2022年3月9日水曜日

バックナンバー 127

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ニュースレター(NEWSLETTER)NO.127

2007年12月26日作成 日本自転車史研究会

●人力車工場が全焼
 「世界唯一」の人力車工場が全焼、静岡・伊東
  21日午後8時半ごろ、静岡県伊東市、「升屋製作所」の人力車製作工場から出火、鉄骨スレート2階建て約330平方メートルを全焼した。従業員が帰宅前に工場1階の土間で缶に木くずをくべて暖を取っていたといい、伊東署は失火が原因とみて調べている。
  同社の河野茂社長(81)は「世界で唯一、人力車を製作し、これまでに約500台を作って海外にも輸出してきたのに非常に残念だ」と話した。〔共同〕(07:01)

△以前この製作所に行ったことがある。京都や鎌倉などで観光用に走っている人力車は、ここで作られたものである。その技術は、古い木製自転車のレストアなどもにも応用が期待できるので、早い再建が望まれるところである。

●平塚市博物館のガタクリ車
  東京の交通博物館が、昨年閉館となり、そこにあったガタクリ車(国産のミショー型自転車)は、現在、平塚市博物館に移設展示されている。この自転車は、平塚市在住であった故平田忠心さんが、以前、交通博物館に寄贈したものである。
 この自転車は、何時頃作られてものか、判然としない。フランスのミショーであれば、フレームに金属製のネームプレートが貼られているのですぐ分かるが、そのようなマークや刻印などはどこにもない。はたして、これがオリジナルなものか、あるいはレプリカなのかも分からない。もし、国産のオリジナルということであれば、恐らく現存する資料や他の自転車から判断して、明治10年前後に鍛冶職人あたりが製作したものであると思われる。分解して詳しく調べれば、何か手がかりがつかめるかもしれないが、いずれにしても、今のところは、何も分かっていない。

●八幡浜市から出現した三輪車
  2004年の秋に愛媛県八幡浜市の旧家である菊池家から、古い手動式三輪自転車が現れた。現在は寄贈先であるシマノの自転車博物館が保管している。この三輪車は、江戸時代からの廻船問屋であった菊池家の倉に長い間眠っていたものである。錆は出ているものの保存状態はたいへん良く、今でも乗れるような状態である。
 この三輪車が何時頃作られたものか、何時頃輸入されたものか、あるいは日本人が製作したものか、今のところ分かっていない。
 駆動方式は、手動式であり、明治2年に登場したラントン車と形は似ている。しかし、ラントン車は手足併用の駆動方式をとっているので、これとは違う。前輪に足置きプレート(フットレスト)が付いているが、これは操舵用ではない。今は取り外されているが、ハンドル部から伸びたワイヤーがプリーを介して前輪のポストまで繋がっていた。ハンドルのグリツプ操作により、舵をとっていたものである。

 それでは、いったい何時頃のものか。私見として類推すれば、舶来ものであれば、明治初期、国産であれば、早くても明治10年前後が妥当と思われる。いずれにしても、今後、関係者により細部を詳しく調べ、年代測定等をして欲しい。

明治期の手動式三輪車
シマノ自転車博物館所蔵