2022年2月12日土曜日

自転車関係資料-78

 自転車関係資料-78

この資料は月刊雑誌の「旅とサイクリスト」1966年11月号である。

この号にある1966年世界選手権の記事を見ると、

1966年、世界選手権 サイクル・ロードレース
西ドイツで開催
世界のサイクル・レースマンが力をきそう世界選手権大会は、本年は西ドイツで8月26日より開催された。
日本も杉原鏘一郎氏を監督に、藤倉、阿倍、中原がロードに、永野、中谷、今村がピストに出場したが、その話は別項の杉原氏の講習要旨を参照下さい。

ロードは8月27日 ニューブルリングの一周22.81㎞ のサーキットで行われたが、ほとんどが急坂の連続で、44×26で登り、下りは53×11といったワイドレシオのギャで走り、フロント 3段というのが常識とされていたという。

ピストはフランクフルトの一周400米のピストで、今村満選手は自己の持つ2番のタイムで16位にとどまった。

以下に杉原鏘一郎の「第1回レーシングゼミナール 自転車競技と日本人」と題した講演の一部を抜粋。

 現在、日本のアマチュア自転車競技においてはオリンピックを目指して最後まで頑張るという様な選手が少ないのが一つの隘路になっており、これでは仲々メダルを獲得する事は出来ないのです。
 この席にも、長い間私達と一諸に強化合宿に参加された人達もおられますが、残念ながらまだ脚力の力はあまり強くなっていません。日本国内ではどうやら一流の仲間に入ることが出来るのですが、これを世界のレベルと比べると、まず子供と大人というな感じがするわけです。
 特にロードレースにおいては世界のレベルは非常に高く、日本の自転車競技も長い歴史があるのですが、ロードレースでは今までいわゆるロードマンとしてこの選手ならと思えるのは、過去においてまず東京大会に出場したO氏を除いて外にないと私は思っています。日本では彼以外にロードマンは一人も現われていないと言いきれます。勿論、この席におられる人達の中にも、また大学生の中にも最近安定した力を出している人達もありますか、それで世界的な競走に参加しますと全然問題にならない。
 先程のO君にしても最初にオランダの世界選手権大会に連れて行って以来、まあどうやら外国の選手と肩を並べて競走出来る様になるまでは四、五年の日数を要しているわけです。

杉原氏はこの講演でかなり手厳しいことを言っているが、それが現実であった。現在でも殆ど変わっていない状況が続いている。新城選手のようにツールで活躍できる選手は未だ育っていない。
有力な選手はスロベニアあたりへ自転車留学して切磋琢磨してはどうかと思う。このことは先の東京オリンピックのロードレースを現地で見て感じたことである。

註、O氏とは大宮政志選手のこと。

以下は世界選手権アマ個人ロードの結果、

世界選手権アマ個人ロード
8月27日 西ドイツ 22.8K×8周の182.48Km
①EVERT DOLMA エバート・ドルマン (オランダ)
②WEST (イギリス)
③SKIBBY(デンマーク)
④KEGEL(ポーランド)
⑤G.PETTERSSON(スエーデン) Gösta Pettersson
⑥U.NESTE (ベルギー)
⑦PISAURI (イタリー)
⑧RITTER(デンマーク)
⑨EXNER (西ドイツ)
⑩DUBEIS (オランダ)
日本の藤倉、阿倍は5周め中原は3周目で追いつかれて失格。

上の記事からでは選手名が判然としないので、そのデータを検索。
ただし8位まで。DOLMAのスペルも相違。

Sur route - amateur Hommes - 27 Août 1966

1 P-BEvert Dolman (P-B)  4h59:43
2 G-BLeslie West (G-B)
3 DANWilly Skibby (DAN)
4 POLMarian Kegel (POL)
5 SUEGösta 'Fåglum' Pettersson (SUE)
6 BELWilly Van Neste (BEL)
7 ITAGabriele Pisauri (ITA)
8 DANOle Ritter (DAN)

エバート・ドルマン (オランダ)
(1946年2月22日-1993年5月12日)
Wikipediaより

アマ団体ロード
①デンマーク
②オランダ
③イタリー
④フランス
⑤ソ連 
⑥スエーデン
⑦東独
⑧チェコ
⑨スペイン
⑩ポーランド
日本は出場せず。

「旅とサイクリスト」1966年11月号
表紙

目次

42頁、43頁

1966-世界選手権アマ個人ロードの結果
43頁

44頁、45頁