2020年12月20日日曜日

第1回ポリージャポン

  ポリージャポンとは、主にランドナー型クラシック自転車の愛好者の年に一度の集いであると思っていた。いずれにしても息が長く、初回から既に30年近くになる。今年はコロナ禍で中止になったと聞いている。
 ポリージャポンのコンセプトは不勉強でよく分からないが、下の資料を見てもらえばだいたいその趣旨は読み取れるが、私がいままで参加した何回かのイベントを振り返ってみると、あくまでも私的感想になるが、エルスや東叡社のランドナーを中心とした集いのように思われた。毎年のテーマは事前に決まっていて、そのテーマに沿って製作された自転車の優劣を競うもので、そのテーマ部門と、レストア車の部門とがある。審査は参加者全員の投票によって選び決定される。その他、ビンゴゲームやスワップミートなども行われる。
 自転車が発明されて200年以上になるが、この会がもう少しすそ野を広げればよいのではと思うのだが、主催者に言わせればおそらく「この会のそれがこだわりであり、オタクたる所以である」と反論されそうである。
 この会のコンセプトは、そのようであるにしても、参加者の高齢化と共に、先細りにならないかを心配している。しかし、いずれにしても30年近くも続いている自転車の催事は日本では珍しいし、一つのそれが自転車文化の一端に位置付けられるまで高揚し、進化してほしと思っている。
 今後も末永く実施されることを願っているし、主催者の努力に敬意をはらう次第である。

☆第1回ポリージャポン
 1993年10月23日、24日、飛騨高山で第1回ポリー ジャポン 93’が開催された。私は渋谷氏とこのイベントに参加。23日午前4時小田原を出発。
 御殿場、大月、松本を経由して高山に向かう。途中国道158号の安房峠越への渋滞を心配したが、出発時間が早かったせいか何とかこの峠も無事通過した。平湯で小休止し、高山へ。現地到着は11時ごろ。家から7時間もかかったことになる。やはり高山は遠い。
 宴会が始まる夕方まで、だいぶ時間があったので、その間高山市内を見学。朝市も見たが、観光化されているせいか近くのスーパーよりも値段が高いように思われた。新鮮さだけが売り物のようである。観光用の人力車も見たが、車夫は暇そうにしていた。気温は低く、いつもより厚着をしていたがそれでも寒かった。
 18時から宿泊先であるホテル高山エレガンスでフランス料理のディナーとなった。形式張った宴会のセレモニーもなく気楽な雰囲気だった。料理の方もまあまあで空腹と疲れを癒してくれた。
 20時からイベント会場でビンゴゲームが行われ、私は景品に素敵なクラシック自転車の絵が描かれた壁掛けをいただいた。この品物は、同業で知人でもある名古屋の鈴木氏から提供されたもので、歴史好きの私が運良く引き当てたもの。ビンゴゲームのあとは、スポルティーフのコンクールとスワップミートが行われ熱っぽい雰囲気の中、盛況だった。スワップミートで私はパターソンの本と内容の堅い自転車関係の歴史図書等を出品したが、売れ筋のパターソンのみ完売した。やはり人気は60年代のクラシック・パーツで、なかには大勢の買手が競合し、阿弥陀で落札者を決める一幕もあった。私は23時ごろ部屋に戻りベットにもぐり込んだが、翌朝聞いたところによると一晩中わいわいやったらしい。
 朝5時ごろ目は覚めたが、寒いのでベットのなかであれやこれや考えごとをしていた。
8時に朝食。10時頃ホテルの前で全員の記念撮影。そして散会となった。
 全般的な印象として、リラックスした催しだったと思う。これは主催者の意向でもあったと聞く。難をあげれば、高山は遠いと言うことである。次回はできれば長野あたりでお願いしたいものだ。
 帰路は、安房峠が雪と言うことで、中津川、中央高速経由で帰る。途中、勝沼から渋滞に巻き込まれ、家に着いたのは19時半だった。高山から8時間もかかったことになる。(オ)

蛇足、
イベントが実施された現地までは私の車で行った。途中、中ノ湯までの多くのトンネルや安房峠越えは不安があり、同行の渋谷さんに運転をお願いした。私の車はこの年の9月に購入したばかりのボルボ240であった。私ではとてもあの狭いトンネルや安房峠の隘路と九十九折の道路は無理と思われたからである。
渋谷さん、その節はありがとうございました。
下の資料も本日、メッセンジャーで送ってくれた。

