2022年10月23日日曜日

プジョーのベル

 プジョーのベル

昨日、自転車の工具箱の中からプジョーのベルが出てきた。何時ごろのものか分からないが1970年代にプジョー自転車を所有していたころのものと思われる。以前、ヤフオクでやはりプジョーのベルを見たが、そのベルはドイツ製であった。今回工具箱から出てきたベルはフランス製で「AFA MADE IN FRANCE」と指で回転させる部分に刻印されていた。

AFA で思い出すのは、やはり1970年代に使用していたクリストフのトークリップ である。ストラップはビンダ(ALFREDO BINDA)であった。

ベルの蓋をあけて少し油をさしたら、まだよい音色がした。

下のマニュアルと小旗はプジョーの関連資料として参考まで。

プジョーの自転車ベル
お馴染みのライオン・マーク

「AFA MADE IN FRANCE」とある



マニュアル 1983年

裏表紙

小旗

2022年10月22日土曜日

改良型キルマーノック・ ベロシピード

 改良型キルマーノック・ ベロシピード

これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年6月11日号

「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」

June 11, 1869.

註、前回の図と比較すると改良点が見えてくる。

271頁
1869年6月11日号

図を拡大
肘あてがなくなり
ブレーキも見える

前回の図 改良前
1869年5月14日号 173頁


一部抄訳、
改良型キルマーノック・ ベロシピード
(THE IMPROVED KILMARNOCK VELOCIPEDE)

キルマーノック・ベロシペードはさまざまな改良が行われてきた。
現段階での写真を送る。新たにブレーキと砲金ベアリングが取り付けられた。
はるかに優れたステアリング・ハンドルもあり、コネクティング・ロッドもロングレッグとショートレッグに変更可能にした。取り付けも簡単。 非常に安全なベロシペードである。

2022年10月21日金曜日

キルマーノック・ベロシペード

 キルマーノック・ベロシペード

これも「英国のメカニックそして科学と芸術のミラー」1869年5月14日号

「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」

May 14, 1869.

このキルマーノック・ベロシペード(THE KILMARNOCK VELOCIPE)、どこかで見たような自転車である。

そう、まさにあのカークパトリック・マクミランのベロシペードに大変良く似ている。

キルマーノック・ベロシペードをマクミランとあえて混同させ、この図の自転車をマクミランとしたのであろう。製作者のトーマス・マッコールもマクミラン同様にスコットランド在住であった。マクミランはスコットランドのダンフリースで、マッコールはキルマーノックである。

1880年代にジェームズ・ジョンストンという金持ちのトウモロコシ商人が叔父のカークパトリック・マクミランを最初の自転車発明者にするため、マッコールのデザインをマクミランにしたとも云われている。そして1839年の日付まで追加した。
ジョンストンの依頼で、マッコールは1890年代にマクミランのものとして展示するレプリカを製作したとも。

173頁

図と記事の部分を拡大

キルマーノック・ベロシペード(THE KILMARNOCK VELOCIPE)、抄訳
ベロシペードの写真を同封する。これはキルマーノック・ベロシペードで、使ってみたら、とても軽くて動きやすい。
これは二輪車で、駆動輪3フィート6インチ、前輪のステアリング・ホイールは2フィート 8インチ、車輪は木製である。
製作者 (トーマス・マッコール、ラングランド・ストリート、キルマーノック) は、グラスゴーで、一般的な二輪車といくつかの競争をしたが、打ち負かしている。
編集者へ、もしこれが価値あると認めるなら、おそらく何人かは利益を得るだろう。
価格は、5ポンド10シリングである。
メカニカル・ホーク

トーマス・マッコール(Thomas McCall)
と彼の自転車

コベントリー・ソーシャブル・ベロシペード

 コベントリー・ソーシャブル・ベロシペード

COVENTRY'S SOCIABLE VELOCIPEDE.

「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE」

380頁 1869年7月16日号より

一部抄訳、
完成したばかりのベロシペードの図を送る。この図でわかるように、2 人または 4 人が乗ることができる。

図の右側シートには3人が座れるように座席が配置され、外側にクランク・レバーがある。後ろのシートでは足踏みとステアリングを操作する。素材は松を使用(フロントアクスルを除く)。この車は時速 8 マイルの速さで走ることが出来る。

 J.コベントリー

註、一見どちらが前か分からない。おそらく右側が前輪か?向かい合って座るので、確かに社交的(SOCIABLE)なベロシペードである。

このページの右寄りにはバルーン・ベロシペードが見える。熱気球の主な機能は、マシンの転倒防止と、車体が軽くなるので登り坂には有利。バルーンに熱風を送るため、小さなオイルランプが気球の真下に装備されている。 W.T トリンドン

380頁
「英国のメカニックと科学のミラー」
1869年7月16日号

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2022年10月20日木曜日

レイノルズのベロシペード

 レイノルズのベロシペード

この資料も「アメリカの職人」誌 1869年7月7日号

「AMERICAN ARTISAN」 July 7, 1869 .

