2月28日、越谷市で明治期に製作された三輪車発見。
3月25日、東京地裁、自転車部品の欠陥を認め、輸入元に約1億5000万円の賠償を命じる判決。
7月、ツール・ド・フランス100回記念大会 マイヨ・ジョーヌ(総合優勝)は、クリス・フルーム(イギリス)
10月26日、さいたまクリテリウムbyツール・ド・フランス開催。 (平成25年)
2014年3月21日、『Bicycle Design: An Illustrated History』英語版 Tony Hadland、Hans-Erhard Lessing(共著)を出版。
4月2日、自転車文化センター、東京・目黒駅前に新装オープン。
5月1日、”湘南平塚サイクルポリス”が発足。
5月3日、自転車博覧会 IN AOYAMA 5月3日~5月31日 伊藤忠青山アートスクエアで開催。
10月21日、兵庫県 自転車保険の加入義務化を検討。 (平成26年)
2015年2月18日、自転車世界選手権ポイントレースで上野みなみが2位。
3月18日、兵庫県、自転車保険を全国初の義務づけ。
㋄、add-e 小型のモーターを装着するだけで電動自転車になるアタッチメント オーストリア製。
10月24日、”さいたまクリテリウム” で別府史之選手が2位。
11月1日、開成町町制施行60周年を記念して、足柄ロングライドを開催。 (平成27年)
2016年7月7日、新城幸也選手、ツール・ド・フランスの第6ステージで敢闘賞を獲得。2012年以来2度目。
9月17日、World Human Powered Speed Challengeで世界最速の時速145kmを達成。
9月17日-11月27日、愛媛県立歴史文化博物で ”自転車ヒストリー 夢と希望をペダルに乗せて” 特別展開催。
9月29日、Uber Japan株式会社が東京でサービスを開始。 (平成28年)
2017年1月4日、フランスのロベール・マルシャン(105歳)1時間に22.5㎞を自転車で走り世界新記録達成。
2月1日、東京都の自転車安全利用条例が施行され、ヘルメットの着用や年に1度の安全点検を義務づけ。
7月23日、新城幸也選手、ツール・ド・フランスで完走、7回目。
12月2日、コンビニで自転車シェアリングサービスを開始。
12月20日、LINE、自転車のシェアリングサービスを開始。
12月23日、第1回自転車歴史コンファレンスがシマノ自転車博物館で開催。
(平成29年)
2018年3月2日、世界選手権、男子ケイリンで河端朋之が銀メダル。
7月1日、神奈川県、自転車賠償保険加入を義務化。
7月9日、セラミクスピード社(Ceramic Speed)がシャフトドライブ(DRIVEN)を発表。
7月21日、インドの古い寺院で自転車のレリーフを発見。
8月9日、東京五輪、自転車ロードレースのコースを組織委が発表。
8月23日、アジア競技大会2018、男子ロードレースで別府史之が銀メダル。
12月2日、(公財)シマノ・サイクル開発センター主催の第2回自転車歴史コンファレンスを神田駅前ビジネスセンターで開催。
(平成30年)
2019年1月10日、東京五輪、自転車ロードのボランティア募集。
2月23日、24日、2019年ハンドメイドバイシクル展を東京流通センターで開催。
7月21日、東京五輪、自転車ロード、テストイベント開催。
10月17日、ブリヂストンサイクル、パンクしない自転車の最新モデルをRATIO and Cで展示。
10月31日、ホープとロータス(Hope TechnologyとLotus Engineering)は、斬新的なデザインのトラック競技用自転車を発表。
(令和元年)
2020年1月11日、(公財)シマノ・サイクル開発センター主催の ”第3回日本自転車史コンファレンス” 静岡市役所で開催。
1月25日、26日、2020ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
3月25日、新型コロナウイルスの世界的蔓延で本年開催の東京オリンピック・パラリンピック大会を1年延期。
11月25日、防災する自転車Ⅱを発売。 (令和2年)
2021年1月26日、一般社団法人ジャパンサイクルリーグ(Japan Cycle League、略称 JCL)設立。