ポリージャポン93’
案内状

ポリージャポン実行委員会から通信
以上2点の資料提供:渋谷良二氏

2020年12月18日金曜日

老舗さんぽ⑱

 先日、自転車で小田原のアオキ画廊へ行く途中、古木自転車店の前を通過しようとしたところ、2年近く閉まっていた店のシャッターが半分開いていたので、のぞいてみた。
 丁度、自転車組合の支部長さんが来ていて、ご家族の人と話していた。
支部長さんが帰った後、店の中へ入っていく。ご家族の人がいて、いろいろと昔の話を聞くことができた。
 初代の店主は小田原に店を出す前は、秦野にある片野自転車店で修業していたことや、梅本さん(二代目)が東京オリンピックの競技役員をしていたことなどを伺った。
 初代の古木さんは秦野の出身で、そのような関係から片野自転車店で修業をしたのである。

 片野自転車店も創業は古く、大正14年である。一番古い太田自転車店は既に廃業しているから、現在では片野自転車店が秦野で一番古い。二代目の片野公平さんは、競輪の選手でもあり、昭和35年5月30日発行の「競輪十年史」の全登録選手一覧の109頁にその記載がある。
登録番号2687 片野公平 登録地、神奈川29.6.22(登録取り消し日)。

 一時、梅本さんがこの店を継いだようで、その後、また古木さんに変わっている。聞くところによると、梅本さんと古木さんは苗字は異なるが実の兄弟とのことであった。
 古木自転車店の創業も古く、昭和10年頃といっていたが、昭和12年の名鑑には出ていない。創業年については今後も調査の必要あり。
 現在の店主は2年前に体調を崩し店を閉めたのである。
まだ店内の壁に整然と自転車工具があったので、一部旗屋の工具を見せてもらう。これらの工具は行商人から購入したとも言っていた。
下の写真がそれである。ほとんどの工具は既に野地サイクルが引き取ったと聞いている。

古木サイクル
小田原市飯泉768

左端が梅本さん
 1964年の東京オリンピック時に撮影
左から梅本、中島、遠藤、野地さん

旗屋の工具
チェーン切り

スプロケット外し

ワン回し

片野自転車店前 昭和30年頃 大正14年創業
初代の八郎さんと二代目の公平さん(右)
現在の店主は三代目の宏美さんである

片野自転車店に集まった顧客
これからサイクリングだろうか

昭和35年5月30日発行の「競輪十年史」

全登録選手一覧の109頁

登録番号2687 片野公平 
登録地、神奈川29.6.22(登録取り消し日)

2020年12月17日木曜日

女サイクリスト

この記事は明治34年発行の雑誌「自転車」からである。

 いまでは女性のサイクリストは珍しくないが、当時は女性が自転車に乗ること事態まだ稀であった。先般も半山の追憶録で女子嗜輪会についてかかれていたが、男性の視点や女性に対する感情などから、やはり女性の乗輪姿は奇異であり、理解されるまでは多くの偏見やら侮蔑的な目で見られていたのである。
 私が近くのサイクリングコースを走っていると、何人かの女性サイクリストを見かける。大半は男性と同行で走っているが、中にはいつも一人だけで走っている女性もいる。軽快車で颯爽と走り抜けていくのを何度も見ている。本当に自転車がすきなのであろう。こういう女性が増えてくれば、男性側ももっと楽しくなるし、たまには声もかけたくなるはずである。 

