2024年12月23日月曜日

サイクル誌-1957

サイクル誌-1957 

サイクル誌 1957年1月発行より

六十余年前のクラブ・ラン

ーサイクル創世紀— (その七)

久留梅士

そう無精していないで、時には旧式の オーディナリー車をお目にかけるのもよかろうとの、今井編集長の仰せにしたがって、至って古物のガタクリ車「だるま型」をまた走らせることにしました。

慶応大学塾史編纂所に秘蔵される「道庁途説」と名づける冊子があります。これは明治初年に塾生が見聞したことを何くれとなく書き記した寄せ書き帳ですが 、その明治十二年三月廿四日と推定されるところに、

芝山内に於て自転車店開き殊之外流行し方々に出店する由線香一本の間二銭半日二十銭一日三十銭に而貸渡し運動には至て宜敷ものに而当塾の生徒中乗り人が多きと云風聞

とあります。この「創世紀」の第一回に引用した当時の新聞記事にも「線香一本二銭で自転車を借り、赤羽から大森まで走り」とあるのは正にこの店のことでしょう。赤羽は王子区赤羽ではなく芝公園外れの赤羽橋、線香一本二銭の料金も一致しています。筆者は折花攀柳の道に暗くお線香代なるものを知りませんが、大休の当りはつきましょう。「武江年表」 の明治三年の項に「自転車といふは今年松本町辺の者より始しが行れず」とある松本町も赤羽橋の畔りですから、どうもあの辺はサイクルに縁がある。一つ赤羽橋から始走してメモリアル・ランでもやろうじゃありませんか。

自転車熟はその後一寸下火になつて、 明治十八年ごろからまた流行り出しました。・・・

註、折花攀柳(せっかはんりゅう)は、中国の古典から生まれた四字熟語。字面通りには「花を折り、柳の木によじ登る」という意味だが、比喩的に、遊里(遊郭)で芸者や遊女と遊ぶことを指す。


95頁
サイクル誌 1957年1月号
シマノ自転車博物館所蔵資料