このブログで、すでに万清のことは書きましたが、一つ書きもらしていました。それは、「一外交官の見た明治維新」の下巻の方にも、万清の文字があったからです。
次のようにあります。
私の食事は純日本式で、万清(マンセイ)という有名な料理屋から運ばせていた。もっとも、イギリスのビールだけは別だったが。
( アーネスト・サトウ著 『一外交官の見た明治維新』下巻 坂田精一訳 80頁)
万清は、サトウの馴染みの料理店であったようです。
2011年4月30日土曜日の当ブログ記事を参照してください。
2011年5月5日木曜日
2011年5月1日日曜日
ミショー型自転車
これは石黒コレクションのミショー型自転車です。
言い伝えによりますと、千葉県下の金持ちが、明治5~6年ごろに使っていたものとありますが、何処か疑問が残ります。
はたして明治5年ごろにミショー型自転車が日本に渡来していたのでしょうか。いまのところそれを裏付ける具体的な客観性のある資料が、発見されていません。
フランス製の自転車とも書いてありますが、一度細部を見たいものです。泥除けの位置が逆になっています。ハンドルの握り部分やサドルなどは損傷しているようです。はたしてフランス製なのかも疑問が残ります。ヘッド部分のデザインや前輪の上部にフットレストもありません。洗練されたミショーのイメージと比べると違和感があります。或いは、国産車かも知れません。その方が、価値がありそうです。
参考資料:図説 日本の歴史⑭ 「近代国家の展開」 昭和51年4月25日発行
言い伝えによりますと、千葉県下の金持ちが、明治5~6年ごろに使っていたものとありますが、何処か疑問が残ります。
はたして明治5年ごろにミショー型自転車が日本に渡来していたのでしょうか。いまのところそれを裏付ける具体的な客観性のある資料が、発見されていません。
フランス製の自転車とも書いてありますが、一度細部を見たいものです。泥除けの位置が逆になっています。ハンドルの握り部分やサドルなどは損傷しているようです。はたしてフランス製なのかも疑問が残ります。ヘッド部分のデザインや前輪の上部にフットレストもありません。洗練されたミショーのイメージと比べると違和感があります。或いは、国産車かも知れません。その方が、価値がありそうです。
参考資料:図説 日本の歴史⑭ 「近代国家の展開」 昭和51年4月25日発行
登録:
投稿 (Atom)