2026年8月5日水曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下の資料は出宮順一関連。

昭和十一年陸軍戶山學校大運動場で行はれた世界選手權大會全日本豫選會一萬米競走(先頭は出宮順一・岡山縣)のスナップ

註、写真は昭和11年(1936年)に戸山学校運動場で行われた世界選手権大会全日本予選会の様子。先頭を走っているのは、岡山県代表の選手であった出宮順一。


「自転車運動綱要」
日本自転車聯盟 編 目黒書店
昭和13年6月15日発行
国会図書館所蔵資料

奥付

2026年8月4日火曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下の資料は、「合同年鑑」 昭和16年 合同新聞社より

自轉車競技優秀選手

岡山縣淺口都玉島町出宮順一氏

出宮氏は一九三六年度スイスで開かれた世界自車競技選手大會に日本代表選手の榮を攜って出場海外にまで勇名を馳せた国際的サイクル選手である。氏は岡山縣淺口都玉島町の出身で玉島併置校卒業後は家業の自轉車販売に従事してゐるが、小學校に学ぶ頃から自転車に天才的資質を備へ、尋常二年九歳の時兒島郡字野町で開かれた一流選手競走に初陣を飾って以來長距離を得意として各地の競技會に出場、多数の栄冠を獲得してゐる。・・・


「合同年鑑」 昭和16年 合同新聞社
国会図書館所蔵資料

2026年8月3日月曜日

出宮順一関連

 出宮順一関連

下は、出宮順一関連の資料、

寫眞は丁抹(デンマーク)オルドラップ議技場に於げる編者とわが自練車競技界のホープ出宮順一君(岡山縣)


「自転車運動綱要」日本自転車聯盟 編
目黒書店 昭和13年発行
国会図書館所蔵資料

註、 出宮順一(でみや じゅんいち)
1917年 – 1945年6月
岡山県の旧玉島町(現・倉敷市)出身
出宮順一は世界情勢が閉塞感を強める中、1930年代初頭から主にロードレースで台頭した選手で、実家の自転車店を手伝いながら競技を続けていた。1935年には当時のアマチュア日本選手権においてロードレースと1万メートルのスプリントで優勝し、その実力が認められる。翌1936年、ベルリンオリンピック日本代表選手に選出され、開会式には参加したものの、役員の登録ミスでレースには出場できなかった。
オリンピック出場が叶わなかった約3ヵ月後、結果的に日本人選手として、オリンピックも含めて初めて自転車競技の世界大会出場となった、スイスのチューリッヒとベルンで開催された世界選手権自転車競技大会に、石塚隆春、村上二三九、困見辰夫の3人とともに参加した。スクラッチおよび145kmロードレース(いずれもアマチュア部門)に出場し、ロードレースにおいて7位に入る健闘を見せた。この結果について、世界選手権のロードレースにおいて、プロ・アマ通じて現在でも日本人選手の最高順位である。
その後、第二次世界大戦が始まると陸軍に召集されて出征。1937年の日中戦争勃発を機に「オリンピックはやめるべき」との声が高まり、1938年には日本がオリンピックを返上、東京大会(1940年)は中止となる。スポーツは兵士を育成するための軍事訓練の場となり、出宮は獲得したトロフィーを兵器転用のために徴収されてしまったと云われる。
1941年に太平洋戦争が始まると、出宮は1943年に召集され南方の戦地へ赴いた。自動車などが進めない密林や山岳地帯で物資を自転車で運び、偵察や伝令を行う「銀輪部隊」に配属され、旧ビルマ(現ミャンマー)に送り込まれた。そして1945年6月、旧ビルマにて戦死した。

