2023年11月25日土曜日

月堂見聞集と正田門弥

 月堂見聞集と正田門弥

下の資料は月堂見聞集 第21巻 享保13年10月~享保14年9月

先日、再度国立公文書館のサイトで詳しく調べたところ、「月堂見聞集 第21巻」がアップされていてダウンロードできるようになっていた。

国会図書館所蔵の「月堂見聞集 第21巻」と比較したところ別な版であることも分かった。

どちらかと言えば、国立公文書館の版の方が読みやすい。

千里行車と正田門弥に注目。


千里行車の部分
月堂見聞集 第21巻
国立公文書館所蔵資料


千里行車、一名舟車図あり、武州兒玉郡若泉庄小堀村正田門彌、當酉の年六十一歳の由、子供三人あり、

但し車輪四つ七尺廻り、ぜんまい仕かけ、両足にてふみ出し候へば丈四尺程行也、曲祿の如くにして、是は乗りかづの上に仕かけ有之候、川抔は此車を首にかけて渡る、凡そ一日に二百里程行申候、但し山川は参り不申平地也、

図の部分
月堂見聞集 第21巻
国立公文書館所蔵資料

千里行車の部分
月堂見聞集 第21巻
国会図書館所蔵資料

図の頁

月堂見聞集は、江戸中期の1697年から1734年にかけて、本島知辰(月堂)が著した見聞雑録で、29巻からなり、江戸・京都・大坂を主として、諸国の巷説を記している。政治経済から時事風俗にまでわたる内容で、当時の世相を知る上で貴重な資料。

本島知辰(もとじまともたつ、1659年 - 1744年)は、江戸時代中期の儒学者、随筆家。岡山藩士の子として生まれ、江戸で儒学を学び、その後、京都で幕府の役人として仕え、享保十九年(1734年)に隠居して月堂と号した。

月堂の略は、
1659年:岡山藩士の家に生まれる。
1678年:江戸に出て儒学を学ぶ。
1682年:京都に出て幕府の役人となる。
1734年:隠居して月堂と号する。
1744年:死去。