2021年11月13日土曜日

富士のコメットR

 富士のコメットR

昨日、時々行く石窯パンの店で懐かしい富士のコメットを見る。

この自転車のオーナーに聞いたところ、フレームのみ購入し、後の部品はすべて自分でアッセンブルして組み上げたとのこと。確かにこの自転車を見ていると随所に趣味人らしい拘りの仕様が見える。正確な製造年は分からないが、既に20年ほどは経ていると思われた。コメットRが何時ごろから発売されたのかは今後機会があれば調べたい。度々このパン屋さんを訪れているようなので、また会えれば更に詳しく訪ねたい。

富士コメットR

フレームは丹下のクロモリ
艶のあるブルックスのサドル

ヘッドマーク

栄輪業のチェーンホイール SAKAE SX

日米商店の沿革(一部)

1899年11月、創業者岡崎久次郎、日米商店と号し京橋区竹河岸にて米国製懐中電灯の輸入販売を始める。 取扱品目は探検電灯、医療電灯、机上電灯、手提用・自転車用電灯、盗難予報機等、売捌所を京橋区南金六町七宇都宮回漕店内および横浜市相生町井桁屋に設置。

1903年、販売の主力を自転車とカメラに、自転車の取扱品目を増やす(ウルフアメリカン、スタンホード、スターリング)スターリング車の特約店を各地に設置。

1904年3月、本店を銀座三丁目九番地に移転、スターリング車の特約店拡大に努める。
11月 東京バイシクル秋季大会でスターリング乗車の久保田選手三回連続優勝。

1906年1月、店主渡英、ラーヂ自転車の直輸入契約締結。
6月、ラーヂ自転車1,500台の顧客向け懸賞売出しを断行。
九州日日新聞主催「九州一周千マイルレース」でスターリング乗車の熊本・吉井選手優勝。
12月、店舗を銀座二丁目一番地に移転、倉庫を三十間堀一丁目に設置。

1928年6月、従来の商標「ラーヂ」を「富士」に改称。

1948年10月、第2回T・Tレース(東京~大阪)に出場。

1951年3月、第1回アジア競技大会(ニューデリー開催)に「冨士レーサー」を使用一千メートルタイムレースで杉原選手優勝。
8月、商号を日米富士自転車株式会社と改称。競輪用タンデムを発売。

1961年5月、「富士ダンディ」発売。

1968年4月、「富士フラッシャーシリーズ」、「富士ジョッキーシリーズ」発売。

1972年、FUJI ブランド輸出開始。

1973年6月、「富士カルダン」発売。

1977年5月、「第1回フジサイクル・グランプリ・ロードレース大会」を開催。