2023年10月24日火曜日

自転車曲乗り

 自転車曲乗り

下の写真は大正期頃の自転車曲乗り、サーカスの絵葉書などである。

いまでもこのような絵葉書は時々ヤフオクに出品される。

註、曲馬団(きょくばだん)とは、 

曲馬・軽業・奇術などを興行しながら、各地を回る芸人一座のこと。サーカス。


一輪車曲技

矢野大曲馬団スター
針金渡り

矢野大曲馬団
自転車曲乗り

自転車アップ

赤林曲馬団

日本アームストロング一行
木下愛子

一輪三人乗り
中京 赤林曲馬団

赤林曲馬団

自転車曲乗り興行チラシ


日本で最初に自転車の曲乗りをはじめた人物はだれか。私がすぐに思い出すのは、あの富士山を自転車で滑降した鶴田勝三とボーンである。
富士山頂での鶴田やボーンが曲乗りをしている写真が残っている。
 鶴田勝三は当時、自転車競技の一流選手であった。明治31年11月6日に東京上野の不忍池畔で開催された自転車大競走会の二十哩競走で、横浜バイシクル倶楽部のドラモンドとの一騎打ちで見事に優勝している。ボーンは、ウィリアム・C・ヴォーガン(William .C.Vaughn)というアメリカ人で、横浜商館のアンドリュース&ジョージ合名会社(横浜市山下町242番館)の社員であった。彼も自転車競技選手であり、曲乗りも得意としていた。
自転車曲乗りの流行のはじまりは、明治33年6月にパリの大博覧会に向かう途中に来日したアメリカのシッド・ブラック一座の興行からのようである。この一座は回向院や三崎町の東京座などで二週間ほど興行し、大盛況を博した。この興行にもボーンが一役買っていた。日本の自転車曲乗りのはじまりはどうやらこのボーンとシッド・ブラック一座の影響と思われる。
明治34年4月1日発行の雑誌「自轉車」に読者が部門別に十傑を投票で選んでいる。その投票結果が次のように掲載されている。投票は過去にこの誌上で2回行われ、今回が3回目の投票。部門は全部で十傑であるから10あり、名望家、博識家、競走家、曲乗家、旅行家、斡旋家、実験家、着実家、自転車商店、技術家となっている。
曲乗りの名人は次のような順位であった。
1位 1,560票 小林作太郎  芝浦製作所
2位 975票  鶴田勝三   芝区公園
3位 819票  岡田芳之助  大阪北区北道頓堀通
4位 654票  山崎健之極  京橋区八官町
5位 573票  池田 勗   大阪市本町一丁目
6位 348票  梅津元晴   牛込区若松町
以下略
この投票結果をみるかぎり、どうやら自転車曲乗りの名人は小林作太郎であることが分かる。それでも鶴田はやはり2位に入っている。もちろん競走家の1位は892票を集めた鶴田勝三であった。
以下十傑に決まった人物をあげると、伊東琴三(名望家)、梅津元晴(博識家)、鶴田勝三(競走家)、小林作太郎(曲乗家)、那珂通世(旅行家)、小池菊次郎(斡旋家)、北村友吉(実験家)、小柳津要人(着実家)、四七商店(自転車商店)、梶野商店(技術家)以上である。
やはりそうそうたる顔ぶれが選ばれている。伊東琴三、北村友吉、小池菊次郎は帝国輪友会の古参会員。梅津元晴は陸軍歩兵大尉で『自転車指針』(明治35年11月1日厚生堂発行)の著者でもある。小林作太郎は芝浦製作所(現・東芝)の工場長。那珂通世(なかみちよ)は歴史学者(東洋史)。小柳津要人(おやいずかなめ)は丸善社長で翻訳家であった。

鶴田勝三 富士山山頂で曲乗り
自転車はアメリカ製デートン号
輸入元 双輪商会 東京市京橋区木挽町
明治33年8月21日

曲乗り名人 小林作太郎