2月9日、㈱シマノ、コロナ禍の自転車人気で増益。
2月9日、自転車雑誌などの(株)枻出版社、東京地裁へ民事再生法の適用を申請。
2月13日~3月21日、自転車文化センターで、オンラインハンドメイドバイシクル2021を開催。
2月19日、コロナ禍の自転車利用拡大で、自転車摘発25,000件超(昨年交通違反)。
2月28日、イタリアの古代遺跡ポンペイ近くで約2000年前の馬車を発掘。
3月21日、㈱シマノ、創業100周年を迎える。
4月30日、ホダカ㈱、90周年記念のニューマルキン号を100台限定で発売。
6月1日、日本自転車史研究会が創設40周年。
7月24日、東京オリンピックの自転車個人ロードレースでリチャル・カラパス(エクアドル)が金メダル、新城幸也選手が35位と健闘。
8月8日、東京オリンピックのオムニアム(自転車トラックレースの複合競技)で梶原悠未選手が銀メダル。
9月28日、電動キックボード、警視庁が安全指導を実施。
10月23日、コロナ禍で電動アシスト自転車のバッテリー盗難各地で相次ぐ。
10月24日、世界選手権の女子ケイリンで佐藤水菜が銀メダル。
10月26日、ホバーバイク、富士スピードウェイで実演飛行。
11月27日、”自転車の進化”(Evolution des Fahrrads)ドイツ語版 Hans-Erhard Lessing、Tony Hadland 共著を出版。
(令和3年)
2022年1月22日-23日、2022年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。同会場で”東京自転車歴史研究フォーラムin HMB”も実施。
3月24日、「シマノ自転車博物館記念誌(Bicycles Human Dreams)を発行。
3月25日、新しい「シマノ自転車博物館」が堺東駅前にオープン。
4月8日~9月25日、トリノ自動車博物館(MAUTO)で、「モトゥス・自動車前史」という企画展に陸奔舟車のレプリカを展示。
11月30日、ChatGPT公開。
12月4日、「東京自転車歴史フォーラム」を開催。1865年の三輪車写真など。
12月20日、改正道路交通法の施行期日に関する政令が閣議決定、2023年4月1日から全ての自転車利用者にヘルメットの着用が義務。
(令和4年)
2023年1月19日、警察庁、電動キックボード基準を満たせば自転車並みの扱い。
1月21日-22日、2023年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
2月、Microsoft社、対話型のBingのAIチャットをリリース。
3月21日、Googleが開発した会話型人工知能Bardをリリース。
4月1日、自転車のヘルメット着用、努力義務化始まる。
4月15日、16日、東京ビッグサイトで、CYCLE MODE TOKYO 2023を開催。
5月12日、「自転車の起源」1巻. 技術の進化 アルフレッド・アッツィーニ著を発刊。
5月13日~16日、第32回国際自転車歴史会議 (ICHC)はイタリアのクレモナで開催。
7月1日、一定の条件を満たした電動キックボードに限り、16歳以上は免許なしで利用可。
8月3日、自転車の交通違反に「青切符」 警察庁が反則金制度導入を検討。
8月21日、水素使った燃料電池の電動アシスト自転車、山梨で実験。
9月24日~10月25日、エリック・ナイトとマーク・ケネディ、137年前のトーマス・スティーブンスの長崎から横浜までの再現旅行を達成。
12月21日、警察庁、自転車にも「青切符」導入へ。
(令和5年)
2024年1月21日-22日、2024年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
2月8日、グーグル生成AIのBardがGeminiに変更。
3月3日、野口商会120周年記念カタログを発行。
3月4日、「ツール・ド・北海道」昨年の死亡事故を受け今年の大会開催を見送る。
3月5日、自転車にも「青切符」、道交法改正案を閣議決定。
4月6日-7日、CYCLE MODE TOKYO 2024 東京ビッグサイトで開催。
(令和6年)

