東北輪行記
「最新中学新作文」 和田恒彦 編 又間精華堂 明治36年10月20日発行
●東北輪行記
那珂通世
十三日の旅行は、中々出来事多くて、其日の記者も書き盡しはすまじと思はるれば、其内の一大事を補ひ置かん、白河より一里ほど南なる大清水といふ所にて、清水ある茶店に憩ひ、その清水に浸しある石花菜(ところてん)といふものを賞味し、そこを出づれば道廣く平かにして稍下り、輸走に尤も適する故、一紅、掛川など愉快げにスピードを出し、白河より来れる少壯輪士等と道路競走を始めたり、大清水より一里餘り大田川といふ所にて、余一紅の背中を見るに、いつもコートの下に負ひ居る風呂敷包の無き様子なるにより、風呂敷包は如何にせしやと問ひたれば、一紅背中に手を廻し見て、愕然として車より降り「大清水 に忘れたり、引返さねばならぬか」と、顔色忽まちに變し、悄然として勇氣沮喪し、端の見る目にも誠に気の毒なりし所へ、深見馳せ至り背中を示して、其風呂敷包ならば余負ひ來れりといへば、一紅喜んで感謝するかと思ひの外、先生がた人が悪いとて、余等を恨めしさうに眺めたるはいとも可笑しかりき。十四日の晩、飯阪の花水館にて、溪聲の前夜より騒がしきを聞き、枕を欹てて善く聴けば、溪聲のみならず、大雨の廂を打つ聲なり、今日こそは出發以來始めての輪行なれば朝食の後その用意に掛り、菊池、猪狩の両氏は、雨を犯して桑折まで送らんとて六人、各々身支度と車の準備とに闌はし、その身支度の最も奇異なるは、一紅の烏打帽子の上に大き管笠を縛り付けたると、 猪狩がメリヤスのシャッ一枚となり、其上に雨衣を引き掛け、靴の上に油紙を捲き附けて、雨水の靴に入るを防げるとなり、九時發輸し、桑折にて両氏に別れ、藤田、貝田、越河の坂路いづくも泥深くして車進まず、一紅のみは元気よく、白石にて昼飯の支度させ置かんとて、泥を蹴立てて先に進めり、余等三人跡より行き、齋川小學校の前に至れば小學生徒盡く路に出で黒山の如し、何事ならんと近づき見れば一紅のフォークに附けたるランプすべり落ちて、スポーク二本を折りフォークを曲げ、自ら修繕しいたり、此事に就きては一紅より更に報する筈なれば委しくはいはず、白石にて昼食して午後二時立出で、大河原にて掛川のタイヤ離れたるを塗り付くるが為にも時間を費やし、舟岡通過の新道は、泥深くして、田の中を行くが如し、盖し本日の輪行は出発以来の困難なりき、六時頃岩沼に至れば、仙台の自転車商山路峯之助等五人雨を冒して出迎え、八時十分溝鼠の如く四人皆山路の店に着し、それより三人は國分町の針久に宿し、余は光禪寺通りなる近親那珂通文の家に宿す。