2021年11月27日土曜日

自転車関係資料-63

自転車関係資料-63

下の資料は雑誌かチラシの切り抜きである。偶々明治後期の写真があったので保存しておいたもの。写真は薬屋である丹平商會分店の店舗前である。明治42年頃と思われる。

その写真の裏面には次のような、記事とグラフが載っていた。

・・・・なる努力に由るものなれば捷って兜の紐を解かざるの精神を体せらるるに於ては爾後一層の活況を呈し愈々確固不抜獨立獨步の業務たる成績を挙げ世人をして斯業の盛大なるを羨望せしむるに至るべし其最後の月桂冠を頂くと否とは一に繋りて各位の双肩にあり冀くば前途の曙光を楽み奮励一番せられんことを、僭越の辞は各位の御宏量に任じ偏へに御寛恕あらんことを請ふ・・・・

却説弊店の業績を概述致し候得ば幸いにして弊店も前記の余沢に洩れず華主各位の深甚なる御後援と熱誠なる御同情に浴し年と共に盛況を加へ其売上高に於て偉大なる増額を示したるは店員一同の欣喜雀躍手の舞ひ足の踏む處を知らざる程に御座候、左に最近四十一年四十二年両年度に於ける営業成績累月高低及對照表を御参考迄に貴覧に供し其事實を證明仕候

丹平商會分店卸賣営業成績表

赤、四十一年

黒、四十二年

(グラフ省略)

●但し四十一年、四十二年両年度に於ける累月高低を示す

如斯良成績を挙ぐるは全く華主各位の至大なる賜物に外ならざる義に付弊店は此鴻恩に酬い んため世運に遅れず進取的氣象を以て世の・・・・


丹平商會とは、現在の丹平製薬であり、同社の沿革をみると明治27年の創業とある。

この店舗前の写真を見ると、薬箱が山のように積み上げられている。人物は7名、おそらく店長と従業員であろう。左側に自転車が1台写っているが、銘柄までは分からない。

丹平商會分店の店舗前 明治42年頃

裏面の営業成績表

丹平製薬の沿革(同社のHPより)
1894年 (明治27年) 売薬業として森平兵衛が大阪・心斎橋の地に丹平商会薬房を創設
1896年 (明治29年) 当時としては斬新かつ貴重な頭重薬「健脳丸」(現:健のう丸)を創成・発売
1898年 (明治31年) 丹平商会に改称
歯痛薬「今治水」(現:新今治水)の販売を開始
1907年 (明治40年) 東京支店竣工 (現タンペイ日本橋ビルの前身)
1924年 (大正13年) 画期的な複合商業ビル「丹平ハウス」竣工
1925年 (大正14年) 皮膚病新薬「アスター」(現:アスター軟膏)を発売
1936年 (昭和11年) 丹平商会が株式会社に改組(会社設立年)
1957年 (昭和32年) 丹平製薬工業に改称
1965年 (昭和40年) 茨木市宿久庄396番地(現:2丁目7番6号)に本社・工場を新築、移転
1968年 (昭和43年) 丹平製薬株式会社に改称
1969年 (昭和44年) 第4代目社長に森輝彦就任、会長に森楢栄就任
1972年 (昭和47年) 洗剤メーカーのアロマ株式会社を合併、洗剤部門に進出
1987年 (昭和62年) 「アルエット洗たく用せっけん」を発売
タンペイ日本橋ビル竣工(地上7階、地下1階のテナントビル)
1990年 (平成2年) 乳幼児向けスキンケア商品「アトピタ」シリーズ発売
1994年 (平成6年) 創業100周年記念式典をハワイにて開催
1999年 (平成11年) 東京支社をタンペイ日本橋ビルに移転
2001年(平成13年) 歯垢が赤く見える液体ハミガキ「こどもハミガキ上手」を発売
2006年(平成18年) ハミガキあとの仕上げケア「ハミケア」を発売
2011年(平成23年) 「ママ鼻水トッテ」が第2回マザーズセレクション大賞ベストベビーケア部門を受賞
2014年(平成26年) 「カンガルーの保冷・保温やわらかシート」が第8回キッズデザイン賞を受賞
創業120周年記念式典を開催
2017年(平成29年) 第5代目社長に森宏之就任、会長に森輝彦就任