初編、1996年11月22日
最終更新日、2024年3月27日
日本自転車史研究会 大津幸雄 編

2024年3月26日火曜日

巨大な四輪人力自走車

 巨大な四輪人力自走車

下の写真は、ホルツシューバーの巨大な乗り物である。 (1588年)

駆動方法はよく分からないが、それにしても大きい。

ライダーを含め9人乗りのようである。

実際に製造され走行したのか、単なる創造的な図で終わったのかは不明。

山車の一種かも知れない。1516 年の木版画にあるマクシミリアン1世のパレード用車両を思い出す。


ホルツシューバーの巨大な乗り物
SCIENTIFIC AMERICAN SUPPLEMENT
MARCH 31, 1906.

2024年3月24日日曜日

M.リチャードの四輪車

 M.リチャードの四輪車

1690年、フランス・ロシェルの医師 M.リチャードは、馭者と後方に乗る従僕(Footman)の足踏み式二人乗り四輪車を製作。DR. RICHARD'S HORSELESS CARRIAGE (1690).

下の駆動部、図2の説明に、

AA は、車軸 BB によって互いに接続された2つの後輪で、車軸上には2つの歯車CC があり、CCの外側には2つの曲がったアームDD があり、中心と同様に車軸上で自由に動く。肘継手の部分には戻り止めの歯がある。

取り付けられたコードは、踏み板EE が上昇または下降するときに、踏み板の端に結び付けられたコードFFによって交互に車輪CCの歯を捕らえ、滑車 G の上を通過する。それはキャリッジの後部にあり、その軸上で自由に動く。 一方の踏み板が足の重みで押し下げられると、もう一方の踏み板が上がる。 ペダルと肘継手にかかる人の体重により、車輪Cが回転し、それに伴って車軸と動輪 A が回転する。この動作が繰り返されることで、台車はゆっくりと走行する。

25頁 の図
Velocipedes  Bicycles and Tricycles 1869 Veloxより


26頁の図

2024年3月23日土曜日

神奈川縣自轉車商業協同組合

 神奈川縣自轉車商業協同組合

下の写真は、昭和31年の

神奈川縣自轉車商業協同組合 第一回会計担当者打合会

参加者の集合写真


写真提供:秦野市 片野自転車店

神奈川県自転車商協同組合について
昭和22年7月2日に「組合員の相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な共同事業を行い、もって組合員の自主的な経済活動を促進し、その経済的地位の向上を図ること」を目的として設立されました。
また、社会貢献事業として、自転車利用者が安全で安心な自転車に乗り続けられるように各自治体や関係協力団体と連携しながら交通安全啓蒙活動や自転車の無料診断・点検などを積極的に行っております。
(同組合のHPより)

註、神奈川県自転車商協同組合は、神奈川県内の自転車販売店約400店によって構成される協同組合である。
主な事業内容
自転車防犯登録の普及推進
組合員の共同購入
組合員の廃棄物共同回収
自転車安全利用の推進
地域活性化への貢献
組合オリジナル自転車「カモメジテンシャ」
「カモメジテンシャ」は、2021年に発売された、組合オリジナルブランドの自転車。

2024年3月22日金曜日

輪業世界 - 2

 輪業世界 - 2

「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行

に以下のような石川賢治の記事があったので、紹介する。

この記事から彼の倹しい意外な一面を知ることが出来る。

或いは記者の創作も一部含まれているか。

私の観た石川賢治氏 光輪生

▼思出日記の一

石川賢治氏は輸入輪業者の覇王と稱せ られた、米國製ビアス輸入元橫濱石川商会主であつて、現丸石商會の専務取締役たる山口佐助氏や、同會取締役深見實氏、同本尾多嘉助氏等の舊主なり舊師なりであることは諸君も御承知であらう、

