2023年8月14日月曜日

ファーフラーの車椅子

 ファーフラーの車椅子

ナショナルジオグラフィック日本版サイトに、車椅子の歴史、「車輪付きの家具」から世界を広げる乗り物へ(2023年8月12日)

の記事が掲載され、ステファン・ファーフラーのことが以下のように書いてある。

自走式の車椅子が登場したのは1655年のことだ。幼少時の事故で両脚の機能を失った時計職人のステファン・ファーフラーがドイツ、ニュルンベルクの教会に通うためにつくった。ファーフラーの発明品は、現代のリカンベント(あおむけに寝た姿勢で乗る自転車)に似ており、手回しクランクを使って前進する仕組みだった。今では、これが三輪車の先駆けと考えられているが、ユニークな発明は当時、自家動力の車輪付き乗り物の可能性を示していた。

ファーフラーの三輪車
ペダルクランクと前輪の歯車が連動
三輪車や自転車の元祖とも云われている
「自転車とサイクリスト」
ヴィルヘルム・ウルフ著 1890年発行

2023年8月13日日曜日

自転車関係資料 - 264

 自転車関係資料 - 264

「自転車乗車実習」昭和59年度交通安全教育指導者中央研修会資料

鳥山研究所長 鳥山新一 全6頁

この点検と整備項目は参考になる。

私も乗る前に先ず空気圧、前後車輪の振れ、サドルの上下左右位置(たまに後ろに下がるため)、ブレーキの利き、チェーンとギヤの汚れ、などを目視或いは点検している。

表紙
日本自転車史研究会所蔵

2、3頁
自転車利用者が行う点検と整備

2023年8月12日土曜日

宮田の國華号

 宮田の國華号

下の宮田の國華号の写真は、1999年(平成11年)1月1日の年賀葉書からで、当時宮田の社員であった中村安良太氏からいただいたもの。

茅ケ崎の宮田工業の正面ロビーに展示されていたとのこと、この自転車は現在どうなっているのか確認していないが、大正期に製作された自転車である。

どこかで現在も保管されていればよいのだが。


中村安良太氏からの年賀状より

大正14年発行の日本輪界興信名鑑
国会図書館所蔵資料 コマ番号22

国華号のマーク

「日本で製作・販売された自転車のブランド名に関する調査研究報告」平成17年3月発行より

この調査研究報告書によると宮田製作所(当時は東京市神田区)が大正6年頃に製造販売とある。


2023年8月11日金曜日

はじめて自転車に乗ったあの日

 はじめて自転車に乗ったあの日

企画展 はじめて自転車に乗ったあの日

1997年3月1日~5月30日

このイベントは師勝町歴史民俗資料館(現在は昭和日常博物館)で開催された。

内容は、昭和30年代の自転車店の再現や当時の実用車、子供車を中心に展示。

その他、和製ダルマ自転車、ランプ、各種自転車マーク等。

特に注目されるのは、 自転車店の再現で、当時の雰囲気を彷彿させ、幼い頃の風景を思い出させてくれる。

見る人によっては、三角乗りで初めて自転車に乗れた時の感動を呼び戻してくれるのでは。

4月27日には、自転車とモーターバイクのミーティングも同会場で行われた。

昭和日常博物館の所在地:北名古屋市熊之庄御榊53番地


(情報と写真提供:冨成一也氏)

同上

左隅のダルマ自転車にも注目


私が初めて自転車に乗れたのは小学校2年生の時(1956年・昭和31年)である。秦野市立本町小学校の校庭で自転車乗りの練習が始まった。この校庭からは丹沢の表尾根である二ノ塔や三ノ塔などがよく見える。
 父の大きな黒塗りの実用車を引っ張り出してきて、校庭で自転車訓練の開始である。最初は自転車の後ろ荷台を兄に支えてもらいスタートする。当然、チビなのでサドルには跨げない。そこで当時の子供が誰でもやっていた三角乗りという方法である。最初は自転車のバランス感覚をつかむためペダルは漕がず、後ろから兄に押してもらう。自転車が少し加速したところで、知らない間に兄の手が荷台から少し離れる。転倒しそうになるとまたすぐに荷台を支えてもらう。だが何度も転倒し膝などをすりむく。このような試練を経て練習をかさねるうちに体がバランス感覚を覚え、後ろの兄がいつ手を放しても徐々にその走行距離が伸びてくる。最終的には自分だけの力でスタートできるようになる。これをさらに何度も繰り返すうちに、今度は両足を使って、三角乗りの状態でペダルを回転させる。直進だけであったものがハンドルを少し動かし方向転換もできるようになる。だがやはり何度も転ぶ。
この段階になると自転車に乗れたという感覚になり、楽しさは倍増する。徐々に自転車がコントロールできるようになった証拠でもある。学校から15時ごろ帰ると17時ごろまで雨が降らない限り練習を繰り返す。毎日、3時間以上は練習したはずである。
この練習が日課のようになってから1週間ぐらいして、かなり走行距離を延ばすことができるようになると、いよいよ校庭から一般道路に出ることになるが、自分の家の前の通称「醍醐道」は殆ど車が通らないので危険はない。ただ、水無川の北側方向にはすぐに坂があるので、三角乗りでは登ることができなかった。ここは自転車から降りて押すことになる。また、平たんになったところで自転車に乗る。
 自転車に乗れるようになると、大げさに云えば世界が広がったように思えてくる。どこでも行かれるような気分と感覚になる。自転車のすばらしさを初めて体感したのである。