女サイクリスト
 大蔵省の主計局に予算決算課といへるがありて、予は 数年前よりその課の写字生に採用せられ、今や日給40銭を給せられつつあり、さるからに予は神田の今川小路に、月6円50銭の安下宿を求めて、毎朝それより大蔵省へ出勤したるが、予は友人間に変人の名だかきほどありて、酒も飲まずタバコも喫まず寄席も芝居も虫が好かず。ただひとつの道楽とも称すべきは、役所への出勤前又は日曜日祭日等に、自転車に乗りて馳廻るあるのみ。これがために予は多からぬ冗費を節約するなり。あらず予は湯銭を節約し理髪をなほざりにして、小遺銭の大部分を貸自転車屋に注ぎこむなり。
 予がつねに好みて乗廻すはスネルの競走式にして、モーガンランドの二重タイヤーを付けるものなり。予はかってこの自転車を借りて、某々クラブ競走連合の大競走会に臨み、その来賓に 名誉ある勝を得しをあり。それよりして予は更にはなはだしくスネルを愛するに至れり。人或は予のこの言を聞きてし笑せん。何んとなれば世にはスネルに比して、快速なる堅牢なる精巧なる完全なる自転車多ければなり。ひとりスネルのみが自転車にあらざればなり。しかりコロンビアの如きピャスの如き、或はアイバンホー、デートン、クリブランド、ノアウート、エンサ イン、ウエストフィールド、スーダン、ウォルフ、グレンドン、ホワイトフラィヤー等の如きは、いづれも皆最新式の良輪として乗用せられつつあり。 さりながらいかんせんいわゆる先入主となるといふ人情は、予をしてかくもスネルに執著せしめたるなり。
 予がつねにスネルを借るは、爼橋きわなる前田と称する貸自転車屋なり。ある日曜日の朝はやく予は前田へ赴きて、例のスネルを借りけるが、その朝予よりも早くウエストの婦人自転車を借りて、まっしぐらに牛ヶ淵公園の方へはせゆきし女サイクリストあり。
 年 22~3にしてカシメルの黒の袴をはき、濃き髪をイギリス銀杏に結ひたるが、予はそこの女子のいかにも巧に乗行くより、これに競争を試みんとの念を起し、サドルに跨るやいなや烈しくペダルを踏みて、疾風の如くはしりいだせり、と見れば彼女は何地へ赴くやらそん、予と同じくほとんど全速力を以て、文部省の横手を大蔵省の方へはしれり。
 予は平生より日本婦人の体格の軟弱なるを憂いて、大いにその体育の奨励を主張する者なり。今や婦人の体育を奨励しつつある団体には婦人衛生会や日本体育会の婦人部等あれども、予はこれらの団体が婦人の体育の上に、果して幾何の効果を収めつつあるやに就て、大いに大いに憂ひなを能はざる也。予は男女同権論に就いては多少の意見を存すれ共、婦人をして活発なる気象を養成せしむるは、今の世に於て最も必要なりと信ずる也。さるからにその遊戯技芸の種類たるや、婦人の品格をそこなわざる限は、いかなるものにても可なりと信ずるなり。唱歌の如き琴の如き或流派の三味線の如きピアノ、オルガン、バイオリン、横笛、尺八の如きは更なり、ボートも水泳も乗馬も氷滑も、さては又ビリャッドもテニスもブランコもクロッーケーも、一両年前新橋芸妓のおえつが乗り初めてより、爾来漸く婦人社会に流行のきざしあるこの自転車も、すべてみな決して排付せざるなり。
 さりながら今しも全速力を以て走り行くこの女サイクリストに対して、予は一種の不快の念の生ずるを禁じ得ざりき。かくの如きははなはだわがままきままにして、予を知る人は必予を非難すべけれど、予は彼女を生意気なるとしゃくなる女子として憎しみおもいしなりこは唯彼女の自転車の操縦法が、予に比してなお巧妙なりしより、予の心中に嫉妬の情を生ぜしものなるべし。ともかくも予はこの女サイクリストに追いせまる能はざりしなり。されども予は一直線にその後を追ってやまざりき。
 女サイクリストは馬場先橋前堀端より、日比谷公園に沿いて 新幸橋を真すぐに、愛宕町一丁目を右に曲りて、そのなかほどの右側なる東京病院に入れり。予は愛宕を新橋の方へ曲りて、桜田前より元園町を九段に出でその日はそのまま自転車を返せり。
 翌朝予は再びその貸自転車屋にて、同じサイクリストにあいたり。つくづくとその面をみやりしに、色は白けれども面長にして、眼小さく鼻やや大に、容姿よりすれば十人並に通用せざる女なりき。予はその朝も亦このサイクリストの後をつけしに、彼女は予の一心不乱に競走せしにも係わらず、予よりも小半丁さきに東京病院に着けり。
 三日目の朝なりき女サイクリストは、既に予の顔を記憶するに至りけん、予に対してうやうやしく会釈しつされども予の偏狭なる性質は、彼女に相当の礼を返すと能わず、無礼にも鼻先にてあざ笑いしに過ぎざりき。その日彼女は日比谷公園わきにて、約三四十歩ほどもおくれたる予を待合せり。「どちらまでお出でになるので御座います」。と予に問えり。
予はこの問に対して答えず。聞えざるまねして横を向きつ、予は実にこの女サイクリストの生意気をにくみて、普通人として認すると能わざしりなり。
 予はその朝より凡そ二十日間ほどあの貸自転車屋にて件の女サイクリストに会えりしが、彼女はいつも予に対してていねいに挨拶せり、されども予は決してそのサイクリストに親しまざりき。親しまざるのみならずむしろ一種の軽蔑の眼を以て、いとひややかにもてなしたりしなり。
 或朝予は例の如くその貸自転車屋へ赴きしに、この朝は女サイクリストに出会わざりき。
翌朝もその翌朝も出会わざりき。予はこのサイクリストに出会わんと望めるにはあらで、むしろ出会わざるを快く思える者なれど、これまで毎朝の如くに出会えりし事とて、何となく物足らず淋しく感じけるなり。それより十数日を経たりけれど、予は再びこの女サイクリストに会わざりき、予は遂にたえかねて貸自転車屋の主人に対し、「どうしましたあの女自転車乗りは」。と問いけるに、主人ははたと小膝を打ちて、「あの御婦人ですかあの御婦人に就ては、こういう話が有りますよ」。と膝を近め、「あの御婦人は富士見高等小学校の女教師で、一年ほど前に女子師範学校を卒業したのだそうですが貴君も御承知の通りあの御婦人は、毎朝私の店へ自転車を借りにおいでになりましたでしょう。当節はまだ御婦人で自転車にお乗りなさる方は少う御座いますしまして御婦人でもって自転車を借りにおいでになるお方といったら、殆んど皆無という姿で御座いますから、私も不審に存じまして、段々探って見まするとあの御婦人はお姓名を増見せい子様とかおっしゃって、本年六十九才の御老母がお在りなさるそうで、お宅は同じ富士見町に御座いますが、近所評判の親孝行な御婦人だそうです。親御に対して孝行な位で御座いますから、担任の生徒に対してもお優しくて、生徒はまるで母親のようになついているそうで御座います。ところがこの四十何日前から、受持ちの生徒の中の萩原何とかいう子が、脳病に罹って学校を休んでいたそうです。この萩原と申すのは極めて貧乏人で、学校でも頗る成績の好くない生徒だったそうですが、増見先生はある日その子の実家を訪問したところが、聞いていたよりも病が重かったので驚かれまして、早速その両親と談合なすって、ついに東京病院へ入れておやりなすったそうです。それさえ実に感心であるのに、先生は毎朝学校へ御出勤前に、東京病院に入っているその子をお見舞なすったそうです。毎朝私の店へ自転車を借りにおいでなすったのは、全くそういう次第であったからだそうです。実に涙がこぼれるほど感心な御婦人ぢゃ有りませんか」。
主人は斬く語り告げて予に向い、「今の世には有りませんな」。と頭をふるいぬ。予は聞きおわりていといとう感激しつ。 かって冷笑の眼を以てそのサイクリストに対せしを、かえすがえすも心より恥入りたり。じらい予はみちにて他の女サイクリストに会う事ありとも、決して冷笑する事なかりき。
 貸自転車屋の主人にこの物語を聞きてより、およそ一週間を経たる後なりき。予は九段坂の上にてはからずもこの女教師に出会えり。
予は彼女の驚きしまでにあわただしく帽を脱して、我ながら後に想えばおかしきほどにうやうやしく、直立して最敬礼をほどこせり。
おわり