氏が自轉車の輸入を掌どらるるに至つ た動機に就ては他日詳細に報導する機もあるが、先づ私が始めて横濱の石川商會を訪問した時の感動を一寸茲に御紹介して見やう、夫れは今から十五六年前の二月の初旬であつた、三等列車に乗って神奈川驛に停まると、私の隣りに腰を下した田舎の親爺があつた、其頃ハイカラの最も卑しんだ二十錢位の綿フランの襟卷を無造作に頸に巻いて十錢位の山桐の下駄を穿き、木綿竪縞の和服を着て角帯を締めて居た、丁度朝の十時頃次驛の橫濱(今の桜木町)に着いたので、私は例の鐵の橋の彼方に聳ゆる屋上の自轉車を目標としてコッコッ歩いてゆくと、其親爺さんも後とからついて来る、妙な人だなと思ひ乍ら丸石商會に這入つてゆくと其先生も亦た這入る、ハハア此人は商會の小使さんだらうと思って居た、夫れから山口さんや深見さんに会って色々お話をして居ると、先刻の小使が出て来た、山口さんが「恰度好いから主人を御紹介しませう」と仰しゃるのでゼヒお願ひします・・・・・・」と澄して居たら、「是れが石川さんです……」と前の小使さんを紹介されたので、私はハッと思つた拍子に暫くは口が塞がらなかつた、是れは實際の事である、其次にお茶を運んで来たお婆さんは傭ひ婆さん位ゐに思って平気で頭も下けずに居たら、夫れが石川氏の奥さんであると紹介されてコレはコレはと二度吃驚したが、実に輪業者として偉大な成功をした人として石川氏程の質素な、而も高潔な人格者は無いと今日に及んで切實に痛感せしめられる。


「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
日本自転車史研究会所蔵資料
11頁

2024年3月21日木曜日

セキネの自転車

 セキネの自転車

下の写真は、セキネ自転車の宣伝カー。1960年頃。

写真提供:秦野市 片野自転車店

セキネ自転車の広告
「サン・グラフ」6月号 1957年発行
国会図書館所蔵資料


セキネ自転車の略歴
セキネ自転車は、かつて存在した日本の自転車メーカー。
大正12年3月に関根忠蔵が東京・三河島町で自転車小売業として創業。
戦後の混乱期のなかで自転車の有用性は高まり、昭和23年8月に工場を設立、26年12月に㈱関根自転車工場と改称して製造メーカーになる。
30年代は自転車ブームの波にのり業績を伸ばす。
手堅い経営と品質重視の体制でセキネブランドを確立した。
(参考資料:自転車産業年鑑 1982年版)

輪界興信名鑑 昭和3年度版 西部日本
国会図書館所蔵資料

2024年3月20日水曜日

輪業世界 - 1

 輪業世界 - 1

「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行

編集者の緒言

誠心誠意那邊に在る歟

世に誠心誠意を有する人の鮮なきは恰も暁天の星の如きものである、と古人も謂つて居るが、戦後我邦の人心に就て見るに其弊一層甚だしきを感ずるは慨嘆の極みである、一二の例を舉げても首都の府尹にして不正の疑ひを受け、一長官にして亦不義の富に眩惑した者もあり、夫は妻に對し 妻は夫に對し、親は子に對し、子は親に對し、主は従に對し、従は主に對 し、師は子に對し、子は師に對し、友は友に對して果して誠意の一貫せるものありや・・・・

主幹 清水 卓

註、自転車とオートバイの専門誌としては、当時の時代背景を強く感じる清水主幹の第40号の緒言である。


日本自転車史研究会
コピーを所蔵
以下同じ

奥付

2024年3月19日火曜日

軽合金の自転車

 軽合金の自転車

「軽合金の自転車への利用」鳥山研究所 鳥山新一

日本サイクリングクラブ、1955年発行


国会図書館所蔵資料
以下同じ

第1表
軽合金自転車の歴史
1947年、三菱重工の十字号及び
岡本自転車のノーリツ号に注目


軽合金の 自転車への利用(一部抜粋)
すでに輸入外国製自転車研究によって、スイス製、フランス製の自転車をはじめ、 欧州諸国の自転車においては、軽合金の利用が相当の普及度にあることが広く知られてきた。さらに最近のサイクリング用車に対する要望や輸出用の軽量車の問題もあって、メーカーの立場からも必然的に軽合金に対する関心が高まっている状況である。しかしながら、現在までのところ、自転車に対する軽合金の利用についての研究報告、あるいは参考文献は比較的少く、筆者の知っている範囲の主なものはつぎの如くである。