1869年7月7日号 4頁

レイノルズのベロシペード


1869年7月7日号 4頁


レイノルズのベロシペード(一部抄訳)
図にあるように三輪車の種類に属し、足踏みと直立したレバーを操作して走る。練習なしでこのベロシペードに乗られる。パワーに比例した速度が出る。
必要に応じて、足のみ又は手だけでも推進する。
 前には補助シートがあり、これにも乗ることができる。(図では子供が座っている)

2022年10月19日水曜日

自転車関係資料-208

 自転車関係資料-208

この雑誌は「アメリカの職人」誌 1869年9月29日号

「LE GENIE INDUSTRIEL」 SEPTEMBRE 29、1869.

また「セレレマネ」が載っていたので紹介する。

セレレマネ(Celeremane)、一部抄訳、

現時点で最も人気のあるスポーツは、ボート漕ぎとベロシペードに乗ることである。

過ぎ去った夏のシーズン中、ボートは最も人気があった。しかし、多くの人は、寒さが厳しくなるにつれ、敬遠する。

ボートの練習が好きな人が陸上でも同様の練習できるベロシペードがある。(エンジニアリングより)

ロンドンのボウに住むオースティン・チェンバーズ氏によって設計・製作された「セレレマネ」と呼ばれているベロシペードだ。

このベロシペードは、図のように座っている5人の男性によって操作され、2 人はマシンの正面を向き、他の2 人は後ろを向いている。一番後ろは舵手である。

乗り手は、軽量鋼のラジアスバーに接続されているクロスバーを握る。したがって、その動作はボート漕ぎに似ている。

乗り手は自分の筋肉の力を長期間使用して、より大きな効果を得ることができる。・・・

註、「エンジニアリング」誌からの引用とある。(当ブログを参照)


193頁
1869年9月29日号
「セレレマネ」

2022年10月18日火曜日

ヒルデブラント&ヴォルフミュラー

 ヒルデブラント&ヴォルフミュラー

ヒルデブラント&ヴォルフミュラーがイタリアの「サイクリング・イラスト」誌にも載っていたので紹介する。

「サイクリング・イラスト」誌 合本版

ミラノ、1895年3月17日 発行(145頁)

「LA  ILLUSTRAZIONE  CIOLISTICA」

Milano.  17 marzo 1895.

なお、ヒルデブラント&ヴォルフミュラーについては、このブログの「自転車関係資料-186」及び「自転車関係資料-187」を参照。

日本に初めて登場した歴史的に重要なモーターサイクルなので度々このブログでも紹介している。

アメリカでの特許取得が、1895年10月8日付であるから、このイタリアでの公開はかなり早い。
米国でのヴォルフミュラーの特許状
 第 547.511号、A.ウルフミュラー、ベロシペード、1895年10月8日に特許を取得。
No. 547,511. A. WOLFMULLER.VELOCIPEDE. Patented Oct. 8, 1895.

因みに日本へは、1896年1月19日に十文字商会が輸入している。


、1895年3月17日号の表紙

145頁 

一部抄訳、
トゥルクハイマー氏(Mosè Max Turkheimer)のこれらの功績に加えて、有名なモーター・サイクルをイタリアに紹介したことも付け加えなければならない。これは万国博覧会でも賞賛され、走行するところを見ることができるだろう。

この新しいマシンについては、すでに多くの話題を呼んでおり、トゥルクハイマー氏自身がイタリアのいくつかの主要都市で実施したさまざまな走行試験でも非常に良い結果をもたらした。・・・・
ヒルデブラント&ヴォルフミュラー
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ヒルデブラント&ヴォルフミュラーに乗るトゥルクハイマー
註、モーゼス・マックス・トゥルクハイマー(1878-1944)は、ユダヤ系ドイツ人。
1878年にドイツで生まれ、1906年にイタリアのミラノに移住、そこで自転車等の販売会社を設立。その後、自転車、オートバイ、自動車を製造。OTAV (Officine Türkheimer per Automobili e Velocipedi)。
第二次世界大戦中にコモで逮捕、1944年、アウシュビッツで処刑(ホロコースト)。