2024年4月23日火曜日

陸奔舟車関連 - 3

 陸奔舟車関連 - 3

「憲友」第29巻6号 軍警会 1935年6月10日発行

この「憲友」の121・122頁に陸奔舟車の以下の記事あり、

陸奔車に関する記錄發見

自動車の發明は日本が最初か

段々研究して行くと世界の科學的發明の最初がどれもこれも日本らしい、たゞどれもこれも 完成しないのが遺憾だが著想だけは確かにいい、大毎紙(大阪毎日新聞)の報道によると自動車の發明が日本が最初らしい記録が出現したといふのである。

江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間に於ける天文學者として知られた人だが、彦根町史編纂資料蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏は四月二十一日時光の子息彌右衛門 重實が同町長松院境内の鐵塔中に埋めてゐた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を發見した、陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、それは今から二百年前の事である。

木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型の長さ九尺、外面に黒塗、中央に揖を立 て、運轉者が自らその揖を執て前進する、舟型の下に四輪車があり、二輪は中央の左右に現われ、二輪は前後につけ車を隠し、その艗車、後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ、車に大小ある、速力は一刻に七里を走ると記されてゐるから、いまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで、進止屈曲も揖によつて自由で、その原書の讃辭を訳すると、「手に舞し足にて踏む、實にこの器ありて行かんと欲するものに足下にて往き、止まらんと欲せば直に止り、曲らんと欲すれば掌中にて曲る嗚呼奇なる哉」と賛し、機關部は簡単なれど秘して図とせずと斷つて居るが、この新考案發明品も、頑冥な當時の權勢者に容れられず、「人間には足がある、危險の伴ふ乗物まかりならん」と叩き壊にされ、文書によつてのみ會心の創作品を鐵塔下に埋め遺して置いたのである。