(1)自転車海外情報 第14号(26年6月)
外国製競走車の部品 鳥山新一
(2)同上 第31号(27年7月)
南欧現地調查報告 技術編 鳥山新一
(3)同上 第39号(27年12月)
欧州製部品紹介写真集 鳥山新一
(4)外国製自転車研究報告 1952年度版 工業会
(5) 名古屋工業技術試験所調查報告 第1号(28年4月)
(6) 堺市產業技術委員会研究報告 第6集 (28年5月)
(7)外国製自転車研究報告 1953年度版 工業会
(8) 自転車海外情報 第57号(29年4月) 軽金属協会
(9)自転車生產技術情報 第5号(30年2月) 森永卓一氏

上記のうち、(1)~(3)は主として欧州諸国における軽合金製部品の紹介とその普及状況、ならびに 使用合金品種について簡単に述べたものである。
(4)は輸入スイス車に使用されていた若干の軽合金製部品の成分分析、あるいは推定組成が断片的に報告されており、(5)、(6)はいずれもこれに転載されている。しかし、ここで扱われている部品の品種はわずかであり、その記載もきわめて簡単である。(7)はフランス車の部品8品目の分析表とAlcoaの規格表が掲載されている。(8)にいたってようやくアルミニウム合金の自転車への利用が、その歴史から説きおこして具体的に各部品に対し、どのような品種の軽合金を使用すべきかが、かなり詳細に紹介された。しかし原文がイギリス の文献である関係もあって、現在自転車界でもっとも軽合金の利用の盛んなフランスの部品についてほとんどふれていないのは残念である。とはいうものの、規格表の羅列や単なる分析結果の表示 に過ぎなかったものに対し、一応製作上の手がかりをあたえた点では重要視すべきものである。・・・・

2024年3月18日月曜日

外国製自転車研究報告 - 5

 外国製自転車研究報告 - 5

下の写真は、

「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編

関連の蔵書である。

残念ながら1952年版が欠。1951年は2冊ある。

日本自転車史研究会所蔵

表紙
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
1950年版

「外国製自転車研究報告」は、日本自転車工業会が1950年から1953年にかけて発行した報告書。戦後の自転車産業復興を目指し、欧米の最新技術を調査・研究するために発行された。戦後の日本自転車産業における技術革新に大きく貢献した資料。欧米の最新技術を詳細に調査・研究しており、当時の自転車産業を知る上で非常に貴重である。

2024年3月17日日曜日

陸奔舟車関係 - 2

 陸奔舟車関係 - 2

以前に発行された「バイシクル・デザイン」(BICYCLE DESIGN、2016年発行)と「自転車の進化」(Evolution des Fahrrads、2021年発行)の記述で陸奔舟車の部分を比較すると、どういう訳かその一部が変更されていて、「自転車の進化」の方では久平次の「陸奔舟車」が「陸舟奔車」に変わっている。何故か?

「陸奔舟車」の方が正しいのだが。


Evolution des Fahrrads (Technik im Wandel)  2021年発行

ドイツ語版  Hans-Erhard Lessing 、Tony Hadland 共著

Abb. 1.2 Hiraishi's Riku-Shu Hon-sha (impulsives Landboot) und sein Pedalantrieb (Shiga State Library; Rekonstruktion von Kazusuke Koike)

図 1.2 平石の陸舟奔車(自走陸上ボート)とその足漕ぎ装置(滋賀県立図書館:小池一介 復元)


Bicycle Design: An Illustrated History  2016発行

Tony Hadland、Hans-Erhard Lessing 共著

Figure 1.2 Hisashi's Riku-Hon-Sesya (impulsive land boat) and its pedal drive unit (Shiga State Library; photo and reconstructions by Kazusuke Koike).