月刊「自転車」M.34.1.1快進社発行より

 サイクリストという言葉は現在でも普通に使われているが、この明治34年でも使用されていたことが分かり、興味深い。
 いまならストーカー行為のようなこの男性、でもなんとなく理解できる感じもする。最後の最敬礼でいままでの無礼を詫びている潔さもあり、彼も立派な当時のサイクリストに違いない。

スネルのポスター

●Snell Manufacturer 1899-1900
Snell Cycle Manufacturing Company Toledo OH USA
ザ・ホイールメンのブランド名リストより

度々見かける現代版女サイクリスト
かなりのスピードで通り過ぎていった

2020年12月16日水曜日

老舗さんぽ⑰

  昨日、自転車散歩の途中、開成町の老舗である一石及び本美自転車店を訪ねる。

昼頃で店は開いているが、だれもいない。また13時に出直すことにして、周辺の酒田神社などを見て歩く。

まず、一石自転車店へ。現在の店名は㈲一石モータースに変わっていて、自転車も販売しているが、主力はオートバイのようであった。店内の奥には昭和30年頃の富士山を背景にオートバイとライダーの写真が額に収まっていた。丁度、店主の一石義雄さんがいたので、了解をとりこの写真を撮らせていただく。ガラスが反射してうまく撮れなかったが、それが下の写真である。一石自転車店の創業は古く、大正5年の名鑑に出ている。現在の店主は三代目である。

