2022年2月8日火曜日

老舗さんぽ-52

 老舗さんぽ-52

先日、何気なく静岡市内の自転車店を調べていたら、以前に尋ねたことがある「関川自転車店」を思い出した。この店を尋ねたのは1982年頃で、既に自転車店はやめていた。偶々店にいた人に聞いたところ「うちが静岡で一番古い自転車店であった」と言っていた。何か古い資料でも無いか聞いてみたが、無いとのことであった。この店を後にして周辺を歩いていたらちょうど古書店が目に留まり覗いてみた。自転車関係の古い資料を探したところ、「静岡県榛原郡吉田村の各種諸届 」をまとめたものがあった。早速、購入することにした。値段を忘れてしまったか、5,000円ぐらいはしたはずである。

この資料についてはその後、日本自転車史研究会の会報で紹介している。

「吉田村における鑑札下附の状況」”自転車”14号 1984年3月15日発行から”自転車” 17号 1984年9月15日の4回に分けて投稿。

現在の関川自転車店がどのような状況かネットで調べたところ、

以下の写真とその歴史が出てきた。

関川自転車店の年賀はがき

関川商会の歴史(同社のHPより
関川自転車店は今の4代前、関川虎吉が明治20年頃静岡で一番最初に「愛輪舎」という名前で開き、現在の伝馬町には明治28年頃移って来たと記されております。そして初代の県自転車組合長に就任し、静岡県の自転車業界をリードしていた様に聞いております。
自転車屋を開業する前は、西洋小物輸入販売業、そしてその前は、江戸時代の中期より「茶碗屋惣兵衛」として商いを行っていて、初代惣兵衛から数えて私で11代目です。
そして昭和の30年代にガレージ業(駐車場業)を初め、昭和59年に伝馬町の再開発に協力し立体駐車場に建替えました。また、平成の6年には宅地建物取引業を加え、後にコンサルトの資格も取得し、現在主に不動産活用コンサルタントとして地域に根づいております。

と書いてあり、写真のキャプションには、関川自転車店の写真年賀状(昭和の初め)

とある。
この記事と写真について、触れてみると、明治20年代に「愛輪舎」という名で自転車店を始めたとあるが、これが事実であれば非常に古く、静岡で一番古いということも頷ける。明治20年代と云えばまだ安全型の自転車は殆どなく、ダルマ自転車が主流であった。
更にこの写真は昭和初期とあるが、見たところ明治後期から大正初期に見える。
年賀葉書であれば年代を特定できそうであるが、その現物は無いのかもしれない。
写真は不鮮明だが拡大鏡で眺めてみると人物が三人おり、子供のすぐ後ろには店主の関川虎吉さんと思われる人もいる。自転車も30台以上はありそうである。当時の盛況ぶりがうかがえる。
軒上の大きいな看板には「静岡市伝馬町 関川自転車店」や「Rudge Whitworth 」と書いた文字も微かに見える。「Rudge Whitworth」の看板からこの絵葉書の撮影された年代は明治40年前後ということがわかる。

昭和初期の関川自転車店は、国産自転車の「光輝号」の発売元(卸商)であった。
そうであれば、看板にも「光輝号」を掲げたはずである。
どうみてもこの写真は古い。

いつものようにGoogleストリートビューで静岡市葵区伝馬町周辺を散歩する。
「関川パーキング」と書いた看板も見える。

Googleストリートビューより

主な取扱い自転車はラーヂ号
帝国輪商案内 明治44年10月13日発行
国会図書館所蔵資料 コマ番号60