2023年8月10日木曜日

陸奔舟車

 陸奔舟車

陸奔舟車の関係資料

「憲友」軍警会 [編] 1935年(昭和10年)6月10日発行

この雑誌の121頁に陸奔舟車関係の記事あり。


「憲友」121頁
国会図書館所蔵資料
以下同じ

122頁

奥付


「憲友」121、122頁

陸奔車に關する記録發見
自動車の發明は日本が最初か

段々研究して行くと世界の科學的發明の最初がどれもこれも日本らしい、たゞどれもこれも完成しないのが遺憾だが著想だけは確かにいい、大毎子の報道によると自動車の發明が日本が最初らしい記録が出現したといふのである。
江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間に於ける天文學者として知られた人だが、彦根町史編纂資料蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏は四月二十一日時光の子息彌右衛門重實が同町長松院境内の中に埋めていた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を登見した、 陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、それは今から二百年前の事である。
木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型の長さ九尺、外面は黒塗、 中央に楫を立て、運轉者が自らその楫を執て前進する、 舟型の下には四輪車があり、二輪は中央の左右に現はれ、二輪は前後につけ車を隠し、その艗車、後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ、車は大小ある、速力は一刻に七里を走ると記されてあるから、いまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで、進止屈曲も楫によつて自由で、その原書の賛辞を訳すると、「手に舞し足にて踏む、實にこの器ありて行かんと欲するものは足下にて往き、止まらんと欲せば直に止り、曲らんと欲すれば掌中にて曲る鳴呼奇なる哉」と賛し、機関部は簡単なれど秘して圖とせずと断って居るが、この新考案發明品も、頑冥な当時の権勢者に容れられず、「人間には足がある、危険の伴ふ乗物まかりならん」と叩き壊はされ、文書によつてのみ會心の創作品を鐵塔下に埋め遺して置いたのである。

註、この記事によると大阪毎日新聞に掲載された記事とある。
但し年月日は書いていない。
昭和10年4月であることは間違いない。
4月21日に発見とあるから、他の資料から類推して4月23日の記事と思われる。

2023年8月9日水曜日

トーマス・スティーブンス

 トーマス・スティーブンス

ペニーファージングの自転車で世界一周したトーマス・スティーブンス。

下記サイトに彼の記事が載っていた。

トーマス・スティーブンスの記事は → こちら


An illustration of Stevens and his bicycle in Japan
Stevens. Thomas
 Around the World on a Bicycle. 1888


2023年8月8日火曜日

自転車関係資料 - 263

 自転車関係資料 - 263

「自転車で1万マイル」カール・クロン著 1887年発行

この本は「孤独な旅人が自転車に乗って田舎を走るとき…人間との関係と環境が変化する」 ここから、19 世紀のサイクリングに関する彼の論文が始まる。

『Ten Thousand Miles』は「自転車で旅するサイクリストのための本で、その理想は百科事典、統計ガイド、類語辞典」であると説明している。

 彼がアメリカとカナダをサイクリングした時の経験を詳しく説明し、さらに海外でのサイクリングについても述べている。 (有名な長距離ルートやヨーロッパの電車内での自転車の取り扱いに関する規則や制限などの実用的な情報も含む)

 一般的な索引、人物或いは場所の索引、およびサイクリングに関する書籍や記事の広範な参考文献がある。 

この本を「最愛のブルドック・カール」に捧げとし、ペットの伝記も書いている。 自転車愛好家だけではなく、犬好きの人にも読んで欲しい一冊。

表紙

寄付の証明と著者のサイン

愛犬のカール

序文