初代が一石善兵衛、二代目が義明、三代目が義雄さんである。

大正期に山北にも店があったことを、お聞きしたが、初めて聞く話で知らないといわれた。その後、近くにある本美自転車店を訪ねる。店主かどうか分からないが、女性が店の奥から出てきた。詳しいことは分からないようで、古い写真や資料は無いようであった。初代は本美嘉重、嘉一さんは二代目か、現在は四代目になっていると言われた。間違いなく100年以上の老舗である。

●本美自転車店、本美嘉重 酒田村延澤 大正5年発行 日本輪界名鑑

●一石自転車店、一石善兵衛 酒田村延澤 大正5年発行 日本輪界名鑑 

大正5年発行 日本輪界名鑑

サイクルセンターホンミ

古い指導員票

(有)一石モータース  

店内にあった写真
昭和30年頃
場所は足柄峠だと思うが

神奈川県自転車商協同組合(組合加盟店一覧リストより)

店舗名称         住所

(有)一石モータース    足柄上郡開成町延沢439-1

サイクルセンターホンミ  足柄上郡開成町延沢815


2020年12月15日火曜日

「愛輪」と「周防愛輪月報」

 この記事は、輪史会の会報「自轉車」第24号、1985年11月15日発行からである。

「愛輪」と「周防愛輪月報」
 明治の自転車専門雑誌については、以前、機関誌 21号でもとりあげたが、この程「愛輪」と「周防愛輪月報」という雑誌が発行されていたことが分った。ただし、この雑誌はいずれも地方のクラブ誌で『自転車』や『輪友』、『輪界』のような一般誌ではない。『愛輪』は、石川県金沢市の自転車クラブ、金澤愛輪クラブが発行したもので、創刊は、明治36年10月10日である。しかし、残念ながら現在のところ、原本は一冊も発見されていない。もう一つの「周防愛輪月報」は、山口県防長愛輪同誌会の機関誌で、明治37年6月に発行されている。こちらの方も今のところ原本は発見されていない。「愛輪」は先にも記したとおり地方のクラブ誌だが、一般にも広く購読されたようで、たびたび「輪友」の広告欄に出てくる。かなりの発行部数があったと思われる。
 現在まで確認(原本は、ほとんど見つかっていない)されている明治期発行の自転車誌は、次のとおり。

① 「自転車」②「輪友」③「猟輪」④「自転車世界」⑤「三友」➅「輪界(大阪)」⑦「輪界(東京)」⑧「清輪」⑨「信越輪界」⑩「愛輪」⑪「周防愛輪月報」
以上、クラブ誌や業界誌を含めて総数 11点になるが、今後もこの数は増えて行くものと思われる。


 その後も探査しているのだが、なかなかあらたな、クラブ誌、業界誌、一般誌の発見に至っていない。遅々としているのは私の怠慢である。

明治期に発行された雑誌(2020年現在の調査)
雑誌名 発行所 発行年
①自転車 日本輪友会 明治26年~5号で廃刊
②自転車 快進社 明治35年8月~大正?
③輪友 輪友社 明治34年10月~大正?
④輪界 輪界雑誌社 明治41年9月~明治45年?
⑤猟輪雑誌 大阪、猟輪倶楽部 明治35年9月~明治35年12月
➅三友雑誌 自転車銃猟写真の友 明治36年1月~明治40年?
⑦関西自転車 大阪 創刊年月日など不明
⑧自転車世界 大阪、自転車世界社 明治35年10月~明治35年12月
⑨愛輪時報 名古屋 創刊年月日など不明
⑩清輪 清輪時報社 明治38年~?
⑪信越輪界 信越輪界 明治43年?
⑫自転車 日本輪友会 明治27年2月~5号まで発行
⑬愛輪 金沢愛輪クラブ 明治36年10月~?
⑭周防愛輪月報 周防愛輪同志会 明治37年6月~?
⑮日米タイムス 日米商店 明治42年6月~?