2026年8月2日日曜日

2003年産業考古学会総会

 2003年産業考古学会総会

以下の論文は自転車関連、

彦根藩士自転車を発明する
1728~1732年のわが国における自転車の発明
THE INVENTION OF CYCLES BY JAPAN (1728~1732) years
梶原 利夫
TOSIO KAJIWARA
1、はじめに
従来自転車の発明はヨーロッパに於いて発明されたというのが一般的な通説である。だが世界の自転車史を書き替えるに値する史料として、彦根市立図書館所蔵、平石家文書「新製陸舟奔車之記」によって、ペダル・クランク機構の自転車の発明が、フランス人のミショーよりも129年前に発明されたことが明らかになった。
この文書は彦根藩士、平石久平次時光(1696~1771) の遺著であり久平次時光死後、二十年忌に菩提寺長松院(彦根市一番町) に三重の鉄塔を建立して中に八角形桐製の桶(風呂桶ほどの大きさ)に書類.524冊、曆200冊書付類 606点と供に密封されていたが、大正3年12代目の子孫によって開封され、 書籍類の大部分 724 冊は横浜の平石家へ持ち帰り図書館の建設を企画中、関東大震災にあい持ち帰った部分は焼失した。だが幸運にも「新製陸舟奔車之記」は焼失をまぬがれ、昭和8年彦根町史編纂委員の要請により再び取出され彦根町立図書館に保管されていたが、昭和44年に「平石家文書」606点に分類整理され『郷土史料目録第5集』が刊行された。「新製陸舟奔車之記」は測地の部に整理番号 492で収録されている。・・・

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資料提供:梶原 利夫氏

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産業考古学会第23回(1999年)論文集

 産業考古学会第23回(1999年)論文集
以下の論文は自転車関連、

産業考古学会第23回(1999年) 総会研究発表講演論文集
自転車文化センター保存資料にみる自転車錠の種類と変遷
Kind and changes of the bicycle lock that observe it to the Bicycle Culture Center preservation data.
谷田貝一男(自転車文化センター)
Kazuo YATAGAI (Bicycle Culture Center)

Ⅰ. はじめに
地球の環境保全が叫ばれている現在、二酸化炭素を発生しない地球にやさしい乗物として、また健康維持に最適な乗物として自転車が見直されている。その一方で、駅前の無法な放置や盗難、利用者のマナーといった問題も指摘されている。
こうした問題の中で、最近特に盗難防止のためのいろいろなアイディアと工夫を施した自転車が発売されているが、そのアイディアの多くはすでに明治の頃から登場している。
盗難防止のための自転車錠は、自転車走行のために必要不可欠な部品ではないため、 特に保存が十分ではない。今回は、自転車文化センターが所有する資料、文献に限って日本を対象にして検討したため、拙稿な部分も多く、さらなる研究を要するが、自転車部品特に錠前の保存対策の一助になれば幸いである。・・・

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表紙
資料提供:自転車文化センター

表紙に描かれているのは、戦後間もない時期に三菱重工業が航空機の技術を応用して製造したジュラルミン製自転車「十字号」。

2026年8月1日土曜日

産業考古学会第17回(1993年)論文集

 産業考古学会第17回(1993年)論文集

以下の論文は自転車関連、

産業考古学会第17回(1993年度)総会研究発表

日本の自転車灯火

―――提灯から発電ランプまで――

梶原利夫

1、はじめに

今日わが国の自転車用発電ランプの生産は、わずか5企業で、全世界シェアーの50%を生産するまでに至っている。上記5社の内、数社は乾電地ランプ、あるいは発電ランプの市場性に着目し、乾電地ランプや発電ランプの生産を軸として、大企業へと発展させた。一方自転車が、わが国に出現する以前から使われていた提灯が初期の自転車灯として用いられ始めた。その後乾電地ランプが着及する大正の末まで、長い間だローソク灯が自転車の主な明りであった。勿論石油ランプや、アセチレンランプもあったが高価なためあまり普及はしなかった。

本稿では、前近代的な、手工業生産による自転車灯火器としての提灯から、今日の乾電地ランプや発電ランプまでの発展過程を、制度、文化、技術、等を踏まへて概観的に報告する。・・・

表紙
資料提供:梶原利夫氏

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8頁

C.T.C英国ロードブック

 C.T.C英国ロードブック

サイクリスト・ツーリング・クラブ
1878年設立 1887年法人化
英国ロードブック
第1巻
南部諸州(ケントからコーンウォールまで)を収録
編纂・編集 フレデリック・W・クック
第5版・改訂版 1900年
Cyclists' Touring Club
Founded 1878. Incorporated 1887.
BRITISH ROAD BOOK.
VOLUME I.
Comprising the Southern Counties (KENT TO CORNWALL).
Compiled and Edited by FREDERIC W. COOK,

表紙

表題


ルート1. ロンドンからマーゲートまで
注:ブラックヒース・ヒルとシューターズ・ヒルを避ける、ダートフォードへのより簡単なルートがあります。ルート2をご覧ください。