図 1.2 平石の陸奔舟車 (自走陸上ボート) とそのペダル駆動装置 (滋賀県立図書館、写真と復元: 小池一介)


2024年3月16日土曜日

外国製自転車研究報告 - 4

 外国製自転車研究報告 - 4

下の写真は、

「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1953年発行 より


トライアンフ自転車
国会図書館所蔵資料
以下同じ

NSU クイックリー 50

NSU クイックリー
バイク企業で有名な NSU は、1953 年にクイックリー(Quickly)を導入した。
その後 10 年間で、さまざまな仕様の車種を100 万台以上製造。 
プレスされたスチールフレームは頑丈で量産しやすいものであった。
クイックリーは 1954 年後半に英国で発売され、最初は NSU の英国パートナー企業であるヴィンセント(Vincent)によって販売された。 
ベーシックモデルは、2速クイックリーNである。

2024年3月15日金曜日

ビクトリア・ワークス

 ビクトリア・ワークス

ビクトリア・ワークス(Victoria-Werke A.-G. Nürnberg)

ドイツのニュルンベルクに拠点を置いていた会社。

業種: ハイホイール、自転車、オートバイ、自動車。

ヴィクトリア・ワークスは、1886 年に「Velocipedfabrik Frankenburger & Ottenstein」として設立され、1958 年にツヴァイラード組合の一部となり、1968 年にHercules に引き継がれて終了した。 

この会社はニュルンベルクのオートバイ産業のさきがけでもあった。


1895年7月12日付けの請求書
資料提供:E・パウアー氏

2024年3月14日木曜日

外国製自転車研究報告 - 3

 外国製自転車研究報告 - 3

下の写真は、

「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1952年発行 より


BSA
クロードバトラー
国会図書館所蔵資料
以下同じ

アルシオン

バイヤン
アルシオン

昭和27年外国製自転車研究担当者表


アルシオ(Alcyon)について
アルシオンは、エドモン・ジャンティがセーヌ県ヌイイで1890 年頃に自転車製造を創めたと云われている。後にオートバイや自動車も製造している。

アルシオンの自転車チームは、1906 年にプロ自転車チームを設立し、1955 年まで活躍を続けた。このチームはツール・ド・フランスで5回ほど優勝すなど目覚ましい成功を収めた。

2024年3月13日水曜日

外国製自転車研究報告 - 2

 外国製自転車研究報告 - 2

下の写真は、

「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1951年発行 より

ローヤルエンフィールド
国会図書館所蔵資料
以下同じ

BSA

サンプレックス

金マーク見取図
ヘッド金マーク
BSA、ニューハドソン、ローヤルエンフィールド
ドウズ、ハーキュレス、ラレー


本報告の最終的取りまとめは、下記の人々によつて行われた。(順不同)

市米康雄 岡本自転車株式会社
中西捨三 日本スイフト工業株式会社
台 由男 日本スイフト工業株式会社
田中正司 大日本機械工業株式会社
宮田輝彥 株式会社宮田製作所
藤本 宏 片倉工業株式会社多摩製作所
横巻教茂 株式会社志村精機製作所
多田喜起 報国チェン株式会社
舟橋泰夫 高砂チェン株式会社
高木乙馬 日米富士自転車株式会社
鶴田成正 合名会社三光舎
堀江順策 昭和護膜株式会社
根本 徹 ゴム製品検査協会
平木 一 社団法人自転車技術協会
藤波哲太 社団法人自転車技術協会
鈴木重義 社団法人自転車技術協会
下村秀嶺 日本自転車工業会
佐藤一男 日本自転車工業会
田中嘉一郎 日本自転車工業会
鳥山良枝 日本自転車工業会