2023年3月30日木曜日

スティーブンス岡山に到着

 スティーブンス岡山に到着

下関~広島~そして岡山に到着。

註、下の画は、スティーブンスが岡山で初めて知り合いになったアメリカ人宣教師らと別れる場面。二人の人力車夫とその奥に人力車も見える。

456頁
「AROUND THE WORLD ON A BICYCLE」の挿絵
スティーブンス岡山を離れる

(一部抄訳)

1886年12月4日の土曜日に日本の主要な都市のひとつである岡山に着く、私はのんびりと自転車を走らせながらこの街を見物した。

長崎を離れて以来、日本人を除いて誰も私の前を横切った外国人はいなかった。ここでも同様であると思っていた。
しかし、嬉しい驚きが私を待っていた。商店街の大通りを行くと一つの角に2人のアメリカ人宣教師が現れたからである。 
自己紹介をしたら彼らはキャリー氏とローランド氏であった。そして、宣教師の3家族もこの街に住んでいることを私に知らせてくれた。
日曜日には彼らの家に招待すると云ってくれた。

翌日に彼らの親切なもてなしを受けることが出来たのは本当に喜ばしいことであった。
私が下関からたどってきた道を地図や旅程表を見ながら説明をし、日々自分の居場所については漠然とした考えだけで旅をして来たと伝えた。
 外国人に初めて出会った街が岡山であり、神戸から100マイル以内にいることを「マレーのハンドブック」で知ることができた。
小さな宣教師の屋敷は、東から街を見下ろす松で覆われた丘の上の魅力的な場所にあった。アメリカ人の数人の女性宣教師も他の場所から訪れ、予期せぬ楽しいパーティーを催してくれた。
日曜日の朝、私はキャリー氏に同行し、この街の教会へ行った。
この新しい教会は二千円をかけて自力で建設したとのことであった。 
ほとんどの国では、改宗者は伝道部から提供される物質的な援助を通じてキリスト教のよさを理解するようになるが、ここでは、改宗者自身が自分たちの集会所を建設し、外部の援助なしに布教を支援してくれた。・・・・

土曜と日曜が楽しく過ぎ去り、私は月曜の朝に岡山から自転車でまた出発した。
田んぼと無数の村々が広がる何キロもの道を過ぎ、その後、景色は小さな湖と松に覆われた美しい丘の場所に変わった。この景色はちょうどマサチューセッツ州バークシャーヒルズを思い起こさせた。ちょうど53マイルの道を自転車で走ったことになる。もうすぐ姫路である。

スティーブンスが携帯した
「マレーのハンドブック」
1884年版