2020年12月14日月曜日

老舗さんぽ⑯

 昨日、山北町までサイクリング。途中いつも寄る井山サイクルで休憩。

 お茶を飲みながらの話の中で、以前あった谷自転車店について、井山さんにお聞きする。
場所がよく分からなかったので、詳しいく教えてもらう。
 井山さんを出た後、谷自転車店があった場所を探査、すぐに分かる。いまは普通の住宅に変わっていて、まったく当時の面影はない。
 大正8年から昭和4年にかけて、山北には5軒の自転車店があった。谷自転車店がいつごろまで営業していたかは、次回に調査予定。他の自転車店についても今後探査してみたいと思う。
 山北で現在も営業を続けている自転車店は井山さんだけになってしまった。

●井山自転車店、井山茂夫 川村山北2589 全国自転車業組合聯合会員名簿 昭和4年

●谷自転車店、谷彦次郎 川村山北1946 全国自転車業組合聯合会員名簿 昭和4年

●一石自転車店、一石善兵衛 (坂田村延沢にも店がある) 川村山北 大正8年発行 日本輪界名鑑 

●臼井自転車店、臼井 實 川村岸244 全国自転車業組合聯合会員名簿 昭和4年

●元杉自転車店 元杉篠吉 川村1244 全国自転車業組合聯合会員名簿 昭和4年

谷自転車店があった場所

井山サイクル

日本輪界名鑑 大正5年

日本輪界名鑑 輪界雑誌社 大正8年

全国自転車業組合聯合会員名簿 昭和4年

全国輪界興信名鑑 昭和12年

神奈川県自転車商協同組合(組合加盟店一覧リストより)
店舗名称         住所
井山サイクル       足柄上郡山北町山北1376
(有)一石モータース    足柄上郡開成町延沢439-1
サイクルセンターホンミ  足柄上郡開成町延沢815

2020年12月13日日曜日

老舗さんぽ⑮

 先日、また小田原市穴部の木村自転車店(現在の店名は木村二輪センター)を訪ねる。

 たまたまこの前を通過した時に店主が店舗前で自転車の修理をいていたのが目に留まったからである。ここの店主と会話するのは初めてである。おそらく質問していないが三代目ではないかと思う。
 大正3年発行の全国自転車商名鑑には載っていないが、大正5年発行の日本輪界名鑑には出ている。そうすると創業は大正4年頃ということになる。現在、小田原市内で営業している店では古い方である。
 いまの店主は小田原市内の自転車商協同組合の支部長をしており、今日も何人かの支部の組合員に会ったと言っていた。国府津で数年前に営業を始めた自転車店も近いうちに組合に加入するようなことを言っていたが、このコロナ禍では会合もままならないようである。
 この店の間口は広く、最近ではオートバイの販売と修理がメインのようである。
 丁度、店主と話している最中に女性のお客さんがみえて、「自転車も販売していますか?」と言った。確かに一見オートバイ屋さんに見えたから、こう言ったのであろう。
 この近くに住んでいるようなので、「後のメンテナンスなどの考えると、この店で購入するのがベストですよ」と、私も余計な口出しをしてしまった。

セキネの看板が見える旧店舗
現在は向かって左側にある広い方の店舗で営業

大正5年発行の日本輪界名鑑

神奈川県自転車商協同組合小田原支部
店舗名称       住所      
(有)エンドウ商会       小田原市扇町1-28-28
星野モーターサイクル    小田原市扇町2-3-4
中島自転車店      小田原市寿町5-14-22
コスナサイクル       小田原市扇町4-7-3
松村サイクル    小田原市寿町2-2-16
鈴一輪業         小田原市東町3-10-16
岩瀬自転車店    小田原市浜町1-1-37
長崎モータース    小田原市栄町3-9-28
野地サイクル商会      小田原市南町1-4-23
(有)浦井商会       小田原市早川1-4-13
鈴木農機サイクル      小田原市早川81
サイクルショップコシミズ 小田原市板橋155
(株)鈴作商店       小田原市穴部520-1
木村二輪センター      小田原市多古341
星野サイクル       小田原市曽我谷津634-8
(有)杉崎モータース    小田原市曽我原559
カワシマサイクル      小田原市成田63-4
飯山自転車店       小田原市鴨宮26
(有)サイクルショップみつい 小田原市鴨宮272
(有)昭亜ホンダ       小田原市国府津2211-2
スズキサイクル       小田原市小八幡3-15-1
(有)鈴木商会       小田原市酒匂3-3-6
小田原自転車製作所     小田原市清水新田135-2

以上は組合加盟店一覧より